338豚 真夜中の攻防②
シューヤはそちらにちらりと目を向けた。
森の中から、湖畔にある馬車に向かってモンスター達による突然の襲来。
サーキスタとの国境沿い。盗賊団がこの辺りに点在することをシューヤは知っていた。そして、当然、人の手が入りにくい自然地帯にはモンスターが独自の生態系を築いている。
武装したオークに小鬼、弓矢をこちらに向けて構えている二足歩行の犬、コボルト達の姿も見える。シューヤは思考する。モンスターとの間にはまだ距離があった。自分を超えなければ、馬車へは向かえないように立ち位置を変更。
そして、シューヤは慌てることなく、杖を抜いた。
「——なぁ、エルドレッド。お前、結婚ってさ、どういうものか知ってるか?」
状況に即していない。余りにも場違いな問いかけだ。
シューヤ・ニュケルンは、自分の身体の中にいる存在がそういった話題に適していない事はもう充分理解している。
それでも、そんなことも忘れてしまう位にアリシアから聞いた話は衝撃的だったのだ。思わず、口から出た言葉の意味は、そんなところだろうか。
シューヤが背にしたあの馬車の中には、彼らがいる。騎士国家で活躍目覚ましい公爵家の直系、スロウ・デニング。クルッシュ魔法学園では最大の喧嘩相手だっただろう自分にも、とても良くしてくれるスロウ・デニング。彼が大切な話を、大切な友人であるアリシアとしているのだ。
『……聞く相手を間違えてるぞシューヤ。この儂が、結婚等と言う俗な慣習に興味があると思ったか』
「はっは、だよなぁ。エルドレッド、お前に聞いた俺が間違ってた。今のは忘れてくれ。でも、よし。心が落ち着いた。やるべきことは、単純だ」
シューヤの体に潜む火の大精霊。
興味のあることといえば戦いのことばかり。シューヤがその正体に気づくまでは学園生活や未来の話とかを相談をして、小遣い稼ぎにも利用していたが、今ではすっかりと本性を現して戦いの話ばかりだ。
例えば、クルッシュ魔法学園にいる大半の先生達は実践の機会がないから身のこなしも話にならないだとか、ロコモコ先生は悪くないが、とか。あの学園長は狸の皮を被っていて一度、戦ってみたいとか。
「でもさ、エルドレッド! お前、大精霊って言われるぐらいなら、デニングとアリシアの二人にこれから起こることを気づかせないようにすること、出来るよな? そういう魔法って細かいからさ、俺は出来ないけど、お前なら簡単だろ?」
『造作もない。が、シューヤ。それはお主が一人で戦うと受け取ってもいいのか?』
「言わせんなよ! でも、そういうことだよ! だって今あの二人は大事な話をしてる真っ最中だろ! いつまでもデニングに抱っこじゃ、恰好かないしな! 」
『気に入ったぞ、シューヤ! ならば、協力してやろう——
いつの間にか、シューヤ・ニュケルンの頭上に浮かんでいた水晶。
無色透明のそれが、淡く炎色に輝いた。そしてシューヤが背にしている馬車を、陽炎が覆い隠す。その力は破壊に特化した火の魔法とは異なり、対象を覆い隠す結界術に近しい力。今のシューヤでは届かない、遥か高みにある火の魔法だ。
「助かった、エルドレッド。この場でデニングが出てきたら、簡単に解決するかもしれないけど、それじゃあダメだって思うんだ」
自分よりも遥かに強い
でも、シューヤはこんな所でスロウ・デニングに頼っては駄目だと思ったのだ。あれらはサーキスタ大迷宮に存在するモンスターに比べれば、余りにも低い野生動物に近いモンスターである。それでも一般的なクルッシュ魔法学園にいる生徒であれば苦戦は必須だが、シューヤはその
「——エルドレッド! 俺たちは今からサーキスタの大迷宮に潜るんだ! これぐらいのモンスターを相手に出来なくてどうするんだよ!」
そうして、シューヤの戦いは始まった。
空に浮かぶ月明かりが、彼の戦いっぷりを映し出す。右手に杖を、左手に炎を。始まりの戦闘スタイルはお粗末なもの。まだ自分の力、使い方をシューヤ・ニュケルンは何も知らない。
