148豚 全属性の白と黒

「命あっての冒険者稼業だ! 悪いが俺は逃げるぞ! こいつらは夜の間は不滅だ! 闇の魔法使いか、光の魔法使いでもいないと殺しきれない!」


 ドクンドクンと波打つ俺の鼓動とは対照的に、左腕で支える彼女はどこまでも冷たく弱弱しい。もしかして血が体内に流れていないのかもしれないなんて想像が頭の中に浮かぶ程だ。


 それでも俺は右手のてのひらから冷たき闇の大精霊さんにヒールを掛け続ける。

 暴れていた俺の脈動がトクントクンと収まっていく。闇の大精霊さんの魔法、洗脳の効果が静まっていくのと比例しているかもしれないな。


「おい待ってくれ! 俺も離脱する!」

「あ、こら! それでも冒険者なんでしょう! 金を貰ってるんだからしっかりと働きなさい! それに亡者如きに怯えるなんてそれでもB級冒険者なの!?」

「こんなにモンスターが出てくるなんて聞いてないぞ! それに厄介な奴らもチラホラと混じってる! 夜の時間に闇の眷属まで出てくるなんて想定外だ!」

「亡者は執念深い! こいつらは群れをなし、一度目をつけた相手をどこまでも追い続ける! 少なくとも夜の間に相手にするべきモンスターではない! 一旦引くぞ!」


 風のように森の中を駆けながら、冒険者達の怒号を聞いていく。

 この暗い空の下で多くのモンスターと対峙しているのだろう彼らの焦りが空気に伝播する。

 光の魔法で強化された視界。モンスターの屍の数はさらに増えているようだった。

 あのモンスター達は国境付近のダンジョンから出てきてるっぽいな。


「まずいな……まだ彼らは気付いてないけどあそこにいる亡者の群れとかち合ったら全滅は必須。おっと、このままじゃ犠牲者第一号が早速出そうだな」


 鬼の形相で必死に剣を振るっている青年の背後からモンスターの群れが迫っていた。

 A級モンスターに分類される吸血鬼ヴァンパイアのなり損ない。

 亡者の群れだ。

 後ろのほうには亡者が進化を果たしたモンスターの姿までも見えた。


「もしかすると君の存在がダンジョンの闇の眷属達を引き寄せているのかもしれないな」


 今なお荒い息を吐き続けている大精霊ナナトリージュに声を掛ける。

 アニメの中ではなりふり構わず死の大精霊の卵を求め続け、泥沼化していった戦争の一因を担っていた大精霊。

 六大精霊の中で唯一、常に実体化しているアニメ「シューヤ・マリオネット」のボス。

 だけど今はその面影はどこにもない。

 外見年齢、推定8歳。

 長い黒髪が、顔に張り付き苦しそうに唸る整いすぎた顔の大精霊さん。俺が掛け続けていたヒールが止まったからか、ちらりと目を開け亡者の群れを視界に収める。


「……ヒールを掛け続けなさい、っていつのまに服脱いでるのよ。気持ちわるッ」

「口が悪いなあ、闇の大精霊さんは。誰が俺の服目掛けてゲーゲー吐いたと思ってるのかな―――」

「―――うわ、うわあああああ! 亡者の群れだ! おい! 何を呑気に見てる! 逃げるぞ!」


 冒険者達の声が俺の焦りを加速させる。

 けれど、うーん。

 どうやって彼らを助けようか。

 少なくとも、今この姿を見られるわけにはいけないからな。

 上半身は絶賛裸で、異国の少女を誘拐中だ。

 今度は悪い意味で指名手配されてしまうかもしれない。いや、今ももしかしたら悪い意味で使命手配されてるのかもしれないけどさ。


「……ち、アンタが立ち止まった原因はあれね。あんなモンスターの群れに怯えるなんて南方の冒険者は質が悪いったらありゃあしないわ」

「そりゃあ日常が戦いばかりの北方人と比べたらな」

「……ふん」


 ナナトリージュがこちらに向かってきていた亡者の群れに指を振るう。それだけの動作で亡者の群れが次から次へと地面に還っていく。

 うわ、すげえ。

 一体、どんな魔法使ったんだろう。それよりまだ余力があったのか、やっぱり大精霊なんて存在は俺の想像を超えてくるな。

 俺の興奮とは裏腹に大精霊さんは顔を顰め続ける。


「うぅ……また気持ち悪くなったわ……。ほら……これで良いでしょ、さあヒールを掛け続けなさい。じゃないと殺すわよ……」


 むむ……。

 最近、俺のことを全自動ヒール発生装置だと思ってる奴らが多すぎないか?


