337豚 真夜中の攻防①


 婚約の話が事実なら、アリシアからは一体どんな罵詈雑言が飛び出すのか。

 ああ、怖い怖い。俺と婚約するぐらいなら死んだほうがマシとか言われるんだろうか。アリシアは言葉に遠慮がないからな。あいつは真っすぐな言葉で人の心を抉ってくるんだ。


 俺は恐ろしさに震えながら、アリシアの言葉を待った。


「……私の故郷のこと、貴方もよく知っているでしょ。サーキスタは政略結婚を利用して、様々な国と関係を構築することで成り上がってきた国よ。王室に生まれついた人間は豊かな生活を享受出来る代わりに、国に貢献しなければならない。男に生まれたら指導力とか武力で国に貢献することができるけど、女は大抵、政略結婚の道具」


 アリシアは語る。 

 苦々しげな表情で、自分もこんな話をするのは嫌だって感じがありありとその表情には現れていた。 

 

 でも、確かにあの国はそういう国かもしれなかった。

 アリシアの言う通り、サーキスタは政略結婚を用いて、同盟関係を構築するのだ。しかも今の国王は王室の人間は政略結婚の駒としか考えていないような人間だ。


 アニメの中では、アリシアは政略結婚の話がくるたびに悩んでいたっけ。


「私がクルッシュ魔法学園に留学してからも毎月のように婚約者一覧のリストが届いていたわ。全部見ずに破り捨てていたけどね。そんな私に業を煮やしたのかしら。まさかスロウ。貴方との縁談が復活するとはさすがに思っていなかったわよ」


「……どうして俺がお前の婚約者に。だって俺だぜ? サーキスタみたいな大国が王室の婚約者として選ぶには最悪の人選だと思うけど。だって俺、サーキスタの民から嫌われまくってるだろ?」


 アリシアとの婚約は無いと思っていた。 

 だって、俺は一度真っ黒豚公爵だ。リアルオークになり、アリシアとの婚約の話は自然消滅したからだ。


 俺の悪評は他国で広がっている。

 他国の中でも特にサーキスタじゃ、スロウ・デニング許すまじって感じで、滅茶苦茶嫌われてるって風の噂で聞いたことがあった。

 サーキスタでは王室の人気が高いんだよ。

 それこそアリシアなんか、アイドルみたいなもんだ。可愛いからサーキスタではカルト的な人気があるらしい。そんなお姫様を俺はリアルオークになって振ったのだから、サーキスタの民からは俺は憎悪されている。


「……スロウ。貴方はやりすぎた。クルッシュ魔法学園を救って龍殺しになった。風の神童が騎士国家に帰ってきた、って他の国じゃ飛ぶ鳥を落とす勢いで話題になってる。行動もまともになってるし、私との間に縁があるわ。サーキスタの政略結婚相手としては、うってつけってわけ」


「あまりにも現実感がないっていうかさ。さすがに想像ができなかったよ。でも、アリシアがこの手の話で嘘をつくとは思えないし、本当なんだな。はぁ、俺ってサーキスタ国王、お前の親父に凄い嫌われてるって思っていたんだけど」


「あの人は、策略家よ。何にも考えて無さそうに見えるけど、それじゃあ国王は務まらない。今でもスロウは嫌われてるけど、それでも実りあるって思われた」


 なるほど。

 俺はやりすぎたってわけか。サーキスタの国民感情を裏切ってでも、アリシアと婚約させる方が遥かに実りがあると思われた。

 

