166豚 【火の大精霊エルドレッド】
暗闇の中で、燃え盛る陽炎の幻影を誰かは見た。
地平線の向こうまで続く赤土の上で、燃えるような赤毛短髪の少年が地に伏せた長い黒髪の少女を見下ろしている。
余りに一瞬の出来事で誰も反応することが出来なかった。
一気に加速し腹に一撃、ぶちぬいた。
見下すシューヤ・ニュケルンの下で少女はごぼっと血を吐き出す。もはや意識も殆どないようで、虫の息といって差し支えなさそうだ。
静かな沈黙が都市ユニバース入り口に集結した冒険者達を包み込む。
シューヤ・ニュケルンは今しがた倒した少女から視線を外し、瞳を激情の色に染め上げた一人の男と向かい合った。激昂している男の背の向こう側にはさっきまで傍にいた筈のアリシアや大勢の冒険者者の姿が見える。
そこで、シューヤ・ニュケルンはようやく気付いた。
(え? え? 何で俺、こんな所にいるんだ? え? ……あの闇の大精霊を、俺がヤッタのか? 何だこれ、声が、出ないっ!? 身体も動かない!! ―――……うそだろ……うそだろおい、嘘だろッ!!!)
少女と共にいた幽鬼のような男の周り、硬い赤土の上から次々と何かが蘇ってくる。顔が崩れているものいれな、片手が無いものもいる、共通しているのはそれがゾンビ種とされるモンスターであること。ダンジョン都市にいる冒険者からすれば見慣れたモンスターが次々と荒野の大地の上に姿を現していく。
シューヤは本能的な恐怖を感じぞくりと震えた。今すぐここから離れたいと願ったが、身体が言うことを聞かない。せめて視線だけでもあの異常な光景から外したいと思ったが、それも叶わぬ夢だった。
(帝国の三銃士、半人半魔の亡霊は不死の軍団を操るって聞くけどさッ! 嘘だろッおい嘘だろおい! 嘘だろッおおおおお”お”お”おお”おおお嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だよなあ嘘だろ嘘だろおおお嘘ろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ!!!!!)
シューヤは聞いたことがあった。
帝国三銃士の一人、ドライバック・シュタイベルトが持つ圧倒的な力。
六体のS級リッチと不死の軍勢。大陸北端にまで追い込んだ蛮族の末裔達の国をたった一人で攻め落とし、降伏させるまでに追い込んだドストル帝国の最強戦力。ダンジョンの奥地で見つかった少年は人間ともモンスターとも区別出来ない半人半魔へと成長し、亡者を引き連れて夜を支配する亡霊へと育ってしまったと聞いたことがある。
モンスターが蘇る。
ドライバック・シュタイベルトが佇む前方だけじゃなく、シューヤの左手からも、右手からも果てには背後までモンスターが蘇る不気味な音が聞こえた。さすがに空からはモンスターは蘇らないようで、シューヤは上空への意識を捨てた。
幽鬼のように白く、ぼんやりとした男が目を赤く充血させ、シューヤ・ニュケルンを睨んでいる。ドライバックの向こう側からは、こちらに向かって何かを叫んでいるアリシア達の姿が小さく見えた。
けれど、次第に壁のように増え続けるモンスターの屍にアリシア達冒険者の姿を隠されていく。
これこそ孤立無援だとシューヤは嘆く。余りにも絶望的な状況だった。
(俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない! さっきのは!! 俺じゃないって!!!!!!!!!!!!)
シューヤは否定したかった。叫びたかった。
皆に伝えないと、証明しないといけない。俺じゃない。俺はこんなことしない。俺がいきなり誰かを襲うなんてありえない。クルッシュ魔法学園でも格安で皆の悩み事を占いで解決してきたんだ。恋愛相談だって、お家騒動だって、ちょっとしたアルバイトの斡旋だって、平民メイドをモンスターから助けたことだってあるんだ。
そんな俺があんな酷いことを、例え闇の大精霊が相手でもするわけがないじゃないか! と己の不運すぎる人生を呪っていたその時だった。
【ッ……―――聞きなさい、にッ……操られてるッ……】
声が聞こえた。
頭に中に直接、ノイズの混じった誰かの声が聞こえたのだ。
【成功、つまり……ってこと……。今、あんたの頭の中に…………ている。それで……ちょっと―――さっきのあれはあんたの……ではないわね? ……このアタシが―――な……り得ないんだけど、一応確認…………、一応ね。内心は―――に……負けず……………………ってことを理解しときなさい…………痛ぁ】
超常現象だとシューヤは思った。
いつもなら、無視する。
だが、それ以上の可笑しな出来事が今目の前で起きているのだ。
不思議度で言えば、そちらの方が上だった。
ぼこぼこと土くれの中から蘇るモンスターを眺めながら、シューヤは答えた。
(あ、当たり前だ! 俺の意思じゃない! 本当だ! 今だって全然身体が動かせないんだ!!! あああ、やばいやばい!!! ドライバック・シュタイベルト! 帝国の三銃士が、完全に俺を敵扱いしてる!!! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああやばいやばいやばい!!!!!!!! 早く逃げないと!!!! 動け動け!!! 俺の身体!!! あああああああああああ)
その間にも自分の、シューヤ・ニュケルンの身体はまるで今から軽い運動をするかのようにストレッチをして身体を伸ばしているのだ。
