329.5豚 シューヤの夢は公爵家入り?

 シューヤ・ニュケルンにとって今回の旅は己の未来を大きく分ける分岐点。

 それは彼、シューヤ・ニュケルンもまた十分に理解していた。


 自らの中に潜む火の大精霊エルドレッド

 誰もが厄災と呼ぶ悪魔が内にいるのだから。


 しかし、シューヤはここにきて違和感を持っていた。

 何故なら、シューはこれまで火の大精霊エルドレッドと接触していたからだ。水晶の中に潜む火の大精霊エルドレッドと、シューヤはこれまでの人生を共に暮らしてきたからだ。迷った時は何度も水晶に相談に乗ってもらったこともあるし、火の大精霊エルドレッドの力を使い、占いとして小遣い稼ぎにも協力してもらったこともある。


 エルドレッド——俺はお前がそれほど危険な奴とは思えないんだ。


「——っうぅぅ、わぁぁわぁぁぁあ」


 さて、シューヤの眼前に見えるのは緑ばかりの光景だ。

 頬を叩く風は痛いほどで、その速度が今どれだけのスピードでシューヤが移動しているかを表している。


 シューヤは今、巨大な蜘蛛の背中に乗っていた。

 八腕鬼蜘蛛ハッケイダラスと呼ばれる強力なモンスターだ。口元には牙が見えるし、人里に現れたら大騒ぎになること間違いなしの大型モンスターだ。

 だが、 魔物使い モンスターテイマーに使役されたモンスターである証の首輪をつけ、安全は保障されている。

 モンスター、八腕鬼蜘蛛ハッケイダラス

 名前だけは知っていた、巣を貼り獲物を待つのが普通の蜘蛛でありながら、特定の居住地を持たずに移動を繰り返すモンスター。

 好戦的で恐れを知らない危険なモンスターなのに、シューヤはこれが 魔物使い モンスターテイマーに使役されているモンスターだとは信じられなかった。これだけのモンスターを使役下に置ける人間、一体どれだけの人なのか。

 八腕鬼蜘蛛ハッケイダラスの首元に捕まるシューヤはその圧倒的な力強さ、存在感にただ圧倒されるばかりであった。

 世界は広い、そう思わずにはいられなかった。


『シューヤ! これしきのモンスターに強襲され気絶するとはなんたる弱さだ! あの小僧、スロウ・デニングも呆れておったぞ! それに、八腕鬼蜘蛛ハッケイダラスぐらいのモンスターを使役する 魔物使い モンスターテイマー等、世界には大勢おるッ!」


 エルドレッドが語りかけてくるが、シューヤは先ほどのスロウ・デニングの言葉について考えていた。


 ――火の大精霊を完全に制御できるまで国に帰る事は許されない。


 まあ……当たり前だろう。

 少なくとも今の自分があの魔法学園に存在が許されるとは自分でも思えなかった。

 エルドレッドが再び暴れ出しても、余裕で押さえつけられるよう、成長しなければならない。そう考えれば、サーキスタの大迷宮は絶好の場に不思議と思えてくる。


 さて、そんな陛下の意思を伝えたデニングは既に御者台からその姿を消していた。

 自分に配慮したんだろうか。デブな癖に人間出来てやがる、とシューヤは内心で毒づいた。シューヤが知る昔の豚公爵とは別人で、あれが本来のスロウ様だと言う物達も学園には増え、受け入れられてきたように思う。

 もっとも、偽りの守護騎士選定試練ガーディアンセリオンで起きた事件がデニングを狙ったものだという噂が広がり、前とは別の意味で近づいたら危ない人物扱いされている気もするが。


 しかし、ここのところ、シューヤがスロウ・デニングに世話になりっぱなしなことは疑いようの無い事実で、シューヤは未だに受けた恩の返し方さえ分かっていなかった。


『シューヤ、お主が騎士国家ダリスでの未来を望むのなら、儂も協力することにやぶさかではない! だが、条件がある! あの小僧を超えろ! 今のお主には、全てが足らん! 全てにおいて、あの小僧に負けておる! 百回戦おうとも、お主の攻撃はあの小僧にかすりもせん! シューヤ、お主は戦う理由、心の時点で小僧に負けておるのだ!』


