317豚 騎士国家の秘密兵器②
「全員――動くぬほうがよい」
長い白髪に威厳ある学園長の声が聞こえた。
そうしたらすぐにガチガチと足の先から冷気が登ってきて……身体が鉛のように固まっていく。
何らかの魔法が、俺たちに掛けられたんだろう。
「動けば、より身体が重くなるからのう」
女王陛下らと一緒に式典に出ていた筈なのに何故この場に。
爆発騒ぎがあってから大した時間は経っていないにも関わらず、到着が早すぎるって。
……まあ、いいか。
学園長は学園長で独自の情報ルートを持っているんだろうと一人納得。
アニメの中でも学園長は誰も気付かなかったシューヤの行動を知っている節があったし、どうせその辺の鳥を使い魔にしてシューヤの部屋を監視していたんだろう。
「しかし、ヨハネ。お主、
「黙れモロゾフ。クシュナーの資質は騎士にとっては必要な要素だ。騎士を辞め、学園に収まっているお前に口を出される謂れはない」
そういえばモロゾフ学園長とマルディーニ枢機卿は旧知の友だったな。
二人とも嘗ては共に女王陛下を支えたダリスの偉人だ。
彼らの話し声を聞きながら、俺もこの魔法を解こうと頑張っているのだけど……参ったな。
これ、どういう原理なのかさっぱり分からないぞ。
卓越した魔法使いの魔法には個性が現れるが、特にモロゾフ学園長のように大魔導士なんて呼ばれる人達はそれが顕著だ。
「時にモロゾフ。お前、式典はどうした。まさか……立場ある身でありながら抜け出すなどと学生のような真似をしたのではあるまいな」
「彼が目覚めてから真っ先に合わせるのがお主ではまずいと思ってのお」
ダリスの遥か南西、モジュバフル森を越えた先。
そこにはこのクルッシュ魔法学園なんて比べ物にならない、巨大な学園都市が存在する。
魔法を極めんとする学徒の集まり。中心には巨大な尖塔が数十個も建ち並び、あの塔を専有出来る権利こそが大魔導士の証。
クルッシュ魔法学園の学園長、モロゾフ・ペトワークスはこの国ダリスでその権利を持っている唯一の魔法使いだ。
「少なくとも、シューヤ君はまだこのクルッシュ魔法学園の生徒じゃからのう。王宮の政治に慣れ親しんだヨハネ、お主の手で汚されたら堪らんよ。昔からお主の企みには迷惑を掛けられっぱなしじゃ」
「モロゾフ、貴様こそ抜け抜けと隠居しおった癖に、ここぞとばかりに出しゃばりおって。シューヤ・ニュケルンの身柄を学園で預かると言い出した時もそうだが……しかしモロゾフ。この部屋の絨毯は、高かった筈だぞ」
「安心せい。費用は全てヨハネ、お主につけておく。この騒ぎ、全てはお主の監督が未熟なせいだからのお」
「……相変わらずの守銭奴振りは健在か。おい、ダールトンッ! いつまでこんな爺の魔法に掛かっているつもりだ! お前には、これぐらいの魔法なぞ即座に解除出来る特別なマジックアイテムを渡してあるだろう!」
まいったなぁ。
二人の話声を聴きながら、頭が次第に冷静になっていく。
俺はこんな騒動を起こす気なんて一切なんてなかったのに。
どうしてこうなってしまったのか。
……俺は穏便にさ。
学園にやってくる女王陛下達にシューヤは危険じゃないって伝えたかっただけなのに。
時間があれば、シューヤに火の大精霊さんの力を使った手品とかも仕込んで、無害をアピールする計画だってあったのにさ。
まぁ、過ぎたことは仕方がない。
やるべきはここからどう巻き直すかだ。
まずはこの、厄介な学園長の魔法を――。
「――式典は、カリーナに任せておけばいいだろう!」
シャキッとした女性の声が部屋の中に響き渡る。
その声を聞いて、絨毯にべったりと張り付いていたクシュナーが慌てて声を上げた。
「が、学園長ッ! このような姿を陛下にお見せするわけにはいきません! 今すぐ魔法を解いて下さい!」
「クシュナー君。君には一度お灸を据えねばならぬだろう。君が手をあげようとした相手は、学園の生徒。つまり、儂が守るべき若者じゃ。君は儂を攻撃したに等しいのじゃよ?」
「しかし、こんな姿をッ!」
絨毯に引っ付いていたクシュナーが血相を変えるが、床の絨毯に顔を引っ付けた情けない姿のまま。
憐れみを感じさせるぐらいの必死さで、クシュナー卿はべとべとになりながらもがく。
だけど俺でさえ解けない学園長の魔法をあいつが解けるわけないんだよ。
そして、遂にクシュナー卿が恐れたその人がやってきてしまい。
「ヨハネ。よくも彼の目覚めを私へ伝えなかったな」
走るのに邪魔だっただろうか。
ドレスは腰の下で千切られ、息が上がっている。
姿だけ見れば、王宮から脱走したお転婆姫のようにも見えるだろう。
だけど、俺だけじゃなく、この場にいる誰もが知っている。
この場に数人の騎士を引き連れて現れた彼女こそが、騎士国家で最も高名な女王陛下その人であることを。
「……陛下、この場の安全はまだ確保されておりません。お戻りください」
「安全が確保されていない? ヨハネ、お前は馬鹿か」
この国を支える枢機卿相手に、そんな言葉が出てくるのはこの国で数人もいないだろう。
