238豚 英雄の帰還 前編⑤

 突き飛ばした彼女の顔は驚きに満ちていた。 

 信じていた少年の咄嗟の行動は彼女には理解出来ぬもの。だが、後で自分の行動の意味はすぐに分かるだろう。その時、少しだけ感謝して貰えればそれで充分。

 お願いの代償は逃れられぬ死、余りにも高すぎる代償だが受け入れるしかない。

 瞼を閉じると、闇一色。黒い世界が目の前に広がっていく。


「――! ――ッ??」


 少年は全てを受け入れる覚悟で、だけど恐怖の余りすぐに目を瞑ったままその場にへたり込む。黒龍騒動を超えた死の気配を前にして、その動きを誰が攻められようか。

 冷たい地面に手を付いて――……暫く静止。

 だが、空から落ちてくる光の結晶。

 落雷サンダーボルトがこの身を直撃した感覚はどこにもない。

 ……どうして?

 意識はある。全身の感覚も変わらない。

 その代わり、喚き立つような叫び声が次から次へと耳に届く。


「――ッ! ――――だ。王室――!」


「光の――! あれはもしや――ッ!!」


 ――自分はまだ、生きている?

 確信すると同時に、安堵が身体中に広がっていく。

 まだ自分は生きている。その事実が、どうしようもなく嬉しかった。

 生の実感を感じながら、少年はゆっくりと瞼を開いた。

 そして、見た。

 


「遅れてきた反抗期かしら……ですが助かりました。お母さんは無事かしら」


守護騎士ガーディアン公爵家デニングの娘が陛下のお傍に」


 純白の外套マントを羽織り、手には細剣レイピアが握られている。

 金の癖毛に柔らかな横顔マスク、一目で分かる高貴な存在貴族。服の上からでも分かる鍛え抜かれた長身痩躯の男に殿下が親し気に話しかけている。

 

「そう。それにしても随分と早いお帰りね、予定では――」


が戻ってきた、と。理由として、充分でしょう」


「彼? でもオリバー、どうして私の場所が分かったのかしら?」


 風と炎の精霊に愛された少年はたった今、殿下の口から漏れた名前に固まった。

 ……冗談だろ? この人はまさか……。


「――さあ、立つんだ少年。まだ君の仕事は終わっていないだろう」


 ……そうだ。

 まだ何も、終わっていない。

 彼女を王城から連れ出したのはこの僕で、王城まで連れて帰るのも僕の役目だ。

 少年は男から差し出された手を取って、立ち上がった。

 力強い大人の手、思わず頼りたくなるような包容力を持った男。

 だけど、全てをこの男に任せるわけにはいかなかった。


 だって自分は――まだ何も為していないのだから。

 彼女を外に連れ出しただけ。

 それで終わりなんて余りにも半端すぎる情けなすぎるから。


「団長の考えも無下に出来ないな」


 透き通る眼差しを持った男と向かい合う。

 男が羽織る純白の外套はいつか手に入れたいと思う憧れの未来。

 ――ここまで違うのか。

 現役の王室騎士が登場したことに安堵する自分がいる。

 たった一人で場の雰囲気を変えてしまう力が強者特有のものだとすれば、まだ自分は到底その位置に辿り着けていない。

 悔しくもありながら、いつか必ずと少年は思う。


「どうやら君は、本当に最高の人選だったようだ」


 少年が憧れる王室騎士団ロイヤルナイツには民衆に名の知られた有名人が幾人も在籍している。

 王城に入った際には、そんな彼らの姿を一目見たいと思っていた。だが一部の王室騎士は女王と共に他国を訪問中らしく、少年が最もお目当てにしていた人物はいなかった。

 けれど、今。

 あの男が目の前にいる。


「花の騎士卿、あの方は女王陛下の懐刀だぞっ!」


「少年。心は折れていないな?」


 王室騎士団ロイヤルナイツでも精鋭とされる騎士の問いかけに少年が深く頷くと、騎士の長い癖毛が風に揺れた。

 さらに彼は茶目っ気ある笑み。

 それはこの場においても余裕の証明であり、少年が辿り着きたいと望む心の領域。


「さて、この勇気ある少年が向かう先に彼がいます。が作り出した筋書きとは多少異っているようですが、現段階で我らが公爵家デニングよりも先を行っているのは明確な事実のようだ。言葉はあれですが、金をばら撒いた甲斐がありましたね」


 王室騎士が誇る鉄壁の一人は可憐な少女に向かって、膝まづく。


「そしてリトル・ダリス栄えある、我らが姫。貴方の勇気にも、私は感激致しました。同時に、少し嫉妬します。私たちは結局、貴方に勇気を与えることは出来なかった。認めざるを得ませんが、今代の守護騎士ガーディアンは彼を置いて他にいないようだ」


 花の騎士と呼ばれ、民衆から絶大な支持を受ける騎士の姿に群衆がざわめき立つ。

 少年もまた、ぞくりと立つ鳥肌が止まらない。


「王室騎士の一人が何でこんな場所に!」


「そっちじゃない! あっちだ! あの女の子を見ろ!」


「あの子は、いや、あの方はもしや――ッ!」


 公爵家デニングと双璧を為す王室騎士団ロイヤルナイツの中でも一、二を争う有名人。

 そんな男が膝まづく者など、この国では数人に限られる。ざわめきが広がり、誰もが少年の隣にいる少女が何者であるかを理解した。


「少年、エスコートの大役は君に――本来は私の役目の筈だったが、アレは君の手にはとても負えない」


「……」


「それにこれは王室騎士団から君への褒美だ。君にはその場に立ちあう権利がある」


 憧れの王室騎士から激励を受け、少年はもう一度心に勇気を燃やした。

 それに何やら、とんでもない人物がこの先に待っているらしい。

 再び迷宮に向けて、少女は少年に手を惹かれるままその場を後にした。


 そして二人の行く手を遮るように、裏道への入り口に王室騎士団が誇る騎士の一人が立ち塞がる。

 ――何人も、ここを通さぬ。

 絶対の意思を込め、未だ佇まいを崩さぬ長身の老人を見据えた。


「ふむ、あの名高い花の騎士卿が出てくるとは。可笑しいのお、女王は未だ水龍国家サーキスタにいる筈だが」


「どこから迷い込んだのか知らないが異国の御老人よ。貴殿の存在が筋書きを狂わせているようだ。招待状をお持ちでないなら、速やかな立ち退きを求めるが」


「あの少女を手に入れるため、吾輩とて決死の覚悟でここ敵地におるのじゃ――王室騎士ロイヤルナイト程度では相手にならぬよ」


「今日――騎士国家ダリスの未来が変わる。追放者エレクトリック、貴殿の立ち合いは私が許さない」


 口元を歪める異物老人に向け、花の騎士卿は細剣レイピアを構えた。



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