325豚 水都サーキスタ――出発前日⑤
大多数の平民からは誤解されがちだが、貴族の生き方ってのはそんないいものじゃない。
「シューヤ。ちょっとお前に用があるんだけど、部屋開けてくれないか。いるんだろ? おーい、シューヤ」
特に大貴族ともなればさぞかし良い生活をしているんだろうと、魔法学園に通っている平民からはよく羨ましがられるが、それはただの幻想だ。
貴族にはたくさんの権利が与えられるが、当然それに伴う義務も膨大なのである。
他国の事情は知らないが、この騎士国家において腐敗した貴族なんてものは滅多に存在しないのだ。
「シューヤ、寝てんのか? おーい、急用でさ、ちょっと扉開けてくれよ」
特にデニング公爵家ぐらいの大貴族の一員にもなれば、それはもう並大抵の義務では無いのだ。
諸外国にも広がる俺たち公爵家の生き方。
この騎士国家では、悪戯をした子供には公爵家で修行をさせるぞと言って、親の言うことを聞かせるなんてことがある位、公爵家の人間がどれだけ過酷な生活をしているかと言うことが広く知れ渡っているのである。
公爵家の人間に与えられる義務、というか責務。
最も大きなものといえば、やはり戦場で活躍することであろう。
戦場で誰よりも果敢に戦うこと、それが俺達公爵家の一員に与えられた義務なのだ。
「なぁ、俺だよ。声で分かるだろ。デニングだよ、おいシューヤ開けろって!」
先に言っておくがこれは断じて恐喝なんかじゃないぞ。
確かに声を荒らげているけど、俺はただこの部屋の中に隠れているだろうシューヤと喋りたいだけなのだ。
……ついさっきのことだよ。
夜の食堂でさ、ビジョンからとある噂を聞いたんだよ。
それが余りにも聞き捨てならなかったからさ。
本来は素通りすべき男子寮の二階にやってきて、シューヤの部屋に入ろうと大声を上げているんだ。
「おーい、シューヤくーん。聞こえてるんだろー? お前がもう男子寮に戻ったって裏付けはとってあるんだぞー」
何の許可も得ずにシューヤの部屋に入ったら、また豚公爵が勝手なことをし始めたと噂になりそうだから、こうして周りに聞こえるように声を張り上げている。
大貴族の一員にあるまじき振る舞いだが、元真っ黒豚公爵の俺としてはこれぐらい慣れたもんだよ。
大切なのは抑揚を聞かせながら、周りごと威圧することだ。
「……ひっ。また、デニングが何か始めようとしているみたいだぞ」
「ヒィィィ」
夜間、男子寮に戻ってきた生徒が慌てて自分の部屋に帰っていく。
おっかなびっくり、シューヤの部屋の前で仁王立ちしている俺と目を合わせないようにしながら。
なのに、と部屋の中にいるであろうシューヤは出てくる様子が全くない。
「シューヤ! いい加減にしろ、起きてんだろ! 隠れてないで出てこいって!」
正直に言おう。
俺は、シューヤのことを、もしかしたら聖人化し過ぎていたのかもしれない。
●
ビジョンから聞いた話じゃあさ。
俺が女王陛下から何らかの密命を与えられたのは、既に学園の皆が知るところだったらしい。
公爵家の一員でありながら、唯一、このクルッシュ魔法学園に通うスロウ・デニング。
学園の異端児とも言えるこの俺が、女王陛下がやってきたあの日から妙に顔を険しくして、何やら悩んでいる様子。
表情が険しくなり、迷宮学なんて普通の貴族生徒が選択しない授業に突然、参加するようになった。
しかも、熱心に先生に向かって質問までして、あんなに俺が積極的に授業参加の姿勢を見せるなんて初めてのことだ。
きっと、公爵家の人間として何か特別な仕事を女王陛下から与えられたんだろう、そうじゃなかったら迷宮学なんて人気の無い授業に飛び入り参加するわけがない。
スロウ・デニングには学園の皆が思いもよらない極めて過酷な任務。
恐らくは迷宮に関する何かが与えられたのだ、というのが最近の学園の噂なんだとか。
本当に俺は学校に色んな噂を提供するエンターテイナーだな!
