ガラスのひつぎ 3
「……うまかっただろ」
「だからー、マズかったんだって。油っこくて」
「こってりだから、あんなもんだろ」
「あれじゃごってり、だって」
「……それ、別にうまくないぞ」
「ほら、うまくなかったでしょ?」
「馬鹿野郎、たとえの話だ」
「ヤローじゃないもん!」
「
あ、こっちにまで飛び火した。
何か面倒なことになりそうな予感がしながらも、俺は頷く。
「ああ」
「ほらな」
「佐倉みたいなビンボー舌に聞かないでよね!? この前だって落ちてたお菓子拾って食べたんだから!」
「食ってねぇよ!」
あれは自分のポケットから落ちた物と勘違いして拾ってしまっただけで。あとでちゃんと捨てたし。
そう説明する前に、渡部の冷たい視線が突き刺さる。
「だから――」
「私も美味しかったよ」
「ええー!?
「まなちゃんは、あっさりが好きだもんね」
「ほらな。貧乏舌はお前だ」
「……あのさ」
「あっ、あれじゃない? グラス・コフィン」
俺の弁明は済まないまま勝手に話は進んでいき、そのうち目的地が見えてきてしまった。
これだと俺、拾い食いしたみたいなイメージのままじゃねーかよ。
でも近づく建物を前にして、そんなことを言ってられなくなってくる。
「『
立木は言って笑う。
事前に魔法の鏡で、ライブハウス近辺のことは調べてある。『紡ぎ手』がいないとわかってはいても、まとわりつく緊張感は中々ぬぐえない。
「あまり構えても仕方がないわ。こっちも普通に行きましょう」
「そうだな」
流石というかなんというか、和葉さんも渡部も割り切るのが早い。
俺は言うべきことが見つからず、ただ黙って頷いた。
◇
「いらっしゃい。……あら、見ない顔ね」
中へと入ると、優しげな声に出迎えられる。
「あっ……えーと」
その声の主が、ちょびヒゲのおっさんだったため、俺は少しばかり動揺してしまった。
つーか、いつの間にか俺が先頭になってるのは何故。
「……すみません。ちょっと見学というか、聞きたいことがあって」
「そうなの。あと一時間くらいしたら今日のイベントに出るコたちが来るから、それまでだったらいいわよ」
「は、はい。すいません」
俺はぺこぺこと頭を下げ、鳩みたいになりながら中へと入る。
背後を睨むと、三人ともそ知らぬ顔でついてきた。
キャパ百人というところだろうか。店内はほぼ黒一色で、どこら辺に『ガラスの
壁際には色々なバンドのチラシが置いてある。そのケースが透明なので、もしかしたらこれが申し訳程度のガラスの棺要素なんだろうか。でもアクリルケースだしなぁ。
「あの」
そんなことを思っていたら、和葉さんが口を開いていた。
「”Glass Coffin”ってどういう意味ですか?」
「ああ、オーナーの好きな曲のタイトルよ。イギリスのロックバンドの曲なの」
店長は相変わらずのオネ――やわらかい口調で答える。バンド名も教えてくれたが、俺たちの誰も知らなかった。ライブハウスの名前だし、曲名から取ったというのは説得力がある。
「スウィーツ・ハウスってバンドも、ここでライブやってます?」
今度は立木が尋ねた。
「ええ、何度か」
「今度はいつやるんですか?」
「まだ次の予定は入ってないわね」
「住んでるところとか、わかりませんか? 大体でいいんで」
相手は普通の人っぽいし、半ばヤケで飛ばした俺の言葉に、店長は眉をひそめる。
「アタシにお客の個人情報、お漏らししろっていうの?」
「いや、そこは丁寧に言わなくても……」
「ソコってドコよ! とにかくダメダメダメ! そういうの困るの。たまにいるのよね、ストーカーみたいなファンが」
「そういうことじゃなく、これには事情が――」
「アンタ警察? 違うでしょ? どんな事情があってもダーメ! 変な噂が広がったら、商売やってけなくなるの!」
ただでさえ厳しいのに、と店長は俺をじろりと見る。
「は、はい……すいません」
その迫力に
「ちょっとアンタ!」
今度は店長の声が遠くへ飛ぶ。
ステージ近くで何事かをやっていた渡部は、弾かれたように顔を上げた。
「機材に勝手に触らないでちょうだい! 試したいなら言ってよね」
「ああ――失礼」
一連のやり取りで、俺たち全員、何だか拍子抜けしてしまった。
これじゃ、ただ普通に見学に来て、普通に怒られただけだ。
大して広くはない店の中、もう見て回れるところもない。
「えー……と」
他に何か出来ることはないかと考えを巡らせながらあちこちを見、そこでもう一度アクリルケースに目が行った。
「ライブ――チケット。今日のイベントのチケット、余ってませんか?」
その言葉が意外だったのか、店長は目をぱちぱちと
「え、ええ。余ってるけど」
「く、ください。――四枚」
ちょっと周囲に動揺が走った気もするが、反対の声は上がらなかった。
◇
「いよいよ、最後の曲になりました」
会場がどよめき、女の子の残念そうな声が
イベントは何事もなく始まり、あっという間に終わりを迎えようとしていた。
君が Heal Liar Rule 口にする言葉は
一つ一つ 壊れて嘘になる
Bale Hank rend hen 彼が狂ってるっていうなら
僕らの正しさはどこにある?
二つを分かつものは どこにだってありはしないのさ
腹に響くようなベース音と対照的に、軽やかに刻まれるドラム。
ノイジーにギターを鳴らしながら、どこか気だるげなヴォーカルが乗る。
結構好みの演奏をするバンドだったから、こんな状況じゃなければ、もっと楽しめたんだろう。
だけど俺たちみんな、怪しまれない程度にノっているフリをするので精一杯だった。
「これからどうしようか」
会場から流れ出る人を眺めながら、俺は呟くように言う。
辺りはすっかり暗く、色とりどりの街の明かりだけが目に鮮やかだ。
「しばらく様子を見るしかないだろうな」
渡部は言って、同じように入り口を見た。
「おまたせ」
そこへ立木と和葉さんがやってくる。
近隣の迷惑にならないよう、外では静かにしろと言われていたので、小声での会話になった。
「知ってるって人、いなかったよ」
「私も。フライヤーがあるのを見たっていう人がいたくらい」
俺も会場で近くにいた人にそれとなく聞いてはみたものの、”Sweets House”のことは知らないと言っていた。
ヤツらのテイストを知らないからなんとも言えなくはあるけど、そもそも会場が同じっていうだけで客層がかぶるというわけでもないだろうし、あんまり聞きまわってると『紡ぎ手』がどうとかいう前に、要注意人物扱いになりかねない。
「でもさ、それなりに楽しかったんじゃない?」
しばらく歩いて大きな通りに出ると、一気に人の数が増す。立木が安心したように声を大きくした。
「まぁな」
「俺はああいうのは好みじゃない」
「私も普段は聞かないタイプの音楽だったけど、良かったよ」
誰の賛同も得られなかったのが不服なのか、渡部が渋い顔をする。
「めっけちゃん、ビンボー耳だ」
立木の言葉に、俺も和葉さんも吹き出し、渡部はむっつりと黙り込んだ。
俺は何気なく、来た道を振り返る。
『ヘンゼルとグレーテル』は眠りについた。
いつか別の『紡ぎ手』が襲撃してくることはあったとしても、一旦はこれで終わりなのかもしれない。
もうここからは、ガラスの棺は見えなかった。
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