330豚 サーキスタ迷宮への道⑤

 目の前にいる少女、何が起こっているか全くわからなかった。

 どうしてサーキスタ領内、悪魔の牢獄デーモンランドに向かおうとしている馬車の中にアリシアの姿があるのか、その理由がさっぱりわからない。

 

 けれど美しい亜麻色の髪を結んだあいつが。

 現実として、アリシアがこの場所にいるのだから対応するしかないのだ。


 その結果が今の水の魔法。単純な水の渋きを作り出す魔法は、眠っていたアリシアを起こすには最適な魔法だった。


「——ッ、ちょっと何するのよ! やっとこの揺れの中で落ち着けたと思ったのにっ! ていうかこの馬車、揺れすぎなのよ!」


 涙目で怒鳴りながら、俺に抗議をするアリシア。

 ぎゅっと制服のすそを握って、猛抗議の真っただ中。でも、俺はまだ混乱中。


「気になることは色々あるけどこの馬車を引っ張っているあのモンスターは何! あんな巨体の蜘蛛、幾ら 魔物使い モンスターテイマーに操られているといっても危険よ! 戦争で活躍するようなモンスターじゃない!」


 俺たちと同じ学園の制服のまま、アリシアはこの馬車の中に忍び込んでいる。

 しかもどうやらこの揺れがお気に召さない様子。巨大なモンスターに引っ張られ、揺れも相当だ。

 アリシアが普段乗る馬車の質から言えば考えられないほどだろう。


 って、車内の揺れとかそんな事はどうでもいいよ。

 俺が聞きたいのは、たった一つ!


 ——アリシアッ! どうしてお前がここにいるのかってことだ!


 俺とシューヤに課せられたサーキスタ大迷宮への秘密の旅。誰にもバレてはいけないはずだった。そしてシューヤも当然それだけは理解していたはずだ。


 なのにアリシアがこの場にいる。

 アニメの中のメインヒロイン。計り知れない行動力を持ち、時に破天荒な行動を繰り返すお姫様。性根はシューヤと同じく真っすぐで、優しい心を持った女の子。


「隠したって無駄なんだから! 私は知ってるのよ、スロウとシューヤがどこに行くのか!」


「……」


「はあ、私の国の迷宮あそこに行きたいなんてどこまで命知らずなのかしら。観光ってわけでも無さそうだし……でも、悪魔の牢獄デーモンランドに正規の手段で潜るってわけじゃ無さそうね。私もそっちのほうが都合が良いから助かるけど」


 その口ぶりから類推するに、俺たちの行き先に相当の自信があるようだ。

 ていうか悪魔の牢獄デーモンランドなんてピンポイントに当てられたし、この様子じゃ俺がどれだけ否定しても無駄だろう。

 しかし、なんで、アリシアが俺たちの行き先を知ってるんだよ。

 まさか――シューヤが漏らしたのか?

 

 だけど、シューヤの線を頭の中から否定する。幾らあいつに能天気な部分があるといっても、今回の旅がどれだけ危険で重要か分かっている筈だ。


 俺たちのやることは誰にも知られてはいけないってことぐらいはさ!

 混乱する俺を他所に、アリシアは続ける。


「それでスロウ。相談なんだけど、悪魔の牢獄デーモンランドへ私も連れて行ってくれないかしら」


「……ふざけるなっ。俺とシューヤはただの里帰りで、この馬車に乗り合わせているのも偶然だ。お、お前が、どこで知ったのか知らないけどな、全部勘違いだ!」


「へえ。これを見ても、それが言えるかしら」


 床に置かれた何か。あいつが枕にしていた分厚い本……本?

 アリシアが持つその黒い背表紙に書かれた題名を見て、俺は目を見開いた。


 ●

 

 アリシアの故郷、サーキスタは大陸南方諸国の中でもある一点において、群を抜いた力を持つ国だ。サーキスタが持つ力、それは多数の迷宮を抱えるが故に培われたモンスターへの対応力である。

 彼らはモンスターを相手にする場合、騎士国家ダリスでさえも及ばない力を発揮するのだ。


 そんなサーキスタが抱える大迷宮、悪魔の牢獄デーモンランド

 沢山の迷宮を持つサーキスタ、あの国が持つ迷宮のノウハウは、冒険者ギルドに匹敵する。特に悪魔の牢獄に関する情報に至っては、冒険者ギルドを超えていると噂されていた。サーキスタの歴史は迷宮との戦いとも言える、そんなサーキスタに向けて冒険者の間で流れていた噂があった。

