白雪姫 3
そして、
時刻は18時を少し過ぎていたが、まだ空には明るさが残っている。
どんよりと暗い空気を身にまとった工場は、その明るさを押しのけるような威圧感があった。
俺たちはコンクリートの敷地を抜け、工場の入り口付近に
その上にはちょうど、開きっ放しの窓があり、中の様子を
試しに
「……で、ゆきちゃんからの伝言って?」
「人に見つかったら
そのタイミングで声が聞こえ、危うく声を出しそうになる。おたおたとしていたら
和葉さんと『鉄のハンス』は、すぐ近くを通り、そのまま工場の中へと入っていく。俺たちは再び膝立ちになってこっそりと中を見守った。
男は何かを確認するように中を見回し、何故かほっとしたように奥へと進むと、こちらとは反対側の窓際にもたれかかる。
和葉さんは入り口を背にし、男へと向き合った。
「それで?」
「
「――は?」
「他にも、ブロック塀が落ちてきて足の指を骨折した
「ちょ――何の話をしてるんだよ、お前」
「あと、あなたと口論をしてた人が、後日松葉杖をついて登校しているのを見かけたことがあるそうです」
慌てる男に構わず、和葉さんは淡々と続ける。
――余罪どんだけあんだよ。
「だから何の話をしてるんだって聞いてんだよ! ゆきちゃんからの伝言は!?」
「これらのことは、あなたがやったんですよね?」
「……お前、俺を騙したのか?」
「あなたが、やったんですよね?」
会話というよりも言葉のぶつけあいに、男はあからさまに苛立ち始めた。
和葉さんも、もしかしたら怒ってるんだろうか。
「うるせーよ! ぐちぐち言うんなら証拠出してみろよ証拠を! そんなのどこにもねーだろが!」
「他のはありませんが、今日の分は、ここにあります」
和葉さんはスマホを取り出しながら男に近づき、画面を鼻先へと突きつける。明るさに目を細め、それから男は小さく声を上げた。
「これ、なんで――写らない、はずじゃ」
「普通の方法なら写らないでしょうね」
「こんなの知らねぇ! 知らねぇよ! 合成だろ合成!」
乾いた笑い声を立て、あくまでシラを切ろうとする男に溜息をつくと、和葉さんは
「私にはこの証拠だけでも十分なの。言い方を変えましょうか? 今までのことも、『鉄のハンス』がやったのね?」
男はぎりっと奥歯を噛んだ。もう認めたも同然だ。
ヤツは横を向き、壊れた窓から外にある木へと向かって叫ぶ。
「鉄のハンス! 鉄のハンス! 鉄のハンス!」
和葉さんは無言で地面を蹴り、男と距離を取った。
すると今まで彼女がいた場所を、黒い人影が凄いスピードで通り抜ける。
どこからか現れた
「――くっ」
そのまま踏み込んできた影を、和葉さんは茨の盾で辛うじて防ぐ。
力がぶつかり合った場所から急に森の風景が広がり、工場の中を深い緑に染め始めた。
「なぜ、人を傷つけるために能力を使うの?」
「あぁ? 俺の力なんだから、どう使おうが勝手だろうが!」
茨が
数は茨のほうがずっと多い。だが、黒い影はとにかく速い。数で劣っていることをものともしない。
いや――それだけじゃない。
和葉さんは、戦う相手をなるだけ傷つけたくないんだ。出来るだけ
でも、相手には、そんな配慮はありはしないだろう。
それって、結構マズイことなんじゃないだろうか。
思わず立ち上がろうとする俺を、立木の手が引き止める。
わかってる。俺が今出て行ったところで、何も出来ないどころか、和葉さんをこの前みたいに危険に晒すことになってしまう。
――わかってるけど。
俺が体勢を戻しても、立木の引っ張る手は止まらない。
止まらないし、段々強くなってくる。
仕方なしにそちらへと目を向けると、彼女は、にっこりと微笑んだ。
「ははっ! 動きが鈍ってきたな! お疲れさん!」
男は口の
苦しい状況ではあった。だけど、あの時と違うのは、もう一人の『
「行くよ」
小さく声をかけられ、俺は工場の中を見たまま、右手を出して頷く。
「鏡よ鏡――」
立木は小声のまま、すさまじい早口で、お
