金のがちょう 2
自転車を走らせ、
駐輪場に相棒を待機させ、ホームへと向かう。次の電車を確認すると、あと二十分ほどだった。
さして広くはない構内には、コンビニと、パンも売っているカフェ。せっかくだからばあちゃんに何か土産でも……とは思ったんだが、あんまり良さそうなものは見当たらない。いつも利用する駅ならもっと広いし、色々あるんだけど。
そんなことを思いながらコンビニから出ると、三、四歳くらいだろうか。一人でぽつんと柱に寄りかかっている男の子が目に入った。その上に張られている楽しげなポスターとはあまりにも対照的なその雰囲気が、何だか気になってしまう。
迷子なんだろうか。
改札へ向かいながらもそっちを見ていると、顔を上げた男の子と目が合った。
すがるように向けられる瞳に、流石に放ってはおけなくなる。
「どうした?」
近づき、少し腰をかがめて聞いても、男の子は黙ったままだ。
「お母さんとはぐれた?」
そう聞くと、小さく頷いた。
「そっか。……えーっと」
こういう時、どうすればいいんだろう。
「とりあえず、駅員さんのところに行こう」
少し迷った後、手を差し出すと、そこに恐る恐る小さな手が乗せられる。
俺は少しだけ安心して、その手を引き、窓口にいる駅員さんに事情を話す。
「ああ、それはそれは……お母さん、どっか行っちゃったのか」
駅員のおじさんは太い眉を器用に色んな形に変えながら、男の子の頭に手を置いた。
優しげな声音にこくりと頷く様子を見てほっとした俺は、慌てて電光掲示板を確認する。
――発車まであと三分。
「あの、それじゃお願いします」
心配ではあるけど、俺がここにいても出来ることもないし、駅員さんに任せておけば安心だろう。
「はい、ありがとう。……お兄ちゃんにありがとうって」
一方、まだ不安そうにしている男の子にバイバイと手を振って、俺は自動改札を通り抜ける。
そのまま階段を小走りで上がり、大きく口を開けて待っていた乗降口と入った直後に、ホームへと軽やかな音楽が流れてドアが閉まった。
――ぎりぎり間に合った。
大きく息をつく。するとつられるように汗が噴き出してきた。
体に伝わる揺れ。それから横へと流れ出した窓の外を眺め、Tシャツの袖で汗を拭う。
さっきの子、早くお母さんに会えるといいな。
いいことをしたという誇らしげな気持ちと、気恥ずかしさが混じった妙な
平日の昼間ということもあり、電車の中に人はあまりいなかった。
座席の空きも沢山あったんだけど、俺はそのまま反対側のドアのところまで行って、手すり付近に体をもたせ掛ける。こっちのドアはちょうど、目的の駅に着くまでは開かないはずだ。すでに窓の外にホームは見えなくなり、今は四角いビルの壁を、次々と映し出していた。
俺はスマホにイヤフォンを装着し、手に入れたばかりのあの曲を再生する。ギターの音が耳の中へと広がった。
曲を聞きながら、銀のフェンスや通行人、街路樹や建物が次々と通り過ぎていく様子を眺めていると、疾走感が増すようで心地いい。
きみが Heal Liar Rule 口にする言葉は
一つ一つ 壊れて嘘になる
Bale Hank rend hen 彼が狂人だというなら
僕らの正しさはどこにある?
二つを分かつものは どこにだってありはしないのさ
僕が 昼間から 耳にする感情論
Heal Flour 酷く やつれた白い頬
言葉遊びなら他でやってくれ Arid Bee
自分が言ってること理解してる?
彼らを責めることは 誰にだってできやしないのさ
タイトルも変わってるけど、歌詞も改めて聞くと不思議な感じだ。
歌の部分は短め、ほとんどを間奏が占めている曲で、ライブの時、他の曲と比べてそれが異質に感じられたから、特に印象に残ったということもある。
ブログにはライブハウスのオーナーが歌詞を書いたとあったけど、スペシャルっていうことは、今回だけってことなのかな。
ギターの音が
そのうち四角い窓に映し出されるみたいにライブの光景が思い出されてきて、心地よく曲の世界に浸っている間に、目的の駅に着いていた。
◇
駅から出て、
左側に立つフェンスの網目から、電車が起こした風が吹いてきた。
主に住宅地になっているこのあたりは、俺の家の近所よりもずっと緑が多くて静かだ。いつの間にか見覚えのない家が出来てたりして、ちょっと来ないだけでも変わるもんなんだな、と思ったりする。
いつもあまり多くの人とすれ違った記憶はないけれど、平日の午後の微妙な時間帯だからなのか、あるいは天気のせいか、駅からここまで、まだ誰とも出会っていない。
照りつける日差しの中、静かな住宅街にセミの声と、俺の靴がアスファルトを蹴る音だけが目立つ。
――いや。
ぺたっ、ぺたっと音がする。
俺の後ろから――足音だ。
何気なく振り返ろうとした俺の首が、硬くなってそれを押しとどめた。
――もしかして、つけられてる、とか?
