夏祭り 3

「楽しかったねー」

「ま、あの程度なら楽勝だな」


 上機嫌じょうきげん立木たちき渡部わたべの隣で、和葉かずはさんがちらと視線をこちらへ投げる。

 三人の背後をとぼとぼと歩いていた俺は、その視線から逃げるようにして手の中の小さなぬいぐるみを見た。

 何だよこの見たことないゆるキャラ。全然可愛くないし。


「そ、そろそろ花火もやるんだよね。どこが一番よく見えるかな?」


 俺が緑のぬいぐるみに心中しんちゅうで毒を吐いていると、和葉さんは話題を変えた。


「花火いいね! ……ほら、佐倉さくらもいい加減すねてないで、ちゃっちゃと歩いて」

「馬鹿か。あれはどう考えたって落ちない的だろ」


 しかし、他二名は容赦ようしゃない。


「くっ……」


 悔しい。物凄く悔しい。渡部が言うことも事実だからさらに悔しい。

 今思い起こせば、和葉さんも渡部も別のを狙えと言っていたような気がするし、冷静に考えれば明らかにそうなんだけど、あの時の俺は冷静でなかったとしか言いようがない。さっさと他のターゲットに変えてればまだ勝算はあったのに、ムキになって何度も時計を狙ったりしたから。

 その後も何度もリトライしてたら、後ろで待ってたお客さんににらまれるわ、店のおっちゃんにはたしなめられるわ、あげくに立木にはお情けの景品を恵まれるわで散々だ。


 だけどこれ以上こうしているのも大人気おとなげないし、余計にみじめだし、何より和葉さんを困らせたくないので、俺は言い返したいところをぐっとこらえ、足を速めてみんなへと追いつく。


「去年より人、増えてない? 場所取れるかなぁ」


 立木はぼやきながら首を伸ばし、辺りを見回した。綺麗に見える場所というのはある程度決まっているから、花火目当ての人たちは大体同じように動く。方々から集まってきた人は自然に列になり、流れの遅い川のようになっていた。


「何だよ、危ないだろ」


 唐突に立ち止まった立木に、俺は思わず文句を垂れる。


「ねぇ、あそこ……何だろう?」


 彼女はそれには反応せず、俺たちが今目指している方向とは反対側を指差した。

 その辺りには木が沢山集まっていて、祭り会場の明かりからも離れているため、かなり暗い。

 目を凝らすと、確かに白っぽく見えるものが……落ちている?


「行ってみましょう」


 何かに気づいたのか、止める間もなくそちらへと向かう和葉さん。俺たちも慌てて後を追った。

 次第に全貌ぜんぼうをあらわす謎の物体。

 白っぽく見えたのは、白木しらきの下駄だった。そしてその先には――人の足。

 誰かが倒れてるのだということが理解できるまでに近づくと、俺たちは足を止め、無言で顔を見合わせる。

 男の人だった。浴衣を着て、横向きに倒れている。

 喉を唾が通る。ここは男の俺が――と意を決するよりも早く、和葉さんがその人のそばに屈みこんだ。


「寝てる……のかな」


 しかし、次に発せられた言葉は、至極しごく平和なもの。

 言われて耳を済ませてみると、確かに寝息のような不規則な音が聞こえるし、胸のあたりも動いている。

 一瞬よぎった最悪の想像は現実にはならなかったと知り、安心感で体の力が一気に抜けた。


「何だよ……驚くじゃんか」

「ほんと、人騒がせだよねー」


 まるで他人事ひとごとのように言う立木を、俺は呆れ顔で見る。


「立木が神妙しんみょうな顔して指差すからだろ」

「ごめんごめん」


 笑う俺たちとは違って、和葉さんはまだ納得がいかないようだった。


「でも、こんなところで寝てるのっておかしくない?」

「確かにそうだけど、酔っ払ったんじゃないかな?」


 ここからは木が邪魔で花火は見えないから、近くに人の姿はない。夜になってもこの蒸し暑さだから風邪を引くことはないだろうけど、こんな茂みで寝ていれば、あちこち蚊に食われてしまいそうだ。


