Ⅴ 不敗神話の崩壊
205豚 不敗神話の崩壊 プロローグ
――見誤った。
もうどれだけ後悔しただろう。
この力は呪われている、そんなこと充分に知っていた筈なのに。
あの赤毛の少年から発せられた魔力を見た瞬間、ダンジョンマスターとしての力を行使せねば勝てぬと理解した。
しかし。
――浸食が激しい、意識がリッチに奪われてゆく。
北方に住まうダークエルフ達を追い詰めた奇跡の力。
力を使う度に意識から理性が消えていく。人としての心が消えていく。
あの香水の匂いが頭の中から離れない。ここ数日は日常生活の中でも急に意識を失うことが増え、右胸からは締め付けられるような痛みを感じる。
――そうか、あの香水は予兆だったのか。
物心付いた頃から生き物の影に怯えていた。
何故、自分が暗いダンジョンの中にいたのかは今でも分からない。
時折現れる不思議な力を持った人間達の影に震え、その姿を見ながら少しずつ自分の力を理解していった。
彼らが高位冒険者と呼ばれる者達だと知ったのは、モンスターの大群に圧倒されている彼らを戯れに助けたときだった。
そこで、知った。
自分は――人間だったのか。
人間に近い意思を持った、人型のダンジョンマスター。
冒険者ギルドに引き渡され、扱いきれぬとドストル帝国に預けられることとなった。帝都では見るもの全てが新しく、言葉を覚えるのに最も苦労した。
闇の大精霊と呼ばれる彼女の元で育ち、毎日をこの力をコントロールするための全てを注いだ。
最年少で三銃士と呼ばれる存在になった。
だが、気付いた。
この力を使うたびに、自分が人間とは異なる存在になっていくことに。
――この力は、私の人としての全てを奪う。
誰にも言えなかった。慕う彼女にも伝えられない。
こんな己を人間だと認めてくれたのは彼女だけ。
モンスターへと変貌する前に、人間として別れの最後を伝えたかった。
――六体のリッチ、奴らの力込められし戒めの鎖。
魔法込められし戒めの土鎖が三銃士の全身を覆っている。
ドストル帝国が誇る最強の一人は静かに瞼を閉じ、彼の世界は闇に包まれた。
――リッチも目ざといものだ、反逆の意思を感じ取ったか。
どれだけの時間が経ったのか。
意識は混濁し、もはや自分が何者なのかも分からない。
締め付けられるように右胸が痛い。己の体内にあるとされるダンジョンコアは全身を流れる血流に交じり己と同化している。
赤毛の少年に対抗するためダンジョンマスターとしての力を使った瞬間、心の大半がリッチに入り込まれていることに瞬時に気付いた。
そこからは己との闘いだった。
慕う彼女を守るために赤毛の少年の攻撃に抗い、リッチの浸食から脱するために心を強く保ち続けた。
あの赤毛の少年は想像通り恐ろしく強力な魔法を次々と放ってきた。途中で少年の様子が可笑しいことに気付いたが、どうすることも出来なかった。
リッチの精神浸食が激しく、途中からは自分が自分で無いような気さえも感じたものだ。
……。
そこでふと、違和感を感じる。
――リッチ共……いないのか?
己の身体を縛る魔法が弱まっている。
反逆の意思を感じ取ったリッチによって構築された手足を縛る土鎖、全属性の力が込められた捕縛の魔法。
それに亡者を蘇らすあの忌まわしき声すらも聞こえない。
――貴様らが前線に出て戦うとは、珍しいこともあるものだ。
リッチが前線に出ている。
それは死霊魔法を使う余裕も無いほどの敵が現れたという事実に他ならない。
――私の強化を行っている? まさか、それ程の敵が現れたということか?
腕には赤に輝いた幾何学的な模様。
光の魔法、強化の魔法陣が浮かびあがている。
銀の砂丘で生きるモンスターを蘇らせるダンジョンマスターとしての異能だけでなく、リッチは己にS級ダンジョンのダンジョンマスターとして相応しい力も与えていた。
――銀の砂丘を突破する程の者がこの地に現れたのか?
戸惑いと共に三銃士ドライバック・シュタイベルトが顔を上げれば――。
「…………ッ」
既に戦いの狼煙は上がっていた。
舞台は荒野、選ばれし者のみが立ち入りを許された無人のダンジョン。
北方を支配する超大国に生まれたドストルの奇跡にして闇の大精霊の最高傑作、
「――リッチ共ッ! ……一体、何が起きたのだッ!!」
見渡す限りの荒野が闇よりも深い黒炎に包まれ――燃えていた。
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