320豚 悪魔の牢獄——①sideヨロズ

 朝も夜も、そこには何も存在しない。

 ただ暗闇の向こう側には、赤色に輝く眼光や人間とは異なるモンスターの叫びがあるだけだ。 

 


「あの人間を探し出せッ! 杖だ! あの人間が奪い取った杖を取り戻した者には、ステイン様が直々に褒美を与えるとのことだッ!」


 ここは、地獄だ。

 少なくともその意見に反対する者はいないだろう。サーキスタの民はその迷宮が国内にある不幸を呪い、大人になる。

 

「絶対に、あの人間が奪い取った杖を取り戻せッ! あれは、騎士国家ダリスにステイン様が勝利した証なのだ! あの杖が人間の手に戻れば、ステイン様は笑いものだ――」


 水の大精霊が住まう巨大な湖と共に生き続ける都市、サーキスタ。

 反面、迷宮頻発国としてもサーキスタは知られていた。

 迷宮都市と異なり管理された迷宮ばかりでなく、さらにサーキスタには大陸南方で最も恐れられる迷宮が存在する。

 発生以後、数百年。幾つもの迷宮が重なり合い巨大な迷宮を構築、各国から軍隊が幾度も派遣されるが結果は悲惨なもの。強力なモンスターの抵抗に合い、構成する迷宮の一つすら突破出来なかった。

 難攻不落の迷宮ダンジョン——名を、悪魔の牢獄デーモンランド、と言う。


「相手は卓越した魔法使いだが既にステイン様の力は発動しているッ! 絶対にこの迷宮からは逃げられない! なのに何故見つからないのだ! お前たち、もっとしっかりと探さんかッ!」


 常人であれば、即時気が狂うような環境に

 悪魔の牢獄デーモンランド内部。暗く、濁った空気の中でその男は壁に背中を預け、座り込んでいた。

 すぐ傍を何十体のモンスターが通り過ぎるが、誰もその男に気づかない。路傍の石ころのように、モンスターの一体だってその存在を気にも止めないのだ。

 鎧を着込む、一般的な冒険者の出で立ち。街に溶け混んでいれば人目を引かない平凡な中年といった感じだろうか。

 しかし、その男は、悪魔の牢獄デーモンランド中層にあっても、健全な精神を保ち続けている。それがどれだけ異常なことか。


 男の正体は、迷宮探索に命を燃やす、冒険者。

 この世界にたった七人しか存在しない、S級冒険者の一人、ヨロズと呼ばれる冒険者である。


「相手はたった一人で我らが領地に入ってきた! いいか、たった一人にステイン領奥地まで侵入されたなど他領に知られれば、我らは悪魔の牢獄デーモンランドの笑い物だ! お前らがこの迷宮で大きな顔が出来るのも全てステイン様のお陰なのだ! 分かるか、あの杖は絶対に取り戻さねばならんのだッ!」


 ヨロズは一息ついた。

 喧しい声のお陰で眠ることも出来ない。

 当然、優れた魔法使いであるヨロズにとってはあの声の遮断なんて朝飯前。しかし、それはモンスターから姿を隠すために継続的に発生させている魔法の効果が弱まることを意味していた。卓越した魔法使いであるヨロズも、あれだけの強力なモンスターが全て自分を狙ってるとあれば、僅かとはいえ魔法の効力が下がるのは許容出来なかった。


 それに気になるのは、この迷宮へ侵入する前に逸れた仲間達の存在だ。自分を失った彼らの現在を思えば心がざわつく。しかし、A冒険者に属する彼らがただでやられるとも思えない。彼らはヨロズ自ら集めた冒険者、一人一人が生き抜く力に特化している。

 そういう力を持つ冒険者を選抜し、集め、ヨロズは育てていた。


「お、あ!? やっと見つけた! 可笑しいな……オマエ、ずっとそこにいたのか!? まぁ、イイ! オレが一番乗り! 冒険者、お前がステイン様から奪い取った杖、返して...あ、あれ……お、俺の首が、お、どうして、取れ……るんだ……」


 モンスターの頭が、ごろりと地面に崩れ落ちる。さらにヨロズが右手の人差し指でモンスターの身体を指差すだけで、モンスターの身体もまた土に帰っていく。勘の鋭い、気配を感じ取る術に特化したモンスターであれば、魔法で隠しているヨロズの所在に気づかれるのは承知の上だ。

 この地は悪魔の牢獄デーモンランド、今倒したモンスターでさえ人里に現れれば、大変な騒ぎとなろう。


 ヨロズは、理解している。

 全てがモンスターの手のひらで、状況は最悪といって問題は無い。

 悪魔の牢獄デーモンランドは、巨大な蟻地獄。未だ人類は、その一端すらも解明出来ていない。特に中層から先、悪魔の牢獄を構成する中核、枝分かれする四つの迷宮内部は手付かずの魔境だ。