 俺は自分で言うのも何だが、今や騎士国家で大人気。 

 カリーナ姫を王都ダリスで救ってからは、カリーナ姫の守護騎士にしようなんて動きもあるぐらい。どれぐらいの人気があるかってのは一度王都でも体験していた。


「アリシア。率直に聞くけど……お前はこの婚約話をどう思っているんだ」


 俺との二度目の婚約話。

 プライドの高いアリシアがこんな馬鹿げた話を素直に飲み込むとは思わない。


 しかも、俺にはシャーロットがいるのだ。

 シャーロットとの間で結婚の約束とかは何にもしてないけど、俺とアリシアが婚約なんて話を聞いたらシャーロットはショックを受けてしまうに違いない。


 この話を素直に飲み込むわけにはいかない。

 俺はシャーロットと恋人らしいことを何もしていない。それにシャーロットにはまだ話していないけど、俺はシャーロットとのデートプランを数百も考えているんだ。デートへの誘い文句だってまだ一つも言えていない。


 だから俺は、アリシアの婚約に関する考えを、正確に知る必要があったのだ。


 ●


 馬車の中で話している二人とは打って変わり、たった一人。

 寒空の下で考え事をしている赤髪の少年がいた。


「うわ。まじでデニングの野郎、俺の分の焼き串、全部食ってやがる。どれだけ食欲あるんだよあいつ……はあ、今日は夕食抜きか」


 シューヤ・ニュケルンにとって、アリシア・ブラ・ディア・サーキスタと言う少女は、周りから思われているほど特別な存在と言うわけではなかった。


 クルッシュ魔法学園でも周りからは、お前たちってもしかして付き合ってるんじゃないかとか、色々な想像をされていた。

 その度にシューヤは全くの誤解だと答えていた。

 アリシアは友達の一人という位置づけであって、お互いにその感情を超えたことはない。というか学園の皆はアリシアのことを特別視しすぎだとシューヤは思っていた。


「しかし、あの二人が婚約かぁー驚いたな」


 シューヤは今、時間潰しの真っ最中だ。

 馬車の中で二人きりで話してるだろう二人。彼らのことを思って、湖畔のそばで、月を反射している水面を眺めていた。


「うちは貴族として小さいからあんまり聞かないけど。やっぱり公爵家位の貴族になったら政略結婚とかあるんだな……あの二人が結婚するだけでダリスとサーキスタの関係が良くなるなんて……どんだけだよ……」


 サーキスタの大迷宮へ向かう、不思議な旅。

 旅の同行者は、騎士国家の大貴族とサーキスタの王女様なのだ。

 スロウ・デニングとアリシア・ブラ・ディア・サーキスタは政略結婚なんて話が飛び出るぐらいの地位ある人間だ。今になってシューヤは自分のような弱小貴族が一緒にいることの場違いさを改めて感じていた。

 

「って、違うだろ! これは俺の進退を賭けた旅で、場違いなのはあの二人のほうだって!」


 この旅の目的はシューヤが騎士国家に居続けられるか否か、彼の未来を賭けた旅である。

 目的を思い出して、シューヤは自分の存在意義を確認する。


「しっかし、デニングだけならまだしもアリシアも一緒ってのは困るなあ」


 スロウ・デニングは、自分の秘密を知っているがアリシアはまだ何も知らないのだ。一緒に旅に同行することでもしかしたら自分の秘密がバレてしまうかもしれない。


「アリシアが俺の秘密を知ったら、きっと俺とは距離を置くだろうな……いや、それが普通なのか……俺の中にいる火の大精霊、あんなのを知って今まだ通り仲良くしてくれる奴なんているわけないか……。あれ、でもデニングの奴は……」


 冷静に考えると、自分の秘密を知っていても尚、あんな風に傍にいてくれるスロウ・デニングが可笑しいのだ。


 スロウ・デニングはクルッシュ魔法学園関係者にとって特別な存在だ。

 少し前までは、学園一の問題児だった。

 誰にかれ構わず喧嘩を吹っかける、そんな問題児が、ある日を境に変わっていった。学園で急にジョギングや筋トレを始めてダイエットに精を出した。


 今では、学園を救ってくれたことで大勢の生徒があいつに感謝しているし、中には何とかしてお近づきなれたらなりたいと思っている者もいると言う。まぁ、大貴族、あの公爵家の人間なら、お近づきになれたらどれだけの旨味があるかわからない。


「でもあの二人ってもともと婚約者同士だったわけだし、意外と似合ってるかもしれないよな……少なくとも今のデニングはだいぶまともになったし……俺は二人のことを応援したらいいのかな……」


 湖畔に拾った小石を投げ込んだ。

 ぽちゃんと音がして、また静けさが舞い戻る。連続して、ぽちゃんぽちゃんと何度も石を投げ込んだ。

 途中から火の魔法で燃やした小石をそのまま湖畔に投げ込んだ。燃える小石を手に持っても熱さは感じない。

 これも火の大精霊の存在を自覚してからの変化だ。


 シューヤ・ニュケルンは、スロウ・デニングに感謝している。

 ——とても、感謝している。自分の秘密を知ってからも変わらない振る舞いに、シューヤ・ニュケルンは救われている。


「俺は……あの二人の味方でいたい……いないといけないよな……」


 シューヤは、今の自分があるのはスロウ・デニングのお陰であることを深く理解している。火の大精霊なんて厄介な存在を飼っている自分を、愛する故郷、ダリスに住み続けられるように、あの女王陛下に掛け合ってくれた。



 モロゾフ学園長から、シューヤは伝えられている。

 ——スロウ・デニングがシューヤ・ニュケルンを助けるために、あの守護騎士選定試練を実施するために、どれだけ力を掛けて女王陛下を口説き落としたか。シューヤ・ニュケルンが、騎士国家にいることにどれだけのメリットがあるか、スロウ・デニングは女王陛下に語り続けた。


「……アリシア、デニング。もしお前らが……婚約の話。嫌だって言うのなら、俺がぶち壊してやる。今の俺には、それだけの力がある……」 

 

 そんなことを思うぐらい、シューヤ・ニュケルンはスロウ・デニングに感謝している。

 感謝しすぎて、これから先。

 スロウ・デニングに足を向けて、眠れないぐらいだ。


 最も、そんなことを考えているなんて、シューヤ・ニュケルンは、決してスロウ・デニング本人には明かさないが。


 だって、それが自分とデニングの関係性だから。

 今まで仲違いをしていたんだ、それがいきなり友達になるのは難しいのだ。

 

 だからからこそ、今回の旅は自分一人の力で達成したかった。

 これ以上、スロウ・デニングの世話になりたくなかったが、それでもまた甘えてしまっている。


 もうどうすればいいか分からない。

 湖畔の水辺で顔をバシャバシャと洗いながら、絶叫する。


「——ああもう! デニング! おい、クソ豚野郎! これ以上助けられたら、俺はどうやってお前に恩を返せばいいんだよ!」


『シューヤ! 気をしっかりと持て! そろそろ来るぞ!」


 頭の中に響く誰かの声。

 それは、シューヤ・ニュケルンという弱小貴族を、あの女王陛下が気に掛ける存在に仕上げた原因。

 突然の声にシューヤはポケットから小さな水晶を取り出した。


「……何が来るんだよ、エルドレッド! もう夜だぞ! 後は寝るだけだっての! ……そうだ、そろそろあの二人の会話も終わったかな。もう馬車に戻ってもいいよな?」


『何が来るか、と聞くか! 呆れた奴め! 儂が来ると言えば、敵に決まってるだろうがッ!』


 その時だった。

 森の中からシューヤの目に、こちらに向かって棍棒のようなものを振り返ってくるオークの姿が飛び込んできた。

 

 ざっと数えるだけで、10、いや 隠れている奴らもいる。20、30、続々と出てくる。オークだけじゃない、武装したゴブリンや巨大な蛇。モンスターは確かな敵意を滾らせて、シューヤ・ニュケルンに迫ってくる。


「——は?」


 シューヤは目をパチクリとさせて、改めて目をゴシゴシと擦ってみるが、その光景は間違いではなかった。

 エルドレッドの言う通り、確かな敵の襲来だった。

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