第12話 Spinner’s Song

Spinner’s Song 1

渡部わたべ!」


 思わず大きな声をあげてしまったが、もちろんそれが届くはずなんかない。

 俺は窓に張り付いたまま、すでに速いスピードで流れている景色を呆然ぼうぜんと眺める。

 我に返って携帯を出し、電話をかけてみた。コール音は鳴り続け、やがて留守電になる。


「くそっ、何なんだよあいつ!」


 隣の駅までは五分程度のはず。仮にすぐ電車が来て戻れたとしても、行方をくらますには十分な時間がある。


「たかやくん」


 その時、和葉かずはさんが小さく言って俺のTシャツの袖を引っ張った。顔を向ければ、彼女の肩越しに沢山の好奇の視線が。

 俺は戸惑った顔のまま、別のドア付近まで引っ張られていく。


「今は落ち着こう?」


 和葉さんは、まだこっちを見ている周囲を少しだけ気にしながら、穏やかに言った。

 そこにはさっきまでの無理をしたような雰囲気は全くない。感化されたように、俺の気持ちも落ち着いてきた。


 今電車の中で騒いだところでどうにもならないのも確かだ。小さく頷けば、ほっとしたような微笑みが返ってくる。


 ――しっかりしろ。


 そう自分に言い聞かせると、ぐっと拳を握り締め、俺はもう一度窓の外を見た。


 ◇


 次の駅ですぐに引き返し、再びホームへと降り立つ。

 幸い電車はすぐにやってきたから、時間のロスは大したことはない。でも、渡部が待っていてくれたりも当然しなかった。

 さっきよりも人が少ないホームは広々として見える。スマホはついに電源が切られたらしい。


 立木たちきの時と同じだ。何でこんなことになってしまったのか、さっぱりわからない。


 和葉さんと一瞬顔を見合わせてから、階段へと急ぐ。下りながらも、そして下りてからも、行きかう人たちの中に見慣れたシャツと眼鏡を探したが、それらしき姿は全く目の中に飛び込んでは来なかった。

 代わりに改札の窓口にいる眼鏡の駅員が目に留まり、俺は吸い寄せられるようにそっちへと向かう。


「すいません」

「はい」


 まだ若い駅員は、渡部とは似ても似つかない優しげな目でこっちを見る。


「あの、ここ――十五分くらいの間に、白いシャツ着てメガネかけた人、高校生なんですけど、通りませんでした?」

「はぁ……いたような、いなかったような」


 面食めんくらったような駅員に、それから先、何と聞いたらいいのかわからない。

 あいつは連れ去られたわけじゃなく、自分から歩いていった。よっぽど挙動不審ならともかく、普通に通ったなら注目なんかしてないだろう。


「じゃあ……」


 カメラの映像とか――と言いかけて、俺は口をつぐむ。そんなのあったとしても、一般人に見せてくれるわけないじゃないか。


「すみません、ありがとうございました」


 和葉さんが横から言って腕を引っ張る。駅員は訳がわからないという表情のまま軽く頭を下げ、ICカードを指差しながらやって来たおばさんに対応し始めた。

 俺たちは行きかう人を避け、ひとまず端っこの方へと寄る。


「この改札を通ったとは限らないよね。それに……私たちが行った後、引き返すことも出来る」


 それはそうだ。俺たちが見ていない間、ヤツがどう動いたかはわからない。


「うん……でも、どうすればいいんだろう」


 それきりお互い言葉が出なくなり、ただ時間が過ぎようとした時、ポケットの中で震えながらスマホが鳴った。俺は急いでそれを引っ張り出し、目の前へと持ってくる。

 しかし、そこに出ているのは、望んでもいない名前。


「……どうしたの?」


 緊張した面持ちで見守っていた和葉さんが聞いてくる。その間にも着信音は鳴り続けた。


「いや……姉貴からで」


 何でこの大変な時にどうでもいい用事で電話してくるかな。

 いや、どうでもいいかはわからないんだけど、絶対どうでもいい用事だと思う。

 そのままぼんやり画面を眺めていると、やがて留守電に切り替わった。――が、メッセージが入った形跡もなく、すぐにまた電話がかかってくる。相変わらずしつこい。


「出たほうがいいんじゃない?」

「いや、でもさ」

「大事な用かもしれないし、何か――二人を探す手がかりが見つかるかもしれないし」


 大事な用ってことは一切ないとは思うが、言われてみれば、姉貴の情報網はバカに出来ないかもしれない。

 祭りの日は会いたくない一心でびくびくしていたけど、あの時にも本当にうろうろしてて、立木のことも目撃してくれてたらいいのにと無責任なことを思う。

 俺は少しだけ迷ってから、二度目の留守電に繋がる前に電話に出た。


『ハロハロー! マイブラザー?』


 うわ、テンションたけぇ。

 耳に当たるでかい声に、俺は思わずスマホを遠ざける。


『何の用だよ』


 ついイラッときて、抑え込んだ感情が漏れ出してしまう。こっちはそんな気分じゃないのに。


『あららー? もしかしてまなちゃんと一緒かな?』


 ――ハズレだ。

 俺は、大きく溜め息をつく。

 それをどう取ったのか、姉貴は『ふーん』と言ってから話を続けた。


『この前さ、あたしに用事があるって言ってたらしいじゃん』


 うわ、やっぱり激しくどうでもいいことだった。――いや、実際用事があったんだけど、何もこのタイミングじゃなくても。

 今はそれどころじゃない。だが、変な切り方をすると余計に食い下がってくるのが目に見えていたので、俺はさっさと会話を打ち切る方針へと変えた。


「あー、えっと……俺、ばあちゃん家から持ってきた童話全集がどうしても頭に入らなくてさ。何かきっかけがあったような気がすんだけど、何だったかなって。姉ちゃんなら何か知ってるかと思って」

『ああ――はいはいはいはいはい、おねーさんに任せなさい』


 ふつふつと湧き出してくるイライラをぷちぷちと潰しながら、俺は黙って次の言葉を待った。


『おばあちゃんね、あたしたちのために張り切って童話全集買ったらしいんだけど、読むのがすっごくヘタでさぁ。タカは小さい割に空気読むっていうか、大人しい子だったから、あたしが逃げた後もずっと我慢して聞いてたみたいだけどね。あんまり我慢しすぎて、熱出しちゃったりとか。あはは』


 あははじゃねーよ。

 でも、それだけでストンと、もやもやしたものが文字通りに落ちた感覚があった。


『おとこ、は……ぐっすり、ぐっすりーねむって、しまいしまい、ま……した』


 あの声は、昔のばあちゃんの声だ。

 よっぽど読み聞かせが苦手だったのか、上手く読もうとして緊張したのかはわからないけど、とにかく噛み噛みで抑揚もなく、必死すぎて、人に聞かせようっていう気が全くないような感じで、話の内容も全くわからないし、だからワクワクドキドキもするわけないし、恐ろしくつまらない時間だった。

 妙な突っかかり方や、予測の出来ない読み方をするから、寝てしまうことすら出来なくて。

 でも、ばあちゃんが俺たちのために一生懸命やってくれてるっていうのは子供ながらに理解できたし、物語はつまんなくても、必死なばあちゃんの様子は時々――本当に時々だけど、面白かった覚えがある。


『そういう事情もあって、タカは童話が苦手になったみたい』


 そこまでわかってて何も言わなかったのか、こいつは。


『というわけだから、それじゃね! あたしも忙しいし!』


 話したことでスッキリしたのか、姉貴は爽やかな声で恩着せがましい一言を付け加え、さっさと電話を切った。


「……お姉さん、何だって?」

「いや、すごくどうでもいい話。ごめん、こんな時に」


 謎の現象に納得がいったのは良かったんだけど、今の時点ではどうでもいい話なのに変わりはない。


「ううん」


 謝る俺に、どこか上の空で答えてから、和葉さんは言葉を続けた。


「さっきのって、この前のライブで流れてた曲? 着信音」

「……ああ、うん」


 そういえば、着信音を”Neon's Springs”にしてたんだった。この曲好きすぎだろ、俺。


「あのバンドのブログから、ダウンロード出来るようになっててさ」

「そういえば、この前グループで何か話してなかった?」

「えっと、歌詞について知りたくて、渡部に聞いてたんだけど」


 あの後立木が割り込んできて、すぐに祭りの話になったから、和葉さんはあまりちゃんと見てなかったんだろう。


「その歌詞って、今も持ってる?」

「持ってるけど」


 意図がよくわからず、少し戸惑ったが、とりあえずメモアプリを立ち上げて見せた。


「”Neon's Springs”……」

「変わった歌詞だよね。”Glass Coffin”のオーナーの仁科にしなって人が作詞したんだって」

「オーナー……確かライブハウスの名前もその人の趣味って言ってたよね」


 そういえば、店長がそんなことを言ってたような。

 和葉さんはあごに手を当て、しばらくそれをじっと見ていたが、やがて口を開いた。


「たかやくん。――新宿しんじゅくに行きましょう」

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