意味が分からなすぎて、笑いそうになってしまった。けれどすぐさま真顔に戻る。
蘇ったらしいモンスターの中の一体がシューヤに向かって腕を振ったからだ。そいつは完璧な姿をしていた。ゾンビでありながら王冠を被り、身体には長い漆黒のローブを巻きつけている。
あれはモンスター図鑑の表紙を飾ることもあるモンスター、リッチだとシューヤはすぐに検討をつけた。S級に指定されるモンスター、リッチは永遠の命を求めた魔法使いの末路であり、生前には魔法を極めた優れた魔法使いであると言われていた。
(ああああああああ”あ”あ”あ”あ”あ”あああああああああああああああああああああああああああああああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ああああああ”あ”ああああああああああああああああああああああああ”あ”あ”あ”あ”あ”ああああああああああああああああああ死ぬぅぅぅぅぅぅううううううううううううううううううううううううううううううううううう)
【うっさ―――……。あー、それで……は……ね―――】
何かの魔法が幾つも自分に向かって射出され、暗い空を明るい色で染め上げる。
打ち手はS級モンスター、リッチであることはシューヤの視界でも確認出来た。
(嫌だあああああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ”あ”あ”あ”あ”あああああああああああああああああああ”あ”あ”あ”ああああああああ)
だが撃たれた魔法がこちらに向かってくる速度が早すぎて、反応して逸わすことも出来そうに無かった。いや、それも可笑しい話か。そもそも自分で自分の身体を動かすことが出来ないのだから。
自分に迫かって一直線に飛んでくる炎を凝視しながら、シューヤは絶望にかられた。
一体自分が何をしただろう。
俺の身体が闇の大精霊を一瞬でノックアウトしたことは事実だけど、それにしたって冒険者としてもようやく駆け出しを抜けたばかりの自分にあんなことが出来るわけがないだろう、いや、そもそも何でこんな所に帝国の大精霊と三銃士の一人がいるんだよ! とシューヤは自分の不運すぎる人生を再び呪い始めたその時、シューヤ・ニュケルンの身体は再び加速し、駆け出した。
(うわああああああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ああああああああああああああああああああ逆だってええええええええええええええええええええええええええええ何で突っ込むんだよ俺の身体あああああ”あ”あ”あ”あ”あ”ああああああああああああ)
シューヤの意思とは無関係に赤毛の短髪、シューヤ・ニュケルンは笑いながらモンスターの群れに突っ込んでいった。ジェットコースタが真上から一気に真下に落ちた時のように、ゼロから圧倒的に加速する。
「
燃える業火を纏った右手を振り上げ、シューヤ・ニュケルンはモンスターの中で動かないドライバック・シュタイベルトに向かって駆け出した。邪魔立てするモンスターはシューヤ・ニュケルンに触れることすら出来ず、焼け焦げていく。
「……ふうん」
地平線の先にまで続く荒野の中ではダンジョン都市の存在は余りにもちっぽけで、冒険者ギルドの面々は未だその戦いに加わる気配を見せない。
ユニバースに存在する唯一の
既に荒野には千を超えるモンスターが蘇りシューヤ・ニュケルンへと我先にと群がっているが、赤毛の少年は幽鬼との距離を時間と共に確実に縮めていた。
シューヤ・ニュケルンは一本槍のように速度を緩めず、玉砕覚悟と何ら変わりの無い特攻で詰めていく。シューヤ・ニュケルンの右手が赤く輝き、亡霊の身体を貫かんと勢いに乗った。壁のようなモンスターを殴り倒し、時には身体をぶつけ、シューヤ・ニュケルンは止まらない。
数歩先にまで接近を許した赤毛の少年に対し、亡霊はそれでも動かない。おぞましいモンスターが
「
ぶつかる二人の視線が火花を散らし、シューヤ・ニュケルンの皮を被った火の大精霊がニカッと笑った。
―――それでは荒野に佇む全属性の開幕といこう。
大陸南方に存在する自由連邦。
反逆ギルドと呼ばれる大商人達によって影から支配される中で、唯一彼らと対抗出来る一大勢力。冒険者ギルドが支配する街の住人は誰もが忘れていた。
突如現れた北方の大精霊、そして恐ろしい噂ばかりを南方に轟かせる北方の三銃士。帝国が停戦を求めた矢先にそれ見たことかとユニバースの事情通は声高に叫ぶ。
荒野に聳える二十四のダンジョンから次々とモンスターが現れる。倒しても倒しても湧き出るモンスターの大軍にダンジョン都市までもが巨大なダンジョンに囚われたかのような錯覚を与え―――もはや逃げ出すことも出来ない中で、彼らは考えることすら放棄する。
だから、冒険者ギルドの誰もが忘れていた。
ギルドマスターの演説から始まった狂想曲、太陽が沈む前にはあれ程話題をさらったドラゴンスレイヤーのことなど帝国の三銃士出現の前には塵となり、ダリスの若き龍殺しも世界最高の力を持つとされる帝国の国堕としの前には霞んでしまった。
【あんたはね―――
それでは、宿にいたシューヤとアリシアの元にギルドマスターの使いを名乗る冒険者が現れる所から始めよう。
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