300豚 ――動き出す公爵家の血筋Last

 相対する両者を中心に、重たい空気が蔓延する。

 強者特有の冷たい空気に誰も動けず、意識のある王室騎士らはサンサの行動に唖然としていた。

 彼らはこの場で光の大精霊レクトライクルが構築した異界への道。

 火の大精霊を心に宿す少年がいる場所への門番を気取る黒髪の男、シルバの強さを身を持って体感しているからだ。

 あの付与剣エンチャントソードの前に、彼らは何も出来なかった。

 戦いにすらならず、彼らは膝を屈した。

 しかし、今度はあのサンサ・デニングがシルバの相手だ。

 戦場で命を燃やすとさえ言われる公爵家デニングの直系。


「サンサ様。この剣は付与剣エンチャントソード。俺がこれを持っている意味、分かりますよね」


「お前の行動は全て女王陛下のお墨付きということだろう?」


「まっ、そういうことですね。そこの騎士さん方も俺が持っているコレに気づいて、数名は刃を置いてくれましたが――サンサ様は違うんですね。随分と勇気がおありだ」


 強敵シルバを前にしても、サンサ・デニングは笑っていた。

 例え相手が付与剣を持っていて、女王陛下のお墨付きを得ていようとも。

 何ら影響はしない。

 公爵家に生きる、とはそういうことだ。


「シルバ。私は公爵家デニングの人間だ。女王陛下が誤った選択を決断する時、道を正すのが我らの役目。これでも戦歴は多彩でな、魔剣、悪剣然り。それに最も重要な点だが、付与剣エンチャントソードを持っていようともお前は本物の守護騎士ルドルフ・ドルフルーイじゃない」


「確かにあのおっさんと比べられたら何も言えないですけど」


「……しかし、陛下は本当に何を考えているのか。幾らお前が一時期、守護騎士ガーディアン候補になっていたとはいえ、国の秘宝をこうも容易く貸し出すとは」


 サンサはシルバへ杖を向けながら、夢想にふける。

 恐らく――女王陛下は見越していたのだろう。

 スロウの邪魔をする自分たちのような人間を止める抑止力が必要だと。


 そして、それがシルバと言うわけだ。

 少し過去の経歴を調べれば陛下もこの平民が最後には王室ではなくスロウを選ぶ事実に容易に辿りつくだろうに。

 それでも国の宝を差し出してスロウを守らせている。

 スロウ——お前はどうやってあの用心深い陛下をたぶらかした。


「――サンサ様。もし仮に、仮にです。火の大精霊エルドレッドを完全に制御出来るとしたら、それは凄いことだと思いませんか?」 


「……」


 ぞっとする。

 大精霊の中でサンサに馴染みがあるのは、光の大精霊ぐらいのもの。

 サンサは王都ダリスで、王族が住まう離宮の傍で彼の姿を数度見かけたことがあり、遠目でもそれだけで計り知れない存在だと感じたものだ。

 この先に建造された巨大建造物コロッセウムを隠しとおす結界にしても、精霊が目に見えるという力にしても、彼らは人間とは異なる上位の存在に他ならない。

 だが、しかしだ。

 あんな存在を制御、人間の思いのままに動かすことが出来れば――。


「冗談も休み休み言え。火の大精霊を完全な支配下に置くだと? バカバカしい、子供でももっとましな夢を見る」


「ええ。俺もそう思っています。だけど――坊ちゃんはそう言ったんです。火の大精霊を心に宿した少年。俺だって殺すべきだ。そう思っていた、坊ちゃんにはそう言いました。今でも、心のどこかでそれが在るべき未来だとも思いますが――」


「頭が痛い……シルバ、お前もスロウの戯言に乗せられたわけか。確かに火の大精霊に――価値はある。もしも支配下に置ければ、万金にも替えがたい力となるだろう。だが、これまで誰も為しえず結果は悲惨なものだった。全ては歴史が証明しているが……シルバ、お前もスロウの話を間に受けた口か。それとも、いやもう十分だろう――時間稼ぎが見え見えだ」


「サンサ様。自分で言うのも何ですが、俺は強い。やめた方がいいと思いますが」


「知っている。公爵家を出た後も、お前の噂は嫌でも耳に届いたからな。しかしシルバ。私もな、昔と違うのだよ。確かにあの頃はこてんぱんにされた記憶があるが、時間が、経験が私を強くした」


 少年の身にありながら諸国を冒険者として放浪。

 平民でありながら公爵家で技術を磨いたシルバに、嘗てサンサは全く歯が立たなかった。

 しかし、今はあの頃とは大きく違う。


「確かにサンサ様……あの頃の貴方とは違うようですね」


 光の付与剣へ付与された力。

 吸収ドレインに真っ向から対処する彼女の姿を見て、シルバも認めざるを得ない。

 地に倒れる男たちはこれだけで自分が何をされたのかも気付かずに倒れたのだが。公爵家デニングならこの付与剣エンチャントソードがどれだけの力を持つか知らないわけでらあるまいか。


