第10話 夏祭り

夏祭り 1

 そして、待ちに待った夏休みがやって来た。

 「休みだからってだらけてるんじゃない」と午前中に叩き起こされ、とりあえず顔を洗ってメシは食ったものの、昨夜遅くまで起きていた頭は、まぶしい日差しにも反応が鈍い。

 俺は机の上に無造作に置かれた宿題をチラ見し、それをなかったことにするかのように視線をらした。その先へと新たに飛び込んできたのは――ばあちゃん家から持ってきた童話全集。

 そうだ、俺には学校の勉強なんかよりもずっと大切なことがあるじゃないか。


「よし」


 意気揚々いきようようと、まずは第一集を手に取り、ベッドへと寝転がる。

 開けば、『かえるの王さま』という題と、可愛い挿絵が目に飛び込んできた。タイトルは何となく知っている気がするけど、内容は全く覚えていない。

 大きめの活字を目でたどり、次のページへ。視線はゆっくりゆっくり、時に滑るように進み――また戻る。


 大して長い話じゃない。俺はそれなりに本も読んできてるし、この程度ならすぐに読み終わり、次の話へと進めるはずだった。

 でもページをめくる指先は中々動こうとはせず、視線は相変わらず文字の上を行ったり来たりしている。

 どういう話かということは何となく理解できるんだけど、挿絵以上のイメージも浮かばないし、物語の中にも入り込めない。正直、全く面白くなく、退屈なレポートでも読んでいるかのような気分だった。


「うーん……」


 俺はうなり、本を持ったまま仰向あおむけになる。何でこんなに読みづらいんだろうか。

 下手をすると宿題のほうがずっと楽かもしれない。――いや、やらないけれども、そのくらい読書に没頭できなかった。前に何気なく手に取った絵本や児童文学だって、それなりに面白く読めたから、子供向けだからという訳ではない気がする。

 重い溜め息とともに、この前ばあちゃん家で起こったことが、ふと脳裏のうりへとよみがえった。


 あの時浮かんだのは、何だったんだろう。声――のような、情景のような。


 ふと、視線がドアのほうへと向かう。

 姉貴は、ばあちゃん家に童話全集があるのを覚えてた。もしかしたら俺が覚えてないようなことでも知ってるんじゃないだろうか。

 俺は立ち上がり部屋を出て、姉貴の部屋の扉をノックしてみる。返答はなかった。


「ああ、出かけたみたいよ」


 一階でくつろいでいたお袋に尋ねると、そんな答えが返ってくる。さっきは居る気配があったんだが、いつの間に。

 メールでもしてみようかと一瞬だけ思ったものの、そんなに急ぎの用でもないし、かえって色々突っ込んで聞かれたり、恩に着せられたりして大事おおごとになるのが目に見えている。

 今度何かのついでにでもしようと決め込むと、俺は冷凍庫からアイスを取り出して自室へと戻った。

 ひんやりとした舌触りを楽しみつつ、再び本と向き合う。


「……はぁ」


 が、やっぱりどうしても気分が乗らない。

 俺は溜め息と共にスマホを取り出し、音楽でも聞こうかとディスプレイに触れた。少しの間をおいて、壁際のスピーカーからギターの音が流れ始める。

 シャッフルで選ばれた曲は、アルガンノアの”Neon's Springs”だった。

 そういえば、あれから歌詞について自分なりに調べたりはしてみたんだけど、いまいち良くわからないままだったのを思い出す。放置しておくのもモヤモヤするし、ちょっとグループで聞いてみようか。


<あのさ、誰かこの歌詞の意味、わかる?>


 フキダシのマークがデザインされたアプリを立ち上げ、メモしておいたテキストをコピペして送る。

 一応間違いがないかチェックしつつ、もう一度自分でも歌詞について考えてみるが、特にピンとくるものはなかった。

 ついでにゲームをしながらのんびり待っていると、しばらくして通知音が鳴る。


<これは?>

 

 メガネのアイコン。渡部わたべだ。


<グラスコフィンのライブで流れた曲>


 俺はすぐに返信をする。


<よく覚えてんな、そんなの>


 すると呆れたような言葉が返ってきた。

 ま、奴はライブにも全く興味がなかったみたいだし、仕方ないかもしれない。


<サイト見に行ったら、曲が無料でダウンロード出来るようになっててさ>

<二人とも、何の相談?>


 気がつけば画面に鏡のアイコンが現れ、立木たちきが話題に入り込んできていた。


<いや、英語の歌詞の意味を知りたくて>

<ふーん>


 とりあえずそう書いてはみたものの、正直、彼女に全く期待はしていない。


<ところで、今度の夏祭り、みんなで行かない?>


 だけどそんなことも言えないしな……と思っていたら、強引に話題を変えられた。

 セリフの下で、浴衣を着た女の子のスタンプが踊る。そういえば、もうそんな時期か。それはとても魅力的な誘いだった。

 近所の大きな神社で行われる例大祭れいたいさいでは、日中にっちゅう神輿みこしの担ぎ声が賑やかに響き、夜には屋台も沢山並んで、それなりの規模の花火も打ち上げられたりして、結構な人がやって来る。


<いいね! 27はタケたちと約束してるから、28がいいんだけど>


 早速した返信の後に、今度は不機嫌ふきげんな表情をした浴衣の女の子が現れた。バリエーションあるんだ。


<えー、なんで佐倉さくらの都合に合わせなきゃなんないの。めっけちゃんは?>

<俺は行くなんて一言も言ってないが>

<何の話?>


 そのうち和葉かずはさんもやって来て、祭りの話題はさらに盛り上がりを見せる。和葉さんも乗り気なようだった。

 立木と渡部はともかく、和葉さんと一緒に祭りに行けるなんてワクワクする。

 浴衣とか着てくるのかな。きっと似合うだろうなぁ。

 そんなことを考えている間にも、会話はどんどん弾んでいく。


 ――その楽しいはずの夏祭りで、とんでもないことが起こるとは、その時の俺たちには知るよしもなかった。

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