237豚 英雄の帰還 前編④

 結局、ニュケルン男爵領の隣に位置するグレイトロード子爵領領主の一人息子はあの声を無視する事に決めたのだった。

 気の緩みもない、まだ手はしっかりと繋がっている。


「貴様は前しか見ておらん。逃亡者としては浅慮の極みじゃ」


 少年が公爵家デニング直系の人間であるならば、気付けただろう。

 例え集団の中にいた老人がもう一つの未来。アニメの中で際立つ敵キャラであったとしても公爵系デニングの人間なら、全属性の魔法使いエレメンタルマスターの兄妹達なら――僅かな敵意を察知し、すれ違いざまに相手を無効化するぐらいのことは造作もなくやってのける。

 故に魔法学園クルッシュの教育は、公爵家デニングに必要あらず。

 一人の少年を覗いて、公爵家デニングの若者は魔法学園クルッシュの教育を必要としていなかった。

 だが今、逃亡者と化した少年は戦闘訓練など魔法学園の授業のみで、本格的いのちがけな戦いを経験したことなどごく僅か。それも相手は同学年の生徒や郊外の森に住まう弱弱しいモンスター、そして魔法学園を襲撃したダンジョンの生き物ぐらいに収められる。

 軍属ですらない生徒にその脅威に気付けというのは、酷な話だったか。


「しかしカリーナ・リトル・ダリスを城から連れ出してくれた功績に一度だけ慈悲チャンスを与える。何も分からぬまま、黒焦げになりたくなくばそこで止まるのじゃ小僧」


「――――――――え?」


 建物の間に生まれた暗い裏路地に数歩入り込んだ時、少年は不吉な言葉に思わず振り帰った。

 この国の王女の名、なぜ一般市民がその名をここで自分に伝えるのだ。

 振り向った先、人混みの中に一人の老人の姿が見えた。

 学園長……? 

 いや一瞬母校の学園長と見間違えたが、よく見れば違う。別人だ。モロゾフ学園長はあんなに背が高くない。

 その姿はまるで隠遁者。世捨て人のような恰好をした老人の姿。手には大樹の幹からそのまま削り出したようなささくれだった長杖が握られている。機能性を排除した、最近ではうんと見られなくなった骨董品アンティーク。この国ではあまり見慣れない大型の杖を持つ老人。

 人混みの中でも一際浮いているが、誰もその異質な存在に気付いていない。


「急に立ち止まって、どうしたの? この先に貴方が働いているっていうお店があるんしょう?」


「いや、あの」


「これが魔道国家ミネルヴァ大魔導士グレイトメイジの力。その位置から上を見てみぃ小僧。そこからならよく分かるじゃろう」


 そしてビジョンはお姫様の手を握ったまま、老人に言われるがまま空を見上げた。

 晴天なのに雲……? それに妙な立体感がある。 

 だが次の瞬間。少年は雲の中心で煌めく光を見た。

 まさに天から落ちる一筋の光。迸る光が真っ逆さまに落ちてくる。


「ねぇ、どうしたの?」


「儂はこれを落雷サンダーボルトと名付けておる」


「殿下」


 まずい。命に関わりそうな雷光が落ちてくる。杖で結界を張る? ダメだ間に合わない。何も思いつかない。少年はもう全てが遅いことを理解した。

 やはり、僕は貴方のようにはなれやしない。貴方みたいになりたいと憧れた。堕ちた風の神童、貴方に僕は小さい頃からずっと憧れていた。分かっていたことだけど、この身は貴方の足元にも届かないようだ。

 それに慕う先生あの人でさえ正解はわからないと言っていた。だからこの選択が正しいのだと信じるしかない。うん、そうだ。それにこれは僕が始めた戦争冒険だ。

 少年は落雷サンダーボルトが自分達の身を貫く未来を見て。


「お逃げを」


 こればかりは仕方がない。運命だ……それに僕には責任がある。

 若き二重魔法使いダブルマスターは迷いもせず手を離し、守ると誓った少女を突き飛ばした。



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