がちょう番の娘 2

 大声出して、馬鹿笑いして楽しかった時間も、過ぎてしまえば寂しさだけが残ったりする。

 帰る方向が一緒だったやつらとも別れ、同じ道を行くのは、俺とタケだけになっていた。

 空を見上げると、街灯の明かりの向こうで、星が申し訳なそうに瞬いている。



「……あのさ、立木たちきさんとケンカでもしてんの?」


 ずっと気になってたんだろう。おずおずといった感じで、タケは口を開く。


「いや、そういう訳じゃないんだけどな」


 俺の一方的な思いに過ぎないし、何も言われないから、向こうがどう思っているのかもわからない。

 立木だけじゃなく、和葉かずはさんからも連絡が来ることはなかった。


「ならいいけどさ。何かあったんなら言えよ。俺でよければ力になるからさ」

「……ああ、サンキュ」


 タケはいいヤツだ。小学校からずっと一緒に過ごしてきて、やっぱそう思う。

 これまでも何かあれば相談もしたりして、他の誰かなら鼻で笑うような内容でも、いつもそれなりにちゃんと聞いてくれた。

 もしかしたら今抱えていることも話してしまえば、案外すんなり受け入れてもらえるのかもしれない。


 だけど、『つむ』とか『かた』とか、警察には捕まらない犯罪者とか、そういうのを口にするのは、やっぱり勇気が要ることだった。

 下手したら、タケのことも巻き込んじゃうかもしれないし。

 また黙り込んだ俺をいぶかしげに見るタケに、笑顔を作ってみせる。


「大丈夫だって、マジで」

「まさか、立木さんに脅されてる……とか?」

「まさか」


 唐突な言葉に、思わず吹き出してしまう。

 だよな、と言ってタケも笑った。


「……なら、いいけどさ」


 急に声のトーンが落ちた気がして、俺は隣を見る。

 ちょうど明かりから離れ、暗がりに紛れたタケの表情は、上手く読み取れない。


「じゃ、また月曜にな」

「ああ」


 次の交差点で、タケは片手を軽く挙げ、俺とは別の方向へと歩き出した。

 俺も手を上げ返して帰ろうとしたけれど、何故かタケの背中が妙に遠く感じて、そのまましばらく見送る。


 そういえば、立木は学校に来てもずっと一人で本を読んでるし、渡部わたべも誰ともつるむことはしていない。和葉さんも、そうなんだろうか。


 誰にだって秘密はあるものだろうし、話したくないことの一つや二つはあるだろう。

 でも、この世界の『常識』とは根本から違った出来事と遭遇した時、まず、どうやって説明したらいいのかすらわからなくなって、とにかく誤魔化して。

 そうやって誰かと付き合い続けるのって、結構きついものなのかもしれない。


「ただいま」

「おかえりー」

「うわっ」


 俺がガラガラと玄関の戸を上けると、そこには姉貴が立っていた。


「うわって何よ。今日はお母さんとお父さん、食事してくるから遅くなるって」

「そんなん聞いてないよ、俺」


 それを聞き、姉貴は腰に手を当て、無意味にふんぞり返る。


「だから今、伝えたじゃん。あんただってご飯いるとかいらないとか、連絡くらいしなよ」

「姉貴が作ってくれんの?」

「そんなワケあるか」


 じゃあ何でこんなところで待ち構えてるんだ、と言いかけたが、すぐに思い当たる理由があり、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。


「じゃ、いらね」


 しっかり食った訳じゃないが、カラオケで色々つまんではいたから空腹でもないし、腹が減ったら何か適当に食えばいい。

 それよりも、今はさっさと自室にこもりたかった。

 靴を脱ぐ俺に向かって、姉貴はにこにことしながら言う。


「でもさ、両親が仲いいのは、いいことだよね」

「……うん、そうだね」

「で、あんたは真奈まなちゃんとどうなの?」

「ぶっ」


 思わず俺は口の中の空気を噴き出した。

 何という力技ちからわざ。しかも名前も調査済みだし。


「だから、立木とは何でもないんだよ! みんな誤解してるだけなんだって!」

「誤解って、どういうふうに?」


 ヤブヘビ。そして階段へと急ごうとする俺の前を、しっかりふさぐ姉貴。


「お姉さんはさ、可愛い弟のことが心配でたまらないんだよ」


 嘘つけ。面白がってるだけだろ。

 でもそんなことは口には出せない。話がさらに長く、ややこしくなるからだ。


「タケくんも心配してたし」

「……あいつが、わざわざ姉貴に?」

「ううん、たまたま電話がつながっちゃったから、ついでに聞いてみたの」


 やっぱり。何がたまたまだ。タケも散々問い詰められたに違いない。


「とにかく、何でもないんだって! ほっといてくれよ!」

「でも、何かはしてたんでしょ?」


 その体を押しのけ、ようやく階段へと一歩足をかけた俺の背中に、しつこく姉貴は食い下がってくる。


「お母さんも言ってたよ。タカがまた何か、好きな事を見つけたんだろうって。最近帰りが遅いみたいだからさ」


 俺は思わず立ち止まり、姉貴を見た。


「あんたってさ、昔からそうだったじゃん。好きな事見つけると、それに時間を忘れて没頭するの。それ、もうやめちゃったの?」

「やめたって、わけじゃないけど……」


 今そうやって小憎こにくらしい顔をしてる姉貴だって、もしかしたら逆上した『つむ』に狙われることだってあるかもしれない。お袋や、親父だって。


「けど?」


 そのまま言葉を返され、俺は口ごもる。

 けど――。


 俺が和葉さんたちに手を貸さなければ、俺自身の危険もなく、家族や友人も標的になったりはしない。

 果たして本当にそうなんだろうか。


 こないだ前田まえだは、『アメフラシ』の被害者になった。

 でも、わざわざヤツを狙ったとも思えないし、それこそ偶然巻き込まれただけだろう。

 そしてあの時『アメフラシ』を俺たちが封じなければ、被害は確実に拡大し続けた。

 見えざる犯罪者は野放しになり、俺の身近な人じゃなかったとしても、誰かが犠牲になる。自分の力で抵抗すら出来ず、真実も明らかになることはなく、また別の誰かが罪をかぶることになるかもしれない。


 ――俺は、それをどうにか出来る立場にあるんだ。


 もし、そのことを今も知らなかったら。和葉さんたちと、出会わなかったなら。

 どこかで起こった事件を見て、他人事ひとごとで済ますことも出来たかもしれない。そのまま『普通に』生きていくことも出来たかもしれない。

 だけど、俺は知ってしまった。もう知る前に戻ることも出来ない。


「……いや、まだ、やめてないよ」


 俺がそう言って姉貴の方を見返すと、軽い頷きが返ってきた。


「そ」


 そして突然興味を失ったかのように、リビングへと戻っていく。

 相変わらず予測のしづらいその行動に、俺はしばらくぽかんとしていた。

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