「はいはい、ヒールヒール」

「まだ……気持ち悪いわ……何なのよ魔力切れって……こんなの初めての体験よ、……全部アンタのせいだわスローデニング。アンタが素直に洗脳に掛かっていればあんなに魔力を使うことだって無かったんだから」

「魔力切れ。正式名称は魔力による……何だったかな。というか俺が素直に洗脳に掛かっていればってそれじゃあ俺が死んじゃうじゃん。それは困る」


 亡者が突然消えたことに呆気に取られているらしい冒険者達から距離を取りながら、国境沿いの森の中にいつのまにか出来ていたらしい村に向かう。

 

「それよりありがとう大精霊さん。彼らを助けてくれて」

「はあ? 助けたんじゃないわよ。アンタがヒールを止めるからよ」


 先ほど見た大精霊さんの魔法操作。

 百を超える亡者が溶かされるように地面の土へと還っていった。それを何ともないことのように言ってのける小さな闇の魔法使い。

 人間など及ぶべくもない破格の力を行使した彼女は魔法を使ったことでさらに気持ちが悪くなったらしい。


「アタシにとっては人間が死のうが死なないがどうでもいいわ。ほらっ、ヒールを掛け続けなさい。それよりさっきは何で洗脳が効かなかったのよ」


 そんなナナトリージュが極めた闇の魔法の極地も俺には効かなかった。

 だけど、闇の大精霊さんの洗脳の魔法は確実に俺に届いていた。


「それに何よ、その涼しげな顔は……アタシが誰だが分かってるの? 帝国をあそこまで育て上げた大精霊よ、アタシは」


 最初はちょっと洗脳に掛かった振りをして大精霊さんに近づき、死の大精霊の卵を餌に駆け引きを楽しもうと思っていたのだけど闇の大精霊さんは最初から全力で魔法をうってきた。

 その力は俺の想像を遥かに超えていた。

 例えるならそう。俺がクルッシュ魔法学園を襲った黒龍セクメトを空から撃墜する際に使った魔力を常時放出しているかのような、とんでもない魔力を用いた洗脳だった。

 

「それはお互い様だ大精霊さん。君だって俺に対して警戒心とかは無いんだな。これでも俺はちょっとばかし強いって自覚があるんだぜ?」

「警戒? ……笑わせないで。この距離にまで近づいた時点でアタシはいつでもアンタを殺せるわ。今はヒールを使えるからって理由だけでアンタを生かしてあげてるのよ。ただの人間がアタシの心配なんてよくそんな妄言が吐けるわねスローデニング」

 

 幾ら魔法耐性が強くても、あの時、俺は負けたと思った。

 ぐらつき、抵抗出来ない。

 ヤバイ、これは、ヤバイ。

 こんなものに抗い続けていた帝国の王様はすごい、なんて思う心の余裕も一瞬で消え失せる。意識がぼやけ、自分が何者か思い出せない。

 魔法に飲み込まれる。

 これが闇の大精霊の本気、息をするのも忘れそうになるその時だった。


「……可笑しな人間ね。長い時を生きてきたけど、このアタシを前にして余裕ぶれる人間がいるなんて……それにアタシの―――」


 心臓の鼓動はもういつものように、落ちついたものに戻っている。

 けれど、あの時は―――ドクドクン、と。

 ナナトリージュの強力な魔法は、俺の中に未だ燻っている真っ暗さん昔の俺が受け止めていた。


「―――洗脳が効かないなんて」

「ぶっひっひ。俺は特別なんだよ、闇の大精霊さん」

「そうね、認めてあげる。アンタは特別な人間なようね。長い時を生きてきたけど、走りながらぶひぶひ言う人間なんてアタシも初めてみたわ」

「……ぶひぃ」


 至近距離でナナトリージュは俺を見上げる。

 理解出来ないといった感じで俺の内面を見透かそうと大きな瞳を絞り、見つめる。


「とりあえずアンタには聞きたいことが幾つかあるわ。死の大精霊の卵もそうだし、色々よ」

「君がご所望している卵はあげるさ。ここまで来てくれたお駄賃ってところかな」

「お駄賃……このアタシにそんな言い方が出来る人間がこの世にいるなんて思わなかったわ。アンタ……この魔力切れってのが治ったときを覚えときなさいよ……うぅ……」


 闇の大精霊はしかめっ面のまま、ゆっくりと瞼を閉じていく。

 最初は暴れていたけれど、俺に触れられているという不快さを魔力切れによる悪寒が上回ったらしい。

 

「今度は本当に眠ったか……それにしても軽いな闇の大精霊さんは、ちゃんと食べてんのかな。アニメの中ではそこまで描写されていなかったしな」


 

 月明かりに照らされて、ひっそりと森の中に立てられた村が見えてくる。

 自由連邦と皇国の国境沿いに作られた冒険者達の仮宿だ。並んで建てられた幾つもの建物の二階にシャーロットとアルトアンジュが待っている。まあ寝てるんだろうけどね。


「ふぅ……」


 問題解決と思いきや、問題はむしろこっからなんだよなあ。

 アニメの中では火の大精霊や光の大精霊から嫌われていた闇の大精霊さん。

 出会い頭のどんぱちだけは勘弁してほしいもんだぜ。


 でもその前に。


「まず服着ないとな……どんな変質者だよ、俺……」


 このままでは、風邪を引いてしまうに違いなかった。

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