第2話 白雪姫

白雪姫 1

 あの後、近くにあるという大和撫子やまとなでしこ――立木たちきには和葉かずはさんと呼ばれていた人のマンションへと案内され、お邪魔じゃますることになってしまった。

 何という怒涛どとうの展開。


「どうぞ」

「お邪魔しまーす!」

「ど、どうも……」


 しかし、笑顔でずかずかと入り込む立木とは対照的に、緊張気味で入った俺を待っていたのは、『事務所っぽい場所』としか表現しようのない部屋だった。

 向かって奥はスチール製の棚が占拠せんきょしていて、その手前にはレトロ調の応接セット、左手にはPCの載った事務机、その横の壁には古めかしい鏡がかかっている。

 何だか拍子抜ひょうしぬけしてしまい、ぼんやり立っている俺を、四つあるソファーの一つに座らせると、二人は飲み物を用意すると言って、さっさと出て行ってしまった。


 いきなり女の子の部屋に上がるというのも気が引けたけどさ、もっと他に場所はなかったんだろうか。


 そんなことを心中しんちゅうでつぶやきながら、俺は結局またソファーから立ち上がり、部屋の中をうろうろとし始める。

 PCを勝手に見るのは流石さすがにあれなので、壁にかかっている鏡を見てみたが、特に何の変哲へんてつもないものに見える。アール――デコとかヌーヴォーとか、よくわからないけどそんな雰囲気のデザインが、白い壁にはまあ似合ってるんじゃないだろうか。

 棚の中もガラス扉の外からのぞいてみると、童話の全集や絵本、民話と思われるタイトルの本や、中身がよくわからないファイルが隅々まで詰まっていた。

 童話――か。

 やっぱ、そこが関係あんのかな。


「おまたせー」


 俺が思考の中に入ろうとしたその時、ノックもなしに扉が開いた。


「あっ! やっぱお前――」

「えへっ、ごめんね。今からちゃんと説明するから」


 俺は、やけに明るい調子の立木をにらむ。

 彼女は制服からカットソーとパンツに着替え、眼鏡を外し、髪は――ツインテールへと変えていた。

 その後ろにトレイを持った和葉さんが続き、テーブルの上に飲み物を置く。こちらは服装や髪型に変化はない。


「お好きなのをどうぞ。まなちゃんも。とにかくまず、座りましょうか」


 言われて俺は席に戻り、小さく頷くとアイスコーヒーを取る。

 立木は向かいに座り、和葉さんはその隣へと腰掛けた。


「ええと、この度は何というのか――巻き込んでしまってごめんなさい」


 そして、静かに頭を下げる。ちょっとした仕草の中にも、大人びたしなやかさが見える。彼女も、高校生なのかな。

 長い髪の動きと共に、いい香りがかすかに漂ってきて、俺はまた妙に緊張してしまう。


「い、いや。俺の方こそ、自分から巻き込まれたっつーか、俺のせいで危険な目にあわせちゃたりもしたみたいだし……すみません」


 しばしの間、気まずい沈黙が流れた。

 それを破るように、立木はパンと軽く手を叩き、明るく言い放つ。


「はい、お互いごめんなさいしたし、解決解決!」


 ストーカー扱いしたことへのごめんなさいは無しですか。

 訴えかける俺の視線を無視し、ヤツは手に取ったオレンジジュースを一口。それから何事なにごともなかったかのように話題を変えた。


「ところであんた、和葉さんが戦ってたとこ見たんでしょ? 何ともなかったの?」

「何ともって……そりゃ、驚いたけど。だから説明を――」

「和葉さんも、気づかなかったんだよね?」

「ええ」


 話を振られ、和葉さんは頷く。

 二人で納得されても、俺にはさっぱりなんだけど。

 そんな思いもむなしく、立木は無言でソファーから立ち上がると、壁にかかっている鏡の前まで行く。何をするのかと見ていたら、それに呼びかけ始めた。


「鏡よ鏡、この部屋にいる『つむ』はだーれ?」


 すると、鏡の表面が波打つように青白く輝き出す。

 そして立木と、鏡の前に立ってすらいない和葉さんの姿を順に映し出し、柔らかな女性の声を発した。


『それは「白雪姫」と、「いばら姫」です』


 これって――いわゆる魔法の鏡ってやつなのか?

