329豚 サーキスタ迷宮への道③

 俺の目の前で、シューヤが灰色の身体を持つ巨大な蜘蛛の首筋に抱き着いている。

 今にも振り落とされそうだが、あれはあれで楽しんでいるようだ。


「なあ、デニング! こいつ、首元触ったらゴロゴロと喜んでるぞッ!」


「……」


 雲一つない空の下だけど、俺の内心は曇り空一色だ。

 俺の考えも知らないだろうシューヤの楽しげな姿を見て、ふざけているのかよと思わずにはいられなかった。


 今回、俺とシューヤのサーキスタへの旅は、秘匿性が重要視される。

 何が言いたいかと言うと、関係諸国に俺たちがやろうとしていることがばれたら非常にまずい事態になるってことだ。


「なんか自分が 魔物使い モンスターテイマーになったみたいだ! デニング! こんなでっかいモンスター! どうやって飼い慣らしたんだろうな!」


「気をつけろよ。多分、そいつを飼いならすまでに何人か病院送りになってるぞ 」


「え! こんな従順なのにかッ!」


 見てくれに騙されちゃいけないぞ。

 今のシューヤはいつ点火するかも分からない爆弾なのだ。


 その爆弾をいつ爆発させるか、コントロールする術を身につけるのが今回の旅の目的である。

 俺たちは一時的とはいえサーキスタ領内に火の大精霊という爆弾を滞在させる。

 火の大精霊を内にひそめるシューヤの存在、それを知りながらサーキスタ内の迷宮で戦わせたなんて、あっちのお偉いさんにばれたら間違いなく戦争だ。


 他国でシューヤを修行させようとしている我らが女王陛下、正直言ってイかれてるとしか思えない。勿論、面と向かって言ったら陛下の親衛隊である王室騎士のおっさんらに斬られるから言えないけどさ。


「おい、シューヤ! お前、ふざけるのも良い加減にしろよ! 八脚鬼蜘蛛ハッケイダラスの背中から振り落とされて大怪我してもしらないぞ!」


「エルドレッドが修行だって言うからこれも修行なんだよ! それよりデニング! こいつがお前に渡したっていう陛下からの指令書には何が書かれてあったんだよ!」


「お前がバカやってるから内容の整理が出来なかったんだよ! ったく、もうちょっと待て! 色々考えたいことがあるから……」


 指令書、そう 指令書だ。

 爆速する蜘蛛の後ろ姿を見ながら、御者台に座る俺の手紙にしっかりと握りしめてられた一枚の紙。

 これに、今回の勅命内容が書かれている。


 だけど、その前に状況の整理をしないといけない。

 いつだって旅の始まりに必要なのは現状の把握なのだ。今回だったら、俺たちをサーキスタ迷宮に送り込もうとしている女王陛下の意図である。


 さてと、何から思い出せばいいか。

 考え混んでいると、目の前で巨大な蜘蛛の首に捕まって、森の街道を爆走しているシューヤが見えた。

 やっぱりまず、あのモンスターだろうな……。



 朽ちた街道で俺たちを待っていたのは荷馬車と一体の馬だった。


 そう、馬だ。

 俺たちが乗り込むのだろう荷馬車のサイズからすればやけに小さな馬。

 しかし、こんな森の奥にポツンと置かれた馬車と馬が今回の旅を指示した女王陛下からの贈り物であることは明白で、俺は本当にこの馬がサーキスタ訪問の相棒になるのかと、少しがっかりしていたんだ。


 いや、まあ……さ。

 もしかしたらすごい豪勢な旅ができるんじゃないかと考えていたところもあったからさ。


 しかし、だ。

 ゆっくりと荷馬車に近づいた時、それは起きた。


 大型のモンスターが、その巨大な腕で森をかき分けるようにして現れたのだ。

 あまりの事態に最初の一手が遅れたのは事実だった。


 感情のない真っ黒い瞳が俺たちを捉えていた。捕食者、一般的な人間よりも食物連鎖上、遥かな上位に位置するモンスター。特筆すべきは 民家をも包み込むその巨大な身体と手足の数だろうか。カチカチと爪を鳴らす八本の異形の姿。

 頭の中に浮かぶ似通った姿のモンスターたちから一匹の名前を絞り出す。


 なんで、こんな場所に――八脚鬼蜘蛛ハッケイダラスがいるんだよ!


 そいつは通常、こんな森の中にいるはずもない迷宮の奥底にいるようなモンスターなのだ。


「なあ、デニング――! そういえばさ、お前はどんな理由で長期外出の許可を貰ったんだ!?」


「家庭の都合だよ! うちは色々あるからな! 特に聞かれることもなく、通ったよ!」


「そうか! 公爵家デニングの家庭の都合って言ったら、普通、先生は気を遣うよな!」 


 八脚鬼蜘蛛の行動は早かった。

 俺たちが何かをするよりも先にその長い腕を器用に利用して馬を掴み、丸呑みにした。その衝撃的な行動を間近で見て、シューヤは気絶した。さもありなん。 八脚鬼蜘蛛は馬に近寄っていたシューヤも丸呑みにしようかって勢いだったからな。


