149豚 真っ白豚公爵、大精霊を放り投げる

 夏から秋へ。

 季節の変わり目を感じさせるぬるま湯のような風を肌に感じながら建物と建物の間を縫うように移動する。


「ぶっひ、ぶっひ、ぶっひっひー」


 こんな時間にやっているお店もあるわけもなく、ついでに俺はお金を1ヱンたりとも持っていない。あの冒険者から奪ったお金は全額シャーロット銀行に預けてるからな。

 長い時を生きたのだろう古い木々の匂いを吸い込んだ風が吹く。

 珍しく好意的な闇の精霊さん達が色々なことを俺に教えてくれる。


「ぶっひ、ぶっひ、ぶっひっひー……へえ、そうなんだ。意外だな。でもいいのか? 俺にそんなこと教えちゃって」


 俺が彼らの親玉である大精霊さんの敵じゃないことを理解したのか、ナナトリージュのマル秘情報をもらっていく。

 精霊から愛されし全属性エレメンタルマスターなんて言われてるけど、闇の精霊とは今まで余り会話をしたことは無かった。

 

「受付のおっちゃんが寝てる今がチャンスってことか……」


 …………。

 よし、今だな!


「ぶぶぶぶぶ! ぶぶぶぶぶ!」 


 ダッシュだ!

 開けっ放しにされたままの扉から一気に宿に入り、受付の奥で立ったまま寝ているセイウチみたいなおっさんの前を一目散に通り過ぎる。


「ぶぶぶぶぶ! ぶぶぶぶぶ!」


 ふう、ミッションクリアだぜ。

 後は宿の階段をゆっくりと上がりながら戻るだけ。

 抱える悪魔っ子に振動が伝われないように慎重に歩いていく。

 何せ、この闇の大精霊さん。眠る前は振動を与える度に俺を睨み付けて、舌打ちをしてくるのだ。

 余りの性格の悪さにこれから先が思いやられるってもんだ。


「ってあれ、これからはもしかして大精霊さんの食費とかも考えなくちゃいけない?」 


 足が止まる。

 現在、シャーロット銀行に預金してあるお金は15万ヱンぐらいだったかな。

 これは俺とシャーロット二人で一ヶ月ぐらいは生活できる額だ。でも心もとない。何せ俺達は無職だ。無職中の無職だ。

 金を稼ぐ手段が無い。

 さすがに冒険者から盗むのも忍びない。でもA級冒険者のシューヤの師匠は別だ。あいつのせいで俺の計画が破綻するところだったからな。

 有り金は全額奪ってやったぜ。ぶっひっぶひぶっひ。


「もしや俺の食費が削られる可能性もあるのか? それは困る……ぶひぃ」


 デニングにいたときはお金の心配なんてしたことが無かった。

 何せデニングはダリス一の大貴族。

 黒い豚公爵として暴れ回っていても欲しいものを言えば何でも手に入った。

 まあクルッシュ魔法学園で黒い豚公爵さんをやっていた黒い豚公爵後期時代はお前にそんな金は必要ないだろ! いい加減にしろ! ってお叱りの手紙がちょくちょく来てたけどさ。


 ”スロウ・デニング。強い風を感じる。もしやこの先に―――”


「ああ、君達の想像通りさ。てか、そういうの分かるんだな闇の精霊は。……風の精霊とは大違いだねまじで」


 ”スロウ・デニング。風の精霊と我らを一緒にするな―――”