 鏡が告げたのは、やっぱり有名な童話のタイトルだ。


「うーん……」


 立木は困ったような声を上げる。

 俺もそんな声を上げたい気分です。


「念のためやってみたけど反応なし、か。やっぱり佐倉さくらからはそんな感じしないしなぁ」


 そして、当たり前のようにさらっと呼び捨てにする。ま、いいけど。


「まだ目覚めていないってことなんじゃないかしら」

「そういうのってある?」

「私もそういうケースを知っているわけじゃないけど……」

「あのっ」


 俺がつい声を上げると、二人の視線が一気にこっちを向いた。

 若干、ひるみはしたものの、このまま置いてきぼりなのも嫌なので、思ったことを口にする。


「目覚めるって、何が?」

「あんたが。あんたの能力が」

「はぁ」


 これまたさらっと言われた立木の言葉に曖昧に返してから、俺は改めて考える。

 今、重大なことを言われたよな。絶対。

 つまり、俺もこの二人や、あの金髪ギャルと同じような能力を持ってるってことなのか?


「……それ、マジ? ホントのこと? 冗談じゃなく?」

「間違いないと思う」

「すげー!」


 やっぱりさっぱりわからないけど、全然実感湧かないけど、俺は俄然がぜんワクワクしてきた。

 すげーじゃん、俺も和葉さんみたいに戦ったり、立木みたいに不思議なことを察知したり出来るのか。

 だが、素直に喜ぶ俺に、微妙な視線を二人は向けてくる。


「な、なにか」

「いや、お気楽でいいなーと思っただけ」

「そんなに、素晴らしいものじゃないかもしれないわ」


 立木だけじゃなく、和葉さんまで。


「え……でもさ、すげーじゃん、やっぱ人にない才能? っていうか」

「ま、いいよ。きっとそのうちわかるから」


 俺の反論をさらさらさらっと流し、立木は指先をくるくるさせながら言う。

 なんだそのくるくるは。バカにしたくるくるか。それとも別の意味でもあんのか。


「なかった? なんか前触れみたいなの。あと、妙な夢を見るとか、声が聞こえるとか」

「そんなの……心当たりないけど」

「ダメだこりゃ」

「諦めるの早すぎだろ! もっと掘り下げろよ」

「じゃあ、以前に、今回みたいな状況を目にしたことは?」


 代わって和葉さんが聞いてくれる。しかし、やっぱり身に覚えがない。


「ない……と思いますけど。でも、何となく見たことがあるような気がしたというか」

「あー、思い込みだわ。それ」


 こちらは立木の言葉。

 その言い方には腹が立ったものの、さっき掘り下げてもらっても何も出てこなかったので、今度はぐっとこらえて黙る。

 そんな俺を見て、和葉さんはくすくすと笑った。


「『紡ぎ手』の能力って大抵は、はっきりとした自覚があるものだから」

「でも、俺が何らかの能力を持ってるってことは、わかるんですよね? 立木が言ったみたいに、雰囲気でわかるとか?」

「呼び捨てにすんな」


 いや、お前もだろ。

 今度は俺の視線を上手くけられず、彼女はこほんと咳払いをし、話を続けた。


「ま、いいや別に。――あのね、もしあんたが一般人だったら、和葉さんと『ラプンツェル』が気づかないはずがないの」

「何で?」

「すっごく気持ち悪い! ――じゃなくて、気持ち悪くなるから」


 今度は指先を俺に突きつけながら言う。

 こいつ学校の時とキャラが全然違うんだが、ツインテールになると変わる設定とかなのか。


「ほんとにね、うわぁぁっっ! って声を上げたくなるくらい、耐えられない気持ち悪さなんだよ。能力を使うための集中力も切れちゃうし、あんな感覚を何度も味わいたいのは、変態だけだと思う。だから『紡ぎ手』のほうも、出来るだけ一般の人の目に触れないように、色々やるわけ」


