Spinner’s Song 2

<わかったよ>


 電車に乗ってからも、ずっとスマホの画面をにらみ、時折指をせわしなく動かしていた和葉かずはさんからメッセージが届いたのは、もう新宿駅しんじゅくえきに到着しようかという頃だった。


<わかったって?>

<アナグラムになってるんだわ>


 意味が全くわからず問い返そうとしたその時、車内にアナウンスが流れ、周囲の人がそわそわし始める。

 仕方なく俺たちも、開いたドアに吸い込まれるように出て行く人の流れに混じり、ホームへと降り立った。

 ざわざわとした周囲に気を配りながら、俺たちは別々の柱を背にして立ち、無言の会話を続ける。


<文字を組み替えて、別の言葉を作るの。例えばタイトル。”Neon's Springs”は、”Spinner's Song”と変えることが出来る。訳すと――『つむの歌』、かな>


 俺が聞く前に、しっかりと説明が送られてきた。ずっと違和感のあったタイトルだったが、まさかそんな仕掛けがあるとは思ってもみなかった。視線を上げ、指を動かしている和葉さんをちらりと見る。じきに次の説明がやってくるだろう。


 人が見れば奇妙に映るかもしれないが、和葉さんのアイディアをすんなり受け入れられたのは、もうこれ以上失敗できないと思ったからだった。今までのグループは使わず、一対一でメッセージのやり取りをしている。


<この歌詞には4ヵ所、同じように文字を入れ替えられる部分が出てくる。”Heal Liar Rule”、”Bale Hank rend hen”、”Heal Flour”、”Arid Bee”>


 俺はもう、意味のない相槌あいづちを打とうとするのをやめた。次の言葉がやってくるのを待つ。


<それぞれ、”Allerleirauh”、”Hahnenbalken”、”Die Rabe”、”Frau Holle”と変えることが出来るの>


 それが何を指した言葉なのか、曲のタイトルからして明らかだ。

 暑さのせいだけじゃない汗が、俺のこめかみを滑って落ちる。


<英語じゃない。原題に使われてるドイツ語。アナグラムを自動で作ってくれるサイトがあったから助かった。それぞれ――『千匹皮せんびきがわ』、『うつばり』、『おおがらす』、『ホレおばさん』>


 ◇


「思ったより時間がかかっちゃった。急ぎましょう」


 俺は黙って頷き、人にぶつからないよう気をつけながら、さらに足を速める。

 目的地に向かうまでに一時間もかかってしまったのは、メッセージのやり取りに没頭していたからばかりではない。それなりの準備が必要だったからだ。


 少し坂になった大通りを上り、目に鮮やかな黄色い看板のラーメン屋の前を通り抜けると見えてくる細い路地を左へ。

 一度しか通っていない道だけど、やけに懐かしい感じがした。あの時にはもう二人いて、くだらない話をしたりして。

 そんな感傷に浸れば、胃の辺りがきゅっと締め付けられるような感じになる。そういえば朝食以来、食べ物を口にしてないことに気づく。熱中症になったら困るから水分は取ってるが、一緒に買ったバランス栄養食はバッグに入りっぱなしになっていた。


 うねる路地は表通りに比べて、人通りがほとんどない。気ばかりが焦って、足の動きと一致しない感覚。今日はずっと歩き回っているから、あちこちが重たくなっていた。


「見えてきた」


 和葉さんの声で、少し歩くスピードを緩める。肺は酸素を求めているのに、緊張が自由な呼吸を許さない。また噴き出す汗を拭いながら、見覚えのある建物を睨んだ。


「……看板がない」


 入り口へと近づくと、そこにあったはずの”Glass Coffin”という小さなスタンド看板は出ていない。

 地下へと続く階段には明かりはついておらず、まだ日はあるのに薄暗かった。


「とにかく、行ってみましょう」


 同じく小声で言った和葉さんに俺は頷く。ここまで来たら、進むしかない。


「俺が行くよ」


 返事を待たずに、俺は狭い階段を静かに下り始めた。

 その先のドアは閉じられ、『CLOSED』の札がかかっている。耳を済ませても、中からは何も聞こえない。試しにドアノブに触れ、ゆっくりと回してみるが、当然鍵はかかっていた。

 どうしたものか。そう思って振り向き、薄闇うすやみの中にうごめくものを見て声を上げそうになった俺に、しっと人差し指が立てられる。その正体は、いばらだった。

 和葉さんは俺へどくように合図をし、ドアにあったわずかな隙間から茨を忍び込ませる。


 少しの間を置き、鍵が開く音がかすかにした。

 ドアを注意して開き、もしこれが間違いだったら……とおびえながら、一方で、そんなことはちっとも信じていない自分がいることにも気づく。

 中はさらに暗い。一度来て、精一杯観察したから大体の様子は覚えている。次第に目も慣れてきて、どこに何があるかも大分わかるようになってきた。

 一通り見回しても、特に注目するようなものはない。背中をつつかれて振り向けば、和葉さんがバックヤードのほうを指差していた。


 俺は黙って大きく頷き、息をひそめてゆっくり静かに足を進める。

 じわり、じわりとバックヤードが近づいてきたその時――視界が急に明るくなった。

 つけられた照明のまぶしさに目を細め、次第にはっきりとしてきた視界には、黒いTシャツを着た男の姿。


「不法侵入なんていい度胸じゃない。警察呼ぶわよ」


 店長だった。以前に会った時の優しげな雰囲気は微塵みじんもなく、その風貌ふうぼうをますますいかつく見せている。


「呼べるの?」


 息をむ俺の隣で、和葉さんははっきりと言う。


「呼んでみなさいよ」


 俺も黙ったまま店長をめつけるが、内心は穏やかじゃない。少しでも動けば破裂してしまうんじゃないだろうかと思えるほどの緊張感。

 それが何分とも思えるほどに続いたところで、店長が鼻を鳴らした。

 同時に、和葉さんの足下に控えていた茨も素早く動く。蠢く緑に取り囲まれても、店長は微動だにしない。

 しっかり茨は認識されてるはず。だけどお互いに、何も感じていないようだった。それが意味することは明らかだ。


「二人はどこ?」

「あら、二人って誰のこと? お名前は?」

「ふざけないで!」

「あたしの能力、眠らせる気?」


 激昂げっこうする和葉さんに、店長は不敵に笑う。


「そうしたら、名無しの誰かさんとはずーっと会えないままね」


 再び沈黙が訪れた。茨だけが、迷うようにゆらゆらと揺れる。

 やがてそれらは、じりじりと引き下がり始めた。


「おりこうさんね。――ついてきなさい」


 店長はもう一度笑い、手招きをする。

 俺たちは顔を見合わせた。でも、選択肢は一つだった。


 バックヤードへと入り、積まれたダンボールの間を抜けていった先で、店長が何やら床をごそごそとやると、ぽっかりと開く闇が現れた。どうやら、さらに地下へと続く道があるらしい。そこには階段ではなく、梯子はしごがかかっている。店長は慣れた様子でさっさと下りていった。

 和葉さんも腰に提げたバッグを軽く叩いてから続く。俺は止まりたがる足を何とか持ち上げ、その後を追った。


 たどり着いた場所は、地下室というよりも、ログハウスの中みたいだった。

 必要最低限の家具があり、窓はないが、天井からさがっているシンプルなデザインのライトにより十分明るい。部屋の中ほどには花柄のカーテンが横切るように引かれ、その先を覆い隠している。


 店長は俺たちが到着したのを知ると、ゆっくりと時間をかけて振り返った。

 それから余裕の笑みを浮かべようとしたのだろう。でもその表情は、こちらを見て凍りつく。


 ◇


<『おおがらす』、やっぱりいたんだ>


 並んだ『紡ぎ手』の名前を見て走らせた俺の言葉は、フキダシの中に閉じ込められて画面へと浮かび上がる。


<ええ。でもそうなると、どうやって二人を操ったか、になる>

<俺たち、変なもの飲み食いしてないよね?>


 『おおがらす』の名前が出てから、俺たちはずっとそれに気をつけてきた。それでも、渡部わたべは姿を消してしまった。


<もしかしたら、食べるという形じゃなくても良いのかもしれない。体に吸収されれば>

<どんな方法があるかな?>


 その問いには、少しの間をおいてから返答があった。


<針とか……あとはガスとか>

<ガス?>


 その台詞をきっかけとして、俺の中に、様々な映像がフラッシュバックした。


<電車の中にいた香害男こうがいおとこ! 渡部のすぐ隣にいた! そういえば祭りの日も、香水のにおいを撒き散らしてた女とぶつかりそうになったよ!>


 和葉さんたちは出会わなかったようだが、立木たちきとは遭遇していたかもしれない。


<だとしたらあの時、不審者は二人で行動してたんじゃないかしら。私たちが追ったのは、おとりだった>

<囮?>

<私たちに追われている最中さいちゅうに一瞬にして姿を変え、そのまま何食わぬ顔をして戻ってくる。女の姿で。『千匹皮』であれば可能なのかもしれない。もしかしたら――魔法の鏡から姿を隠すことも>

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