「彼の顔を見ろ。まだ、現実を受け止められていない表情をしているというのに、お前達は寄ってたかって彼を虐めるような真似をしてくれたらしいな」
彼女を讃える言葉は山ほどあるが、最も有名な逸話は守護騎士との関係性だろう。
何も光るものがなかった弱虫の騎士を、最強の男に育て上げたエレノア・ダリス。
退屈な騎士国家の王宮を脱走した王女様は、たった一人の騎士を引き連れて大陸横断を達成した。
二人の過酷な旅を記した書物は、南方諸国で空前のベストセラーとなり、彼女の信奉者は騎士国家内部に留まらない。
「クシュナーの情けない姿は……モロゾフ、お前の仕業だな。お前程の魔法使いなら他に幾らでもやり方を思いついただろう」
「陛下。騎士といえど、かつては儂の教え子。これは、教育です」
「お前から見れば、騎士の大半は教え子だろう。おい、モロゾフ、魔法を解け。今は僅かの時間さえ惜しい。こんな気持ちは久しぶりなんだ」
学園長が魔法を解くと機敏にクシュナーは立ち上がり、陛下に向かって頭を下げる。
その表情には、少し前までの鬱憤としたものは見られない。
陛下を見つめるその瞳は、学園の女子生徒がクシュナーら、王室騎士を見る目と全く同じものだ。
だけど、残念。
陛下の視線は、あいつに釘付けである。
「しかし、陛下。彼の中にはあの
「――くどいぞ、ヨハネ! ルドルフ、全員を下がらせろ! 私はあの子と直接、話がしたいんだ!」
陛下の背後に控える白髪の守護騎士、ルドルフ・ドルフルーイが剣に手を掛ける。
たったそれだけの所作で身体に流れる緊張感。
それは俺たちがあの男の力を知っているからだ。
今、この騎士国家における最強の男であり、アニメの中ではあの
「モロゾフ、お前は結界を貼り何人たりとも中に入れるな! いつも通り、私の言うことを聞かないヨハネを止めるのがお前の仕事だ、分かったな!」
「御意でございますよ。されど、陛下。貴方がそのように童心にかえる表情、随分と懐かしものですな。ほれ、下がるのじゃヨハネ」
若き
目を輝かせる陛下を見て、ため息をつく――王室騎士団長、ヨハネ・マルディーニ。
目を輝かせる陛下を見て、笑みを深める――魔導大国の大魔導士、モロゾフ・ペトワークス。
目を輝かせる陛下を見て、相変わらずの無表情――騎士国家、最強の男、ルドルフ・ドルフルーイ。
彼ら三人を完全に従える女王陛下、エレノア・ダリスの姿は俺から見ても爽快だった。
そして、あの三人を前に、俺が何が出来るとも思わない。
はあ、悪あがきもここまでか。
アニメの中ではさ、来るべきドストル帝国との戦争に備えて、女王陛下はシューヤを南方の救世主に担ぎ上げようとした。
だけど今回はそういうことにはならないだろう。
今の世界情勢じゃ、陛下がシューヤを利用しようとする理由は見当たらないし。
「……」
しかしクルッシュ魔法学園に騎士国家の大物を呼び寄せる原因となったシューヤ、あいつは全てのやり取りをあっけに取られた表情で眺めていた。
あいつの実家は王都からも遠い、地方の男爵家。
王室騎士を輩出した歴史もない、田舎の貧乏貴族である。
そんな田舎貴族の嫡子が相手にするには、豪華過ぎる面子である。現実味を感じられなくても仕方がないか。
そして王室騎士達と共に、俺も部屋の外に出ようとすると――。
「ごほん。スロウ君はあっち側じゃろうて」
「え――学園長?」
一瞬の浮遊感を感じた。
まるで首根っこを掴まれた子猫のように、俺は強制的に元いた部屋の中に戻される。
そして煤で汚れた机の脇。置いてあった二つの椅子、その片方に強引に座らせられる。
ご丁寧に、膝の上にさっき脱ぎ捨てた王室騎士の証である白外套まで添えて。
「スロウ君。これは、君が死に物狂いで用意した場だ。この場に同席する君の権利は、誰にだって異論は唱えられない。そうじゃろう、ヨハネ」
「……スロウ・デニング。貴様、その服を必要とせんなら自らの手で陛下に渡せ。それが筋というものだ」
陛下の傍に待機する守護騎士が俺に視線をやる。
けれど、陛下の言葉に反した俺の同席に異論は無いらしい。
ドルフルーイ卿は焦げた椅子を引くと、そこへ陛下がゆっくりと座る。
だけど、相変わらず視線はシューヤにくぎ付けのままだ。
声が漏れないように結界が貼られた部屋の中は、シューヤが寝起きにぶちかましたらしい魔法によって壁は焼けただれ、酷い有り様だが陛下も気にした様子がない。
そして、ようやく。
「あ、あわわわわわあわあわわあ」
そして、やっと己を取り戻したらしいシューヤが、慌ててベッドから飛び降りる。
そのまま床に頭をごりごりとこすり付けて、耳を塞ぎたくなるような絶叫で叫んだ。
「へ、陛下ああっ、ご、ご機嫌うるわしゅうっっッ!」
反応が遅いよ、バカ。
アニメ版主人公様はようやく、自分の立場がどれだけ危ういものか気づいたらしい。
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