299豚 ――動き出す公爵家の血筋③

 飾り気の無い、寝ぐせとしか思えない黒髪は相変わらず。

 その男は今なお、サンサ・デニングの記憶にある者の面影をはっきりと残していた。


 生粋の風来坊にして、かつて公爵家に現れた平民の少年。

 嘗て、スロウ・デニングに忠誠を誓った年若き剣士。

 

 あの頃、幼いサンサの目から見てもスロウの才能は兄弟の中で群を抜いていた。

 民の期待から何かにつけて、勝てるところは一つもなかった。兄弟達の中には納得していない者も多かったが、サンサは幼心に次の公爵家当主はスロウ以外にはあり得ないと考えていた。

 そんなスロウが拾ってきた平民の剣士が、彼だった。


 元冒険者だとされた平民の少年は、瞬く間に頭角を現した。 

 有能な人間は、有能な人を見抜くものだ。その理屈で言うならば、シルバと名乗った彼は有能の極致に位置する人材だろう。

 サンサは思い出す。

 当時は……スロウの人を見る目に嫉妬したものだ。


「――老けたな、シルバ」


 そして、今。

 サンサの弟に起きた変貌と共に、風のように消えてしまった青年がそこにいた。


「少しは動揺してくれると思ったんですが……久しぶりの挨拶がそれですか。それに老けたなって当たり前でしょ。公爵家を抜けたときの俺はまだガキでしたが、今は酒の渋みも分かるようになりましたからね。しかしサンサ様、このような場で何ですが、お会い出来て光栄です」


「光栄だと? そのようなこと、よくも素面で言えるものだ。こちらからの声掛けを、その一切を無視していたくせに」


「それに関してはまあ……俺にも事情がありますから。けれど、サンサ様。さっきの言葉、貴方に会えて嬉しいといった言葉に嘘はありませんよ。だから、そんなに警戒するのは止めてくれません? 少し悲しいと言いますか」


「周りを見渡してみろ。この惨状を作り出しているのはお前だ。警戒するのは当然だろう」


 サンサ・デニングの目の前には倒れ臥す騎士たちがいた。

 彼らはダリス軍から離れ、独断で動いた者達だ。しかし、それだけでもない。

 各国のスパイ活動に秀でた人間。中には同盟を結んだ国、サーキスタ、ミネルヴァの人間もいる。クルッシュ魔法学園の生徒に潜む火の大精霊エルドレッドの存在を知り、己の国に利するために動いた者だろうが……全員、息はある。

 殺してはいないようで、やり方があいつに似てぬるいとサンサは心で評した。

 頑なに殺さない、公爵家にあるまじきスロウ・デニングのやり方によく似ている。


「私の目にはお前が敵か味方か、区別はつかない。それにシルバ、やはりお前は我らではなく王室側に着いたということか」


「どちらの側へ肩入れするとか、そんなつもりは俺には無いですがね」


 輝く付与剣エンチャントソードをもつ男は飄々ひょうひょうとそう言ってのける。

 シルバにとってもサンサ・デニングは十年近い再開となる懐かしい顔である。

 このような場面であってもが緩むのは、シルバが公爵家を出る際に彼女から随分、引き留められた思い出があるからだろうか。


「確かにここ数年。その辺に倒れている白マント達とは共に行動をする機会が多かった。それは間違いのないことですが」


「可笑しいな、意識がある騎士らはお前のことを殺したい程憎んでいるようだぞ」


「こっちはきちんと忠告したつもりなんですがね。この先へ行くなら痛い目を見るって。にも関わらず、こいつらは向かってきた。当然の報いだと思いますが」


「答えろ、シルバ。お前の行いはスロウの指示か? 見たところ、全員が光の大精霊レクトライクルの構築した結界内への侵入を試みたようだが」


「……」


 サンサにとって、シルバは印象に残る男だった。

 自身の弟であるスロウ・デニングが登用した若い剣士。

 シルバが公爵家を離れてから大勢の人間が彼を雇おうとしたが、どれだけの大金を積まれても、彼は首を振らなかった。

 それはスロウと近しいサンサが、オークとなったスロウを最後まで庇ったサンサが声をかけても結果は同じであった。

 シルバとスロウの関係。

 義理堅いとも違う、シルバ本人の中にスロウに尽くす何らかの理由があるようで、それが何なのかサンサには最後まで分からなかった。

 公爵家を去っていったシルバの後ろ姿を見ながら、サンサは思ったものだ。

 あれは自由を愛した旅人で、渡り鳥は一時だけ公爵家という止まり木に止まっただけのこと。


 しかし公爵家に所属していたシルバがつい最近、平民でありながら王室の中で守護騎士ガーディアン候補として扱われることを知った時は、公爵家内で物議を噛ました。公爵家内にはシルバを裏切り者扱いするものも大勢いたが、サンサとしては興味も無かった。

