435豚 帝国の脅威

 橋の上に立って、俺を見つめるお爺さんがいる。

 街で見かければ、上品な老紳士にしか見えないだろう男。

 柄にもなく緊張した。だって、あの爺さんはその身体のみで、この騎士国家という国を翻弄し、父上が率いるヨ―レンツ騎士団を無力化したのだから。

 でも行くしかなかった。

 この地に公爵家の人間は二人、俺と父上。 

 どちらかがやらねばやらぬ役目だった。


「何用かな、バルの息子」


 やけに落ち着いた声だと思った。俺たちの状況はわかっているだろうに。でも、バル、バルか。呼び捨てかよ。父上のことを気軽にそう呼ぶなんてこの国に一人もいないよ。あんたは何者なんだよ。アニメ知識を持つ俺だって詳しいことは知らない。


「バルの容態が芳しくないことは分かっています。彼は力の指輪を使った。公爵家の当主としては、浅慮な行動と言わざるを得ません。あれを使えば、こうなることは目に見えていただろうに」


 マグナと呼ばれる男はまだまだ語り続けそうな調子だったが、俺はその枯れ枝のような首に杖の先を突きつけた。


「今すぐ仲間を引き上げさせろ。撤退すれば、公爵家は錆を追わない、関与しない。スロウ・デニングの名の下に、お前たちに自由な身分を与えると約束する」


「いいのですか、バルの息子。今の言葉は、公爵家としての総意ではないでしょう」


「……」


 俺は公爵家の当主でも何でもない。

 ただ公爵家の人間として生まれて、父上にこの場へ呼びつけられた。

 確かに今の言葉は公爵家の未来に大きな影響を与えるだろう。

 だけど戦いを続ければ父上は死にヨーレンツ騎士団は壊滅する。

 父上が死んで、次代の当主の座に座るのは誰だ? サンサ、エイジ? だめだ、あいつらに錆とヨーレンツ騎士団を失った公爵家は立て直せない。サンサは人望があるが優しすぎるし、エイジは人格破綻者だ。


「……父上が死ねば公爵家のみならず、騎士国家がぐらつく。俺は公爵家の人間として当たり前の行動を――」


「君が公爵家直系としての責務を説く。今の言葉、バルが聞けば喜ぶでしょう」


 爺さんは目を丸くして低く笑った。

 うるさい奴だ。俺だって言いたくて言ったわけじゃない。だけど、父上の存在感は抜群なんだよ。今の騎士国家を支える公爵家当主、バルデロイ・デニングを失うわけにはいかない。それだけの話だ。


「しかし君の目に滾る光。まだ負けていないと、瞳が告げている」


 当たり前だ。俺は負けたつもりじゃない。

 だけど、これは父上とこの爺さんとの闘いだ。俺は部外者、確かにそうだけど……二人の私闘と言うには規模がでかすぎるって。それに父上は負けた。

 魔法の使えない騎士が何人集まった所で奴らに勝てるわけもない。

 

「父上が目を覚ませば、再び戦いが始まる。そうなれば父上を失うだけじゃ済まない。ヨーレンツ騎士団まで父上の玉砕に突き合わせるわけにはいかない。だから今すぐ仲間を引き上げさせろ、マグナ」


「つまらない脅しに屈するとでも思いますか、バルの息子。血酔水晶マヴロスはしっかりと効果を果たし、君たちは今、魔法を使えない」


 俺も魔法を奪われた愚かな一人だ。だから杖を突き付けたってマグナは恐れない。品の良い老人は、まっすぐに俺を見つけ続ける。


 枯れ木のような老人だ。だけど、飲み込まれそうな何かを感じた。

 背筋をよく分からない戦慄が走り続けている。


「私たちはこれまで公爵家のために、騎士国家のために生きてきました。しかし、これからは違います。私たちは、呆れているのです。ドストル帝国の脅威に怯え、何も手を打とうしない騎士国家の姿。バルの息子、君もそうは思いませんか。この国は滅びかけたのに」


「……」


 騎士国家は滅びかけた。マグナの言葉に偽りはない。

 何を隠そう、戦争の未来を回避するために動いたのが俺なのだから。


仮初かりそめの平和は長続きしない。帝国は常に反乱の火種を幾つも抱えている、彼らが動き始めてからでは遅いのです。大陸北方、力を持つ誰かの目が南に向いた瞬間、悲劇が始まる。帝国が我々に興味を持たぬよう地下で動かねばならない。出来るのは、私たちだけです」


 帝国は国として大きすぎる。

 闇の大精霊さんの目が行き届かない場所もあるし、帝国は北方で抵抗を続ける国々を飲み込んでこれからも大きくなり続けるだろう。

 今は飲み込まれた国の恨みは帝国に向けられているが、彼らが南に安住の地を求めた場合、話は変わってくる。


「……女王陛下が、その辺りを考えていないわけがない」

 

 苦し紛れの言葉だってわかってる。

 だけど、話のスケールがでかすぎるだろ。


 ドストル帝国の南下政策に対して、南の国々は同盟関係を作り、対抗しようとした。だけどこの爺さんは、たった一つの組織で戦おうとしているのだ。

 それに未来は変わった。俺が持つアニメ知識はこれから先、役には立たない。


「エレノア・ダリスは今を見ている。彼女は己の権力維持を何よりも優先している。勿論、間違いではありません。帝国の脅威が去り、一度は同盟の盟主となった騎士国家の立場が揺らいでいるのですから」


 未来を見ているこいつらと、今が大事な女王陛下。

 折り合いが悪いのも当たり前か。


「騎士国家の未来を思うならば、今、動くべき。少なくとも、公爵家デニングはそう在るべきだと考えます」


「……」


「例え陛下の意に背くとしても、公爵家当主として、バルは動かねばならない。出来ぬのであれば、公爵家の当主としては失格です。私たちが力を貸す価値はありません。バルの息子、君なら分かるでしょう、私たちはドストル帝国について知らなすぎる」


 淡々と答える老紳士、目に宿る光は理知的そのもの。

 ……父上、無理だ。

 この爺さんは化け物だ。


 この爺さんは本気でたった一組織で、ドストル帝国と戦うつもりだ。

 アニメ知識を持っていないにも関わらず、ドストル帝国の脅威を正しく理解している。騎士国家にもこんな頭の切れる男がいたのか。


「しかしバルの息子。君が要求を呑むなら、私たちは手を引くと約束します。自由の身など、私たちに必要はありません。私たちが欲するは、騎士国家の未来のみ」


 ……要求、要求ときたか。

 この男、俺が断れないことを分かっている癖に悪趣味な奴だ。

 それに何が騎士国家の未来だよ。


「要求を言え」


 俺が言葉の先を促すと、錆の頭目マグナは言った。


「来月、サーキスタで開かれる舞踏会を知っていますか?」


「……馬鹿にするなよ。サーキスタが一年で一番金を使う日だろ」


 どうして急にサーキスタの話題になるのか。それも舞踏会ときた。今、マグナが口に出したのはサーキスタで一年に一度行われる、国王主催の催しのことだ。

 権威でいえば大陸南方で最も格式が高くて、国外から要人を多数呼び集められる。騎士国家からも毎年、数人が国の代表として派遣されるはずだ。


「要求ってのは何だ。もしかして、父上の代わりに舞踏会に参加しろって話か?」


 勿論、分かっていたさ。それだけで済む筈がないって。

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