312豚 勘の鋭い水都のお姫様
――シューヤが目覚めた。
その言葉を聞いた瞬間、俺は枢機卿の制止も待たずに飛び出していた。
あいつが目を覚ました。
あいつが目を覚ました、やっとあいつが目を覚ました!
そんなの一秒だって無駄にできないだろ!
ヨハネ・マルディーニ。
恐らく、シューヤの肉親や友人達よりも強く願っていた。
「ぶひっ……!」
肩で風を切りながら、シューヤが眠る医務棟を目指して突っ走る。
どすどすどすどす。
力一杯地面踏みしめて、どすどすどすどすっ!
広大な敷地を持つクルッシュ魔法学園には大小様々な建物が存在する。シューヤが眠っている医務棟は中庭や庭や池を持ち、長期入院を前提とした特別な保養所だ。
特にシューヤが眠る場所は王族が使うことも想定された特別仕様。
どうやって、そんな場所へあいつを押し込んだのかって?
権力とか、いざという時に溜めていたへそくりを使ったんだ。
「ぶひっ」
背後から俺に追いつこうとする数人の気配を感じたが、魔法で妨害しておいた。地面を泥に変えるのは単純だが、効果的だったりするんだよ。
真っ黒豚公爵時代、逃走する際によく使った魔法だ。
マルディーニ枢機卿は、信用できない。
あの人は頭の固い騎士でありながら、猛者がひしめく宮廷を生き抜いてきた腹黒男である。もし俺が王族であれば絶対の味方になってくれる確信があったが、生憎俺やシューヤはただの貴族。
枢機卿や王室騎士たちからすれば、今のシューヤは国に害をもたらす敵なのだ。
「はあ……っ!」
アニメの中で、火の大精霊さんを宿していることがバレたシューヤがどういう目に合ったか、考えてみよう。
あいつはまず、牢獄に捕らえられた。
三日三晩、食事を与えられることもなく、体中を鎖でぐるぐる巻きにされた。外界との接触を断たれ、追い込まれた。
全ては、シューヤを従順な兵士とするためだ。
ドストル帝国との戦争状況にあった騎士国家は火の大精霊の脅威よりも、その力を求めたのだ。
「ぶひぃぁぁあああぁっ」
転けた。それはもう、盛大に。
頬にごりごりとする砂利をそのままに、地面に手をついて立ち上がる。
いてぇ。
「っ……! 俺の身体は走ること、向いてないこと、忘れてた!」
そんな極限状態に追い込まれたシューヤを救ったのがアリシアである。
アリシアは女王陛下にシューヤを檻から出すよう懇願し、女王陛下にあいつの性格も含めて、無害であることを訴えた。その結果、あいつは一時的だが女王陛下の観察下に置かれることになった。
そして間がいいのか悪いのかわからないが、女王陛下の首を狙う暗殺者を退けたことで、シューヤは陛下から信頼を得た。
……もっとも、その時も力の暴発を引き起こして、王室騎士に取り押さえられていたけどさ。
そんなシューヤが何よりも苦労したことが力のコントロールである。
火の大精霊に体を乗っ取られることがないよう、アニメの中ではあいつはいつも精神統一をしていたっけ。
だから、シューヤが目を覚ましたらさ。
俺が直々に火の大精霊さんという、膨大な力のコントロール方法を教えようと思っていたのだが。何しろ俺は荒れ狂う風の大精霊さんを鎮めたって実績があるからな!
「もっとも! 全部、陛下らが来る前に出来たら良かったのになっ!」
シューヤの馬鹿野郎、一体なんて間の悪さだよ!
どうしてこのタイミングで目を覚ますんだよ!
女王陛下がまた王都に戻るまでさ、眠ったままでも良かっただろ!
