がちょう番の娘 3
時計を見たら、もう昼を過ぎていた。
いつもの習慣で、もっと早くに目が覚めた記憶があるんだが、今日は土曜だなと思っていたら、そのまま二度寝してしまったみたいだ。
ノロノロとベッドから起き上がり、隙間から光がこぼれているカーテンを開ける。まだ
携帯を確認すると、SNSやメールの通知が何件かあったけど、その中に
小さく溜め息をついてから、顔を洗い、遅い朝食を食べる。
家族はみんな出かけてるみたいだった。いや、姉貴はまだ寝てるのか? どっちでもいいか。
俺も服を着替えて、とりあえず外に出てみることにした。
自転車に乗って、特に目的地も決めないまま漕いで。
何気なく進んでいるのが和葉さんのマンションの方角だと気づき、ついブレーキを握った。
昨日姉貴にはあんなこと言ったけど、何だか気まずくて、まだこっちから連絡も出来ずにいる。
くそっ、俺のヘタレ。
「ぶはっ」
その思いにタイミングを合わせたかのように突然、風が吹き、近くにあったノボリが俺の顔に直撃した。
丸っこく、でっかい字で『たこ焼き』と書いてある。ドヤ顔のタコのキャラが憎たらしい。
「くそっ」
断続的に吹き続ける風のため、ノボリにまとわりつかれながらも前輪を動かしつつ振り払い、そばから離れる。
その時ふと、カラオケ店の窓から見た光景が、
――あの変な感じ、気のせいなんかじゃない。
紙があれだけ遠くに飛ばされるほどの強い風。けど、周囲にあった他のものは、全く動いてなかった。それはつまり、自然に起きた風じゃないってことだ。
そのことに気づいたら、いてもたってもいられなくなった。俺はペダルに乗せた足を動かし、自転車を前へと進める。
景色が流れるスピードはどんどん速まり、
そこへは向かわずに、少し手前で道を曲がる。
坂道を、力を込めて漕いだ。周囲の光景は、さっきよりずっとゆるやかに動いたが、やがて緑色のフェンスに囲まれたグラウンドと、その奥にある校舎が見えてくる。
とりあえず中学校まで来てはみたものの、特に当てがあるわけでもない。
校門からは遠い、グラウンドが見渡せる場所で、自転車に
グラウンドで体を動かしている生徒の向こうには、制服姿の生徒も結構いるのが見えた。
昨日の子もいるだろうか。やっぱこっから見たってわかんないよな。
そう思って顔を戻すと、いつの間にか目の前には、女子中学生数人が立っていた。
声も出せずに固まる俺。
先頭に立つ真面目そうな子が、こっちをじろじろと見ながら言う。
「うちの学校に、何か用ですか?」
「い、いや……」
とっさに返す言葉が思い浮かばない。
ボディランゲージで何とかしようとしたわけじゃないんだが、焦ったら無意味に手が動いた。その指先が、ハーフパンツのポケットに触れる。
そこに入っていたものを思い出し、
「こ、これ……昨日さ、ここの中学の子が、風に飛ばされて困ってたみたいだから、届けてあげなきゃと思って」
「たこ焼きのチラシ? こんなの飛ばされても困らないでしょ?」
「あれ? ま、間違えたかな……? ちょっと離れてたから、よく見えなくてさ」
顔中に汗をかいてる俺を見て、彼女は
流石に、こんなんじゃ誤魔化せないか。どうしよう。
しかし、救いの手は意外なところから差し伸べられることになる。
「風で飛ばされたってさ、タダコの呪いじゃね?」
「あ、そうかもね」
「こわーい!」
後ろにいた三人の女の子が、口々に言ったのだ。
「タダコ?」
「
「いい加減にしなよ、そういうの」
しかし、最初に声をかけてきた子が眉を吊り上げ、はしゃぐ彼女たちを睨む。
「根拠も証拠もないのに、そういうこと言うのって、私嫌い」
そして、気まずそうに顔を見合わせていた三人を置いて、さっさと歩き出してしまった。
「あっ、みきちゃん!」
「もーっ、そんなにムキになることないのに」
「みきちゃんもこわーい」
他の子もその後を追いかけて行き、俺だけが一人残される。
しばらく遠ざかっていく背中を見送っていたが、やがて大きな息が漏れた。あれ以上話が長引けば、もっとボロが出ていたかもしれないと思うと心底ほっとする。
それに、探すべきが誰なのかを知ることが出来たのは、大きな収穫だ。
俺は早速、帰りがけの生徒に聞き込みをしてみることにした。
自転車に乗りながらというのも怪しさが増すだけなので、近くの場所にとめてくる。
「誰、あんた? ……ああ、タダコね。知ってる! 超ヤベェの」
「ついに取材まで来るようになったか。世も
「タダコ? 今日来てたと思うけど。もう帰ったかな?」
警戒心を
そろそろ限界かなと思いつつも、部活中にサボっているらしい男子を見つけ、話を聞いた後のことだった。