 その場に残されたのは気絶したシューヤと八本腕の鬼蜘蛛だ。

 八脚鬼蜘蛛ハッケイダラスは食事が終わったら先ほどとは打って変わってすっかり大人しくなってしまった。しかも自ら荷馬車の前に止まり、八脚鬼蜘蛛は固まる俺に向かって何かを差し出した。俺がどうするか迷っている時だ、モンスターの首筋につけられた首輪に気づいたのは。

 その首輪は、魔物使いが使役するモンスターにつける証の首輪だった。


「……参ったなあ」


 八脚鬼蜘蛛ハッケイダラスから差し出された一枚の紙を空に透かす。

 そこには確かに書かれていた。

 エレノア・ダリス、女王陛下の名前で――このモンスターと共に、サーキスタの迷宮へ迎えと。

 


 驚くべき速度で、俺たちは道ならぬ場所を進んでいる。

 指令書が言うには、あの八脚鬼蜘蛛には悪魔の牢獄へ続くルートが教え込まれているらしい。

 陛下が手段を選ばないのは知っていたが、サーキスタへの移動に八脚鬼蜘蛛を使うことを考えるのはあの人ぐらいのもんだろ。頭の中を一回覗いてみたいもんだ。


「なぁ、デニング! お前もこっちこいよ! 風が当たって気持ちいいぞ」


 シューヤはずっと八脚鬼蜘蛛の首元に抱き着いて修行の真っ最中。一体何の修行だよと聞きたいが、エルドレッドやシューヤの脳筋コンビに巻き込まれても堪らない。


 八脚鬼蜘蛛は悪路を旅する蜘蛛とも言われる通り、前方に道が無ければ口から酸の液体を吐き出し、道を作り出していく。その強引な姿は圧巻の一言だった。


「俺はいいよ……それよりシューヤ。陛下からの指令書だけどな、読み終わったぞ」


 ●


 予想通りだったけど、指令書にはシューヤが完全に火の大精霊を手名付けるまで、ダリスに帰ってくることは許さないと書かれていた。 

 それを知ったシューヤとは、今までの楽し気な姿がウソのように意気消沈。

 

 もしかしたら、あいつもあいつなりに色んなことを考えて、わざと明るく振舞っていたのかもしれないな。


 あいつにも考えたいことは一杯あるだろうし、少しぐらいはそっとしてやるか。

 そう思って俺は今、八脚鬼蜘蛛が引っ張る荷馬車に乗り移り、中を物色中だ。


「……しかし、 この量は一体どういうことだよ」


 荷馬車の窓は全て光を通さない天幕で覆われ、まだ昼間だと言うのに中はすこぶる暗かった。しかも時折車輪が乗り上げる石のせいか、馬車の中はガタガタと揺れてお世辞にも快適であるとは言えなかった。


 まっ、今回の旅に快適さなんか一切求めてないからいいんだけど。

  八脚鬼蜘蛛が引っ張る荷馬車には食料や冒険者の必需品が押し込まれた箱が何十箱も積まれている。種類は多種多様で、俺とシューヤの二人だけだとこの量、数週間は軽く持つだろうな。


「それだけ時間が掛かるって思われているわけか……でも、しょうがないか。行く先が行く先だからな……」


 悪魔の牢獄は、山脈の地下に構築された巨大な地下迷宮の名称だ。

 正規の入り口は冒険者ギルドによって厳重に管理され、相応の実力者のみ立ち入りを許される。しかし、迷宮を完全に管理出来るなんてのは人間の幻想でしかない。


  冒険者ギルドやサーキスタの騎士団が毎日のように発生する新しい出入り口を探しては潰しているが、完璧とはいえない。迷宮は最奥に存在する迷宮核が破壊されない限り、成長をし続ける。超巨大なあのサーキスタ迷宮全てを管理しようとすることが無理なんだ。


 さて、そんな彼らに管理されていない悪魔の牢獄内部に続く迷宮の入り口、その位置情報は非常に高価だ。

 今回、俺とシューヤが向かうのも当然、そんな非合法の出入り口である。まっ、騎士国家ぐらいの大国ともなれば、他国の迷宮情報も多少は掴んでいるということか。


「……」

 

 荷馬車の中に用意された食材や、迷宮の中で使用するための薬などを粗方調べ終える。


「…… ちょっとぐらいならいいよな 」


 箱の中には保存が出来なそうな食材もある……。

 そういうのは……今のうちに食べ置いておく必要があるよな……。


「ちょっとぐらいなら、ん?」


 足の先が何かにぶつかった。

 この揺れで箱か何かが床に落ちたか? 

 でも…… 箱じゃない。箱よりもずいぶん柔らかい何かだった。

 目を凝らすと、暗闇の中で次第に、はっきりと浮かび上がるその姿。

 

 なぜ、どうして。

 頭の中に浮かぶのはとりとめのない感情ばかりだ。どれだけ考えても答えが出る事は無い。そんなことは分かっている。何故なら、俺は今回の旅にあいつが絡んでくることは無いと思っていたから。

 だけど、そこにいたのはクルッシュ魔法学園にいる筈のサーキスタからの留学生。あのアリシアが、毛布に包まってすやすやと眠っているんだ。


 魔法学園では数多の男子学生ファンを抱え、授業中の居眠りしている姿だけは妖精と評されるその顔に向かって。


「……起きろ、バカ」


 俺は即座に、魔法で生み出した水の塊をぶちまけた。

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