ガラスのひつぎ 2
「動画のこと?」
内密に話したいことがあると言った俺たちを見て、すぐに誰なのかを思い出したのか、男はあごをしゃくって、テニスコートから少し歩いた先にある、緑の多い場所へと案内した。
「まさか消せって言いに来た? いーじゃん別に。モザイクかけてっし」
人の姿がないところまで来ると立ち止まり、こちらが話し出すよりも先に、面倒そうな言葉が放たれる。
「いや、やっぱ困るんで」
ネット上で得られた投稿者の情報は
不安はあったが、実際に訪れてみると色んな人が出入りしていて、俺たちのことを
動画投稿者の
「大体あれ、パフォーマンスじゃねーの?」
きみ可愛いし、出来れば顔出しでアップしたいんだけど、と
「違います」
「じゃあ何? なんか探してたとか?」
「まあ、いろいろあって……」
だがこっちを向かれたところで、本当のことは口に出来ない。
「嫌だね」
そんな俺を見て深沢は鼻を小さく鳴らすと、きっぱりと言った。
「あの動画、再生伸びてきてるし、せっかくファンもついて、わざわざ感想言いに会いに来てくれたのにさ」
「ファン?」
ヤツは、今度は急に顔をにやけさせる。
「いい動画ですねって、可愛い女の子が」
「可愛い女の子って、どんな?」
「ゴスロリの……バンドやってるって言ってたな。ええと、スイーツ・ハウスとかいう」
「スイーツ・ハウス」
二つの単語により、俺の中で煙のようにもやもやと曖昧だったファンとやらの形が、一気に像を結ぶ。まんまじゃねーか。
思わず隣へと目をやると、和葉さんもこっちを見ていた。
そういや、本人はゴスロリじゃなくてパンクだとか言ってたっけ。バンドをやってるのだと言われると、二人の格好も妙に納得するものがあった。
「その人とは、何を話したんですか?」
今度は和葉さんのターン。敵は俺の時よりも、
「面白い動画の撮り方とか、編集のコツとかさ。あとはあの動画の撮影場所や……心配しなくていいよ。俺、君たちのこと知らないし、透明人間でも捕まえようとしてたんじゃねーの? って言っただけだからさ」
言ってげらげら笑う深沢。ほぼほぼ正解です。
「動画を消して欲しいのは、個人的なこと以外にも、事情があるんです」
「だからどんな事情?」
「それは」
和葉さんはしばらく迷うようにしてから、ぐっと唇を噛んだ。
「……わかりました。話します。絶対に、誰にも言わないでくださいね」
「ああ、いーよ」
急に声のトーンを落とした和葉さんに、ヤツは顔を近づける。
近づけすぎだろ、離れろ。――と言いたいのを我慢しながら、俺は成り行きを見守った。
「絶対に、絶対にですよ。そうじゃないと……」
何度も念を押す彼女に、へらへらしていた深沢も、少し
そして何となく周囲を見てから言った。
「わかったって。さっさと話せよ」
和葉さんは、さらにためらうような素振りを見せてから、重い口を開く。
「……実は、私の家に代々伝わる、呪いに関することなんです」
その言葉が終わって一瞬の
「はっ? なにそれ?」
「静かに。
しかし和葉さんが表情を変えることはない。
人差し指の先をそっと唇に当てて視線を走らせ、周囲に誰の姿もないことを改めて確認する。
俺も緊張で心臓ばくばく言わせながらも、少しうつむき加減の重い表情を続けた。
「だからー、――ぇっ」
何言ってんだこいつ、面倒なのと関わっちゃったな、ということを物語っていた深沢の顔。
それが、突然引きつった。
慌てて振り返ったそこには、相変わらず誰もいない。
「どうかしましたか?」
「え、いや――風かな、うん」
首をかしげた和葉さんの方へと向き直り、自分を納得させるように言うが、今は風なんか全く吹いていない。ただ蒸し暑い空気が周囲に滞っているだけだ。
「とにかく、あの動画は――ひゃぁっ!」
今度は語尾が悲鳴になる。
深沢は体ごと後ろを向くと、首を物凄い勢いで左右に動かした。でもやっぱりそこには誰もいない。
