第6話 ヘンゼルとグレーテル

ヘンゼルとグレーテル 1


「……ま、良かったよね。女子中学生を追い回す変質者って通報されなくて」


 月曜の放課後。

 帰り道で、立木たちきが唐突にそんなことを言い出した。


「あ、ああ……ははは」


 最初は理解できなかった意味がじわじわと伝わってくるにつれ、乾いた笑いが口から出てくる。

 怪しまれるかな、程度には考えてたけど、無我夢中むがむちゅうでそこまでの危機感は持ってなかった。

 今更ながら背筋が寒くなるような気持ちだったが、多田さんのはにかむような笑顔や幸せそうな寝顔を思い出すと、それもまた溶けるように消えて行く。


 そうこうしているうちに、いつものように和葉かずはさんのマンションの7階へとたどり着いた俺たちは、いつものようにインターフォンを鳴らした。


「あれ? 留守?」


 しかし、しばらく待っても返答がない。


「グループにも投稿はない、か……メールとかは?」

「ううん、この前もいつも通りに別れて、今日も予定通りだったから、特には」


 言って立木は鞄から取り出したスマホを指先でいじり、耳へと当てる。


「ダメ、留守電」


 そう判断するまでの時間は短かった。コール音も鳴らなかったのかもしれない。


「電源切れてる?」

「多分。切ってるのかな? あとは圏外とか、故障とか……」


 立木は画面を眺めながら首を捻っている。

 俺は少し迷ってからドアノブに手をかけ、回してみるが、鍵はしっかりかかっていた。


「開かないや。もしかしたら、まだ寝てるとか……」


 自分で言っておいてなんだが、約束の時間に寝ている和葉さんというのも想像しづらいものがある。


 何かおかしい。――いやいや、きっと何でもない。


 頭の中で、不安に駆られる自分と、日常の出来事として淡々と処理しようとする自分がせめぎ合った。そこに以前、渡部わたべに言われたことがずかずかとやって来て、結局不安のほうがどんどん大きくなってきてしまう。

 立木も同じことを感じたのだろう。鞄から小さな鏡を取り出すと、一つ大きく呼吸をし、呼びかけた。


「鏡よ鏡、『いばら姫』はどこ?」


 しかし、魔法の鏡はいつもの光を発することもなく、黙り続けている。

 立木も鏡を見つめたまま、何も言わない。


「どうしよう、家族に連絡したほうがいいかな? あとは――」


 俺は静けさに耐えられず、とにかく何かを言わなきゃと口を開いた。


「普通の事件だったら、意味があるだろうけど」

 

 上手く続かない言葉に重なる、立木の静かな声。

 