 確かに俺がずっと見てても、普通に戦い続けてたもんなぁ。

 でも――。


「そもそも、何で戦ってたんですか?」


 さっきから二人が『紡ぎ手』って呼んでるのが、能力を持ってる人のことだというのはわかったが、『紡ぎ手』同士が戦ってる理由ってのが見えてこない。

 権力争い? 和葉さんはそういうタイプには見えないけどな。

 俺が顔を向けると、彼女は頭の中を整理するかのように少し黙り、それからまた口を開いた。


「……世界では毎日、色々なことが起こってるでしょう? 事故や、事件も。それは、自然現象とか、人の力で引き起こされることもあるけれども、『紡ぎ手』と呼ばれる能力者によって引き起こされる場合もある」


 彼女が物憂ものうげに語る様子というのは、何だかとても絵になる。


「人によって引き起こされるものならば、人によって対処できる。でも、物語の領域で起こったことは、人の領域ではどうにもならない。人知れず誰かが傷つけられることも、真実が明るみに出ないまま終わることもあるわ」

「警察の捜査でも迷宮入りするだけじゃなく、関係ない人が容疑者になっちゃうこともあるしね。それってやっぱほっとけないじゃん。同じ『紡ぎ手』としては」


 立木も戻ってきて、どさっとソファーに腰を下ろした。


「だからそういう『紡ぎ手』を発見次第、『いばら姫』で、能力を眠らせているの」


 なるほど。おやすみと言っていたのは、『ラプンツェル』の能力そのものにということなんだな。

 闇に紛れて人助けみたいで、益々ますますカッコいいじゃないか。


「お、俺も、なんか手伝います! 何が出来るかはわかんないけど、これも何かのえんってことで!」

「でも、危険が伴う道よ」


 そう言われ、俺は昨日の戦いを思い出す。

 確かに衝撃的な体験だった。だけど使命感のようなものがそれにまさっていた。

 これはきっと、俺にしか出来ないことだ。


「大丈夫です。やってみせます!」


 ぐっとこぶしを握った俺に、和葉さんは微笑んだ。


「ありがとう。助かる」

「ま、いないよりマシかー」


 立木は憎たらしい言葉を吐きつつ、ぴょこんと立ち上がると、また鏡のところへと向かう。


「じゃ、早速始めますか」


 和葉さんはというと、何故かスマホを手に待機していた。

 立木は何度か深呼吸をしてから、鏡に向かって呼びかける。


「鏡よ鏡、今、この近辺で能力を使ってる『紡ぎ手』は?」


 そういえばそれって白雪姫じゃなく、女王の能力じゃないのか。

 それを言ったら、いばら姫もそうなのかもしれないけど。疑問を口から出そうか迷っていると、そのうちに鏡の表面が波打つように輝き始めた。


『それは、「鉄のハンス」です』


 そこに映し出されたのは大学生くらいだろうか。地味な色のキャップを目深まぶかにかぶった男の姿。

 今回は静止画じゃなく、動きがある。場所には見覚えがあった。花泉公園はないずみこうえんだ。

 男の座っている木陰のベンチの向こう側に、その名の由来となっている、 睡蓮すいれんの浮かぶ小さな池が見える。


 ――と、突然そこにかかっていた丸い橋が、崩れて落ちた。


「あっ」


 俺は思わず小さく声を上げる。ちょうど橋の上にいた人が、池へと落ちたようだ。

 音声は出ないようで、現場げんばの音は伝わっては来ないけれど、突然のことに周囲も驚いているように見えた。

 それほどの深さがある池ではないから、溺れてしまうということはまずないが、泳ぐのには早い季節だし、濁った池に落ちるのは気持ちのいいものではないだろう。


「何だ、あれ――?」


 彼に手を貸そうとする周囲の人に混じって、人型ひとがたをした大きな黒い影が走るのを俺は見た。

 その間に、ベンチに座っていた男は歩き去ってしまう。


「多分、あの影が『鉄のハンス』だね。あれが橋を崩したんだよ。――和葉さん、撮れた?」


 立木は言って、振り返る。和葉さんは笑顔で頷いた。


「私たちも向かおうか」

「だね」

「えっ? あ、あの」


 二人はそう言うと、出かける準備をし始める。

 俺もあたふたとしながらも、急ぎ出て行く二人を追った。

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