 それはサーキスタはかの大迷宮に纏わる詳細な地図を持っているとのではないかとの噂だ。門外不出、サーキスタ王室しか扱えない悪魔の牢獄デーモンランド迷宮攻略の歴史。

 黒い背表紙の一冊——あの禍々しさ、間違いない、本能で分かる。

 あれは本物だ。悔しいが、俺の目はアリシアの持つそれに釘付けとなった。


「スロウ。今の反応は、貴方らしくもないわね」


 そんなものを見せられたら、黙るしかなかった。

 先日、女王らが学園に来訪した際。マルディーニ枢機卿が俺を探すために使用したクルッシュ魔法学園の地図と似ているが、中身の価値は天と地の違いがある。 


「……確かに、俺たちが行く場所はサーキスタの大迷宮だ。でもな、俺たちは遊びで潜るわけじゃない。お前を連れていくなんて出来るわけないだろ」


「スロウ、勘違いしてないかしら。これはお願いだけじゃなくて、命令よ。私は今、クルッシュ魔法学園の留学生としてじゃなくて、騎士国家ダリスの同盟国、サーキスタの王族としての立場でここにいる。騎士国家の貴族なら、何も聞かないで、私を悪魔の牢獄に連れていきなさい」


「何の理由があって、サーキスタのお姫様が悪魔の牢獄に潜る? それに随分と滅茶苦茶な要求だ。その有無を言わさない感じ、まるで昔のお前みたいだな」


「滅茶苦茶なのはそっちも同じでしょ。あそこに潜るなんて騎士国家ダリスの貴族がやることじゃないわ。でも、スロウ。私はそっちの事情には首を突っ込まないようにするわ。私は私の目的のために、迷宮に入る。勿論、ただとは言わない」


「話にならないな、アリシア。俺とシューヤの事情に首を突っ込むな」


「でも、この地図は喉から手が出る程欲しいんでしょ?」


「……」

 

 アリシアの手の中にある一冊の本。

 大迷宮の情報が詰まったそれは、まさに今の俺が望んでいたものだ。

 正直、滅茶苦茶欲しい。今すぐにでアリシアから奪い取りたいぐらいなんだけど、あれは噂に聞くところサーキスタ王室が持つことでしか効果を発揮しないと聞いたことがあった。


「っ」


 車輪が何かに乗り上げたのか、一際車体が揺れる。

 俺とアリシアの間に沈黙が流れ、ふわりと場違いな良い匂いが鼻孔に届く。そして先に動いたのはアリシアだった。


「……呆れるよ、アリシア。お前が俺に杖を向けるなんて、俺たちの力量の差、お前なら分かっているだろ。どう足掻いても、お前じゃ俺には勝てないって」


 随分と目が慣れてきた暗闇の中で、杖の先が俺に向かっていた。


 謙遜じゃないけど、俺は強い。

 クルッシュ魔法学園にいる生徒じゃ俺に敵う者はいないだろう。少なくとも、大陸南方にいる同年代連中の中じゃあ頭一つ抜きん出ている自覚がある。

 そりゃあ、この世界は広いさ。

 俺が知らない実力者は大勢いるだろう。特に戦いが日常茶飯事の大陸北方には俺の知らない猛者が山ほどいるだろうが、少なくともアリシアが今の俺に敵うわけがなかった。 

 それなのに、アリシアは俺に向かって杖を向けている。

 魔法使いとしての武器、簡単に人を殺せる凶器を。


「これでもサーキスタの第二王女。目的を達成するためなら、私が持っている権力を使うことに躊躇いはないわ。公爵家の人間なら……私たちが持つ特殊な力を知ってるでしょ。サーキスタの王室が望めば、どれだけの距離にいても水の大精霊ホルトグレイスの加護を受け続けるっ」


「到底、正気とは思えないな。アリシア」


「うるさいわね! そっちの事情があるように、私にも事情があるの! いいことスロウ、お腹に穴を開けられたく無ければ私の言うことを聞きなさいッ」


 そう言って、アニメのメインヒロイン様は俺に杖を向け続けるのであった。

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