考えろ、考えるんだ。
これは考えうる限り最悪のタイミングだ。女王陛下がこの魔法学園に滞在している間にあいつの力が暴走するようなことがあれば、まずい。
今はアニメのように戦争中じゃないんだ。戦下だったからこそ、シューヤの力は必要とされた。でも、今はドストル帝国が最前線から兵士を下げ、平和の真っただ中。
女王陛下も、もし力を持て余すシューヤを目にしてしまったら、やっぱり危険だから殺そうなんて考えが出るかもしれない。
医務棟へ向かう大通りではなく、校舎と校舎の隙間。
一分でも早くそこへ向かうために、狭い路地裏を使ってショートカット。
だけど。
「スロウッ! ちょっと待ちなさいって!」
俺を呼び止める甲高い声、一体誰かと思った。
この時間。クルッシュ魔法学園の生徒は全員、式典に行っている筈だ。
人の気配が無くなった学園の路地で、俺を呼び止める声が聞こえるわけないのである。それにこの学園で俺を呼び捨てに出来る人の数は少ないのだ。
でも、俺はそいつの姿を見て納得する。
小柄な身体、亜麻色の髪をツインテールにした水都からの留学生。
アリシア・ブラ・ディア・サーキスタ。
同盟国の第二王女様が俺の進路を邪魔するように、立っていた。
「貴方のことを王室騎士の方々が探してたわよ! 今度は何したのよ!」
「……別に何もしてないって。それよりお前、式典はどうしたんだよ。全学生は遅刻するなって昨日言われただろ」
「別に私はこの国の人間じゃないし、従う理由はないわ。それより貴方よ、貴方! どうしてそんなに慌ててるのよ!」
「俺はその、ちょっと急いでるんだ、また後でな!」
だけど、あいつの小さな手にがしっと服を摑まれる。
マルディーニ枢機卿よりも遥かに弱い力だ。
だけど、その大きな瞳に睨まれたら、俺が悪いことをしているかのような罪悪感に襲われる。シューヤに負けず劣らず、正義感の強い女の子。
それがこのアリシアという女の子なのである。
「ふーん。それってまさか、騎士様方がシューヤの部屋に集まってることと関係があるの? どうなのよ。私の目、見なさいよ」
本当に嫌になる。
アニメのメインキャラクターって奴らはどうしてどいつもこいつも勘がいいんだよ。
「悪いが、アリシア。お前に構っている時間はない」
「何よその言い草。ふーん。じゃあ私もついていこうかしら……? その嫌そうな顔。貴方に頼まれて、私の名前でシューヤの実家へあいつはちょっと頭を打っただけって手紙を書いたのも私だし、人を散々こき使っておいて文句無いわよね?」
「俺はもう行くぞ、緊急事態なんだ」
そう言って、あいつの手を引きはがす。
そのままその場を立ち去ろうとするが、あいつは俺の隣を付いてくる。
……こいつ。
「ついてくるなって!」
「あ、分かった。もしかして、シューヤが目を覚ました? だからそんなに慌てているのね」
「お前なぁ、いい加減に怒るぞ。急いでるって言っただろ」
「……スロウ、私は騙されないわよ」
そう言えば、シューヤが平民の女の子を守り、寝たきりになったという噂。
最後まで信じなかったのは、あの場にいた者や学園長らを除いて、アリシアだけだった。何度も真実を教えろとやってくるもんだから、毎回俺も適当にあしらっていた。
「スロウ。私はね、あの噂、全然信じてないの。あのシューヤが、平民の女の子を助けるなんて」
「……」
「確かにあいつは優しい所もあるわ、いざって時はそうするだろうなって思う。でも、あいつは
「……」
「あいつがその女の子を助けたって日の朝よ。あいつが私の所へ来て、お別れの言葉を言ったの。何が何だか分からなかったけど、あいつって馬鹿だから。また、可笑しな事をするのかと思ったわ。そしたら、スロウ。貴方が始めた
「寝たきり、なんかじゃない。シューヤはすぐに起きるって何度も言っただろ」
「だったらスロウ。私の目を見てそう言ってみなさいよ、何か秘密があるんでしょう。こんな時期にあの忙しいエレノア様が
「だから付いてくるなって! 話なら後で幾らででも聞いてるから!」
その後も俺に付き纏い、ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てるアリシア。
何かを感じ取っているのか、俺から離れる気配が無い。シューヤのことを心配しているのか、話題はあいつのことばかり。
まぁ、アニメの中では幸せに結ばれた二人だ。
こっちの世界じゃ、アニメ程親密になっていないんじゃないかと心配になったこともあったが、俺の杞憂だったみたいだ。
俺達はいつしか医務棟へ続く池を渡り、整えられた花壇を目に移しながら、目的地へ到着。
医務棟の入り口には、門番の姿。
「じゃあここまでだ、アリシアだ。ここから先は、お前も知っている通り、許可のある者しか入れない。特に今のシューヤは面会謝絶だからな」
「それも可笑しいわ! どうしてあいつに会うのに許可が必要なのよ!」
「--デニング様」
俺の姿を見て、職員が何人か迎えにやってくる。
この場所へ法外な金を払ってシューヤをぶち込んだのは俺だし、シューヤが目を覚ましたらすぐに連絡するよう伝えていた。
「悪いな、アリシア。今は、お前と言い合いをしている時間はない」
こちらを睨みつけるあいつの姿。
アリシアには悪いが、今こいつに介入されたら、事態はさらに複雑になる。
シューヤ一人でも手一杯なのに、そこへアニメのメインヒロイン様のお相手なんて御免被る。
アリシアがギャーギャー言っている姿。
悪いとは思いながらも、医務棟の中へ足を踏み入れようとした時。
それは起きた。
頭上から響く、轟音。
シューヤが入院しているだろう部屋の窓が、木っ端微塵に吹き飛んだ。
窓枠の欠片が俺たちの足元まで飛んできて。
建物内からは、怒号が飛んでくる。
「……す、スロウ。あそこって、シューヤが入院してた部屋、よね?」
唖然とするアリシアを横目に、俺はどこまでも冷めていた。
現実逃避をしたい気持ちを抑えて、大きな大きな溜息を吐く。
どうやら………………遅かったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます