318豚 騎士国家の秘密兵器③

 これを見事な土下座と言わなくて何て言うんだよ。

 シューヤは取って食われる小動物のように、身を縮こませている。


 そんな完璧な土下座スタイルのまま、シューヤはかすれるような声で言った。


「へ、陛下……俺の近くにいたら、き、危険でしゅからッ!」


 あ、噛んだ。

 ていうか、シューヤの頭からは滝のような汗が流れている。


 その姿は余りにも哀れみを誘うが、仕方ないのかもしれない。

 何しろ、これだけの近さで 女王陛下 エレノア・ダリスを前にすることなんて、これまでのシューヤの人生にあるはずないんだから。

 一応、公爵家出身である俺とは違って、シューヤは田舎貴族の生まれだからな。

 まっ、クルッシュ魔法学園の生徒全員がそうだろうけどさ。


 しかし、凄いな。見事な平服っぷりだ。

 頭をごちんと床にぶつけ、シューヤには陛下の姿なんて一切見えていないに違いないよ。


「で、デニングッ! 陛下を連れて、部屋を出ろよ! お前、わかってんだろ! 俺の中には、あがいるんだぞ! おい聞いてんのか! あれが暴れ出したら、お前責任とれんのか!」


 今のシューヤが本当に人間と言えるのか――その答えは分からない。

 あいつの中には火の大精霊エルドレッドがいるからだ。

 幾度も、人間の中に移り込んで大災害を引き起こしてきた大精霊エルドレッド


 つうか、責任なんか取れるかよ。

 全く、闘技場では一度は見事に火の第精霊さんを押さえ込んだんだから、自信を持ってくれと言いたいが。

 まっ、今のあいつのメンタルじゃ無理か。


 目覚めれば見知らぬ部屋の中で王室騎士に殺気をぶつけられて。

 そして女王陛下が現れて、豆腐メンタルの発動だ。


「が、守護騎士ガーディアン卿ッ! お、恐れながら、陛下を退出させてください! 俺の身体の中には、あいつが、火の大精霊エルドレッドがいるんです! いつまたアレが出てくるか分からないですから! 陛下が俺の近くにいるのは危険ですッ!」


 陛下や俺が反応しないとわかるや否や、陛下の傍に立つドルフルーイ卿に話しかける。

 だけど残念ながら、守護騎士ガーディアンは陛下の命令に忠実だ。


 これがマルディーニ枢機卿だったら、話は違ってくるだろうが。


「あ! の! 俺の声! き、聴こえてないんですかッ!」


 誰もシューヤの心の叫びには答えない。

 陛下も守護騎士も何も言わず、シューヤを見つめるのみ。

 重たい沈黙が流れる中で、あいつは相変わらず滝のような汗を流しながら床に頭をこすりつける。


「わ、分かりました! 俺は、今すぐ消えますからッ! 騎士国家ダリスから、出ていきますからッ!」


 あいつ。

 この沈黙に耐え切れなくなりやがったな。


「でも家族は関係だけは! 弟が来年、クルッシュ魔法学園に入学するんです、家族に迷惑だけは!」


 そうして、ずっとシューヤの懇願は続いた。

 あいつが口にした言葉は、大体同じだ。


 自分の命なんてどうなってもいい、もう騎士国家には近づかない。

 だから、家族だけは、ニュケルン領だけには、迷惑を掛けたくない、騎士国家の人間であることは隠して生きるから見逃して欲しい、とか。

 声を掠れさせながら、陛下に慈悲を求め続ける。


 ふう……さすがにもう、見ていられないな。

 だから立ち上がろうとして、椅子の背に手を掛ける。

 シューヤの傍に行き助け船を出そうとすると、白髪の守護騎士から鋭い睨みが飛んだ。ドルフルーイ卿は首を振り、俺に何もするなと、言っているのか。


 でもなあ、救世主になるべき男の未来を変えたのは俺なんだよ。

 本来、あいつの未来は輝かしいものだったのだ。

 