顔を上げた俺と、遠くからこっちを見ていた女子中学生の目が一瞬だけ合う。
彼女は、いきなりこちらに背中を向けて走り出した。
「あ、ちょっと!」
俺は慌ててその後を追いかける。
女の子は角を曲がり、細い道や段差のある場所を通りながら逃げ、俺をまこうとした。
「待って! 少し、話を聞きたいだけだから!」
「何の、話なんですか!?」
坂をのぼりながらの会話。
待ってはくれないが、とりあえず返事はしてくれた。
「昨日、紙が、飛んで……」
何と説明していいのかわからず、走るのもいい加減疲れてきたので、切れ切れになる言葉。
それを聞き、前を力強く走っていた足が、ようやく止まった。
俺も足を止める。
しばらくはお互い、荒い呼吸だけをしていた。
「有名、なんですね。タダコの呪い。そんなの信じてるんだ。風が強ければ、テストの一枚くらい簡単に飛ぶでしょ?」
彼女――多田さんはそう言って笑う。
おとなしそうではあるが、その中に秘めた強い芯のようなものも感じた。あまり整えられていないしっかりとした眉が、余計にそう思わせるのかもしれない。
「……言ってない」
「何を?」
「俺、テストが飛んだなんて、一言も言ってないよ」
彼女の顔色が変わる。鋭い視線が、こちらへと向けられた。
俺は頭の中で言うことを整理しながら、口へとのぼらせていく。
「それに、たかが紙一枚でも、あんなに高く、遠くまで飛ぶのには、かなり強い風が吹かないといけない。あの周囲には木も、店のノボリもあったのに、全然動いてなかった。まるで風が、紙だけを狙ったみたいじゃないか?」
「バカじゃないの? それがどうして、わたしのせいになるの?」
「あの子――あのテストを追いかけてた子、もう少しで車道に出そうだった」
小さな子供じゃないし、そのまま飛び出すってこともないかもしれない。
だけど、もしそこへと誘導したということがあるならば、悪意は感じてしまう。
「だから何? わたしがやったっていう証拠を見せなさいよ!」
彼女が感情を荒げると、それが周囲の空気を押したかのように、風が生まれた。
それは彼女の髪の先を揺らし、俺の頬にも触れる。
「でも、途中でやめたんだろ?」
俺は、あくまで自分の主張を続ける。和葉さんと『鉄のハンス』のやり取りを思い出した。
証拠なんて見せられないけど、本当なのかどうかは本人が一番良く知っているはずだ。
飛んでいたテストは車道に出る前に、力を失ったみたいにひらひらと落ちていた。それは、思いとどまったってことなんじゃないだろうか。
「今ならまだ間に合う。せっかくの能力だし、もっといいことに使えば――」
「こんな能力、どうやっていいことに使うの!?」
彼女の声が悲痛なものとなって飛び出す。目には涙もにじんでいる。
そう認識した時には、俺の体は突風に突き飛ばされていた。
踏ん張ろうとする間もなくバランスを失い、後ろへと倒れる。
「ってぇっ!」
そしてこの前打った場所と同じところも打った。
「あ――ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
無意識だったんだろう。多田さんは青い顔で俺に駆け寄り、手を差し伸べてくる。
この子、やっぱ悪い子じゃないんだ。俺はそう思いながら、その手を取った。
「あれ? 気持ち悪くならない……?」
「おわっ!」
「ご、ごめんなさい!」
突然手を離され、また後ろへと転がった俺に、さっきと同じ言葉が降ってきた。
◇
「ここ好きなんだ。風が気持ちいいでしょ?」
坂をのぼった先にあった、ちょっとした緑地。
人もいなくて、見晴らしもよく、多田さんの言うように、風が気持ちよく吹いていた。
眼下にはミニチュアみたいな家が肩を寄せ合って並んでいる。さっきの中学校も見え、グラウンドで小さな人影が走り回っているのが確認できる。
「何だか不思議な気分。仲間に会えるなんて」
ようやく落ち着いて話をすることが出来るようになったので、俺は簡単に自分のことを説明していた。
といっても、俺自身自分の能力をまだよく
「最初は、わたしに意地悪する子に、少し仕返ししたかっただけだった。でも、その子が転んで怪我して、泣いて……わたしもすごく気持ち悪くなっちゃって、だからもう、やめようって思って」
彼女は景色を眺めながら言う。そういう現象が起きたということは、能力を目の前で使ったんだろう。
「だけど、いつの間にか噂が流れてて――風が吹いて何かが起こると、タダコの呪いだって言われるの。そんな力があるなんて誰も信じてもいないのに、とりあえずわたしのせいにするんだよ」
思い出すとつらいのか、表情が曇った。
顔をうつむかせて近くの草をむしってから、彼女は続ける。