その思考をきっかけとし、
――いや、勘違いだって。
そう
俺は歩むスピードをそのままにして、周囲に視線を走らせる。だけど
どうしよう。
緊張に指先を震わせながら、背後に意識を向けたまま、なるべく自然なふりを装って、スマホを取り出した。ついてくる気配に特に大きな変化はない。
その時俺の目の端は、斜め前にある、光るものを
カーブミラーだ。その銀の表面はじりじり、じりじりと俺自身の姿を映し出し、やがて追跡者の姿をもあらわにする。
そこにいたのは――さっき駅員さんに預けてきたはずの男の子。
慌てて振り返る。びくっとし、こちらを恐る恐る見るその姿に間違いはない。
「えっ――と、ついて来ちゃったのか?」
一気に力が抜けて、汗がまたどっと噴き出す。
自分でもへなへなした声になったと思ったが、男の子はゆっくりと頷いた。
「駅員さんは? お母さんには会えたの? ――あっ、もしかして家がこのあたりだとか?」
あの駅で困っていた訳だし、そうだったなら納得がいく。
しかし、今度は首が横に振られた。視線を周囲に向けてみても、近くにお母さんらしき人の姿もない。
「本当に、俺の後について来ちゃった?」
男の子は相変わらず、どうしていいかわからないという顔で頷く。
つーか俺もどうしたらいいのかわかんねーよ。
とりあえず駅まで戻って、そこからさっきの駅員さんに事情話したほうがいいんだろうか。
そう思って手を引こうとした時、新たな疑問が浮かんだ。
「きみ、名前は?」
「……ソウタ」
「ソウタ。ここまで、どうやって来たんだ?」
見たところ、手ぶらに見える。そもそも、このくらいの歳で電車に一人で乗れるんだろうか。
ソウタは何やら迷っているようだったが、ようやく重い口を開いた。
「……がちょうさんに、つれてきてもらったの」
「がちょうさん?」
「うん、きんいろ、なの」
一瞬ぽかんとしたが、俺はすぐに自分も持っているICカードのデザインを思い出す。
でも、鳥――ではあるけど、どう見てもがちょうには見えないような。
「そのがちょうさんって、どこにいるんだ?」
ソウタはゆっくりと、小さな手を持ち上げた。その人差し指の先が、こっちに向けられる。
それが示すのは――俺の右隣。そこには熱せられた歩道があるだけだ。
何だかすごくいやーな予感がしてきたぞ。
「ここに、いるの?」
「……うん」
俺が確かめるように同じ場所を指差せば、ソウタは不安げに頷いた。
たぶんそれは自信がないんじゃなくて、俺に信じてもらえないことを心配してるんだろう。
「えー……とね」
脳内を目まぐるしく思考が駆け巡る。
「ちょっと待っててくれるかな? ジュース飲んでていいから」
とりあえずソウタを道の
それから手にしたままだったスマホのディスプレイに触れた。
『おかけになった電話番号は、電波の届かないところにおられるか、電源が……』
まず
俺は一度ソウタの様子を
やけに長く感じる数回のコール音の後、あくび交じりの声が聞こえる。
『はーい……何か用?』
「き、金色のがちょう」
『は?』
それにほっとする間もなく、とにかく伝えなきゃと口から出た言葉には理解不能だという反応が返ってくる。
「だから、つ、『
『え――あんたどこにいんのよ?』
先ほどより
そのうちに気持ちも落ち着いてきて、時々ソウタの様子を見ながら、
ソウタは
『うーん……和葉さん、今日は学校のイベントだから携帯切ってるみたい。
「禅寺ぁ!? バカじゃねーのサンジョ!?」
『アンタより頭いい人ばっかりだよ』
冷静な突っ込みをされて言葉を失う俺。
それはそうなんだけどさ。何もこんな時に禅寺なんて行かなくても。
『とにかく、あたしもそっち行くから』
「ああ、よろしく」
通話を切ると、自然に溜め息が漏れる。
またソウタの方へ目を向けると、心配そうにこっちを見ていた。
「おまたせ」
声をかけ、近くまで行けば、その表情は少しほっとしたものになる。
しかし、この暑さの中、立木が来るまで外で待ってるのもなぁ。俺一人なら、まだ何とでもなるんだけど。
「ソウタ。一緒に、俺のばあちゃん家にいこうか」
それしかないと思い立ち、手を差し出すと、ソウタは出会った時と同じように、そこに小さな手をそっと乗せた。
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