第13話 語り手の領域
語り手の領域 1
拘束され、防毒マスクを奪われた俺は乱暴に転がされる。
真っ白になった頭の中には、打ち付けられた痛みもどこか
床の木目をぼんやりと見ていると、耳の中に笑い声が飛び込んでくる。
「よく出来たわね。こより。どうせならこいつも固めちゃってよ」
少し遅れて、女の子の苦しそうな声が聞こえてきた。
「もう、無理……なの」
「ま、いいわ。どうせ一人じゃなーんにも出来ないんだし」
その言葉は俺の胸を鋭くえぐる。一時の衝撃が過ぎると、体の痛みも急速に増してきて、現実から目を
どうしたらいい? ――どうしたら。
繰り返される問いへの答え代わりに
もう、俺しか残っていない。それは曲げられない事実。
何ができるかなんてわからなかったけど、何もしないまま終わりになるのだけは絶対に嫌だった。
首をゆっくりと動かし、視線を上げる。歪んだ笑みを浮かべる二人の男と、ベッドの上で布団を被り、怯えた目を覗かせる女の子の姿が斜めに見える。
「何だ? その目」
「――っ!!」
体は床を滑り、近くの柱に叩きつけられた。顔と背中を打ち、痛みと息苦しさが襲ってくる。咳き込む俺を、男はまた
「可哀想じゃない、やめてあげてよ」
店長もそう言いながら、けらけらと笑う。
俺は
これじゃ駄目だ。ちゃんと考えないと。
でも頭の中がぐちゃぐちゃで、何を考えたらいいのかすら正直わからない。とにかく何かヒントになることはないかと記憶の中に手を伸ばし、
――その指先に引っかかったのは、何度も聞いたギターの音だった。
”Spinner's Song”。――『
おおがらす、
俺は何度かその単語を脳内で繰り返した。そこで気づく。単純なことだった。
歌詞に登場する『紡ぎ手』は四人。でも、ここにいるのは三人。あと一人は一体どこへいったんだろう。
ここには来ていないだけなのかもしれない。――いや、そもそも何故、あの歌詞の中にわざわざ暗号みたいにして名前が忍ばせてあったのか。
――もしかしたら。
ゆっくりと顔を動かし、もう一度視線を上げると、そこにはこちらを見下ろす店長の顔があった。
「あんた、そろそろ
冗談じゃない。
心の中ではそう言いながらも、実際に俺がしたことといえば、ぎりぎりと奥歯を噛み
前方は店長に
俺の迷いをどう取ったのか、店長は笑い含みの声で続ける。
「あんたは物語を面白くして、力を強くできるらしいじゃない。
ふと。
その言葉が、記憶を刺激した。俺の中で、ばらばらだったものが一つにつながったという感覚が生まれる。
ああ……そうだ。そういうことなのかもしれない。
俺は店長を無視し、部屋の中をひたすら見回した。
「おい」
すると香害男がイライラと近寄ってきて、また俺を
「――っはっ!」
抵抗も出来ず、口から声にならない声が漏れ出した。胸の辺りに鋭い痛みが走り、思わず反対側へと芋虫のように転がる。目の端には涙が滲んだが、それをこぼさないようにまた奥歯に力を入れ、目の前の柱をにらみつけた。
「もうそれくらいにしなよ。こよりが怯えるでしょ」
「だってよ、ムカつくだろコイツ。いい気になりやがって」
二人の会話と、防毒マスクがぐしゃりと潰れる音を背中で聞きながら、俺は部屋の全体像を思い浮かべる。
上手くいくかどうかはわからない。チャンスはきっと、何も出来ないと思われてる今の間だけ。
体の痛みだけじゃなく、鼓動も速まり、呼吸が苦しくなる。
落ち着け――落ち着け俺。イメージ。イメージが大事だ。
繰り返し繰り返し自分に言い聞かせながら、意識を壁に
所々ささくれ立つ、木の
『
立木も確か、そう言ったんだ。
流れで納得しちゃったところがあるけど、思えば最初から、違和感があったんだと思う。
語り手は、必ずしも話を面白くしたりはしない。それは俺が、身をもって知っている。
「――ゃっ」
「こより、どうしたの?」
小さな悲鳴が聞こえた。手ごたえを感じると同時に、もう後戻りは出来ないという思いが
余計なことを考えてる
「ゃっ――やめて」
彼女の声が恐怖に歪んだ。
影の手はベッドを揺さぶり、真っ白な羽根布団を
「いやっ! いやぁっ!」
暴れるようなばたばたという音。布団を頭からすっぽりと被ったのか、悲鳴がくぐもる。俺のイメージの中だけではなく、ベッドも家具も実際に揺れ始め、にわかに部屋の中が
「どうした!? 何が起こってる!?」
「こより! しっかりしなさい! ――これ、あんたがやってんの!?」
――気づかれた。
足音が迫り、肩を掴まれる。でも、ここで集中を切らすわけにはいかない。
俺は目の前の壁を
「ふざけんなクソガキが!」
今度は別の声。俺は体を
「てめぇ――なっ」
「どうしたの
「急に……力が」
へなへなと座り込んだ男を店長が支えた。それと同時に、部屋の揺れがぴたりとおさまる。
迷うな! ――俺は自分を叱りつけ、影の手を分散させた。頭がきりきりと痛んで
――が。
「――ぐっ!」
二度目の壁への激突。
一瞬息が止まったが、すぐに顔を上げて前を見据える。突き飛ばしたのは、ノーマークになっていた店長だった。俺は荒い息を立てながら、香害男の姿を探す。
目が合うとヤツは、にやりと笑った。その不気味さに背筋がぞくりとする。
――まだ
「くっ――」
ずきり、と胸が痛む。集中が途切れ、イメージは一瞬にして
そして、襲い掛かってくる強烈な眠気。
「うわあああああああああああっっっっ!!!!!」
俺は目をかっと見開き、大声を張り上げながら必死の抵抗を試みた。
しかし、石でも乗っけられたんじゃないかと思うくらいに
ああ。
ああ――ここまでか。悔しいな。
「おやすみ」
その言葉に、沈んでいこうとしていた意識が、少しだけ引き戻された。
「――『おおがらす』」
細く開いた目には、まだ新しいスニーカーが色鮮やかに飛び込んで来る。動きやすいのを探してると言われて、みんなで一緒に買いにいったやつだ。どれがオススメかで三人が揉めて、結局全く違うのが選ばれたんだ。つい最近の記憶さえ、とても懐かしく感じる。
――
浮かんだ名前は、胸の中へと温もりを広げていった。
「こより! こいつらをもう一度固めなさい!」
女の子はひたすら
店長の声は、さらにヒステリックに高まる。
「泣いてる場合じゃないんだからね! あんたが術を解いちゃうから悪いんでしょ!? こいつらにやられちゃったら、もうパパに会えなくなるのよ! こより!」
和葉さんは向こうと俺とを交互に見ながら、どう動くべきか迷っているようだった。
「……こよりちゃん」
俺は意を決して言う。喉がひりついて、声が出にくい。胸もまた、ずきりと痛んだ。
「こよりちゃんのパパって、
彼女は
「パパのこと……知ってるの?」
思ったとおりだった。俺は無理にでも笑顔を作ろうとする。
「知ってるよ。俺、パパが作詞した歌、大好きなんだ。パパの歌が、俺たちをここまで連れてきてくれた」
「ほんと……?」
「ホントなわけないでしょ! あんた、パパに会えなくなってもいいの!? パパにもあたしたちにも守ってもらえなくなって、能力まで使えなくなって、ここから出て一人で生きていけるの!?」
店長の言葉に、こよりちゃんの顔がこれ以上ないというくらいに青ざめた。
これまでもこうやって
「こいつらが本当の悪い奴だよ! こよりちゃんとパパを騙してたんだ! 俺たちなら、君とパパを会わせてあげられる!」
確証はなかったけど、確信はあった。店長はそんな俺を
「役立たず! じゃああんた一人で勝手にすればいいわ! さっさとドアを開けなさい!」
強い口調で命令され、こよりちゃんはびくりと体を震わせた。和葉さんが行く手を
まだ残っているカーテンの向こう、ベッドの斜め後ろにはいつの間に現れたのか、小さな扉。
――しまった、ここはそもそも普通の空間じゃなかったんだ。
和葉さんは急いで茨を向かわせるが、間に合わない。
逃げられる――そう思った時、店長が扉の手前で、突然派手にすっ転んだ。
誰もすぐには動けずにいる中、カーテンがゆらりと揺れる。
「俺のことも忘れてもらっちゃ困るな」
「あんた――!?」
「渡部!」
それは確かに、渡部その人だった。眼鏡の奥の瞳は、
そしてもう一人。
「『うつばり』は、ここの二階の部屋に閉じ込められてるみたい!」
「まなちゃん!」
立木も元気に手なんか振ったりしながら、カーテンの陰から出てきた。もう一方の手に握られた古めかしい手鏡には、どこかの部屋の中、力なくうなだれる男の人の姿が映し出されている。
「いい? パパを閉じ込めたのはあたしたちじゃない、こいつらだからね!」
「パパ……!?」
鏡を見せられたこよりちゃんは、目に大粒の涙を浮かばせ、それからぎゅっと唇を
「そ――そんなのトリックよ! インチキ、マジック、手品なの! テレビで見たことあるでしょ!? 騙されないで、こより! ずっとあたしたち、仲良くしてきたじゃない!」
店長はこよりちゃんを必死で説得しようとする。出て行くはずだった扉は、元通りただの壁になっていた。
「こより、ドアを開けて! 早く! お願い!」
でもそれに返ってくるのは、涙と不信感をいっぱいに
足下からじわじわと黒い色が
「やめて、こより! ――やめろ! 放せ!」
その言葉は誰にも届かない。止めたのは、和葉さんだった。
「こよりちゃん。後は私の仕事だから大丈夫。ね?」
目を見張る彼女に微笑み、和葉さんは泣き叫ぶ店長の周囲につむを刺した。
「おやすみ。――『千匹皮』」
白い繭が、それでも優しく全てを包み込む。
消えた後には、穏やかに寝息を立てる女が横たわっていた。
ようやく、ほっとした空気が部屋の中を満たす。視線が交差し、自然と俺のところへ集中した。
「たかやくん!」
和葉さんが慌てたようにやってくる。立木も、渡部も。
その姿は魚眼レンズを通して見たみたいに不思議に歪んで、ふわふわとしていた。
「今、縄ほどくからね!」
「しっかりしろよ!」
声が耳の中で反響して聞き取りづらい。手足も、胸の痛みも、じんじんと
体に触れる手のぬくもり。乱暴に肩を掴まれた時とは全然違う。その温度がとても心地よくて、嬉しかった。
和葉さんが何かを言っている。――和葉さん、泣いてるのかな。それとも、泣いてるのは俺なのか。和葉さんも、立木も、渡部も、みんなさらに顔がぐにゃぐにゃになって、まるで変なキャラみたいだ。それが妙に可笑しくて、俺は笑おうとして。
そのまま、意識を失った。
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