金のがちょう 3

 インターフォンを鳴らすと、すぐに玄関のドアが開く。

 出てきた笑顔に、俺も思わず破顔はがんした。


「よく来たね。……さ、上がって」

「こんにちは。えっと……この子もいいかな? ちょっと訳があって、預かることになって」


 おどおどしているソウタをつかまえ、前に出すと、ばあちゃんはまたにっこり笑った。


「可愛いお友達ね。もちろん構わないよ」

「あとで、他の友達も来ることになると思うんだけど……」

「いいに決まってるでしょ。暑いからとにかく上がんなさい」

「うん、ありがとう」


 何も聞かずに受け入れてくれるばあちゃん、やっぱり大好きだ。

 中へと入ると、木の香りがする玄関には花が置かれ、前に来た時とは違う絵が飾られていた。

 ぼんやりと立って辺りを見回しているソウタに中に入るようにうながす。すると、ようやく靴を脱いで上がり、きっちり揃えてからついてきた。

 短い廊下を進めば、その先にはリビング。ちょっと少女趣味入ったインテリアも、やっぱり懐かしい。


「手を洗ってきて。お友達もね」


 ばあちゃんに言われ、俺はソウタを洗面所へと連れて行く。ソウタには少し高すぎるから、体を抱えて手を洗わせ、それから俺も手を洗う。

 リビングに戻ると、ちゃぶ台の上には皿に載せられたゼリーと麦茶が並んでいた。


「どうぞ、食べて」


 ばあちゃんの笑顔に、ソウタは喜んでゼリーを食べ始める。

 しばらく俺たち二人が食べる姿を見守った後、ばあちゃんが言った。


「たかちゃん、本は向こうの部屋に置いてあるよ」

「あっ、ありがとう」


 そうそう。すっかり忘れてたけど、そもそもの目的はそれだった。

 俺は麦茶の残りを飲み干し、奥の和室へと移動する。そこは俺たちが泊まりに来るとき、いつも利用する部屋だった。

 中へと足を踏み入れれば、畳のにおいが鼻腔びこうをくすぐる。部屋の隅には、和菓子屋の分厚い紙袋が置かれていた。

 二重に重ねられた袋の中を改める。中にはぎっしり本が詰まっていて、持ち上げてみるとかなり重たい。そのうちの一冊を手に取り、ぱらぱらとめくってみる。


「うーん……?」


 やっぱり、見覚えがある気がした。

 どれも書店や図書館、学校にだって置いてあるだろうから、その記憶もあるかもしれないけど、これだけの本がばあちゃん家にあって、俺が見てないってことは考えにくい。実際、姉貴は覚えてたわけだし。


「ん?」


 最後のページまでたどり着くと、裏表紙の部分に『さくらたかや』とつたないい字で書かれている。

 その字に親近感は感じないけれど、やっぱりこれは、俺の字なんだろう。


 ……さき、さま……は……

 ま……ほ、うの……


「え……?」


 何だろう、今の。急に背中が冷たくなったような気がした。

 何かを、思い出しかけたような――?