「私はスロウのように全属性の魔法使いエレメンタルマスターの力を持つわけではない。だがな、公爵家の中では不器用な分、自分の出来ることを磨いてきたんだ」


「たった一人で戦場を混乱に陥れる、幻影ファントム使いのサンサ・デニング。二つ名の通りなら、俺には相性が悪そうですが」


「呼ばれ方に意味などない。それより、シルバ。来ないなら、こちらから――」


 〇  ●  〇


 しかし、二人のやりとりよりも先に動くものがいた。

 大きく鼻息を鳴らしていたサンサの専属従者サーヴァントコクトウである。

 体内で練り上げる魔法。コクトウにとって、魔法とは単純な力の増強。公爵家の鬼人と呼ばれる男が矛を握る力を僅かに加える。それだけで魔物を軽く両断出来る力が込められた。 

 力の理由、サンサに頼らず一撃でシルバを屠るため、ではない。

 コクトウはサンサ・デニングのために生きている。主の決断にコクトウが横槍を入れる理由は――誰よりも早く気づいたからだ。

 膨れ上がる大気が、目には見えぬ結界――異界が押し上げる。

 突如、現れた熱波をコクトウは大矛を振り回し、相殺。


「コクトウッ! 動くなと言っただろう!」


「サンサ様! 悪しき力を感じました! 結界の中から炎がッ!」


 大地が震えた、わけでもない。

 コクトウが打ち払った熱波を感じたから、でもない。


「サンサ様! お下がり下さい! 炎と共に誰かがッ!」


 しかしその場にいた誰もが、シルバがひたすらに守る異界そちらを見た。

 森の中に続く何の変哲もない空間、だけどその場にいる者達はそこが結界への入り口だと誰もが理解している。

 無意識に悪寒が駆け巡る。

 彼らが目指した結界の中で、何かが起きた。

 光の大精霊レクトライクルが構築した結界。巨大な闘技場を覆っているとされる魔法の力。

 光の大精霊、王都に坐する騎士国家の付与神が隠す異界から、人の姿が現れる。見るものはまさか火の大精霊エルドレッドの襲来かと狼狽えるが、それは人間であった。


「平民さん! 大緊急事態ですよッ!」


 結界の内側から、血相を変えた人の姿。 

 女性だ、髪の毛をおさげにしてメガネを掛けた女性。服はぼろぼろで、余裕の欠片もありはしない。

 逃げ出した、そんな表現がぴったりな彼女は辺りを見渡して悲鳴を上げる。


「ええ……サンサ・デニングッ! どうして公爵家の人間がここにっ! 想定より到着が早すぎでは!」


「こっちはどうでもいい! それより眼鏡、中の状況を教えろ!」


「眼鏡って! だから私の名前は――」


「あんたの名前は呼びにくいから眼鏡だ! それにあんただって俺のことを平民、平民と呼ぶだろう、元貴族だか知らないが、お高く止まるあんたは眼鏡で十分なんだよ!」


 突如現れた女性の姿に、皆の意識は向けられる。

 その者の身体には見るものを呪うように、びっしりと文様が浮かび上がっている。

 見るものに不安をもたらすような姿だ。

 

「あの呪印! サンサ様、あの女まさか!」


「下がれコクトウ! ウィンドル家の生き残りが何故、異界の中に!」


 サンサは警戒を露わにする。

 忌むべきマジックアイテムを使用する、騎士国家では珍しい魔法の大家。

 火の大精霊に滅ぼされたウィンドル家の生き残りが見つかり、どこかの貴族に引き取られてたとの噂は聞いていたが、実際にその姿を見つめサンサもコクトウさえも一歩引かざるを得なかった。


「おい、報告はどうした眼鏡ッ! それがあんたの仕事だろう! 坊っちゃんはどうなった!」


「ま、いいですけど。じゃあ改めて……平民さんビックニュースですよッ! 万事、計画に抜かりなし! デニング卿はやりましたッ! 呪われたと共に、火の大精霊エルドレッドの抑え込みに大成功ッ! あの子も凄かったですが――やっぱりデニング卿です! あの憎っくき火の大精霊エルドレッド相手に今のところ完全完勝ッ――パーフェクト! このままいけば私とデニング卿、そして平民さん三人とも大出世間違いなしの偉業ですよ!」


「あんたの出世はどうでもいいが――っしゃあ! 坊ちゃん、やりやがったなッ!」


『シューヤ・ニュケルンなら——火の大精霊エルドレッドを抑え込める』


 主役は自分たちじゃないと語ったスロウの言葉。

 そんなこと出来るわけがないと、シルバも初めて聞いた時は鼻で笑った荒唐無稽なスロウの策。


「だから言っただろ眼鏡! 坊ちゃんが出来ると言ったら、出来るんだよ! それより助太刀が必要なら、俺もそっちへ向かうがっ!」


「その必要は、ないですッ平民さん! これより、大精霊封印の段階に入ります! 伴い――大精霊、暴走の可能性が極大ッ! 結界外にいる者たちは、出来るだけ距離を取れとデニング卿のお言葉ですっ!」


