326豚 水都サーキスタ――出発前日Last
俺の目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
部屋の主であるシューヤがさ、確かにあいつは自分の中に眠る火の大精霊さんの存在に目覚めたもんだから、自分の部屋も軽いイメチェンしてみました――なんて、可愛いもんじゃない。
「……げぇ。なんだよこの部屋は。趣味が悪いってもんじゃないだろう」
何も知らない人がこの部屋に入れば、部屋の主が狂ったに違いないと思うだろ。
触れれば火傷するほどの熱を持った
「シューヤ……お前一体、何なんだよこの部屋は! 別に人の趣味に口を出すつもりはないけどさぁ。あ、もしかしてお前また怪しげな占い稼業に手を出すつもりか!」
「ち、違うッ! これは俺の趣味じゃないって! エルドレッドがこうすると居心地がいいって言うから!」
「エルドレッド? まさか、お前まだ大精霊さんに操られているんじゃないだろうな! しかも、よく見ればこれって魔法だな――」
部屋中に置かれた何百本の蝋燭に灯る小さな火。
よく見れば、それは魔法だった。
上級——非常に高度な魔法に分類される火の魔法だ。
練度を高めなければ実用性は乏しいが、結構難易度が高くて、水を掛けられても術者が力を注ぎ続ければ消えない火。
でもシューヤはこういう小さくて精密な火の魔法が苦手だった。
少なくとも、今のシューヤがこれを使えるレベルには無かった筈。
あいつ、成長したのか?
いや、間違いなくこれは火の大精霊さんの力だ。
俺が部屋の様子にドン引きしていると、不意に頭の上から声がかかった。
『——小僧。何を驚いておる。わしとシューヤが、良好な関係を築いていることがそれほど不思議か?』
●
遥かな知性を感じさせ、だけど心の底から警戒感を呼び起こすような声。
声の主はシューヤの部屋で確かな存在感を発揮する、あの水晶中にいる大精霊さんだ。その声を聞いて、思わず俺は身構えてしまった。
『何故、構えるスロウ・デニング。儂は小僧に感謝すらしておるのだ』
あれ?火の大精霊さんの声が、これまで俺が聞いていた声と違う。まるで別人かと思うぐらい静かな落ち着きを持っているのだ。
それにさ。
「あんたが……俺に感謝?」
『担い手と良好な関係を築けるなど、これまで儂の経験で無かった。こうやって、崇め奉るられるのは初めての経験でな。悪くない』
まあ、確かにシューヤが作ったんだろうこの部屋はあれだよ。
これじゃあまるで神様を崇める炎の神殿だよ。趣味の悪さに、さすがの俺は辟易するけど、火の大精霊さんが今の状態に満足しているのは声の感じから間違いないようであった。
「デニング、俺だって考えたんだよ! ただ恐れるだけじゃいけない。俺はエルドレッドを受け入れる必要があるんだ! それにさ、腹を割って話してみるとエルドレッドは言われてるように悪いやつじゃないんだ。ただ、特殊な欲望があるぐらいでさ」
「だから、その欲望が問題なんだろ....」
火の大精霊さんの困った欲望。
それは定期的に強敵と戦いたいという、戦闘狂の本能ともいうべき
『して。スロウ・デニング。お前がやってきた理由はあれか? シューヤがダリスで生きるために、あのエレノア・ダリスとかいう小娘から充てがわれた迷宮攻略の件か』
参ったなぁ。
火の大精霊さんぐらいになれば、
『儂は考え方を改めるつもりはない。迷宮攻略はシューヤの修行も兼ねているのだ。残念だが、小僧の出番はないぞ』
大精霊さんが喋りだしてもシューヤはびびるわけでもなく堂々としているし、一体お前らどこでそんな仲良くなったんだよ。
まさかシューヤの奴……もう大精霊さんと良好な関係を築いているのか?