「悪かった悪かった。ったく、一体どんな風に思われてるんだよ風の精霊は」


 でもどうしてかなあ。

 何だかいやに闇の精霊たちに懐かれてしまったぞ。

 彼らはどうやらかなり闇の大精霊さんのことを心配しているらしい。

 ほんとに風の大精霊さんと風の精霊達との関係とは大違いだな。風の精霊達はアルトアンジュに呆れてる節があるし。


 ええい、お金のことについてはまた今度考えるとしよう。

 そーっと扉を開けて部屋の中を見つめる。

 閉められたままの窓。お世辞にも清潔感溢れているとはいえないベッドには俺が部屋を出た時と違って誰も寝ていなかった。


「あ、スロウ様。おかえりなさい。あのこれ、見てください、アルトアンジュ様が遊んでるみたいです!」


 椅子に座るシャーロットの周りには幾つもの器がふよふよと空中に浮かんでいた。

 風の大精霊さんはシャーロットの頭の上に乗っかっている。どうやら二人で遊んでいたらしい。


「相変わらず風の大精霊さんは遊ぶことには余念が無いね。ほら念願の実体化させてやるよ。だからこの先、事を荒立てないでくれよ。変幻チェンジ


 闇の大精霊さんと出会ってすぐに闇の魔道具に魔力が補充されていたことに俺は気付いた。論理はよく分からないけど、さすがはブラック悪魔な闇の大精霊さんといっていこう。

 あ、シャーロットが頭の上にアルトアンジュがいることにやっと気付いた。


「あれアルトアンジュ様。そんなところにいたんですね…….ってそれよりスロウ様! その女の子どうされたんですか! それにあの……何で服着てないんですか……?」

「これは深い理由があるんだよシャーロット」


 シャーロットは俺に釘付けだ。

 当然だよね。

 半裸で謎の女の子を抱いてるからな。


「ぐうう~~」


 ……おっと、失礼。

 これは俺のお腹の音だ。

 机の上に置かれている料理を見て思わず腹の虫が鳴ってしまったのだ。

 どうやらシャーロットがちょっとしたご飯を作って俺の帰宅を待っててくれたらしい。

 

「えーと。話さないといけないことは色々あるんだけど、その前にそれ食べていい? …………あー、無理そうだね。……もしかしてこれやばいかも。……シャーロット、ゆっくりと椅子から立ち上がって部屋の隅に移動してくれ。出来るだけ速やかにでお願い」

「え? あ、はい……あの。どうしてですか?」


 シャーロットが俺の言うとおりに部屋の隅に避難してくれる。

 俺も同時に扉を開いたまま、部屋の外に後ずさる。

 シャーロットの頭の上から飛び降りて、ふよふよと浮きながら俺達をがん見している黒猫を刺激しないように、ゆっくりと後ずさる。


「えーと。アルトアンジュ、突然連れてきた俺も問題ありだけど―――」


 こちらを見つめるアルトアンジュの目が細まり、瞬時に溢れる濃密な魔力の気配。

 予想的中―――。


「にゃあああああああああああああああああああああああああああああああ何でナナリーがそこにいるにゃあああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああ」


 風の大精霊さんが放つ風が部屋の中をメチャクチャに荒らしていく。

 シャーロットが作ってくれたご飯ももう滅茶苦茶だ。

 アルトアンジュが放つ魔法は全てが俺が抱える少女に向かっている。


「―――俺のご飯が……ぶっひぃぃぃぃぃい…………………………」


 飼い猫から野良猫へと変貌を果たした風の大精霊さんは全身の毛を逆立てて、闇の大精霊さんへと真空の刃を飛ばしてくる。


 ”スロウ・デニング! この場を退け! 我らが姫はダウンしている! この場で戦っても風の大精霊には勝てない!”

 ”風の大精霊は姫を恨んでいる! それが奴の勘違いだと伝えても、かの風は聞く耳も持たぬだろう!”


 おうおう。闇の精霊さん達が慌てている。

 らしくないなあ。

 いつもはニヒルにクールに無口を気取ってる癖に、闇の精霊さん達は闇の大精霊さんのことが余程大事に思っているようだ。

 つーか、何で闇の大精霊さんが何で姫?

 俺的に悪魔のほうが似合ってると思うんだけど―――


「―――安心しろ闇の精霊。君達の姫は俺が守るよ」


 そう言って、俺は抱えていた闇の大精霊さんを宿の廊下の硬い床に放り投げた。

 どすんと嫌な音がして、「あ、あいたっ! な、何なのよ! 一体! ……おえええ」って不吉な呻き声も聞こえたけど……緊急事態だから仕方ないよね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る