「ふふ……ふふふふ、はは」


 だけど、俺は再び椅子に座り込んだ。

 ずっとシューヤを見つめていた女王陛下が、くつくつと、笑い出したからだ。

 シューヤが身体をビクッと硬直させて、僅かに目線を上に上げる。女王陛下を視界に収めることすら、恐れ多いと思っている感じで。

 そして、ダンゴムシのように背中を丸めたシューヤを見て、陛下は言うのだった。


「——スロウ、気に入ったよ。この子の性格、実に私好みじゃないか」


 ●  


 女王陛下、エレノア・ダリスは椅子から立ち上がり、シューヤの元へと歩みを進める。眩いドレスを邪魔そうに掴み、だけど瞳は輝かせ、視線はシューヤのみを見つめている。

 身長は女性の平均よりも少し上、だけど姿以上に大きく見える。

 それは彼女の器の大きさを表しているようにも見えた。


 そんな女王陛下はゆっくりとシューヤの傍で片膝をつく。

 目線の高さをシューヤに近づけて、そっと呟く。


「シューヤ。君を試すような真似をしたことは謝罪する。悪かったね」


「……陛下、俺の傍にきたらダメです」


「へえ、シューヤ。君はこの私に意見する気かな」


「そ、そんなつもりは……」


「冗談さ。さあ顔を上げて。君がこの先も、この国で生きる未来を望むならね」


「…………え」


 シューヤは顔をあげ、まじまじと陛下の顔を見る。

 夢でも見ているかのように、あいつの顔は熱に浮かれていた。


「で、でも陛下! 俺の中にはあれが! 火の大精霊がいるんですッ!」


 火の大精霊、か。

 そういえば、シューヤの中に火の大精霊がいるってロコモコ先生に伝えた時、あの人、顔面が蒼白になっていたな。

 なのに、陛下の堂々とした振る舞いはどういうことだろう。

 火の大精霊エルドレッドを生身に宿す人間に、あれだけ近づけるってのは、大したものだ。

 本心で、そう思った。


「シューヤ。先のつたない言葉で、君の人となりは存分に伝わった。実に私好みだよ。なぁ、ルドルフ。昔のヨハネに似ているとは思わないか」


 急に話を振られたルドルフ・ドルフルーイ。

 騎士国家最強の男は、そう振られて露骨に顔を歪める。


「……陛下。ヨハネはあいつは学生時代から性根が捻じ曲がっていました。この子のような素直さは、当時からありませんでした」


「はは! 違いない!」


 屈託なく笑うエレノア・ダリス。

 その姿は、火の大精霊と同じ空間を囲んでいるとは思えない。

 事前に陛下へシューヤという人間の在り方を伝えていたとはいえ、それは異常なことだ。

 何故なら、騎士国家最強の男。あの守護騎士ドルフルーイ卿でさえ、シューヤの一挙一動を凝視し、何が起きても対応出来るようピリついているのだから。

 なのに陛下は上機嫌だった。

 シューヤの全てを受け入れているようにさえ見えた。


「シューヤ。君の祖先は自らの手で不毛の領地を切り開き、貴族として認められた。君の中に流れる血は、恐怖を克服する者の強さ。私は先のつたない言葉の中に、君の心を見た。国の未来を支えるであろう者に対する、我が騎士の非礼。心より謝罪する。この通りだ」

 

 そして、陛下は立ち上がり頭を下げた。

 守護騎士でさえも目を見開いて、驚いている。


「へ、陛下、止めてください! 俺なんかのために頭を下げるなんて! 俺はただの地方の男爵家で、俺は、そこの、デニングよりも、遥かに価値のない人間で、だから、陛下が俺なんかに頭を下げるなんて――」


 陛下に言われるがまま頭を上げたシューヤは、また、頭を床にこすりつける。


 女王陛下の行動は、騎士国家の意思に他ならない。

 それ程までに、この騎士国家においてエレノア・ダリスは大きい存在なんだ。


「——シューヤ。女王という立場は窮屈で不自由な身でね、私はすぐに王都に帰らなければならない身の上だ。限られた時間の中で、少しでも君のことを知らなくてはならない」


「……」


「さあ。その体制もつらいだろう、ベッドに腰掛けて、楽にしてくれればいい」


 おずおずと、あいつは言われるがままに、ベッドに腰掛ける。

 陛下は、さっきまで座っていた椅子をぐいっと引き寄せて、シューヤの目の前に置くと、再び腰を落ち着かせた。


 シューヤはまるで子供のように、まん丸な目で、騎士国家の王様を見つめている。


「シューヤ、私の話を聞いてくれるか」


「——はいイエス……我がユア女王陛下マジェスティ——」



 ――そこからは陛下の独壇場だった。

 陛下はまず、シューヤに安全を約束した。彼女の名前において、シューヤが騎士国家ダリスの人間であることを改めて認めたのだ。

 天運のエレノア・ダリス、彼女の言葉には嘘が無い。

 嘘をつく必要が無いからだ。

 彼女はこの騎士国家において、全てを実現出来る権力を持っているからだ。


 そして終始、陛下の言葉に呆然としているシューヤがいた。

 長い眠りから冷めたあいつ。王室騎士から冷たい視線と言葉を浴びせられて、あいつは心のどこかで自分はやっぱりもう騎士国家ダリスにいられないことを理解したんだろう。


 だけど、別の世界で、シューヤは命を掛けて騎士国家を守るために、戦った。 


 そんな祖国に対するシューヤの思いを、陛下は見抜いたんだろうか。

 俺は陛下を納得させるために、シューヤが火の魔法を使って大精霊さんの力を制御している姿を見せるとか色々考えていたけど、必要無かったみたいだ。


 陛下との軽い雑談、あいつの緊張も少しはほぐれてきたようだった。

 俺も机に置かれていた誰かの飲みかけだろう水に口をつける余裕も生まれていた。


「さて、シューヤ。君の緊張がほぐれたところで、の話をしようか」


 そして、ちょうどその時。


「——スロウ。、もう少し緊張感を持ってくると嬉しいね」


 俺は机の上に置かれたお菓子をもぐもぐしていたところだったのだ。

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