「やめてよって、言ったことあるの。そうすると、ただのジョークじゃん、なにムキになってんの? って笑われるの。ずっとずっと我慢してたけど……それなら、それを本当のことにしたって同じだって思ったんだ」
「同じなんかじゃないよ」
「……うん、わかってる」
俺の言葉に頷き、彼女は手を開いて、草の切れ端を投げた。
それは少しだけ風に乗り、すぐに散って落ちる。
「もっと、普通に生きたかったな」
彼女はまた視線を、町へと移す。
学校を見ているのかもしれないと、俺は何となく思った。
「……能力、なくせるかもしれない」
そして、呟くように言う。
事情を話せばきっと、二人も協力してくれるはずだ。
「そんなこと、出来るの?」
「俺じゃないんだけどな。……頼んでみるよ」
「ところがもう来てるんだなぁ」
「わっ! 立木! ――和葉さんも」
背後には、いつの間にか立木が立っていた。その後ろには和葉さんの姿も見える。
二人とも多田さんの方を見ていて、俺とは微妙に目を合わせてくれない。
――気まずい。
「本当に能力、なくしちゃっていい? 練習すれば、感情に引きずられたりせずに、コントロールするのも上手くなるかもしれないよ?」
そんな俺には構わずに、立木が聞いた。
多田さんは突然現れた二人を驚いたように見ていたが、やがて事態が飲み込めたようだった。ゆっくりと、首を横に振る。
「ううん、もういらない。疲れちゃったし、誰かを傷つけるかもってと思うと、こわいから。みんなから悪口言われるだけで、何の役にも立たないもん」
「だけど、それは変わらないかもしれない。今まであなたが能力を使わなくても、悪口も陰口も言われていたんだから」
和葉さんが静かに告げたのは、紛れもない現実ではあった。
彼女を悪く言うヤツらは、それが事実がどうかなんて、どうでもいいみたいだから。
でも、これだけは伝えておきたいと思って、俺は意を決して口を挟んだ。
「そうじゃない子も、いるみたいだよ。ミキちゃんって呼ばれてた子は、証拠もないのにそういうことを言うのは嫌いだって言ってた」
「
それを聞いて、多田さんは嬉しそうにはにかむ。
「うん、そういう人たちが居てくれるのも知ってる。でもね、わたしはどうしても言えなかった。そんなことしてないとは言えたけど、出来ないって言えなかったの。だって、ほんとは出来るんだもん」
それから顔を上げ、和葉さんの目を真っ直ぐに見た。
「だけど、この力がなくなれば、わたしは胸を張って、何もしてない、出来ないって言える。それは今度こそ、ほんとのほんとだから」
「そうね。……わかった」
その視線を受け、和葉さんは微笑みで応える。
彼女の手には、いつの間にか大きなつむが
多田さんは不安そうに和葉さんや立木を見て、それから俺に視線を向けた。
俺が頷きを返すと、彼女は安心したように表情を柔らかくし、静かに目を閉じる。
「おやすみ。――『がちょう番の娘』」
そして、ささやくような甘い声が告げ、膨れ上がった真っ白な糸が回りながら、多田さんを包み込んだ。
◇
「あの、――でっ!」
俺が何か言わなきゃと口を開いた時、重い痛みが頭へと走る。
「あのね、首突っ込むなら連絡ぐらいしなさいよ! やりたくないのかと思ったから、和葉さんとそっとしておこうって決めたのに!」
「すみません……」
それと、鏡で殴るのはやめてください。
涙目になりながら立木を見ると、そっぽを向かれた。それで和葉さんを見たら、いつになく厳しい表情が返ってくる。
「覚悟がないなら、もう私たちには関わらないで。今回は話のわかる相手だったから良かったけれど」
「そうそう。もしあの風があんたを本気で攻撃してたなら、間に合わなかったかもね」
立木も和葉さんの後ろに隠れ、援護するように言った。
俺は、草の上に寝転がっている多田さんに目を向ける。
その表情はとても穏やかで、心地よい日向ぼっこの最中に、そのまま眠ってしまったみたいだった。
彼女は『
和葉さんたちのしていることは、そういう人たちを救う、一つの方法でもあるんだ。
「……ごめん。でも、俺、やっぱり続けたい」
俺が自分に能力があると聞いて、無邪気に喜んでいた時の二人の反応を思い出す。
『紡ぎ手』に対する認識というのも、やっぱり甘かったと言わずにはいられない。
見上げた二人の姿は、何だかとても大きく、大人に見えた。
「自分に出来ること、やりたいんだ」
まだ、半人前だけどさ。
俺はきっと、捨てられた子犬みたいな目をしてたんじゃないだろうか。
二人ともしばらく俺を見た後、
俺もつられて笑うと、風も笑ったみたいに優しく吹いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます