206豚 不敗神話の崩壊①

 見覚えがある。

 焼かれ死ぬ全てのモンスターに見覚えがある。

 ――当たり前か、奴らが生きるダンジョンの中で私は生き抜いてきたのだから。

 見慣れたモンスター達が意思を持っているかのように轟く黒炎によって命を落としてゆく。ゆらゆらと揺らめく陽炎が透明な氷塊を中身もろとも黒に染め上げる。

 ――やめろ。

 そう思ってしまうのは自分がモンスターの側に立つダンジョンマスターであるからなのだろうか。

 もはや己の意識までも人間ではない向こう側に行っていることに改めて気付かされる。

 ――やめてくれ。

 理性を超えた狂気が身を焦がす。

 ――……あれは。

 空から黒い塊が接近する。

 銀の砂丘、巨大な地下空洞の空に生きるワイバーンが黒炎に包まれ鳴き声を上げている。

 鳴き声は呻き声から泣き声に。

 ――胸が痛い。

 今まさに体内に新しい臓器が生まれているかのような違和感。

 ――これは何だ。

 止まることのない痛みが肉体を襲う。

 ――リッチ共による戒めの鎖が解ける気配は未だ無し。このような光景を見せ、私のモンスターとしての自我を引き出すつもりか。

 ワイバーンは流れ星のように消えることなく、速度を上げて大地に激突、黒炎に包まれ燃えていく。

 その後には、何も残らない。

 ――この痛みは、悲しみは何なのだ。 

 ――まさか、お前たちと私が繋がっているというのか。

 ――ならば誰だ。一体何者が私にこれ程の苦痛をもたらしているのだ。


「教えてやるよ、ダンジョンマスター」


 終わりなきと思われた三銃士の思考が唐突に終わりを迎える。


「お前の異能。モンスター埋め込まれし氷塊を燃やし尽くしているのは火の大精霊さんの仕業だ。リッチ御自慢の、あれに付与された硬すぎる魔法耐性もさすがに火の大精霊さん相手には手も足も出ないみたいだな」

 ――貴様だったのか、ドラゴンスレイヤ―。


 憎い。

 その声を聴くだけで鳥肌が立つ。

 氷塊の中で死を迎えたモンスターの叫び。

 本来であれば届く筈の無いモンスターの怨念が心の奥底から湧き上がり、三銃士の体内をアドレナリンが駆け巡る。

 ――この身を焼き尽くす痛みを。

 ――筆舌に尽くしたい苦しみを、貴様が私に味わわせているのかッ。


「そして銀の砂丘をS級ダンジョンにまで育てあげた嘗てのダンジョンマスター。一つの魔法属性を極めし六体のリッチを足止めしているのは闇の大精霊さんだ」


 ――……そうか。

 ――貴様かッ!!

 三銃士ドライバック・シュタイベルトの瞳が鮮血に染まり、体内に練り込まれたリッチの魔法が発現する。


「……へぇ、超人強化がここにきて発動するんだ。でも遅いよ。もはや切り札は切り札足りえない、そう考えると今回のMVPは闇の大精霊さんかな、ここまであのリッチ達を足止め出来るなんて想像もしてなかった。風の大精霊さんがあんなに怯えるわけだ、役者が違うね」


 六体の死霊魔術師による肉体強化。

 人間と獣の狭間で揺れる男の肉体を一段上へと押し上げる魔法の極地。三銃士の全身に流れる血流が勢いを増してゆく。赤く染まった血管は肥大化し、まるで身体に刻まれた魔法陣のように全身を彩りあげる。

 人ならざる模様を顔に漲らせたその姿こそ、大陸にて恐れられる半人半魔の亡霊リビングデッド

 だがそんな、銀の砂丘を突破したダークエルフの戦士達を根こそぎ葬った帝国の英雄を前にして。


「北方の英雄様は殆ど理性は残っていないご様子だ。遂に俺の出番ってわけか」


 黒金の髪を持った少年が口元に僅かな笑みを浮かべていることに救国の大英雄は気付くことが出来なかった。

 けれど仕方なきことなのかもしれない。

 絶望の先にある何かを手に入れるために。

 北方の英雄、たった一人の男の未来を変えるために彼は数多に広がる樹形図の中から一本の道を選択したのだから。


「それじゃあフィナーレといこうか、ダンジョンマスター。ああ、終わりといっても心配することはないんだぜ、これから始まるのは悲劇じゃない」


 少年だけは既に勝利が確定したことを確信していた。

 膨大な選択肢の中から正解を、正解の中から最短経路を導き出した。

 荒野では闇の大精霊と火の大精霊が競うように力を振るっている。

 お互いに憎み合う彼らを盤上に引きずり出すことこそが何よりの正解だった。


「ただ俺はさ、休んでもらいたいんだよ。三銃士ドライバック・シュタイベルト。だってお前こそが英雄だ。世界を救った救世主がその力ゆえに、全てが終わった後に疎まれるなんてあっちゃいけない。知らないと思うけど……序盤で消える癖にアニメの人気投票じゃお前、順位すっげえ高いんだぜ」


 悲しき悲劇は誰も望んでいない。


「聞こえてないだろうけど、俺はお前に新たな未来を送ってほしいからこんな辺鄙な場所までやってきたんだ。お前がいないとダークエルフが調子乗るからさ、アニメみたいにドストル帝国のお偉いさんとあいつらに手を組まれちゃたまらないんだ」


 振り下ろされた右腕はしなやかに、伸ばされた人差し指はどこまでも軽やかであれ。


「これからも帝国にいてくれよ、闇の大精霊さんと最強の三銃士。お前ら帝国コンビはきっと火の大精霊さんとシューヤよりも遥かに強力でこの世に必要だと思うから、俺はお前のダンジョンコアを今ここで破壊するって――決めたんだ」




 既に勝利は確定した。



 ならばここからの姿は一挙一動、貴族らしく優雅にあろう。


 

 誰も彼を見ていない?



 いいや、彼だけは知っていた。 



 無人の荒野にひしめく、数え切れぬ程の精霊が己を見つめている。




星も見えぬこの闇にはじまりのかぜを願い事一つそらにねがう



 これはきっと、我儘で。



 あの未来を見たからこそ、考えるに至った一つの決断。



 ――貴様は危険だドラゴンスレイヤーッ! 我が祖国に仇なす者ならば例え人間としての全てを失おうともッ!



 アニメ知識を得た彼にだって分からない。



 ここで消えゆく男を救うことが、将来何を引き起こすのか。


 

 そんなこと誰にも分からない。



 嫌われ者として、誰からの記憶からも消えてゆく。


 

 自分たちは似た者同士、もしかするとそんな思いもあったのかもしれない。



 けれど、少年は決断したのだ。



曇天覆うこの空にくもりをてらす同じ景色をつよきひかり

 


 クルッシュ魔法学園を出ると決断したあの瞬間。



 デニングの家紋入りし杖を学園に置いてきたあの瞬間に。



 失って初めて気付くものがあると、実感した。


 

 だから。



「――どこまでもきまぐれなる自由なる大空をかぜをまとおう

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