 強さには色々ある。

 魔法の技術だけではなくて、心も強さの指標であることをシューヤはよく知っていた。

 心の修行と言えば思い当たるのはあそこだ。

 デニング公爵家である。公爵家に生まれついたものは、幼い頃に心から弱さを捨てる特別な特訓を受ける、有名な話だった。


 シューヤの知るスロウ・デニングが戦いの中で狼狽している姿は一度も見たことがない。

 学園を襲った黒龍の時も、偽りの守護騎士選定試練ガーディアンセリオンでエルドレッドに身体を操られかけたあの時も、何があろうと狼狽の様子は見せなかった。

 あんなスロウ・デニングを造り上げたデニング公爵家の特別な特訓、一体何をするのだろうかと不意に気になってしまう。


 そういえば、今はすっかり姿を見なくなったデニングのあの可愛い従者さん。シャーロットは確か今、デニング公爵家で特訓をしているって噂を聞いたことがある。

 もし、彼女までも強靭なメンタルを伴ってクルッシュ魔法学園に帰ってくれば……自分が万が一、あの子に負けるようなことがあれば……シューヤとしては何だか悔しくて仕方がないのであった。


 ——そういえば、今の時期って。


 デニング公爵家は騎士国家において特別な立場を貫く大貴族であり、その内側は秘密に包まれているが、唯一この時期、公爵領地では開かれたお祭りが開催される。

 シューヤの脳内に浮かび上がる一つの思い出。


 平民の中から才能豊かな人材を発掘するため、公爵家が企画する催しにシューヤも平民の振りをしてこっそり参加したことがあった。

 自分と公爵家の人間との才能の差に絶望し、ぼろぼろにされた苦い思い出しかないが——シューヤが軍人になりたいと夢想したのは、あれが始まりだった。


『ふは! 意外とお主は俗ものだな、シューヤ! まさかデニングの小僧もお主が自分の姉に恋い焦がれているなど思いもしていないだろう!」


「っ! うるさい、エルドレッド! 勝手に人の心を読むなって言ってるだろ!」


 あの時のことだ。

 ボロボロになったシューヤは公爵家直系と言われる一人の軍人に出会い、水の魔法で傷を治してもらったことがある。

 常に冷静さを隠さない、あの人が公爵家の白き翼。

 シューヤが軍人を目指すきっかけにもなった彼女の名前――。


「……俺が、あの人に憧れて悪いのかよ」


『ははは! 悪くないぞシューヤ! お主は、その娘の隣に立ちたいのだな! それが今のお主の原動力か! それなら、あの小僧に姉を紹介してくれと頼めばいいのではないか!』


「馬鹿野郎! そんなこと、言えるかよ!」


『しかし、考えてみろシューヤ! 今回の旅が無事に終われば、少なくとも騎士国家ダリスの女王がお主の安全を保障するのだ! 当然、その者に会うことも可能であろう! 火の大精霊である儂の力、あの公爵家の人間であれば気にならずにはいられないだろうが!』


「……」


 確かに、エルドレッドの言う通りかもしれない。

 今のシューヤに対する女王陛下からの期待の大きさは相当なものだ。

 それに今回の旅、サーキスタの大迷宮。悪魔の牢獄デーモンランドからの帰還。果てしなく大きい陛下からの要求に応えることが出来れば、将来の出世はもう約束されたようなもの。


『——シューヤ。儂は、公爵家の在り方についてもある程度は知っておる。スロウ・デニングは異端児だが、他の姉弟は力こそが全てだ。故に、お主が強く成れば、お主の夢も叶う』


 シューヤの中には、強さだけなら最強の火の大精霊がいて、今のシューヤはその力を引き出すことが可能なのだ。あの力を完全に使いこなすことができれば、将来軍隊に入ったときに役に立つ事は間違いなく、とんでもない速さで軍部を出世することも可能だろう。


火の大精霊エルドレッドの名において、宣言してやろう。シューヤ・ニュケルン』


 そんなあり得るかもしれない、輝かしい未来を考えると次第に心がウキウキしてくる。

 あの有名なサンサ・デニングと、一緒になって戦場をかける自分の姿。あのサンサ・デニングが自分を信頼して背中を預ける未来のカタチ。


『お主が強く成れば、お主が恋焦がれる――』


 一度、思いを馳せてみると妄想が止まらなかった。


『あの——サンサ・デニングの専属従者の座を手にすることも、可能だろう』



 それは別の世界、『シューヤ・ニュケルン』の世界では、決して成就することのなかった少年のささやかな夢。


 しかし、まさか。強制的に世界を救う救世主へ祭りたてられた少年シューヤの夢が、まさか自分の姉を支えることだとは、今の時点ではあのスロウ・デニングすらも知らない事実であった。

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