 既にシルバは公爵家を出た男である。

 そんな男が今さら、外で何を成したのかどうでもいい話だ。


「お前が王室側についたことも含めて、スロウの指示か?」


「……」


 ただ、サンサ・デニングが我慢ならないのは。

 スロウを慕うシルバが、森に潜むダリス軍を統括するサンサすら知らされていないスロウ・デニングの真意の元、行動しているであろうことだ。

 サンサ・デニングは公爵家の直系としてこの世に生を受けた。

 騎士国家ダリスの治安を預かり、軍の頂点に立つべき人間として生きてきた。


 そんな彼女にも、知らされていない事実があるからこそ。

 彼女の軍はクルッシュ魔法学院を取り巻く森の、遠く離れた地点に布陣しているのだ。


「……」


 しかし、シルバは答えない。

 代わりに立ち上がろうとした男らに向かって剣を振るう。それだけで巻き起こる風が彼らを地面へ縫い止める。

 スロウ・デニングからシルバに託された任務はたった一つ。

 ――誰もこの先の、結界内部へ通さないこと。 

 即ちそれは、、スロウの固い意思表示。


「認めようシルバ。スロウは今、この騎士国家を統べる女王陛下から絶大な信頼を受けている。クルッシュ魔法学園を襲った龍殺し、そして先日の王都で起きた事件も含めて、これまでの経緯も考えれば、なるほど納得も出来る。しかし、火の大精霊エルドレッドの対処に関しては、余りにも一人で対処出来る問題じゃない」


 サンサ・デニングは知る由もないが、この場を除く結界内部への入り口は生徒らの避難が完了した段階で、スロウの協力者によって全て閉じられている。

 故に各国の諜報員はこの場に集まるほかなかったのだ。


「だが、シルバ。お前が関わっているなら話は別だ。平民でありながら、守護騎士ガーディアン候補となり、素質は我ら公爵家デニングの人間も認めている。そこでだシルバ。お前は自分が何をしているか理解しているのか? この先に、あの光の大精霊レクトライクルが構築した強固な結界の中に何者がいるのか、お前は知らせれているのか?」


「……サンサ様。一つ言っておくが、俺にはあんたらと敵対する気はないぜ」


「それが剣を、あの付与剣エンチャントソードをこちらに向けて放つ言葉とはとても思えないがな」


「これは自衛さ。そっちのおっかないおっさんに俺を睨むのは止めるよう言ってくれたら剣を降ろす気にもなりますが……サンサ様。俺みたいな田舎もんでさえ、貴女の専属従者サーヴァントの噂は聞いているもんで。この前の王都で起きたカリーナ姫誘拐未遂、あんたの専属従者サーヴァントが反逆の傭兵に何をしたかってな。坊ちゃんの専属従者サーヴァント、シャーロットちゃんとは大違いだ。あーこわいぜ」


 サンサ・デニングの専属従者サーヴァント、コクトウは顔を赤くして、シルバを睨みつけている。

 そこには嘗ての仲間を見るような慈愛は欠片も感じられない。

 サンサから許可が降りれば、今すぐにでもコクトウはシルバを叩き潰すために動き出すだろう。


「コクトウ。止めろ」


「しかし、サンサ様。こいつは裏切者であります」


「今は昔の話をしている場合じゃないだろう」


「これは失敬。じゃあ言い換えましょう。ただ俺は……あの至宝、付与剣エンチャントソード如何程いかほどのものか興味がありまして」


「何だよ、コクトウのおっさん。これに興味があるのか。だったら暫くそこで大人しくしていれば好きなだけ見せてやるぜ」


「……相変わらず、変わらんなシルバ。見かけだけは年を重ね大人になったようだが、中身は無礼につきる」


「コクトウのおっさん。あんたが公爵家にやってきたのは、俺が出て行く少し前だが。あの頃と違って随分とサンサ様に心酔しているようじゃねえか、昔はもっと骨があるように見えたが。おっと、殺気がダダ漏れだぜ」


