夏祭り 2

 暗くなりかけの空に、カラフルな提灯ちょうちんが浮かぶ。それに負けないくらい色とりどりの装いで歩く人たちと喧騒けんそうを包み込む、食欲をそそるにおいの白い煙。

 祭りの日独特の、神聖さと野暮やぼったさが共存するような空気。あたりはすっかり非日常の空間へと変わっていた。


 少し早く着いた俺は、そんな景色をぼんやりと眺める。浴衣の人も普段着の人もいるけど、その中に見知った顔はない。

 そういえば、家を出るときに姉貴の姿が見当たらなかったのが少し不安ではある。この格好を見られれば、きっとまたあれこれ言われただろうから、そこは好都合だったんだけど、和葉かずはさんたちと一緒のところを見られたら、また恐ろしい質問攻めが始まるに違いない。

 そんなことを考え始めると、行きかう人たちの姿にも敏感になってしまう。


「目が女の人ばっかに行ってますけど? お兄さん」

「ひぃっ」


 そうして視線をうろうろさせていたところ、背後から突然かかる声。

 慌てて振り向くと、そこには引きつった顔の俺を見て、爆笑する立木たちきがいた。

 それだけでも十分恥ずかしかったのに、隣には和葉さんもいる。こらえてるつもりだろうけど、笑ってるのバレバレです。


「ち、違うんだって、もしかしたら姉貴も来てるんじゃないかって思ってさ」

「へー、佐倉さくらってシスコンなんだー」

「ちげーよ! だから……」

「お姉さんと仲いいっていいじゃない。私は兄妹いないからうらやましいな」

「だからー……」


 何か言い訳しなくちゃと目まぐるしく思考は巡りながらも、視線は和葉さんに向かってしまう。

 いつも会う時は、大体動きやすい服装であることが多いから、女の子らしさが強調されるような花柄の浴衣姿がとても新鮮で、まるで初対面の時みたいにドキドキした。


「どうだ、いきだろう」


 こちらは一番最後に来てドヤ顔の渡部わたべ


「今、それどころじゃないから」


 別にお前の浴衣姿には興味ないし。

 誤解を解こうと躍起やっきになっている俺に女子二人はまた笑った。


「ま、いいから行こうよ」


 立木はきらきらと光る屋台のほうを指差すと、和葉さんの手を取って歩き出す。軽やかに鳴りながら跳ねていく下駄を眺め、俺は大きく溜め息をついた。


「何の話だ?」


 そんな中、渡部だけが呑気のんきだ。


「なんでもない」


 俺は言い捨てて、二人の後を追う。





「賑やかだね」


 立木と並び、屋台で買ったりんご飴をかじりつつ、和葉さんは嬉しそうに言う。

 体の上下に合わせ、アップにした髪に飾られた小さな蝶がゆらゆらと揺れている。普段見ることのないうなじが目に飛び込んできて、またドキリとしたりして。

 ふと顔がこちらを向く気配がし、俺は慌てて持っていたイカ焼きにかじりついた。視線に気づかれたかな。そんなことはないと思うけど。


「おい、佐倉」


 その時後ろから名を呼ばれ、顔を上げる。話に夢中になっているカップルの姿が目前に迫っていて、俺は急いで体を横へと移動させた。


「ぼさっとしてんなよ」

「悪い、サンキュ」


 あのまま激突して真っ白な浴衣にイカ焼きのソースをくっつけてたら、こんな謝り方じゃ済まなかっただろう。それを思うと少しヒヤリとする。

 そんな渡部もカキ氷を食っていたりするが、時間が経つにつれ、段々と人通りが多くなってきている。こうやってのんびり食べ歩きが出来るのも今のうちだろう。

 それからもちょこちょこと出店を覗きつつ、まずはお参りをしようと大きな鳥居をくぐり、俺たちは拝殿へと繋がる石畳の上を進んだ。こちら側にも立ち並ぶ店が、街灯のように道や人の顔を明るく照らしている。

 拝殿はいでんに近づくにつれ、ばらばらに動いていた人の流れは次第にゆっくりと、整然としたものへ変わっていった。


「友達とお祭りに来たのってどのくらいぶりだろう? 小さい頃はあったんだけど」


 じりじりと進む列を待ちながら、和葉さんがぽつりと言った。


「立木とは来なかったの?」


 不思議に思って尋ねると、彼女は右隣にいる当人と少し顔を見合わせる。質問には立木が答えた。


「去年のお祭りの時は、まだ知り合ってなかったしねぇ」

「え、そうなんだ」

「私が今の家に来たのは、高校に入る直前だから」


 長い付き合いがあるのだと思ってたから、意外だった。

 じゃあ俺も、ちょっと後輩ってだけじゃん。そう思うと、何だか嬉しい。


「それまで、あたしたちみたいな人はあんまり見かけなかったから、和葉さんと会えてすごく嬉しかったんだよね」


 近くに人がいるためか、立木は少し曖昧な言い方をする。


「ええ、私も。……しばらくは割と平和だったのよね。それが二ヶ月前くらいかな? 段々忙しくなってきて。その頃にりょうくんとも会ったんだよね」

「りょうくん? ――誰?」

「俺だよ。渡部椋わたべりょう。話の流れでわかるだろ」

「あ――え? ま、まあ……」


 こいつのファーストネームを初めて知ったことよりも、和葉さんがすでにそっちで呼んでることに衝撃を受ける俺。それってすでに仲間って認めてるってことじゃん。いや、もう仲間でもいいけどさ。俺だけの特権だと思ってたのに!


