298豚 ――動き出す公爵家の血筋②

 森の中に二人の姿が見える。

 一人は黒髪で軽やかな軽装に身を包んでいる女性だ。

 目つきは厳しく、意思の強さが伺える彼女の名前はサンサ・デニング。

 騎士国家ダリスを支える公爵家、軍を司る大家にして、戦場にて輝く素質を持った者の一人。

 そんなサンサ・デニングは戦場を司る公爵家直系の一人にして、今は火の大精霊討伐のために組織された軍を指揮する身であった。もっとも末端にいる軍人達には、火の大精霊が顕現する可能性がある程度の情報しか伝えられていなかったが。


「コクトウ。これがお前の用意した繋がる木々群ポートツリーの一つか?」


 サンサは大森を構成する一本の幹に触れた。

 他と比べて、何も特筆することのない木々の内の一本だ。

 しかし。


「さすがサンサ様、よく気付きましたな」


「お前が用意した地図は全て記憶している。前に言っただろう」


「ご多忙の身でありながらよくぞ。それでは、いつでも飛べますが、何番へ?」


「そうだな……」


 サンサの呼びかけに答えたのは、彼女の専属従者サーヴァントであるコクトウだ。

 黒衣で身体を包み、顔を頭巾で覆っている。

 右手には巨大な大矛を持ち、厳つさを全面に押し出している。

 その姿は大陸北方で死者を弔う僧正一族の一人であることを示しているが、南方において彼ら一族の生態を知るものは余りにも少ない。


「ではコクトウ。3番へ飛べ」


「は!」


 コクトウの一言で、二人の姿がその場から掻き消えた。

 何の前触れもなく、一瞬のこと。

 彼女達二人がその場にいた形跡を何も残さず、消えてしまった。

 音もなく、元々誰もその場にいなかったようにしか思えない。

 秘密裏に二人の後を追っていた者達には、何が起きたか理解出来た者はいなかったであろう。


 〇 ● 〇 


 姿が掻き消えた二人は別の地点に、現れる。

 見渡す景色も緑ばかりだが、彼女らが目指す場所には確かに近づいていた。


「ふぅ……やはり、気持ちのいいものではないな」


「追われていましたな、サンサ様」


「だろうとは思ったが。随分と気配の消し方が上手いやつらだ」


 今しがた、二人の身に起きた魔法は短距離での瞬間移動。

 それは転移と呼ばれる魔法の一種だ。

 騎士国家ダリスに加護を与える光の大精霊レクトライクルが得意とする魔法であり、魔導大国ミネルヴァが実現に向け大きく力を入れる魔法の一つ。

 しかし、大精霊でもない一個人が。

 ただの魔法使いが転移の魔法に至ったという事例は、未だ魔法の研究に日夜没頭している魔導大国でも一つも報告されていなかった。


「しかし大した力だよ。コクトウ。やはりお前を専属従者サーヴァントにした私の見る目は間違っていなかった」


「こんなのもの、光の大精霊レクトライクル程じゃありませんが」


「馬鹿者。大精霊と人を比べる者がどこにいる」


「……ありがとうございます、サンサ様。俺には勿体無きお言葉です」


 サンサ・デニングは身分に縛られ、自由な動きは難しい。

 故にコクトウは自身の力が、行動的なサンサには最適だと確信していた。

 短距離であり効果も限定的ながら、瞬間的な転移を可能とするこの力。

 北方に生きる少数民族。コクトウが生まれた村に代々伝わる力であり、サンサ・デニングが過酷な北方での旅で見つけ出した掘り出し物の一つだ。

 

 コクトウは森の中にいくつもの繋がる木々群ポートツリーを設置していた。

 スロウ・デニングがクルッシュ魔法学園で、火の大精霊の寄生者たるシューヤ・ニュケルンと友情を育むために守護騎士選定試練ガーディアンセリオンを利用している間。


 サンサ・デニングと彼女の専属従者はただ、無作為に時間を過ごしていたわけではなかった。


「おいコクトウ。8番はそっちじゃない、そっちにあるのは7番だろう」


「……さすがサンサ様。素晴らしい記憶力です」


「お前が忘れっぽいだけだ。この先、我々は2番へ飛ぶ。そこからシルバの元へ向かうが、文句があるか?」


「シルバを介さずに……4番へ行き若がおりますあの場へ向かうことも可能ですが」


「馬鹿を言うな。それでは余りにも、つまらないだろう?」


「そうでしたな。では、転移!」


 〇 ● 〇 


 ひとっ飛びで、この森におけるダリス軍のトップは目的地へ転移を果たす。

 森の中を、彼らの元へ向けて。

 先行した王室騎士達よりも遥かに速い速度で向かうのだ。


 サンサ・デニングは火の大精霊エルドレッドからクルッシュ魔法学園の生徒を守るには、余りにも遠すぎる場所に軍を布陣させた。

 勿論、軍の布陣をもっと内側にすべきとの意見は誰からも上がった。

 しかし、火の大精霊エルドレッドを内に宿すあの子。

 シューヤ・ニュケルンに自分達の存在が露見する可能性を少しでも下げるため、軍をあえて外側に布陣した。

 全ては、女王陛下エレノア・ダリスの命令だ。

 