「まだ、事件って決まったわけじゃ……」


 言いながらも、俺の声は小さくなっていく。

 まともじゃない状況だってことは、もう認めないわけにはいかなかった。


「魔法の鏡に引っかからない状況ってどんなだろう……」


 その間にも、立木は必死で考え込んでいる。


「かなり、遠くにいるとか? 前に言ってたじゃんか、範囲が広いと難しいって」

「可能性としてはあるけど、いつも一緒に行動してるし、和葉さんだけに対象を絞れば、相当遠くに行っても追跡できる自信があるよ」

「じゃ、じゃあ――戦いが嫌になって、ちょっと休養を」

「あんたみたいに?」


 ぴしゃりと言われ、俺は言葉に詰まる。

 それも和葉さんに限って、考えにくい。


「あっ」

「今度は何?」


 いい加減俺の発言に嫌気いやけが差したのか、顔をしかめる立木。

 それに若干びびりながらも、俺は思い切って言ってみた。


「渡部に相談してみないか?」


 ◇


「渡部!」

「めっけちゃん!」


 関高せきこうからは大分離れたカフェのオープンテラス。

 俺たちが揃って上げた声に顔を向け、渡部はアイスコーヒーを噴き出した。


「大変! 大変なの!」

「ごめんな、また急に」


 木々に囲まれ、ゆったりと時間の流れる空間へと突如現れた騒音に、他のお客さんたちは、何事かとこっちを見ている。


「な、何なんだ……お前らは」


 咳き込みながら抗議する渡部の腕を両側から掴んで席を立たせ、俺たちはレジの方向へと連れて行く。


「とりあえず、あたしが払っとくから」


 そう言って財布を出した立木に頷き、俺は渡部を引きずるようにして、店の外へと連行した。

 少し遅れて立木もやってくる。


「迷惑料として、今回はあたしのおごりってことで」

「まだほとんど飲んでないんだぞ!?」

「じゃあ、後で俺が何かおごるからさ」


 先日のプリンといい、出費が痛いんだが、そんなことを言ってられる状況でもない。


「お前らは奢れば何でも許されると思ってんのか!?」

「和葉さんが行方不明なの」


 もっともな主張はスルーし、強引に話を進める立木。

 渡部には悪いが、こちらも切羽詰せっぱつまっている。

 ヤツはもう何を言っても無駄と悟ったか、大きく大きくため息をついた。


「……どっか出かけたんだろう」


 面倒そうに言った本人も、そんなことを信じてるはずもないだろう。


「鏡で探しても見つかんないんだってば!」

「そんなことで何故、俺のところに来るんだ」

「だってお前、雑学王だし、何か知ってるかと思って」

「雑学王じゃねぇよ! 変な呼び方すんな!」

「めっけちゃん、コントやってる場合じゃないの。手伝って、お願い!」


 いつになく殊勝しゅしょうな態度の立木に続き、俺も拝むようにして頭を下げる。

 渡部はもう一度ため息をついてから言った。


「……命を落としたというのでなければ、考えられることが一つある」


 急いで顔を上げた俺たちを、呆れたような視線が迎える。


「この世界ではない場所に居るということだ」

「それって、どういうことだよ?」

「魔法の鏡は、姿を消している者であっても見つけ出す。ならば、この世界ではない別の場所――異空間とでもいう場所に居ると考えるのが自然だろう」


 それが自然なのかどうなのか、俺にはよくわからない。

 だけど立木の鏡は『アメフラシ』が消えていようが、渡部がカフェに居ようが見つけ出すんだから、よっぽど変な場所に居るということは間違いないんだろう。

 前置きされたことについては、考えないようにする。突然思い立ってアフリカ辺りに旅行に行ってました、とかいうオチだったら気が楽なんだけどなぁ。


「その異空間っていうのも、『つむ』が作ったってことか?」

「その可能性は高いんじゃないか」

「心当たりがあるとか?」


 その問いには、渡部は首を横に振った。


「いや。そういったものを作れそうな能力者をピックアップするしかないかもな」


 俺は今度は立木に向き直り、尋ねてみる。


「誰かいないの? 目をつけてた『紡ぎ手』とか」

「ううん。別に鏡で能力の詳細がわかるわけでもないし、異空間を作れるっていう能力者には、まだお目にかかったことはないから」


 だが、こちらの反応も思わしくない。

 渡部の言う通りなのであれば、そもそも魔法の鏡には引っかかりにくい能力なんだろうしな。


「……やるしかないよね」


 不安げに呟き、深呼吸をしている立木を見守る俺を、突然渡部が指差した。


「お前も手伝えよ」

「お、俺?」


 いきなりのことに驚き、俺もつい自分自身を指差す。

 それを不思議そうに眺めていた立木の表情も、ぱっと明るくなった。


「そうだよ! あんたの力があれば検索範囲を広げられるかもしれない」

「でも、どうやったらいいのか……」

「イメージ。イメージが大事」

「イメージ……」

「鏡よ鏡、今、能力を使ってる『紡ぎ手』は?」


 戸惑っている俺を置いてきぼりにし、立木はいつものフレーズを口にした。

 無自覚とはいえ、今までも和葉さんのサポートは出来てたわけだし、ここでぐずぐずしてても仕方がない。とにかく俺もやってみることにする。


 イメージ――イメージだな。


 俺は魔法の鏡の青白い光が、ライトみたいにあちこちを照らし、暗がりにうずくまっている和葉さんを探し出す様を頭の中に描いた。

 ――和葉さん、大丈夫かな。もし、何か酷いことになってたら、どうし――。


「でぇっ!」


 覗き込んでいた鏡が顔面にぶち当たり、俺は痛みに鼻を押さえる。


「何すんだよ!」

「真面目にやって!? 集中して!? 正直増幅どころか、雑音でしかないから!」


 鬼気迫ききせまる立木の形相ぎょうそうに、俺は無言のまま何度も頷く。

 それからもう一度、俺はイメージを作り直した。

 前に立木はマップを見てイメージを作ってたから、地図の縮尺が変わっていく映像を思い浮かべてみる。

 この地点から、もっと広い範囲、広い範囲――色んな思考や感情がそれを邪魔しに来るのをひたすら払いのけ、鏡だけを見続けた。


「OK、そのままお願い」


 今度はどうやら上手くいってるっぽいんだが、まだなのか。

 ――きつい。こんなに集中し続けるのって、今までやったことないから、ひたすらきつい。

 だけど、和葉さんのことを思うと、そうも言ってられない。

 『和葉さん』というキーワードが、また嫌な思いを呼び起こしそうになったが、何とかそれを押しのけながら、とにかく自分のイメージに集中し続ける。


『それは――』


 やがて、魔法の鏡が、能力名を挙げ始めた。


『「おおがらす」、「歌う骨」、「怪鳥グライフ」……』


 すらすらと調子よく発せられていた声はすぐにトーンダウンし、搾り出すようなものへと変わっていく。


『……「ヘンゼルとグレーテル」。……「賢いエルシー」……「蜂の女王」……』

「も、もうだめ……!」


 とうとう立木の集中力は切れ、鏡の声も途切れた。――いや、俺の方が先だったのかもしれない。頭がくらくらして、額に汗がにじむ。

 大きく息をつき、頭を振る俺たちを尻目に、渡部は腕を組んで考え込んでいる。

 やがてヤツは小さく頷くと、言った。


「行くぞ」

「ど、どこへ?」

「『ヘンゼルとグレーテル』の所だ」

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