「そういえば、遭遇する機会は多くなってるよな」


 そんな俺の動揺をよそに、涼しげな顔で話に加わるりょうくんこと渡部。――つーか今気づいたけど左に渡部がいるってことは、俺の隣って和葉さんじゃん。何それ、何で今まで気づかなかったの俺!?


「おい、ぼさっとしてんなよ」


 そんな思考で悶々としている間に到着していたらしく、さっきと同じ言葉で怒られる。

 急いで、先に賽銭箱さいせんばこの前まで進み出ていた三人と一緒に並び、賽銭を入れてから拍手を打つ。目を開けて隣を見ると、和葉さんはまだ目を閉じて手を合わせていた。

 何を祈ってるんだろう。その真摯しんしな面差しに、目が釘付けになる。

 今まで一緒に活動してきて、隣にいることだって何度もあったのに、今日はこんなに意識してしまうのは何故なんだろうか。やっぱりそれは浴衣だったり、いつもとは違う環境のせいだったりするのかもしれない。


「あっ、射的しゃてきがある! みんなでやらない?」


 お参りも無事に済ませ、もう少し屋台を見て回ろうとぶらぶらしていると、立木が明るい声を上げる。それに一番乗り気なのは和葉さんだった。


「私、こういうの得意」


 うんうん、イメージ通りというか、すごくわかる。

 特に誰からも異論は出なかったので、早速みんなでやってみることにした。頭に鉢巻はちまきを巻いた店のおっちゃんに小銭を渡し、まずは和葉さんが挑戦。

 白い電球に照らされ、棚に雑然と並ぶ景品を軽く見回してから、小さく頷く。


「まずは、あのお菓子にしようかな」


 銃を構える姿がサマになる。通りがかった数人の男のグループも、立ち止まってこっちを見ていた。

 わずかな緊張感の後、長い指先が引かれる。タンっという軽い音と共にコルクの弾が飛び、小さなお菓子の箱は、見事に赤い布の中へとダイブした。


「おめっとさん! お嬢ちゃん、上手いね」


 おっちゃんは人のよさそうな顔をしわだらけにし、景品を渡す。和葉さんは礼を言ってそれを受け取った。


「和葉さん流石!」

「すごいね!」


 彼女は俺たちの賛辞にも笑顔で応える。周りで見ていた人の中には拍手をしてくれる人もいて、それが自分のことのように誇らしかった。


「俺もやってみるか」


 やがて和葉さんの隣が空き、そこへと滑り込んだのは俺――ではなく、渡部。

 しまったと後悔する俺の前で、ヤツはすでにコルクの弾を銃に詰め込んでいる。こっちの視線には全く気づかず、眼鏡の位置を直してから銃を構えた。

 そして発射された弾は、あっさりと景品を落とす。


「めっけちゃんもやるじゃん!」


 立木のテンションもさらに上がっていった。


「負けないよ」


 和葉さんは微笑み、今度は丸いプラスチックのカプセルを狙う。

 一回目はかすっただけ。でも次の弾は綺麗に当たり、カプセルはころころと転がりながら落ちた。

 二人の攻防は一進一退。結局お互い五発の弾のうち、三発を命中させた。


「中々やるな」


 好敵手こうてきしゅのように目配せをする二人に、俺のテンションはただ下がっていく一方だ。

 ――いや、ヘコんでなんかいられない。


「よし、俺も」


 俺は腕まくりをし、自分に気合を入れると、おっちゃんに金を払い、渡部からもぎ取るようにして銃を手にする。

 ここは絶対にいいところを見せなくては。

 狙うは……いい感じの置時計。あれをゲットして和葉さんに――。


「行くぞ」


 息を吐き、狙いを定める。

 いける、きっと当たる。――そう思いつつ発射したものの、弾は大きく逸れて赤い海へ。


「やった、当たった!」


 呆然とする俺の隣で、いつの間にか始めていた立木が、小さなぬいぐるみを落としたのが見えた。


 ――くそっ。


 俺ははやる気持ちを抑えながら銃を構え直し、少し迷ってから、また同じ時計を狙う。

 今度は少しかすった! だけど当たりが悪く、時計は動かない。もう少し当て方を変えてみようと、今度は照準位置をずらし、俺は再び意識を集中させる。


 ――今度こそ、当ててみせる。

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