第9話 金のがちょう

金のがちょう 1

 暑さは急激に増してきて、輝く太陽がじりじりと皮膚を熱する。

 だが今日、俺は上機嫌じょうきげんで家路へとついていた。


 返却されたテストの結果は予想を裏切らず、中々のものだった。思わず立木とハイタッチをし合って、周囲から生温なまぬるい目で見られたりしましたよ。

 無事赤点もなく切り抜けることが出来たし、あとは夏休みまで特に大きなイベントもない。解放感でいっぱいで、流れる汗すら爽やかに感じたりした。


 家に着くと、とりあえず冷蔵庫を開け、入っていたジュースを取り出して部屋へと向かう。

 エアコンをつけて鞄をベッドの上に投げるように置き、俺もそのまま腰を下ろした。

 ボトルを口につけ傾けると、ひんやりと弾ける炭酸と一緒に、オレンジの香りが口の中に広がる。

 すると次第に冷えてきた頭の中に、この前の出来事が浮かんできた。


 俺はスマホを片手に、何気なく”Glass Coffin”のサイトを見てみる。黒背景に浮かび上がる銀のラインが結晶のようにも見えた。

 イベント一覧が載っているページに、『7/6 アルガンノア』と書かれている。ライブの日、色んなことに気を取られていてあんまり聞き取れてなかったんだが、そんな名前のバンドだった気もする。

 リンクをタップすると、今度は真っ白なページへと移った。特に何の変哲へんてつもない、レンタルのブログサービスだ。

 最新のエントリには、こう書いてあった。


『おかげさまでイベント大盛況! ありがとう!

メンバー全員、まだまだ元気です!』


 その下には写真。場所はカラオケ……だろうか、全員笑顔だ。

 こうやってよく見ると、女の子のファンが多かったのもわかる気がする。


『ラストに演奏した新曲、来てくれたみんなにプレゼントするね!

“Glass Coffin”オーナーの仁科にしなさんが作詞してくれたスペシャルな曲です』


 矢印の下には、音譜のマーク。そこに触れると、いきなりダウンロードが始まった。

 ちょっとびくっとしてしまったが、プレゼントって書いてあるし問題はないだろう。

 しばらくして勝手にファイルが開き、スピーカーから小さく流れる聞き覚えのある曲。


「お、ラッキー」


 最後ってことで印象も強かったんだけど、この曲よかったんだよな。タダでもらえるなんて助かる。

 ディスプレイには”Neon's Springs”との表示。ネオンの春? ネオンのバネ、かな。それとももっと違う意味があるのかもしれない。

 とりあえずプレイリストに放り込み、ぼんやりと曲を聞き流しながら、再びライブハウスのサイトに戻って眺めていると、今度は別のことが頭に浮かんできた。


 『グラス・コフィン』っていう名前を聞いて、和葉かずはさんも渡部わたべも、すぐにそれを童話のタイトルと結びつけた。立木たちきはすぐには反応しなかったが、すんなり納得してたから、多分、英語がピンと来なかっただけだと思う。『アメフラシ』と遭遇した時もそうだったし、やっぱり三人とも童話に関する知識がハンパない。


 でも俺はさっぱりだ。童話全集を読み直さねばと思ったのは大分前のことで、ばたばたとした毎日の中、結局読むことが出来てない。

 今、時間があるうちに読んでおくべきなんじゃないだろうか。今から知識で追いつくのは難しくても、せめていちいち尋ねて足を引っ張らない程度にはなりたいし。


「童話……か」


 ネットで探してみても、中々これというサイトも出てこない。

 概要がわかれば問題ないっちゃ問題ないんだけど、せっかくだからきちんと読んでおきたいという気持ちもあるしなぁ。

 しかし童話全集をショップで探してみても、それなりの値段がする。最近やたらと何かをおごる機会にばかり恵まれてるから、またここで出費というのも厳しい。


 ――となると、やっぱ図書館か。


 俺は体を起こし、手早く支度をする。思い立った時に動いておかないと、また億劫おっくうになってしまいそうだったからだ。


「よし」


 必要なものをもう一度簡単に確認し、俺は颯爽さっそうとドアを開けた。

 ――途端とたん、階段の下から聞こえてきた鼻歌に、足裏が自動的にブレーキをかける。

 恐る恐るそちらを覗き込むと、姉貴がアイスバーを食いながら、二段上っては一段降りるということを繰り返しているところだった。

 こんな時に、また妙なエクササイズを。

 正直無視したかったのだが、このまま待っているといつ通れるようになるかわからないので、仕方なしに声をかけることにした。


「姉ちゃん」

「なになに? 弟よ」


 姉貴は目をきらきらとさせながら階段を駆け上ってくる。

 しかし、いつもながらこのタイミングのよさは何なんだ。何かの能力か。それとも部屋に盗聴器でも仕掛けられてるんだろうか。

 俺は浮かんだ恐ろしい考えに身を震わせながら、声をかけてしまった手前、とりあえず思いついたことを口にする。


「あー、えっと……そうだ、童話全集とか持ってない?」


 すると姉貴は、大きな目をぱちぱちとまたたかせた。


「なんでそんなの必要なの?」

「ちょっと、調べ物で」

「ふーん」


 それからしばらく考えるように腕組みをし、またアイスを一口かじってから喋る。


「そういえばラプンツェルがどーのこーのって言ってたんだっけ? 長袖で」


 一体どこまで筒抜けなんだ。タケはスパイか。

 俺はあからさまに大きな溜め息をつく。聞いても無駄だとは思ってたけど、本当にただ無駄なだけだった。


「じゃあそういうことで、図書館行ってくるから」


 どいてくれと振った手を、少しの間見つめてから脇にけた姉貴を通り越し、俺はさっさと玄関へ向かう。

 すると背後から、「そーいえばー」とわざとらしい声が聞こえてきた。


「おばあちゃん家にあったんじゃないかなぁ、たくさん」

「ばあちゃん家?」


 聞こえないフリをして出て行こうかと思ったんだが、その単語が出たことが気になり、結局振り返ってしまう。

 ちなみに俺たちの間でばあちゃん家といえば、ここから電車で三十分くらいの場所に一人で住んでいる、母方の祖母の家のことを指す。父方は『じいちゃん家』だからだ。

 小さい頃は気に入らないことがあると、家出すると言っては、よくばあちゃん家に逃げ込んだもんだった。


「そうだっけ?」


 だが、そこで童話全集を見たという覚えが、俺にはない。

 孫二人が遊びに行ってたことを考えると、確かにあってもおかしくはないだろう。どこかに仕舞しまってるんだろうか。


「……もしもし。あ、あたしあたし」


 俺がそうやって考えている間に、姉貴は電話で誰かと話し始めていた。


「あのね、おばあちゃん家に童話全集ってあったよね? ……あ、やっぱり」


 その相手は、どうやらばあちゃんらしい。

 呆れ顔で眺める俺を、楽しげな瞳がちらりと見返す。


「タカが必要なんだって。今から取りに行くから」

「えっ」

「うん、あたしもまた今度遊び行くね。それじゃーね」

「いや、ちょっと」

「おばあちゃん、持ち運びやすいようにしといてくれるって」


 言葉を挟む余裕もなく、いつの間にか話は決まっていた。

 にこやかな笑みでサムズアップをする姉貴に、俺は溜め息をつく。


「……ま、いいけどさ」


 高校入ってから中々会えてなかったし、せっかくの機会だからいいかな。

 そう思い直すと、俺は「お土産よろしく!」という声を無視し、今度こそ家を出た。

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