オークが通り過ぎる。杖で打ち出す炎が、オークを丸焦げにする。エルドレッドは言っていた。実践に勝る練習は無い。
確かな実感を感じながら、シューヤ・ニュケルンは戦い続けた。
「——なるほど。あの赤髪の少年が、彼らの護衛ということか」
「ゴカン様。どうしましょう」
「時間をかける必要は無い。各自、協力し、特大の魔法をお見舞いしてやれ」
モンスターを相手に炎を打ち出すシューヤ・ニュケルンの姿を、森の中から、魔物使いゴカン率いる盗賊団はじっと観察していた。
●
全身全霊でアリシアの言葉を待つ。
一言だって聞き逃さないように、集中する。暗闇の中。ランプだってついていない。窓の外には湖が見えた。シューヤは中々帰ってこない。
あいつ、まだあそこでぼーっとしているのか。まあ、アニメの中ではシューヤとアリシアは結ばれたからな。あいつは何も言わなかったけど、シューヤがアリシアの奴に特別な感情を隠していることだって否定出来ないんだ。
「私はね……スロウ。貴方に感謝しているの」
「か、感謝? 今のは俺の聞き間違いか? お前、俺との婚約に賛成なの!?」
「ば、バカッ! 違うわよ! 私がこの婚約に賛成ってことじゃない! 貴方が可笑しくなって、私たちの婚約の話が流れたことよ!」
「お前……俺との婚約が破談になって、サーキスタじゃ嫌がらせとか受けたって聞いたけど……」
「確かに最悪の経験はしたわ。他の姉弟から笑い者だし、絶対に許せないとずっと思っていた、でも、ある日思ったの。自分の未来はお父様が決めるもの、サーキスタの王女としてそれが一番正しい道だって思っていたけど、スロウとの婚約が破談になって……誰かに自分の未来を決められたら、幸せにはなれないって思ったのよ 」
アリシアは握り拳を作りながら俺を睨み付ける。
そして、その顔はすぐにどこか吹っ切れたような笑みになる。
「なあ……アリシア。今さらこんなこと言うのはアレだけどさ、お前の婚約相手にどうして俺が選ばれたんだ」
アリシア・ブラ・ディア・サーキスタにはオーラがある。それは小さい頃だって変わらない。あの頃、俺はアリシアを見て、大人になったらさぞや美人になるだろうと思ったし、デニング公爵家に来るたびに俺の家族からも歓迎されていた。クルッシュ魔法学園に留学してからも、男子生徒に大勢アプローチを受けていた。
俺は、風の神童として有名だったことは否定しないけど、俺以上の優良物件は他にもあった筈だ。何故ならこの世界は広い、俺ですら知らないことが多く――違和感を感じた。例えるなら、ぞわっとする寒気だ。
「何よ今さら……サーキスタが貴方を選んだ理由なんて決まってるでしょ。騎士国家の風の神童って言えば、あの頃は誰もがスロウを思い浮かべたじゃない」
「違う、そういうことじゃない。サーキスタが俺を選んだ理由に、お前の意思も少しは…………あれ、アリシア。お前今、何か感じなかったか?」
「え? べ、別に何も感じなかったけど……それより何よ急に……私がスロウを選んだってそれは……まあ……」
微かに感じた、違和感。
俺たちを狙っている盗賊団が動き出したのか、いや、でも、それだったら外にいるシューヤが大騒ぎするはず。まあ、いいか。
今は、アリシアとの話し合いの方が遥かに大事だった。
●
——ほう! 儂の魔法に、気付くか! スロウ・デニング! 大した奴だ!
戦い続けるシューヤの姿を観察しながら、火の大精霊エルドレッドは同時にそちらも意識する。
——さすがは公爵家の倅といったところか! しかし、今は貴様が邪魔だ!
もう一人の自分ともいえるシューヤ・ニュケルンが、一人で戦える力を獲得するのは重要だ。何よりも今のシューヤに必要なものは実践である。命を懸けない練習では決して身に着かない、目に見えぬ力を今のシューヤには身に着ける必要がある。
——
当然、エルドレッドは気づいている。
これは狡猾な
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