 確かにあの階段を降りた先から方向感覚が狂い、すぐに帰り道が分からなくなった。これが、あの迷宮主、ステインの力。成る程、悪魔の牢獄デーモンランドを支える四迷宮の主と吹聴する力はあると、ヨロズは一人納得。


「……ふぅ。疲れたな」


 もう、数日は碌な睡眠をとっていない。

 暗闇の洞窟、既に時間間隔は失っている。

 猛者であるヨロズでさえも、疲労は隠し切れない。

 そんな彼の身体を突き動かす気持ちはたった一つ。


 アリシア——もう一度、あの子に会いたい。


 水の大精霊が住まう巨大な湖と共に生き続ける都市、サーキスタ。

 第一王女には湖の騎士が、第三王女には龍の末裔。

 好戦的な王女らが水の大精霊を手中に収めるために、影で殺し合っている。あの二人の間に挟まれながら、アリシアの日常が平和であることは奇跡だった。

 全てはアリシアの従者であるヨロズが、彼女をクルッシュ魔法学園という平和な留学先に送り込んだから。


「……ぎゃ、ぎゃ、ぎゃ! ……見つけた! 見つけたああああ! ステイン様に伝——あ、あれ、こえ、が……」


 大国サーキスタの第二王女。

 アリシア・ブラ・ディア・サーキスタとスロウ・デニングの婚約を画策した冒険者であるヨロズ。彼は未だ、幼少のアリシアをけしかけた責任が取れていない。


 人間の国家に属さない、自由気ままな冒険者であるヨロズには力が足りない。

 自分を慕うアリシアを大国サーキスタから守るための力、そんなもの一介の冒険者であるヨロズは持ち合わせていない。

 だから、幼き彼女を守るために権力を頼った。騎士国家ダリス、あの公爵家デニングであれば彼女を守れると考えた。幼くして、あの両翼の騎士。ヨロズの目から見ても、尋常ではない可能性を秘める二人の騎士から忠誠を受ける彼であれば、アリシアを任せられると。


 しかし、風の神童は、地に落ちた。

 アリシアとの関係は、婚約、破棄。


 ヨロズの策略は、幾つもの噂と共に潰えたことを、旅先で知った。

 そして幼かったアリシアが少女になった頃、ようやくサーキスタに戻ってこれたヨロズは現実を知った。サーキスタにおけるアリシアの立場は過酷なものだった。本人は気にしていないと言うが、それが苦し紛れであることはよく分かった。

 だからヨロズは僅かな時を稼ぐため、アリシアを説得し、クルッシュ魔法学園に彼女を送り込んだのだ。アリシアが学園生活を過ごしている間に、異国の学園を卒業しサーキスタに帰ってくるまでに、彼女に快適な環境を、彼女がサーキスタで生き抜くための力を手に入れる。

 

 S級冒険者ヨロズが仲間と共に悪魔の牢獄デーモンランドへ潜った理由、全てはアリシアの未来のために他ならない。


 数十年前に騎士国家ダリスの前女王に戦いを挑んだモンスター、簒奪のステインが悪魔の牢獄デーモンランドに逃げ込んた事実をヨロズは知っていた。奴が騎士国家ダリスから奪い取った宝を用いて、悪魔の牢獄デーモンランドで一代勢力を築いた事実もだ。


 しかし今、騎士国家ダリスの宝はヨロズの手の中にある。この宝をアリシアの手から騎士国家の現女王、エレノア・ダリスへ渡すことが出来れば、それは素晴らしい栄光のように、人の世に疎いヨロズには思えたのだ。

 この杖さえアリシアに渡せれば、あの性悪なサーキスタの王女らもアリシアを表立って攻撃出来ないだろう。


 そしてヨロズは無謀にもたった一人で、簒奪のステインに挑み、幸運にもそれを手に入れた。


 しかし……この迷宮から、どうやって出ればいいか、分からない。


「お前! それはステイン様の大切な杖! 返してもらうぶひい!」


「あいつ、いま、俺たちが見えているって気づいてなかったんだぞ! どうして声を掛けたんだ、豚野郎ッ! 先手必勝だろうがよ!」


 ヨロズはこれまでと同じように、一つ目のサイクロプスと可笑しなオークに向けて指先を向ける。


「危ないぶひい! 魔法だぶひい!」


 しかし、何かに気づいたのか頭に小さな王冠を乗せたオークが咄嗟にサイクロプスの背中を蹴り飛ばす。


「てめえこら! 何しやがる、豚野郎!」


 直後、サイクロプスの背後、硬い土壁が崩れ大穴があく。サイクロプスは戸惑いの声を上げながら、理解した。

 オークに蹴飛ばされていなければ、殺されていた。


「凄腕の魔法使いだぶひい! お前、名乗れぶひい! おいらはブヒータ! 魔法使いのブヒータぶひい!」


「豚野郎、お前、名乗り上げなんて、今がどんな状況か分かってんのか!」


 ヨロズは内心、驚いた。

 魔法だ。たった今、仲間を助けるために素晴らしい動きを見せたあのオークは、魔法でヨロズの力を逸らしたのだ。確かに大した力を込めていなかったが、それは非常に珍しいこと。特にモンスター相手には、ヨロズの力は破格の効果を発揮する。


