432豚 何が起きたのか

「……ひひっ、若様! 逃げてばかりじゃ……始まらねえぜ!」


 イチバンの動きは、不規則だ。ぐにゃぐにゃと軟体動物のように迫ってくる。

 なんだよ、その動き。気持ち悪い。驚異的な身体の柔らかさ、タコかよ。

 だけどイチバンが持つ短槍、突きから発せられる衝撃波が厄介だ。それは一枚、また一枚と俺の結界が破壊する。これが英雄の種シェルフィードの力。俺が構築している結界は、そんな簡単に破られるような柔な代物じゃないんだけどな。


「――スロウ様! そいつの武装に、結界は効きません!」

 

 残念ながら、クラウドの声に返事をする余裕はなかった。

 あいつは今も壁がぶち抜かれた校舎の2階廊下で、首元を刃を突きつけられている。クラウドは人質。分かってる、錆の面々はそういうことが大好きで、得意だ。


「ひひっ……若様! この先には、いかせねえッ! 爺さんの標的は、あんたの父上だけだからな――!」


 こいつらは騎士とは正反対、邪道を持って敵を殺す。

 公爵家が貴族の中でも特別な地位にいられたのは、こういう鬼畜な行いを顔色一つ変えないで実行出来る連中を飼っていたからだ。 

 味方にすると頼もしいが、敵にすると恐ろしい。


「ふう」


 目の前に構築する結界。

 何度目も分からないが、イチバンの刺突が結界を破壊する。だけど、何度も何度もいいようにやられるかよ。後退を続ける俺だったけど、わざとよろめいて見せると、イチバンが口から空気を吐き出した。意外と分かりやすい奴。

 

 自分の身を守るように薄い結界を構築、時間にして一秒未満。そして目を見開いて迫ってくる狼仮面の男。結界に人差し指で軽く触れる、それは透明な水面に薄い赤色の異物を垂らすような作業だ。クラウドの叫ぶ声が聞こえた。

 あいつ、俺の身を案じているの? まさかな。


 イチバンが突き破った結界、俺の鼻の先に短槍の切っ先。

 

「…………っひひ。若様、何をした……」


 俺は答えないで、さあとばかりに肩をすくめた。

 イチバンが突き破った結界がどろりと溶ける。粘膜の塊がイチバンの短槍に包み込む。結界に込めたもう一つの魔法は、闇の魔法に分類されるものだ。

 この国、騎士国家では闇の魔法は敬遠されがちだ。

 光のダリス王室が納める国、闇の魔法を使う魔法使いは出世も遠のく。

 だけど、闇の魔法は便利なものだ。

 

「……闇の魔法……若様みたいな高貴な人間が、闇の魔法なんて使っていいのかよ……ひひっ」


「イチバン、俺の魔法がお前の武装を蝕んでいる。クラウドを解放すれば、魔法を解く」


 俺は座り込んだまま、動きを止めた仮面の男を見つめる。

 近くで見れば鍛え上げられた見事な体躯だ。痩身だけど、痩せているわけじゃない。これは無駄な肉を削ぎ落した肉体。俺とは真逆。


「……脅迫にもなってねえ……俺はこのまま若様を刺し殺すことだって出来るんだぜ……?」


 そう言って笑うけど、脅しにもなっていない。

 だってこの男イチバンは、俺を殺せない。殺せるわけがない。


「お前らが俺を殺せるわけがない。自分で認めたくもないけど……」


 錆の連中は誰だって愛国者だ。

 確かにヨ―レンツ騎士団みたいに分かりやすい愛のカタチじゃない。

 こいつらの愛は屈折している。こいつらは皆、落ちこぼれた人間だ。貴族に生まれ、魔法の才能に恵まれ、しかし真っすぐのレールから落ちてしまった。

 力に溺れて、悪事を働き、家にも帰れない。

 そういう連中をマグナ、あの爺さんが鍛え上げ、愛国心を植え付けた狂信者。 


「俺は……スロウ・デニングは、騎士国家を導くべき人間だろ――少なくとも、お前たちはそう考えている」


「ひひっ……自分で言うかよ……若様……ドン引きだぜ……」


 イチバンは俺の顔に向けられていた短槍を引き抜いた。


「……ひひ、こいつは暫く使い物にならねえな……。まあ、いいか。俺の仕事は……終わりだ……有能な人間は……これだから嫌いだ……」


 俺も服についた汚れを払いながら、立ち上がる。

 俺に背中を向けるイチバンの姿、無防備な背後から攻撃を仕掛ける気にもならない。少なくともこの男は、分かっている。

 ヨ―レンツ騎士団と戦う愚かさを、公爵家と敵対する価値の無さ。そのままイチバンに話しかけようとした。俺たちは敵対じゃなく、協力出来るんじゃないかって。


「ああ、若様、一つだけ言っておく…………俺も、本気を出したわけじゃない……ひひ……ただの時間稼ぎ……爺さんは、一番若様を危険視していたからな……」


 あれ。身体が、バランスを失う。そのままよろめいた。

 俺の身体はあっけないぐらい情けなく、石畳の上に倒れこんだ。力が入らない。頭が入らない。何が起きた。何をされた。分からない。イチバンから何も攻撃は受けていない。だけど、あいつは懐から何かを出した。深紅の色に染まる水晶。


「……ひひ……まだまだ若様は、子供……」


 イチバンが振り返って、俺を見た。 


「ひひ、軽い気持ちで……俺たちに、勝てると思わないほうがいいぜ……?」


 灰色の仮面が外されている。そこにあったのは、アニメでも見たことが無かった男の表情。思ったよりも若い。20代後半、シルバよりも年上で、きっとクラウドよりも年下。イケメンとはいえない味のある顔、苦労を重ねた男の姿だった。

 




 気を失って、意識を取り戻したのは夜だった。

 辺りは真っ暗で、廃墟と化した魔法学園の姿。だけど魔法学園にはそぐわない男泣きをする大人の声が幾つも聞こえてきて、俺は悟った。

 ヨ―レンツ騎士団は、父上は、恐らく負けた。それも大敗。


「……」

 

 項垂れる二人の男はシルバとクラウド、そしてシャーロットが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。


「スロウ様……」


 随分と感じたことのない気持ちを胸に、立ち上がった。

 俺の胸に宿る感情は、あの仮面野郎に一本取られた悔しさしかなかった。


「シャーロット、状況を教えてくれ――可能な限り、詳細に」


 やられたら、やり返す。当然、倍返しだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る