 しかし、サンサ・デニングは否と考える。

 あれは――違う。

 あれは――エレノア・ダリスを通じた、スロウ・デニングの願い。

 何としてでもシューヤ・ニュケルンを助けるために、スロウが陛下を動かした。


「――いるな」


「はい、そこら中におりますようで。主に自由連邦の盗賊ギルド、殺しますか?」


「放っておけ。奴らの狙いは火の大精霊エルドレッドが眠る水晶のみ。我々は同盟国同士、無駄に殺しあう必要はないだろう。それに盗賊ギルド如きにあの大精霊が遅れを取ると思うか?」


「……間違いありません」


「それよりもコクトウ。身体の抑制を忘れるな、殺意が漏れているぞ」


「申し訳ありません。つい、殺気に当てられまして」


 己の身体を縛る黒衣を、コクトウは大矛を持つ右手とは反対の左手で掴んだ。

 ……森の中で強い血の匂いがする。

 火の大精霊を狙う者たちの間で潰し合いが起きたのだろうか。

 

「しかし、サンサ様。若はどうしてあれ程強硬に、寄生者を擁護したのでしょう」


「コクトウ。お前もやはり殺すべきだと思うか? お前が生きた北方では、ああいう存在、憑き人と呼ばれる呪われた人間が大勢いたのだろう」


「憑き人を大精霊と比べるなど、お戯れを。危険度が段違いです。特に火の大精霊ともなれば、あれは一度宿主を取り込めば見境なく暴れ出す、とても人の手で制御出来るものじゃない」


「……」


「故に此度の指揮官へ志願されたサンサ様の勇敢さが際立つものと言うものですが」


 サンサ達がいた最前線に、一つの噂が聞こえてきた。

 クルッシュ魔法学園に通う生徒の中に、火の大精霊を宿す生徒がいるという噂だ。無論、サンサのような指揮官級の人間のみの耳に入る情報であるが、誰よりも早く王都に帰還し、情報の真偽を確かめるために動いたのがサンサだった。

 そして、事実と知った。


 火の大精霊を迎え撃つ軍の指揮官など、帝国相手よりも恐ろしい。

 しかし、誰かがやらねばならなかった。

 誰かが迎え撃たねば、悲劇が繰り返されることになる。

 過去にニュケルン領で起きた悲劇。

 サンサ・デニングは火の大精霊が破滅の限りを尽くした日々を忘れない。


「しかしサンサ様。未だに分かりません。若が語ったとされる火の大精霊との共生論、あれどういう意味でしょう」


「間違えるなコクトウ。共生するのは火の大精霊でなくて担い手。シューヤ・ニュケルンの名を持つ男子生徒のほうだ。スロウはシューヤ・ニュケルンならば火の大精霊を押さえつけられると言っているのだ」


「狂気の沙汰、でありますが」


「しかし、な。コクトウ、スロウは自ら陛下を説得してみせたのだ。恐らく、我々にも伝えていない何らかの理由で。そうでなくば、さすがの陛下も首を縦に振らないであろう」


 そして二人はスロウやシューヤ・ニュケルンがいるのだろう、闘技場の巨大な外壁が近くに見える距離にやってくる。

 しかし、闘技場を覆い隠す結界の効果のため、その姿は未だ確認すること叶わず。

 中で何が起きているかすら、分からない。


 クルッシュ魔法学園の生徒や関係者を守るため。

 学園の再建時、光の大精霊の力を持って構築された結界に守られる緊急避難地。

 もしも既に、あの中で火の大精霊を相手にした戦いが起きているなら、火の大精霊の力すら外側に漏れ出さない光の大精霊の力はどれほどのものだというのか。 

 サンサ・デニングは未だ何も起きていないことを願いながら、歩みを進めた。


「ニュケルンの名前。俺は騎士国家の貴族云々は弱いですが、やはり前回の顕現時にシューヤ・ニュケルンが火の大精霊と接触し、見初められたということでしょうな」


「さあな。その辺の事情はスロウ本人に聞けばいい。あいつが誰よりも詳しいはず……しかし、これは一体どういう状況だ?」


 向かう先に倒れ臥す騎士たちがいた。

 王室騎士だけじゃない、数十人の男たち。

 素性を隠すためだろう顔を隠したもの、仮面をつけたもの。それだけじゃなく、武具があちこちに落ちていた。こんな魔法学園の傍で落ちているわけもない迷宮の奥地で発見出来るようなものばかり。


「まさか――サンサ・デニング! 早すぎる!」


 傷ついた王室騎士。独断先行した騎士の一人だろう男がサンサの姿を見つけ、声を上げるが、サンサ・デニングは取り合わない。

 彼女の目的は、この先にいる彼らだけなのだから。


「なあ、シルバ。お前が事情の説明をしてくれるのか?」


「……これは随分、大物の登場だぜ」


 この場の中心に立つ輝く剣を持つ男が、目を丸くする。

 ただの平民であり、しかし彼が女王陛下からの寵愛を受けているのはその付与剣が何よりの理由。


 嘗てデニング公爵家直系三男、スロウ・デニングが抱えた騎士の一人。

 平民でありながら、瞬く間に公爵家の中で確かな地位を築き上げた男。


「……ご無沙汰しております、サンサ様」


 周囲へ氷のように冷たい視線を投げかけていたシルバは、サンサ達の姿を見ると昔を思い出したのか、少しだけ顔の険しさを和らげたのであった。

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