おおがらす 2

 インターフォンを鳴らすと、すぐに和葉かずはさんは出てきた。

 その表情は明らかに沈んではいたけれど、俺は少しだけほっとする。

 もしかしたら、一人でどこかへ行ってしまうのではないかという思いが、ずっと心の片隅にあったからだ。


「どうぞ」


 和葉さんはそう言って、俺を中へと招き入れた。


「お邪魔します」


 『事務所』へと入り、いつもの位置に座って、ぼんやりと壁にかかった鏡を眺める。

 程なくしてまたチャイムが鳴り、渡部わたべもやって来た。ヤツは無言で俺の向かいに座り、大き目のショルダーバッグを床へと置いた。和葉さんも事務机のほうへと向かい、静かに腰を下ろす。

 空いた二つのスペースが、やけに寂しく見えた。


「これからどうする」


 重苦しい沈黙を破ったのは渡部の言葉。

 昨夜俺たちは、祭りのスタッフに追い出されるまで会場を探し回り、その後もさらに周辺を探し続けたが、ついに立木の痕跡こんせきを見つけることはできなかった。


「あいつは関係ないだろうな」


 黙ったままの俺たちに代わり、渡部が続ける。

 『あいつ』というのは、あの茂みで寝ていた男のことだ。


『だから知らねーつってんだろ!』

 

 なぜ自分が寝ていたのかさっぱり覚えていないらしい男を、立木のことを知らないか、何か覚えていることはないかと問い詰めるうちに、向こうの答えもキレ気味になってきた。

 でも、こっちもそんなことでは引き下がれない。どんな些細ささいなことでもいいから覚えていることはないかと繰り返し尋ねると、男は心底参ったように頭をかいた。


『マジでオレも、なんもわかんないんだって! 知らねーうちにこんな場所で寝てて、蚊にも食われまくって散々なんだよ!』


 それを聞いて、和葉さんが小さく声を上げたのを覚えている。


『ここにいた理由もわからないんですか? ……ここで急に眠くなったとかではなくて?』


 男はそうだと頷いてから、思い出したように腕時計を見て悲鳴を上げ、もういいだろうとスマホを耳に当てながら、大急ぎでその場から去って行った。


「うん……多分。でも変だよな。知らないうちに寝ちゃったっていうんならまだわかるけど、あそこに行ったのも覚えてないなんて」


 酒を飲んでいなかったかということは、何度も確認している。あとは原因として考えられるのは、妙な薬とかだけど――。


「本当にただの寝起き、という印象だったな」

「ああ」


 詳しい訳じゃないから何ともいえないが、例えば薬で眠らされた場合、あんなに平和に眠って、普通に起きて、すぐまともな受け答えが出来るもんなんだろうか。体に何かの影響が残りそうな気がするが、そんな様子は一切見られなかった。


「……何らかの能力で眠らされたというのが、妥当な線だと思う」


 和葉さんが口を開く。俺たちも同じ意見だった。人の領域ではないものの力。確証が持てないのも確かだが、それが一番しっくり来る。


 部屋にある時計は、もうすぐ十一時を示そうとしている。祭りの夜から随分ずいぶんと時間が過ぎた。

 立木のお母さんには和葉さんが電話をかけ、ここへ泊まると伝えてあるが、それで誤魔化ごまかすにも限度がある。

 もしこの件が一般人による誘拐なら、それは警察の仕事だし、捜索を依頼するのが正しい道なんだろう。

 でも『つむ』によるものであれば――警察がどんな手を尽くしても、立木を見つけることは出来ないかもしれない。そして捜査が行われているということが、犯人にばれたりしたら。


 そこまで考え、俺は唇を噛んだ。


 昨晩、和葉さんが着ていた浴衣の柄や髪型は鮮明に覚えている。だけど立木の姿はぼんやりとしか浮かんでこない。俺がちゃんと見ていなかったからだ。怪しい男をみんなで追っていた時も、もしかしたら視界に入る場所にいたのに、人に揉まれながら助けを求めていたかもしれないのに、気づけなかっただけなのかもしれない。

 射的しゃてきで手に入れたぬいぐるみをもらっても、俺はありがとうの一言も言わなかった。子供みたいにねたりして。

 後悔の念が、さらに心と体を重くする。


「眠らされた……」


 和葉さんはもう一度繰り返してから、はっと顔を上げる。


「そうだ、眠らせる能力……!」


 そして椅子を蹴るようにして立ち上がり、スチール棚のほうへと向かった。扉を開け、童話全集と、何かのファイルを引っ張り出して来てテーブルに置き、それを急いでめくり始める。

 どうやら、それぞれの物語の要点をまとめたファイルらしい。


「……おおがらす」


 俺も手伝おうと、童話全集を手に取ろうとした時、渡部がぽつりと言った。


「姿を消した北城ほうじょうを『魔法の鏡』で探した時、近くにいた能力者として引っかかった。あの物語なら、眠らせるという部分に焦点が当たってもおかしくないだろう」


 それを聞いて和葉さんの表情は一瞬明るくなったが、すぐにまた陰りを見せる。


「でも、どうやって探せばいいんだろう」


 ファイルをめくる手も止まってしまった。肩を落とし、悲痛な声を漏らす。


「……ごめんなさい。狙われてるのは、私なのに」

「そういうこと言うの、やめなよ」


 俺は思わずそう口にしていた。和葉さんは驚いたように顔を上げる。


「俺だって、前は色々悩んだし、逃げ出したりもした。だけど自分の意志で戻ってきたんだ。和葉さんは俺に、覚悟がないなら関わるなって言ったよね? 立木にその程度の覚悟がないわけないじゃないか!」