 ヨロズは注意深く、そのモンスターを観察した。


「……わかった、わかった! 豚野郎に助けられたのは事実だから、今だけは従ってやる! お、俺様は、ご、ゴールドだ! 見ての通り、剣士だ!」


 一つ目のサイクロプスは剣を持ち、まるで人間の剣士のように構えている。

 杖を持つオークと剣士の真似事をするサイクロプスなんて聞いたことが無い。ヨロズは通路の傍に座り込んだまま、二体に向かって問うた。


「これを返せば、見逃してくれるのか?」


 ごそごそと鎧の隙間からヨロズが取り出したものは、簒奪のステインが持っていた小さな杖。これを見て、あの騎士国家が何よりも奪還を望む宝だと理解する者は殆どいないだろう。


 若きオークはこの迷宮に住まうモンスターとしては有るまじき言葉を口にする。


「見逃してやるぶひぃ。ブヒータは人間は殺さない主義だぶひい。あいつにリベンジするまでは、人間は殺さないぶひい!」


 ヨロズは首を傾げ、オークキングの隣に立つ巨体のサイクロプスを見つめる。

 いかにも乱暴そうな一つ目のサイクロプスも、可笑しなオークと同じ考えなのだろうか。


「……俺も、そうだ。あいつともう一度決着をつけるまでは人間は殺さねえ! だから人間! ステイン様の杖を返せ! そうしたら逃がしてやる! 俺たちはな、この迷宮の秘密の抜け道を幾つも知ってるんだ!」


 S級冒険者であるヨロズを殺さず、見逃してやるとこの凹凸コンビ、オークとサイクロプスは言ったのだ。


 面白い、何て愉快なモンスター。

 それに妙に人間じみていて、ヨロズの緊張感がほぐれていく。


 面白いものを見せてくれたから――お返ししようかしら?


 ちょっとした悪戯心、それに今、この階層には自分以外の人間はいないから。


 ヨロズは立ち上がり自らの顎に右手の人し指を当てる。

 それだけで、変化は劇的だった。


 ヨロズの顔がぱかりと、仮面のように外される。

 仮面の下から現れたのは中年の冒険者とは似ても似つかない、全くの別人だ。


 若草色の長い髪、輝く大きな瞳は中年男のそれではない。

 凹凸コンビ。喧しいオークキングと一つ目のサイクロプスは、目の前で起きる変化に言葉を失う。

 一体何が起きたのか、二体には理解すらも追いつかない早業。


 だが、すぐに己を取り戻したのは、魔法使いとして研鑽を積む若きオークであった。彼は、そういう魔法があることを知っていた。


「ぶ、ぶひい! こいつ、人間じゃなくて、魔人エルフッ! しかも、白い森人ホワイトエルフだぶひい!!」


 特徴的な耳に、人間にしてはあり得ぬ造形美。

 迷宮の中であっても光り輝く若草色の髪が放つ艶、人ならざる美貌を持つ女性がそこにいる。人間だと思っていた冒険者、それが見え麗しい森人に様変わり。


「こいつ、ブヒータの目を騙してたんだぶひぃ! あの、スロウ・デニングぐらいの、凄い魔法使いだぶひぃ!」


「……え」



 悪魔の牢獄デーモンランドにて。

 大国サーキスタが第二王女、アリシアの専属従者サーヴァントは額に青筋を浮かべる。


 S級冒険者トップランナーである白い森人ホワイトエルフ、彼女にとって彼の名前は特別なのだ。彼女が何よりも大切に思っているアリシアの婚約者フィアンセとして彼を推薦したぐらいなのだから。

 その名前を聞くだけで、思わず己に掛ける魔法が解けるぐらいには、理性を失っている。


「……そっちのオーク。今、懐かしい名前を言いましたね、貴方が口にした名前……あの坊やとどういう関係なのですか! どうしてモンスターである貴方の口からあの子の名前が出るのですか! さ、あ! 答えなさい!」


 しかし、だ。

 仮の姿で旅を続けていた長命のS級冒険者は、まさかサーキスタの悪夢と呼ばれる悪魔の牢獄デーモンランドの中で。昔の栄光を取り戻しつつあるスロウ・デニングと出会うことになるとは、夢にも思っていなかったのだ。



―――――――――――

321豚 水都サーキスタ――出発前日①に続く。


ここまでお読み頂きありがとうございます。

豚文庫8巻が来週8/20に発売となりますので、ご報告です。

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