「シューヤが向かう迷宮は、火の大精霊。あんたがこれまで経験したことの無い規模の迷宮だぞ」
『サーキスタの大迷宮であろう? 潜ったことはないが、所詮、モンスターなど知恵のない獣と変わらん。儂の力があればどれほど強力なモンスターであっても問題は無いであろう』
水晶の言う通りだと、シューヤもうんうんと頷いている。
お前その姿はあれだぞ、虎の意をかる狐みたいだぞって言ってやりたい。
でも、なるほどな。シューヤが俺の力を借りずに一人で迷宮に行くとか言い出したのは大精霊さんの力を当てにして、か。
自分の中に眠る力に気づいたばかりってのに、大した自信家だよほんと。
「シューヤ。お前、正気か?」
「デニング。俺だって特訓したんだ。前よりも遥かに強くなった」
そりゃあさ。確かに、今のシューヤは強いだろう。
火の大精霊さんの力を自覚して、火の大精霊も表側に出てきたからこれからは積極的に火の大精霊はシューヤの生活に干渉するだろうからな。
大精霊さんの力に、未来予知にも思えるシューヤの勘の良さが加わって、こいつはアニメ主人公に相応しい力を手に入れた。
だけど、俺はシューヤの旅についていく。これはもう、俺の中では確定事項なのだ。今のシューヤを一人にしているわけにはいかない。
だってこいつさぁ。
明らか大精霊さんの力を手に入れて調子に乗ってるじゃん?
「シューヤお前さ……倒すべき敵の情報も知らないでさ。どうやって陛下の要求をこなすって言うんだよ」
「そりゃあ、迷宮を攻略するんだよ。陛下だって攻略しろって言ってただろ」
駄目だこりゃあ。話にならない。
シューヤ・ニュケルンは脳筋の力馬鹿、そこはアニメと何も変わらないわけか。
「何だよその顔……じゃぁお前は知っているっていうのかよデニング」
女王陛下の勅命が意味する真実――もったいぶる気はなかった。
「知っているからここに来たんだよ。いいかシューヤ。女王陛下はな、スライムに奪われたお宝を取り返したいんだ」
●
そう。スライムなんだ。
俺とシューヤが何とかすべき相手は巨大な迷宮に住まうスライム。多種多様なモンスターの中でも圧倒的な弱者に分類されるあのスライムだ。
全身を水状の粘膜に覆われ、意識があるのかも分からないモンスター。オークさんよりも弱くて、棒さえあれば子供でも倒せるだろう。
そんなモンスターが俺たちが倒すべき相手であることを聞いて、シューヤはぽかんとしていたが。
「なんだ。心配して損したって。スライムなら、俺一人でも大丈夫だな」
……まぁ、分かるわけないよ。スライムだもん。
シューヤが余裕だぜみたいな反応することは分かりきっていたんだ。
だってそいつが大陸南方で暴れまわったのは俺たちが生まれるずっと前の話である。そのスライムにつけられた名前を聞いても、シューヤは顔色一つ変えなかった。
でも——あいつは、シューヤとは全く異なる反応を示した。
『……小僧、今の話は事実か。向かう先にいるのは、あのスライムだと』
室内に所狭しと配置された蝋燭が、一気に燃え上がる。
「な、何だよ。エルドレッド、突然……」
室内が、シューヤが火の大精霊のために、配置したであろう蝋燭が揺れていた。
机の上に置かれた水晶を中心に赤い炎が燃え上がる。俺たちは炎に包まれているというのに、熱さも感じない。シューヤは慣れているのかも知れないが、俺は正直、この超常現象を前にひっくり返りそうだった。
『シューヤ、何故分からぬ……小僧は今、スライムから宝を取り戻すと言ったのだ。一国の王が、スライムから奪還を望むとくれば、敵はアレ以外にはあり得ないであろう。先ほどの言葉は取り消すぞ。此度の旅に小僧の助力が必要不可欠と認めてやろう』
「ちょっと待てよエルドレッド! お前、突然何を言い出して! この前お前には言っただろ! 俺はこれ以上デニングに借りを作りたくないんだよッ! 確かにサーキスタの大迷宮はやばい場所だけど、スライム退治にどうしてデニングも一緒に――」
『……馬鹿者め。敵はお前が考えているようなただのスライムではない。いいか、小僧が語ったスライムはシューヤ、お主も憧れるあの迷宮都市にいた男と同格――』
