おおがらす 3

 線路の上に、陽炎かげろうが立ち上る。

 ホームで待つ間も、何だか無駄に時間を過ごしているような気がして落ち着かなかった。電車が来るのもいつもより遅く感じてしまう。

 そうこうしているうちに、ようやく電車がやって来て、ドアが開くのももどかしく、俺たちは車内へと進んだ。


 平日の昼ではあるが、今は夏休みの真っ只中だから、それなりに人は乗っていた。

 車内での会話は割と響くから相談もしづらくて、俺たちはひたすら黙ったまま、目的の駅名がアナウンスされるのを待ちながら揺られる。

 そいつらのせいじゃないとはわかっていても、楽しそうに話しながら笑う同年代のグループにもイライラしたり、デオドラントなのか香水なのか、やたらと強い香りを辺りに撒き散らしている男にも、いつも以上に腹が立つ。一番近くにいた渡部わたべなんかは、舌打ちをしてあからさまににらんでいたが、イヤフォンをしながらスマホをいじっている男は、全く気づかないようだった。


 やがて目的の駅へと到着し、俺たちは急いで電車から降りる。

 ここは人の出入りが多い割に駅自体は古く、それほどの広さがないために、いつも込み合っている印象があった。

 俺たちは出来るだけの早歩きで人の間をすり抜けながら駅から出て、カフェを目指す。

 景色を時々確認しながら進み、前に来た時もこんなふうに急いでいたことを思い出す。でもあの日は、今日よりもずっと涼しかった。すれ違う人の多さも、ねっとりと重い空気も、俺たちの行く手を不快にはばむ。


 ずいぶんと距離があるように感じた道のりも、そのうちに終わりを告げた。見覚えのある、木々に囲まれたテラスが段々と近づいてきて、俺たちはそこをぐるっと回り、カフェの裏側まで移動する。

 こっちの路地にも、表側ほどではないが、人が行き来していた。カフェで話している人の声もかすかに聞こえてくる。

 渡部は少し視線を巡らせると、この前立ち止まったのと同じ、ビルの入り口付近にある植え込みまで移動した。


「今俺たちがいるのが、ここだな」


 そして持参したタブレットで地図アプリを立ち上げ、後から来た俺たちに画面を指し示した。


「『ヘンゼルとグレーテル』がいたのはこの辺り……この地点からイメージを広げていったと考えるなら、捜索したのは半径十キロって所か」


 ヤツの指先の動きに合わせ、画面に大きな赤い丸が描かれる。


「かなり広範囲ね」

「こいつの力で増幅もしたからな」


 渡部は言って、親指で俺を示した。


「範囲内の全員を拾えているかはわからんが、あとは確か……『歌う骨』、『怪鳥グライフ』、『賢いエルシー』、『蜂の女王』だったか」

「よく覚えてんな」


 俺は集中するので精一杯で、魔法の鏡が何か言ってたということしか覚えてない。


「しかし、今回の件に関わってるかもわからんし、居場所がわかるわけでもない」


 それはその通りだった。ここまで来てはみたものの、やっぱりその先が見えてこない。


「だけど、ここに来られてよかった。疑問が減っていくのはいいことじゃない。ね?」


 和葉かずはさんが明るい調子で言う。それは本心からというよりも、鼓舞こぶするためのものだということが伝わってくるだけに、きつい。


「……そうだね」


 俺も頷き、何とか笑んでみせる。確かにこういう時こそ、前向きに考えないと。

 俺たちはとりあえず『事務所』まで戻り、今後の対策を考えることにした。もう昼はとっくに過ぎているが、あまり食欲は湧いてこない。

 気持ちは急いでいるのに、足取りは重い。それでもまた駅までたどり着くと、相変わらずごちゃごちゃした階段を踏みしめていく。斜め前を歩く和葉さんも、どことなくうつむき加減に見えた。

 試合に行くのか帰りなのか知らないが、ホームには大勢おおぜいの中学生がたむろしていて、その騒がしさに辟易へきえきしながら、少し奥へと進む。


 電車を待つ間、特に話すこともなく、和葉さんや渡部は、それぞれ考えを巡らせているようだった。俺も他にいい案でもないかと考えてみるが、そんなに簡単に浮かんできてはくれない。スマホを確認しても、立木の失踪に関係ありそうな情報は見当たらなかった。


 やがて軽快なメロディの後に、平坦な女性の声のアナウンスが流れる。


 間もなくして電車が滑り込んで来た。ぶわっと巻き起こった風が汗の浮かぶ肌に当たり、体温を奪いながら散っていく。

 降りる人を待ってから車内へと入ると、さっきの中学生たちの幾人いくにんかが、でかいバッグを手に乗り込んできた。押されながら奥へと進んだ時、和葉さんが弾かれたように振り返る。

 その様子に、俺の胸も不安で波打った。慌てて振り向いた先には、不思議そうにこっちを見返す渡部の姿。中学生たちも何事なにごとかと目を丸くしていたので、俺は思わず笑みをこぼした。和葉さんと顔を見合わせ、またほっと息をつく。


 発車メロディーが鳴り、アナウンスが流れる。

 渡部が跳んだのは、空気音とともにドアが閉まろうとする直前のことだった。


 ――そう、ヤツは俺たちのほうを向いたまま、後ろへと跳んだ。ドアの外へ。ホームへと。


 快速電車を待つために残っていた人たちの驚いた顔が、一瞬だけ見えた。

 言葉を失った俺たちの前で、ドアはあっという間に閉まっていき、隙間なく合わさる。人を押しのけながら急いで向かった時には、もう電車は低いうなりを上げて走り出していた。

 和葉さんと俺は、窓に張り付き、外を見る。

 次第に速く、後ろへと流れていく景色の中見えたのは、こちらへ目を向けることもせずに、階段へと戻っていく渡部の姿だった。

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