 俺が記憶の糸を一生懸命、手繰たぐり寄せていた時、チャイムの音が聞こえた。


「たかちゃーん、お友達きたよ!」


 ばあちゃんに呼ばれ、俺は急いでリビングに戻る。


「お邪魔しまーす!」


 そこには立木たちきと、黙って頭を下げる渡部わたべの姿。何が入っているのか、でっかい袋を手にげている。


「めっけちゃんもね、学校のイベントでこの近くにいたんだって」

「ああ、阿佐あさファームさん。この時期ブルーベリー狩りやってるのよね。小学生の団体とかがよく来てるみたい」


 ばあちゃんが袋のマークを目ざとく見つけて余計なことを言うと、無言のまま顔を歪める渡部。

 いやまあ、高校生が採りに行ってもいいと思うよ。口に出すと追い討ちかけそうだから出さないけど。

 ソウタはというと、急に人が増えたことに、少し驚いているようだった。


「大丈夫だよソウタ。二人とも見た目より優しいから」

「こんにちは、ソウタくん。見た目も中身も優しいまなちゃんと、見た目は怖いけど中身はおちゃめなめっけちゃんだよ」

「渡部だ」


 訂正はそこだけでいいのか。

 とにかくそれほど警戒しなくてもいいということは伝わったのか、ソウタの表情は幾分いくぶん柔らかくなる。


「それ、奥に持ってってもいいかな?」


 ばあちゃんが用意してくれてた三人分の飲み物とゼリー、それから渡部のお土産のブルーベリーを盆に載せ、俺は奥の部屋へと移動を始める。二人もあとからついてきた。


「お、勉強してるんだ、感心感心」

「ようやく自覚が出てきたか」


 紙袋の中身を見た先輩方から、それなりにお褒めの言葉をいただきつつ、俺たちは適当に座る。盆は古い文机ふづくえの上に置いた。


「鏡よ鏡、この家のリビングにいる『つむ』はだーれ?」


 立木は早速手鏡を取り出すと、いつもの言葉を唱え始める。


『それは「金のがちょう」です』

「ま、わかってたけど一応ね」


 まだ童話全集を読み返してはいないが、俺も全く知らないというわけじゃない。

 『金のがちょう』は、細かい部分は覚えてないが、金色のがちょうが、磁石のように人をどんどんくっつけていってしまう話だったと思う。


「だから、ターゲットになった佐倉さくらにくっついてっちゃうって感じなのかな。――あまーい! 売ってるのと味が違う」


 立木の台詞せりふの後半は、渡部が採ってきたブルーベリーについての感想だ。


「あんま食うなよ。俺のがなくなるだろ」

「いーじゃん、また採りに来れば」

「学校行事じゃなきゃ、もう来ねぇよ!」

「このままお母さんのところに返しても、何かきっかけがあれば戻ってきちゃうかもね。たぶん、能力のことで揉めたんだろうから」


 その意見には、もう一人の『紡ぎ手』である渡部も同意の表情を見せた。

 それは俺にも想像がつく。どこにでもついてこられたら、困ることだってあるだろう。


「だけど、さ……このまま放っておく訳にもいかないよな」

「でも、どこに連絡したらいいのかもわからないんでしょ?」

「それなんだよな……会ってからほとんど黙ったままだし」

「何か持ってるんじゃない? 携帯とか、ネームプレートとか」

「そうかも」


 そろそろソウタも落ち着いたと思うから、確認してみるしかないか。

 そう思って様子を見に行くと、疲れたのか、座布団を枕にソウタは眠っていた。体にはタオルケットが掛けられている。


「……はい、ええ」


 その時、キッチンのほうから話し声が聞こえたので、俺は、静かに見に行ってみる。

 そこではばあちゃんが、電話をかけていた。


「……ええ、そうたくん、今は疲れたみたいで、寝てますわ」


 その名前が口に出された瞬間、心臓が跳ね上がる。俺はそれをなだめながら、耳をそばだてた。


「はい……はい。いえいえ、いいのよ。私も可愛いお客さんがいるのは楽しいから。それでは、お待ちしてますね」

「ば、ばあちゃん!」


 通話が終わるのを待って、思わず大きな声を上げると、しーっと人差し指を立てられる。

 俺は慌ててリビングのほうを見やるが、ソウタが起きた様子はなかった。


「そうたちゃん、迷子なんだって? そういう大事なことはちゃんと言わなきゃ」

「ごめん」


 謝る俺に、ばあちゃんは笑う。


「お仲間だからほっとけなかったんでしょ」


 『仲間』という単語にまたドキリとしたが、それが別の意味で使われていることはすぐに理解できた。


「そうたちゃん偉いね。電話番号、ちゃんと言えるのよ。どうもお母さんと何かあったみたいなんだけど。ほんと、たかちゃんの小さい頃を思い出すわ」


 改めて言われると、子供の頃のこととはいえ、恥ずかしい。


「でもたかちゃんの家出とは状況が違うからね。お母さん、急いで迎えに来ると言ってたけれど、あと一時間はかかるみたいね」

「一時間!?」

「今、戸羽とばのあたりらしいから、そのくらいはかかるでしょうね」

「いや……」


 そうじゃなくて、思ったより早い。

 果たして和葉かずはさんは、それまでに間に合うんだろうか。

 その時、ポケットのスマホが震えた。確認すると、グループの通知。

 そこには、待ちわびたバラのアイコンからのメッセージが。


<あと一時間くらいで着きそう>


 うわぁ、すっげぇ不安。


「どうしたの?」

「いやいや、何でもないよ」


 不思議そうにこちらを覗き込むばあちゃんに、俺は慌てて笑顔を見せた。


 ◇


 それから気が気じゃないまま過ごした一時間強。

 インターフォンの音が、家の中へと響いた。


「はーい」

「ごめんください!」


 ばあちゃんが向かった方角から聞こえてきたのは、和葉さんの声――ではない。


「あの、颯太そうたは……?」

「こちらに」


 足音が近づいてくる。ソウタのお母さんは、思っていたよりも若い感じだった。

 地味なTシャツにベージュのパンツ姿で、顔中に汗をかき、短めの髪も乱れている。


「颯太?」


 その声が不審げに揺れ、後から来たばあちゃんの目も大きく見開かれた。

 俺と立木は、急いで振り返る。庭に面した大きな窓には隙間が出来、レースのカーテンがはためいていた。


「えっ? ソウタくん?」


 立木は床に落ちたタオルケットを呆然と見る。俺は急いで窓の外を見に行った。


「さっきまでいたのに――とにかく、まだ近くにいるはずだから探そう!」

「ここに戻ってくるかもしれないし、あんたは家にいたほうがいいって。目を離しちゃって本当にごめんなさい! おばあちゃん、ここら辺で子供が行きそうな場所、教えてくれます? みんなで探しましょう!」