ここで、言っておこう。
長い年月、命の灯を繋ぎ続けた火の大精霊の知識は半端ではない。特に戦闘に関する知識は並大抵じゃ無いのだ。その知識は当然、迷宮の中に潜むモンスターにも及んでいる。
うちの女王様が欲しているのは、大精霊さんの力だけじゃないんだ。
『
その言葉を受けて、シューヤの顔色が、大きく変わった。
●
男子寮二階の一室。
スロウ・デニングが、これからの指針を伝えているシューヤ・ニュケルンと火の大精霊に伝えている最中のことだ。
時とを同じくして、クルッシュ魔法学園の広大な敷地内、行動を始める者がいた。
「はぁっ、はぁ。はぁっ」
月明かりの下、女子寮までの道を息を切らしながら歩く少女。
大きな瞳には聡明さが宿り、力強い意思が感じられる。学園内でも知らぬ者はいない、一部男子生徒からはアイドル的な人気を誇る第二学年の女子生徒。
大国サーキスタからの留学生、アリシア・ブラ・ディア・サーキスタの姿が見えた。スロウ・デニングが大きく捻じ曲げた未来の余波を受けて、大国サーキスタの中でアリシアが追い詰められていた事実を知る者はダリスの地では余りにも少ない。
「だ、だめ、息が切れる……ちょっとだけ休憩……」
アリシアが異国の魔法学園であるクルッシュ魔法学園にやってきた理由。
大陸北方、瞬く間に幾つもの強国を打ち負かしたドストル帝国に備え、大陸南方の大国は一時的な同盟関係を結んだ。しかし、だ。友好関係のためとはいえ、大事な王族の一人を異国に留学させるなど滅多にあることではない。それでも嘗てのサーキスタには、アリシアの将来のために、サーキスタ国王の説得に成功した冒険者がいたのだ。
「……落ち着なさい、私。さっきのは、聞き間違いなんかじゃない」
アリシアの小さな手、握りしめられた一枚の手紙。
スロウ・デニングさえも知らないだろう世界を旅するアリシアの従者。冒険者として身分を偽り活動を続ける彼女とパーティを組んでいた者からの救援要請。既に、各国が秘密裏に探索隊を組み、その冒険者の消息を探している。
S級冒険者、たった一人で人類に害を与える迷宮を軽々と攻略する彼らの価値は、時に王族を凌駕するのだ。
「……確かにあいつらは、あそこに行くと言ってた」
一人の冒険者を救うために、アリシアが向かおうとしていた場所は、地獄。
相当の実力者であっても、その迷宮からの帰還には幾つもの命を必要とする迷宮を相手に、アリシアは自分が持つ情報のみを頼りに乗り込もうとしていたのだ。
それでも出発直前に、彼にだけは伝えようと思っていた。
最後に、彼に最後の別れを挨拶をするために、男子寮二階の上に向かおうとして、シューヤ・ニュケルンの部屋に入る彼の姿を見つけたのだ。
「……」
部屋の中から途切れ途切れに聞こえてきた会話、今も信じられない。
それでも、スロウ・デニングとシューヤ・ニュケルン。
少し前までは学園最大の犬猿の仲であった、あの二人が
アリシアには理由は分からない。
二人が、なんの理由で、悪魔の牢獄に潜るのかは、分からない。
でも、これは二度とないチャンスだった。全財産と自信の名誉を利用し、出来る限り高名な冒険者を現地で確保する予定だったが、 大きな方向転換は決定的だ。
アリシアは、自らの気持ちを奮い立たせて、空を見上げる。
「どこぞの冒険者よりも、あの二人の方がよっぽど信頼出来る。シューヤは知らないけど、スロウの力と私の地図があれば、中層到達だって夢じゃない――」
アリシアは月明かりの下。
形のいい眉をひそめ、一人早歩きで女子寮に向かって急ぎ続ける。
「こうしちゃいられないわ! 徹夜で準備しなくきゃ!」
こうして大陸南方の大国ダリスの貴族二人、そして大国サーキスタの第二王女、さらに静かに闘争本能を高める火の大精霊による迷宮攻略が始まろうとしていた。
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次話より、大国サーキスタ『悪魔の牢獄』編開始になります。
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