辺りには木が立ち並んでいて、少し離れたところに大きめのベンチもあるから、人が隠れるのは不可能ではないが、流石にすぐばれてしまう。
それでも確かめずにはいられないといった
「もしかしたら、あれじゃないっすかね?」
「ああ……そうかもしれないわね」
「お、おい。何だよあれって」
するとヤツは足を止め、慌ててきびすを返すと、会話の中へと割り込んでくる。
和葉さんは大きくため息をつき、うろたえる男を
「だから言ったでしょう。呪いに関することだって。動画を消さないって言うから怒ってるんだわ」
「まさか、そんなのあるわけ――」
「見えない手に触られたような感じがしたんじゃないですか?」
畳み掛ける言葉に、深沢の顔がさっと青ざめる。
「やっぱり……そうやって関係ない人に迷惑をかけたくないから、お願いしてるんです。今はその程度で済んでいますが、そのうちエスカレートしますよ」
ヤツの体は寒くもないのに小刻みに震えている。でも顔には玉のような汗が浮かんでいた。
その目は、救いを求めるかのように俺を見る。ゆっくりと、もったいをつけて頷く俺。深沢の口は半開きになり、一瞬の間、動きを止める。
「ど……動画を消せば、怒りは収まるんだよな? ささ探してたってものは大丈夫なのか?」
出来るだけ冷静でいようとする努力は見て取れるが、残念ながらあまり上手く行っていない。
和葉さんは、そんな男に優しく微笑んだ。
「ええ、もう平気です。元々他の人には関係のないことですから、動画を削除さえすれば解決です」
その笑みと言葉とで一気に安心したのか、大きく息をついて笑う深沢に、もう一度念が押される。
「このことは、決して口外しないように。また怒りに触れてしまいますから」
一気に疲労がのしかかったかのように深沢の足取りは重く、その後ろ姿はゆっくりと見えなくなっていく。
「ちょっとやり過ぎたかな」
ぽつりと呟く和葉さんの隣で、俺は曖昧な笑みを浮かべる。
自覚がないみたいだけど、この前の勉強会といい、結構なSっぷりだと思います。
それから二人して辺りに誰もいないのをもう一度確認し、ぐっと親指を立てた。
「ロクな動画がなかったから、少しくらい反省したほうが身のためなんじゃないか?」
すると、今まで誰もいなかった場所に突然、
ヤツは小さく息をつくと、首や肩を回す。
「他のは顔がはっきり映ってるのもあったからな」
マジか。まさかあのタイトルのためだけに、俺たちの顔にモザイクかけたんだろうか。
「あの人『
こちらは和葉さんから連絡を受け、やってきた
彼女にも、会話の内容が伝えられる。
「へぇ、あの妹が来てたとはね。めっけちゃん、ビンゴだね」
「ああ、一人で訪ねて来たのか、兄貴はどこかに潜んでいたのか」
「……あっ、ブログが出てきたよ! スイーツ・ハウス」
立木は滑らせていた手を休め、スマホの画面をみんなに見えるようにかざした。
季節はずれのハロウィンみたいなテンプレートのブログに掲載されている画像を見ると、あの兄妹に間違いない。妹はマイクを、兄貴はギターを持っている。
「何回かライブやってるみたいだな。新宿のグラス――えっと、これ。ライブハウスみたいだ」
「”Glass Coffin”か。――臭うな。罠かもしれん」
「どういうこと?」
「グラス・コフィン――ガラスの
俺が聞くと、面倒そうな顔をした渡部の代わりに和葉さんが教えてくれた。
童話のタイトルが店名に使われること自体はおかしくないことだとは思うが、確かに出来すぎな感じはするよなぁ。
「確かに……怪しいよね。でも他に手がかりがないし、行ってみるしかないんじゃないかしら」
和葉さんはそう言って俺たちを見る。
誰からも異論が出ることはなかった。
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