 立木はまくし立てるように言って、まだ状況を飲み込めてないふうの二人を連れ、家を出て行く。

 俺はそれを、ぼんやりと見送った。



 すぐに十分――十五分と時間が経っていく。

 これ以上は難しいんじゃないだろうか。そう思った時、再びインターフォンが鳴った。

 急いで玄関へと向かい、ドアを開ける。


「遅くなってごめんなさい!」


 待ちに待った人物に頷き、家の中へと招き入れる。

 リビングへとたどり着くと、そこには用事で帰ったはずの渡部と、迷子になったはずのソウタの姿があった。渡部の能力で姿を隠していたのだ。

 ソウタはすっかり目が覚めていて、もっと騒がれるかと思ったんだが、大人しくちょこんと座布団に座っている。


「大体の話はした。こいつは能力のコントロールは出来ていないようだ」


 渡部は言って、ずれた眼鏡を指先で直した。

 俺が立木にメッセージを送っている間、到着したばかりの和葉さんは息を整えながら、ソウタの前に屈みこむ。


「ソウタくん」

「……きらわれちゃったの」


 ソウタはぽつりと言った。


「ママに、きらわれちゃった」


 そして、ぽろぽろと涙をこぼす。


「ソウタくん。がちょうさんとバイバイできる?」


 ソウタはしゃくりあげながら、うつむいた。いざ、そう言われると、決心が揺らぐようだった。

 目の前に話が通じる人間が何人も現れたから、なおさらかもしれない。


「我慢しようとしても、がちょうさんが、ママのところに連れていっちゃうんだよね?」


 ソウタは泣きながら、こくんと頷く。


「あのね、ママはソウタくんのこと、嫌いになったわけじゃないんだよ。でも、がちょうさんのことがわからない人は、とっても怖いの。ソウタくんも、おばけは怖いでしょ?」

「……こわい」

「そうだね。がちょうさんはおばけじゃないけど、がちょうさんが見えない人にとっては、おばけと同じくらい怖いんだよ」


 一生懸命考えようとしている小さな姿を、みんなが見守る。

 やがて伏せられた目は、真っ直ぐに和葉さんへと向いた。


「がちょうさん、また、くる?」


 和葉さんもその目を見返しながら、小さく首を振る。


「わからない。でも、ソウタくんが大きくなって、またがちょうさんに会いたいって心から思ったとき、また会えるかもしれない。寂しいかもしれないけど、今はママか、がちょうさん、どっちかを選ばなきゃ」


 それから口を閉じ、静かにソウタの答えを待った。

 やがて、結論はもたらされる。


「……ソウタ、がちょうさんとバイバイする」

「そう」


 和葉さんは、ソウタを抱きしめた。


「目を閉じて。恐くないから」


 ソウタは頷いて、目を閉じる。またひとしずく、涙が目蓋まぶたから零れ落ちる。

 やがて、ささやくような甘い響きの声が聞こえた。


「おやすみ。――『金のがちょう』」


 ◇


「見つかったって!?」


 『完了』の連絡を受けて、立木がばあちゃんと、ソウタのお母さんを引き連れて戻ってくる。今回わかったことだが、中々の演技派だ。


「ソウタ……!」


 お母さんは真っ直ぐにソウタの元へと駆け寄り、泣きながら抱きしめる。


「ママ……?」


 微睡まどろみの中にいたソウタは、震動に薄っすらと目を開け、そこにお母さんがいるとわかると、首筋にしがみついた。

 それから今までで一番、大きな声で泣く。


「ごめんね、ソウタ、ひどいこと言って……」


 再会がよりハラハラしたものになったのは俺たちのせいもあるんだけど、とにかくほっとした。

 たとえ能力が眠ったとしても、これから色々な出来事があるだろう。でもきっと、今までとは違った生活ができるんじゃないだろうか。


「本当に、よかった! ……あら、あなた」


 もらい泣きをしていたばあちゃんはそこで、渡部に目をとめる。


「あー、渡部がさ、用事で帰ったんだけど、途中で出会ったらしくて。ソウタくんと」


 俺が慌ててフォローをすると、ばあちゃんは満面の笑みで手を叩いた。


「そうだったの! 助かったわ。どこで会ったの?」

「は?」


 その質問は想定外だったらしく、渡部は一瞬言葉を失ってから、慌てて付け加える。


「あ――阿佐ファームで」

「あらそう。またブルーベリー採りに?」

「い、いや――まあ」


 苦々しい顔をする渡部に、思わず吹き出す俺と立木。

 今度はそれを不思議そうに眺めていた和葉さんと、ばあちゃんの目が合った。


「お、お邪魔してます! みんなが集まってると聞いたものですから」

「そうそうそう、家の中も一緒に探してもらったりしてさ」


 今回のフォローは成功したようで、特に深くは突っ込まれなかった。


「皆さん、ご迷惑をおかけして、本当にすみません」


 気がつくと、目を真っ赤にしたソウタとお母さんが、こっちを見ている。


「ありがとうございました。……ほら、ソウタもありがとうございましたって」


 ソウタはお母さんの真似をし、ぴょこんと頭を下げてから、元気な声で言った。


「ありがと、ございました!」


 その無邪気な笑顔は、見ているだけで幸せになれるかのようだった。

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