俺は、手に乗せられたものを次々と工場内へと投げ込んでいく。
『それは「鉄のハンス」です』
「何だ!?」
男に動揺が走った。俺は構わずに手を動かし続ける。
『それは「鉄のハンス」です』
『それは「鉄のハンス」です』
『それは「鉄のハンス」です』
『それは「鉄のハンス」です』
『それは「鉄のハンス」です』
『それは「鉄のハンス」です』
手鏡やコンパクト、ポケットミラーに卓上ミラー。
立木の能力で魔法の鏡となったものが、ゆらゆらと波打つ光を放ちながら、男の上に降り注ぐ。こぼれた光は、やがて森に降る雪へと変わる。
「なんなんだよ、これ!?」
青白い光を発しながら男の姿を映し出し、能力名を告発するように喋りまくる、いかにも意味ありげな鏡。
それがハッタリだと気づくのは時間の問題かもしれないが、男の気が
「ちくしょう! くそっ――いてっ」
茨に絡みつかれてもがく男を引き寄せながら、和葉さん自身もそちらへと跳ぶ。
引き倒された男の周囲に、和葉さんの手から現れたいくつものつむが降り注ぎ、突き刺さった。
すると男の体だけではなく、黒い影もまた、地面に縫いとめられたかのように動かなくなる。
ささやくような甘い声が、眠りの時を告げた。
「おやすみ。――『鉄のハンス』」
白い糸は
寝てる時って、きっとどんなヤツでも無防備な姿なんだろうな。
大の字に転がり、寝息を立てている男の方を見て、俺はそんなことを考える。
「二人ともありがとう。助かった」
地面に散らばった鏡を拾い上げながら、和葉さんは笑顔を見せた。
といっても工場内はほぼ真っ暗だったから、懐中電灯から漏れた光で、
「あ、いやいや。立木の案と能力ですし」
「ま、新入りさんとしては頑張ったんじゃない?」
彼女は相変わらずの言い草だが、勝利の後とあって
「とりあえず、帰りましょうか」
鏡を拾い終えると、すぐに和葉さんが言う。
男がが起きてしまう前に帰らないと、またややこしくなってしまうので、俺たちは大きな音を立てないよう注意しながら、その場を離れた。
「……この後、どうなるんすかね? あのギャルも、あったこと忘れてたし」
俺がふと口にした疑問を耳にし、和葉さんは振り返る。
今は街灯のおかげで、お互いの距離感もしっかりとつかむことが出来た。
「能力が眠りにつくことで、『物語』に関することは忘れてしまう。でも自分がしたことは、自分の手でしたこととして思い出すの」
「今までのことについては、お
「それがね、そんなに甘いもんでもないんだよ」
立木がそこで、口を挟む。
「『物語』の力が人を傷つけた。でも『物語』は眠り、『凶器』はなくなっちゃった。そうすると、どうなるか――ストーリーが書き換えられるみたいに、
和葉さんの言葉を借りるなら、問題が『人の領域』に移って来るってとこなのかな。
「ああもー、膝が汚れちゃった」
「工場の中も埃っぽくて……」
先を行く二人の会話は、いつの間にか
男が『
だとするなら、俺のこれからはどうなっていくのか、ちょっとだけ恐い気もする。
だけどやっぱり俺にも何かなきゃ、これから先、役には立てないだろう。和葉さんが優しい戦い方を貫くことを選ぶなら、それを補える存在がいればいい。
二人の『紡ぎ手』の背中を眺めながら、俺はそんなことを思った。
◇
「マジ? マジで付き合ってんの? あの二人?」
「いつから? 昨日コクったの? どっちが?」
「
「いつまで続くか賭けねー?」
「ねーねーねー立木さん、佐倉くんのどこが良かったの? ぼーっとしてるとこ? ……あ、わかった。頼りないとこでしょ?」
翌日、学校へ行ってみると、俺と立木が付き合っているという話で、クラスは盛り上がっていた。
「やっぱそうだったのか、水臭いなぁ。……立木さんも本が好きみたいだし、二人はお似合いだと思うよ、俺は」
タケ、お前はやっぱ、いいヤツだな。
でも、そんなキラキラした目で見られても――違うんだ。全然。
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