 突然現れた彼女の登場、そして彼女が零す言葉によって、場が乱れる。 

 少なくとも、この先に造られた結界の中では火の大精霊が出現したことが聞き取れ、これから何かが起こるらしい。誰もが怯え、何よりも早く逃げようとする中で、唯一彼らとは真逆の行動をとるものがいた。


「サンサ様ッ! ああくそ! 誰も通すなって坊ちゃんとの約束が!」


 

〇  ●  〇


 光の大精霊が構築した結界。

 王都ダリス、光のダリス王室を守る広域の聖域セイクリッドとも違う。

 この先に火の大精霊と共に在る少、シューヤ・ニュケルンの名前を持つ彼がいる。

 あの弟に、わざわざ自分宛に手紙をしたためさせた人物。


『親愛なる姉上へ。お久しぶりです、お元気でしたか、何て挨拶は俺たちの間には必要ないでしょう。用件はたった一つ、今回の件、手を出さないで下さい。というのも、火の大精霊が寄生している相手は俺の友人なんです』


 スロウ・デニングが必死に救おうとしている人物。

 指揮官たるサンサ・デニングとの面会を、スロウは頑なに断る癖に。

 ちゃっかりと書簡だけは寄越していた。

 こちらの事情など、何も気にしない一方的な意思の伝達。

 

『俺のこれまでをよく知っている姉上なら、俺の友人と聞いてさぞや疑うことでしょう。魔法学園クルッシュでの俺の暴れっぷりは姉上もよくご存知だと思いますから。だけど、ここ最近。俺が変わったって噂も姉上の耳には届いていることでしょう。そうです、俺は変わったんです。そして、あの頃の傍若無人な俺を変えたのがシューヤ・ニュケルンです』


 スロウが友人と呼ぶシューヤ・ニュケルン。

 例えその者が奇跡的に火の大精霊の呪いから抗ったとしても、今後真っ当な人生を送れるとは思えない。


『俺はシューヤ・ニュケルンをどんな手を使ってでも助けると決めました。だから姉上は邪魔をしないで下さい。それが俺の唯一の望みです』


「――スロウッ! お前の我侭なら、これまでどれだけ聞いてきたと思っているんだ! お前がクルッシュ魔法学園に行きたいと言い出した時も、私が影でどれだけ父上らを説得したことかッ!」


 それでもサンサ・デニングは弟の我侭を受け入れた。

 事情を知る部下の意見を退け、これまで無干渉を貫くことにどれだけの労力を割いたことか。この場にいる指揮官が他の公爵家の人間であれば、サンサ・デニング以外の者であれば、軍人を派遣し生徒を見守り、クルッシュ魔法学園に干渉するだろう。

 だけど、サンサは不干渉を貫いた。

 国内で魑魅魍魎ちみもうりょう扱いを受ける兄妹の中で、彼女は誰よりもスロウのを知っていたから。

 それでも火の大精霊が現れたなんて報告を聞けば、動かざるを得なかった。


『サンサ姉、シューヤ・ニュケルンの中に潜む火の大精霊をどうにかしたら、必ず事象を話します。魔法学園に最近、お洒落な喫茶店がオープンしたんですよ。そこの特等席を予約しておきます。サンサ姉、甘いもの好きでしたよね? ――だから、それまでは俺の我侭を聞いて下さい』


「相変わらずふざけた奴だ――陛下やシルバには事情を全て話し、私たちには何も話さない所! スロウ、お前は変わったというが性根は何も変わっていないぞッ!」


 地面に刻まれた結界を踏み越えて、サンサ・デニングは異界へ入り込んだ。

 サンサの視界が、一瞬で景色が塗り替えられる。

 現れるのは巨大な壁。 

 突然、馬鹿でかい壁が目の前に現れれば誰だって狼狽するだろう。結界に、覆われた巨大建造物。サンサの思考は、追い付かない。


 結界に込められた力は理解出来るだけでも——隠匿、認識阻害、遮音、封印。

 ふざけた力だ光の大精霊レクトライクル――それに、これは何だ。


 闘技場の観客席の一部が崩壊し、外から内部が見渡せた。

 観客席があったのだろう場所は地面がごっそりと抉れ、建物中では火嵐が荒れ狂っている。ロコモコ・ハイランドという学園教師が構築したとされる土の陣地構築アースクリエイトの跡形はどこにもなく。

 一体、何が起こればこうなるのかサンサには分からない。

 闘技場内部に向かうことが躊躇われる程の熱量。火の大精霊が放つ圧力の中で、荒れ狂う火炎を目に止めながら、サンサ・デニングの歩みは止まらず。付与剣を武器にしたシルバとは比べ物にならない圧力を感じながら、そうして彼女は見つけた。

 彼女の記憶の中にあるどんな戦場よりも苛烈な環境の中で、何よりも目立つ白。

 それは騎士国家の潔癖な精神を示す色であり、光のダリス王室と一定の距離を保つ公爵家デニングの人間には与えられることの無かった、の証。

 未だ大精霊との壮絶な戦いが行われているのだろう向こう側で、サンサの目にボロボロになった白外套ダレカの後ろ姿が映った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る