「カキ氷でか?」


 渡部がぼそっと口を挟む。

 ヤツが指差した地面には、転がった紙のカップと、中身がぶちまけられたカキ氷。

 俺たちはまた、顔を見合わせた。


「あの、大丈夫ですか? 起きてください!」


 和葉さんが体を揺すって呼びかけても、彼は全く起きる気配を見せない。


「救急車、呼んだほうがいいのかな……?」


 立木がそう呟くものの、近づく気配をうるさげに手で払って、ぽりぽりと首筋を掻く姿は、どう見ても呑気のんきに眠っているようにしか見えなかった。


「――誰だ!?」


 唐突に鋭い声が飛ぶ。――声の主は渡部だった。


「どうした?」

「今、物音が――」


 視線を周囲に向けたままの言葉が終わらないうちに、今度は少し離れた茂みからはっきりと音がし、そこから黒い影が飛び出す。


「待ちなさい!」


 和葉さんも声を上げ、先に走り出した渡部に続いた。


「何やってんの、追いかけるよ!」


 立木に言われ、俺も慌てて不審者を追跡する。






 所々で悲鳴が上がる。

 暗い色のTシャツが、色鮮やかな浴衣に紛れ込んでいく。俺たちは全力で追うが、人ごみに邪魔されて中々上手くいかない。


 背格好からして男だろう。逃げにくいのは向こうも同じだとは思うが、動きはずいぶんとスムーズだ。多分、走りやすい靴を履いているんじゃないだろうか。それに対してこっちは全員下駄。かなりきつい。

 時々人にぶつかり、謝りながら、俺はとにかく必死で走った。前を行く和葉さんたちも同じようにしながら何とか進む。

 屋台の明かりや提灯が煌々こうこうと照らす隙間には、時折ぽっかりと小さな闇が落ちていて、その中に男の背中は消えたり、また現れたりした。

 このまま行けば街へと出てしまう。そうしたらもう、追いつけないかもしれない。


「あら、ごめんなさい」

「す、すいません!」


 そんなことを考えていたところ、これで今日何度目になるのか、長身の女性にぶつかりそうになってしまった。

 顔もはっきり見ないままにひたすら謝り、すぐその場を後にする。

 もしかしたら嫌な思いをさせてしまったかもしれない。心の中でもう一度謝り、状況が状況だからと自分を納得させながら、とにかく前に進むことを考えた。さっきの人のものと思われる、強い香水のにおいが少しだけ後をついてくる。


 やがて人の姿がまばらになり、開ける視界。

 駐車場となっている広いスペースにも、いくつか屋台が出ている。そこには肩を上下させながら周囲を見回す、和葉さんと渡部の姿があった。


「あい……つは?」


 息を切らせつつ俺が聞くと、渡部は首を横に振る。


「見失った」


 俺も途方とほうに暮れて、光るライトが流れる車道を眺めた。


「一度さっきの場所に戻ろうか。あの人から話が聞けるかもしれないし、何か手がかりも見つかるかも」


 和葉さんの意見に俺たちは頷き、来た道を戻ることにする。


「あれ? ……立木は?」


 その時初めて、前を行っていたはずの立木の姿が見えなくなっていることに、俺は気づいた。


「一緒じゃなかったの?」

「いや、俺より先に走り出したはずなんだけど……」


 人の波に揉まれているうちに、いつの間にか俺の方が先になっていたらしい。振り返っても、こちらへと向かってくる姿はない。

 スマホを耳に当てている和葉さんを見る。彼女は小さく首を振った。そして通話を切るが早いか、来た道を戻り出した。


「まなちゃん!」

「立木!」

「立木ー!」


 呼びかけながら探しても、見慣れた姿も見えず、声も返ってこない。

 その時、どんっ、という音と共に、空がぱっと明るくなる。そこに咲く花火を確かめる余裕もなかったけれど、ぱらぱらぱらぱらっと散っていく音だけは、やけにはっきりと耳の中に残った。


 来た時よりもずっと走りやすくなった道。さっきもこうだったら、きっとはぐれたりはしなかったのに。

 胸が重苦しいのは、走っているせいだけじゃない。


「まなちゃん!」


 和葉さんの悲痛な声が、また上がる。

 立て続けに空を震わす大きな音と人々の歓声に、不安に力を失っていく俺たちの呼び声は、あっけなくかき消されてしまう。何事なにごとかとこちらをいぶかしがる人はたまにいても、すぐにその興味は花火へと戻っていった。


 それから俺たちは、ずっと立木を探し続けた。

 でも花火も終わり、ざわめきと共に人の数が減っていっても、その姿は、どこにも見当たらなかった。

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