「――サンサ様。シルバは放っておきましょう。こいつの狙いは足止め、我らはこんな場所で道草を食っている場合じゃない筈」


 暫しの間、思い出にふけっていたサンサをコクトウの声が現実に引き戻す。

 あの頃は楽しかったなどと、子供のような感謝を抱いていたなど、とてもじゃないが言えない。

 サンサ・デニングはこの先に用があって、この場にやってきたのだ。


「すまんコクトウ……昔を思い出してな」


裏切者シルバに構っている暇なんて皆無。行きましょう」


 コクトウの言葉に、サンサは一歩を踏み出す。 

 久方ぶりに出会ったシルバと話したいこと、確認したいことが山ほどあった。

 騎士国家の王室側に深入りするその真意や守護騎士候補に至る経緯、そしてスロウのこと。

 だけど、サンサは全ての心を押し殺した。

 今は火の大精霊エルドレッドを、スロウ・デニングに会うことが何よりも優先されるからだ。


「――待った。一応、この先は誰も通すなって命令を受けているんでね」


 しかし、二人の歩みをシルバが止める。

 王室騎士や怪しげな男たちと同じように、シルバには二人を結界の中に通すつもりは一切ない。

 例えスロウの姉と死闘になろうとも、任せられた役割を果たす必要があった。


「シルバ。先行した騎士を止めたのは礼を言う。火の大精霊エルドレッドを相手に勝手な真似をされても困るからな。だが、我々がだれか分かっているのか」


「サンサ様。俺にとっては、の言葉は全てに優先されるんだ。例え公爵家デニングの貴方が相手でも、一歩も引く気は無い。悪いね」


 そう言い吐いて、シルバは付与剣エンチャントソードを構える。

 威嚇じゃなく、本気の覚悟を持って。

 光り輝く付与剣エンチャントソードに、コクトウも己が武装を向ける。


「……やはり、スロウの命令か。そして相変わらず大した忠誠心だ」


「シルバ貴様ぁ! サンサ様に向かって何たる口の利き方だ!」


 公爵家直系を相手に、敵対の意思をここまではっきり伝えられるものは少ないだろう。

 クルッシュ魔法学園のような特別な世界を抜きにして、騎士国家は家柄、権威が何よりも重要視される。

 女王陛下直轄とされる王室騎士団ロイヤルナイツを除けば、サンサ・デニングを相手に口答え、あまつさえ歯向かってくる者など騎士国家に見当たらない。

 それをただの平民が、行おうとしているのだ。 


「その態度、黒矛の錆にしてやろうか!」


「止めろコクトウ! 我々は仲間とは敵対しない!」


「しかしサンサ様! シルバが退かねば、若様がいる結界内へさえ入られません!」


「それでもだ! コクトウ、お前は一切の手出しを禁ずる、その力は大精霊相手に取っておけ!」


 サンサ・デニングにとってシルバと敵対するなんて選択肢はあり得ない。

 この先、火の大精霊と戦う未来を鑑みて、付与剣を持つシルバは立派な戦力だ。

 仲間同士で戦力の潰し合いなど、具の骨頂。

 サンサは固く決心している。

 火の大精霊を相手取るに当たって、森に潜む兵士の力を使う気は皆無。

 彼女はニュケルン領で発生し、隣地のウィンドル領までを巻き込んだあの惨劇で、ただの兵士が何の役にも立たなかったことを知っている。


「シルバ。私はな、あいつが、スロウが何を考え、この先何をしようとしているのか知りたいんだ。その点で我らとそこの騎士達は大きく違う。我らはスロウと力を合わせ、国難を解決するためにこの場へ来たのだ」


 それにサンサはスロウの真意を知りたかった。

 弟が何故、火の大精霊に寄生された少年を助けたいと思ったのか。

 そんな優しい考え、あのオークとなった弟が実行するわけがないからだ。


 今のスロウは、サンサが知るあの頃のスロウとだぶって仕方がない。

 民衆が噂するように、本当にが帰ってきたのか、直接確かめる必要がある。

 スロウの変化を間近で見ていたクルッシュ魔法学園の生徒ならスロウは変わったと大勢が口にするだろうが、彼らは違う。


 シャーロットから報告を受けているとはいえ、余りにもオーク時代のイメージが強すぎるから、直接スロウと関わっていない公爵家の人間には判断がつかなかった。


「サンサ様。俺が断ると、言ったら?」


「私を舐めるなよシルバ! その場合、力を持って――突破するのみだっ!」


 サンサ・デニングは目的を達成するために、平民に向かって杖を抜いた。

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