 強く飛び出した言葉に、俺自身少し驚いてしまう。

 だけど、立木は能天気に浮かれてた俺とは違う。そんな言葉は彼女に失礼な気がしたし、思い詰める和葉さんを見ているのも辛かった。


「そういうことだ。自虐的じぎゃくてきになったところで、何も変わらんだろ」


 渡部も、ぶっきらぼうに言う。

 和葉さんは二つの言葉をかみ締めるように目を閉じ、それから何度か頷くと、ぎこちない笑みを見せた。


「……そうだね。ごめん」


 また和葉さんが浮上してきたことにほっとしながら、俺も反省をする。

 そうだ、落ち込んだり自分を責めてる場合じゃない。今何ができるかを考えて、動かないと。


「ええと、『おおがらす』って……」


 本を開き、調べ始めた俺を見て、渡部が言う。


「俺が注目したのは、主人公の男が、怪しい老婆に振舞われた食事を口にすることで眠らされてしまうという部分だ」

「食べ物……じゃあ、カキ氷が怪しいじゃん!」


 茂みで寝ていたあの男の横には、カキ氷が転がっていた。


「確かにあの状況だと、そうなんだけど……」


 でも和葉さんは、歯切れの悪い言い方をする。


「まなちゃん、カキ氷は食べてなかったはずなんだよね」

「……食ってなかったな。他は知らんが、俺たちが通った場所の中では、カキ氷の店は一箇所しかなかった」

「そういえば、渡部もカキ氷を食ってたっけ」

「ああ」


 だけど、渡部には何も起こらず、こうしてここにいる。


「他に可能性として考えられるのは、あの怪しげな男を追っている最中さいちゅうに食ったか、誰かに無理矢理食わされたかだが――」

「あんまり現実味げんじつみがないよね」


 和葉さんも言って溜め息をつく。


「でも、とにかく調べてみない? ここでこうして考えているよりも、動けば何かが見えてくるかもしれない。それに……」


 渡部は途中で察して、溜め息とともに言葉を吐いた。


「そうだな、向こうも動いてくれるかもしれん」


 ◇


「どんなって言われても、普通のカキ氷だけどなぁ」


 突然訪ねてきた俺たちに、窓から覗かせたおじさんの顔は困惑の色に染まる。


「もしかして、腹でも壊した?」

「いえいえ、そういうわけじゃないんですが……祭りで食べて美味しかったんで」

「ああ、それならよかった」


 祭りの実行委員会に問い合わせてみたところ、カキ氷の店は一箇所のみ。神社の近くにあるたい焼き屋が出店したものだった。年季の入った店先には、大きく『氷』と書かれた旗がさがっている。


「今日も食っていくかい?」

「え? ……えーと」

「あ――また、改めて伺います。今日はこの後も用事があって……色々調べてるんです。学校の課題で」


 しわの中にひそつぶらな瞳を向けられて、返答に詰まってしまった俺に代わり、和葉さんが答える。

 するとおじさんはまた笑顔を見せた。


「それは感心だねぇ。また待ってるよ」

「はい、是非ぜひ


 和葉さんも微笑んだところで、俺たちは礼を言ってその場を離れようとする。


「カラスが」


 その時、渡部が唐突にそんなことを言い出した。

 みんなのぽかんとした顔が、そっちに向けられる。


「いや……カラスがいたんでな」


 渡部が少し困ったように弁明すると、おじさんは、ああ、と言ってヤツが見たのとは反対側を指差した。


「向こうに集積所があるから、たまにこっちの方までカラスが来るんだよ。ウチは食いもんの商売だから困るんだがね」


 何かいい撃退法あったら教えてくれよ、と笑うおじさんにもう一度頭を下げ、今度こそ俺たちは店を後にする。

 それからしばらくして聞こえた元気な声に振り返ると、小学生くらいの子たちが、カキ氷を注文しにやって来るところだった。

 普段なら、俺も迷わず食べていたかもしれないし、そのほうがもっと詳しく話も聞けたかもしれない。けど、流石に今それをする気にはなれなかった。

 再び店に背を向け、隣を見る。二人は何とも微妙な表情で首を振った。


 ――もしあの人が『紡ぎ手』だったとしても、俺たちには見破るすべがない。


「何か仕掛けるつもりがあるなら、チャンスだったろうな」


 渡部がぽつりと言う。

 店は元々人通りの少ない静かな場所にあり、俺たちが話している間は、周囲に誰の姿も見当たらない状態だった。もちろん、カラスの姿も。


「ええ」


 和葉さんはそう答え、黙り込む。

 気まずい沈黙の中、何気なく向けた視線の先には神社を囲む大きな木があり、ふと、それが別の光景と重なる。


「あの場所……行ってみない? 渡部がいたカフェ。あそこから出てすぐの場所で、『紡ぎ手』を探したじゃんか。もしかしたら何かわかることがあるかも」


 思いついたことを言ってみるが、渡部には渋い顔をされた。


「しかし、俺たちだけで行ってもな」


 確かにその通りだ。だけど和葉さんは頷いてくれる。


「行ってみよう? とにかく、何でも出来そうなこと、一つ一つやるしかないと思うの」


 俺も自分の思いつきに自信があるわけではなかったから、同意が得られたことへの安心と、いくばくかの不安とが混じった複雑な気持ちになってしまう。


「そうだな。行くか」


 少し考えたあと渡部は言って、最寄もよりの駅まで向かう道へと進路を変えた。

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