「シューヤ、この扉を開けなかったら強行突破するからな! いいか! 俺は本気だぞ!」
だけどこうして俺が怒鳴っている理由。
それは、スロウ・デニングが迷宮に潜るなんて噂に加えてもう一つ、とんでもない情報が学園に出回っていたからだ。
突然の女王陛下来訪。あの日から変わった人間が、スロウ・デニングだけじゃなくて"もう一人"。
「シューヤ! お前がどうしても顔を見せないって言うならば、こっちだって考えがある!」
それがシューヤ・ニュケルンだ。
ビジョンによると、あいつもすっかり人が変わってしまったと噂になっているらしい。
急に人との交流を避け出したり、また占いをやっていた時のように独り言をつぶつと呟きだした。
だけど、あいつは仲の良い友達にだけらこっそり打ち明けていたようだ。
自分が陛下から勅命を与えられたってことをな!
「俺は今から――この部屋の扉をぶっ壊す! 勿論、弁償する気はないけどな」
俺は想像にもしていなかったが、どうやらシューヤは自ら陛下から勅命を与えられたことを友人に触れ回っているらしい。
これから自分は暫く仕事で学園を留守にするけど、心配しないでくれよなって。
そして、だ。
シューヤの友人経由で、そんな噂が広まっているらしい。
何やらシューヤは陛下から直接、とんでもない大仕事を与えられたらしい、と、な。
それをビジョンから聞いた俺は本当に開いた口が開かなかった。
俺はさ、思っていたんだよ。
シューヤが自覚ある貴族の一つとして、陛下からの勅命を心に秘めて特訓に励んでいるとばかり思っていたんだ。
でも――よくよく考えてみると、シューヤ・ニュケルンっていうのはそういう人間だった。
「カウントダウンだ。3――」
褒められるとすぐに調子に乗って失敗をしでかして。
アリシアに呆れられながら、喧嘩を繰り返して、窮地に陥って。
それでも、シューヤの周りにいる味方の手助けもあって成長をし続ける。
しかし今、アリシアはあいつの周りにいない。
俺が未来を変えてしまったから、アリシアとシューヤの仲が深くなっていないのである。
じゃあ今、誰がアリシアの代わりを務めるのか。
まさか……俺?
悪いけど、そんなの絶対に御免だ。
「覚悟を決めろよ、シューヤ。2――俺は今、すごく機嫌が悪い」
しかし、くそ!
シューヤには、そういうところがあることをすっかり忘れていた!
アニメの主人公様は、俺が思うほど高尚な人間じゃなかった!
そういえばそうだったよ。あいつは火の大精霊さんに唆されて、この国を逃げ出そうとしていたんだった!
これまではシューヤの精神状態を思い、出来るだけ俺からの接触は避けていた。
何だかんだ言って、サーキスタの大迷宮を攻略するのは一人では無理だとシューヤも分かっているだろうから、最後には俺に泣き付いてくるに違いないと思っていた。
だけど、今のところシューヤはたった一人で陛下の難題に挑戦する気満々のようだし、友達にはもしかしたら自分は死ぬかもしれないとか言っているようなのだ。
これは明日の出発直前を待っている場合じゃない。
すぐにでもシューヤが何を考えているのか話し合わないといけない。
だから、今こうしてあいつと腹を割って話すために、こうして、やってきているのだ。
「1――よし、時間だ。今から俺は、お前の部屋をぶち壊す」
俺が腰から杖を抜くと、慌てて、家の中から飛び出してくる男が一人。
燃えるような真っ赤な髪、けれど表情はどこか青ざめている。
そいつの名前はシューヤ・ニュケルンといって、今や女王陛下の期待も高いと学園中の視線を集める有名人。
「で、デニングッ! お前少しは近所迷惑ってやつを考えろよ! 今何時だと思ってるんだろ!」
「よう、有名人。ちょっと、邪魔するぞ」
「あ! おい、お前! 勝手に!」
あいつの身体を押しのけて、部屋の中に向かう。
背中には他の生徒からの視線を一身に浴びたけれど、扉を閉めればそれも消える。
男子寮二階は俺の部屋とは比べ物にならないくらい――。
だから、すぐにそれを目にする。
「いや、デニング……これは、別に……」
ベッドの脇の机には。
まるで御神体のように、あの水晶が、高く高く掲げられていたからだ。
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