めっけ鳥 2

「……こっち!」


 俺たちは立木たちきについて人の流れを縫って歩く。『アメフラシ』はすでにショッピングモールを離れ始めていた。

 時には俺たちが壁になったりして人目ひとめを忍び、小さな鏡でターゲットの姿を確認しながら進む。

 魔法の鏡は、たとえ相手が姿を消していたとしても真実の姿を映し出す。それは大きなアドバンテージといえた。

 向こうはそんなこととは知らず、ある程度安全な場所まで離れたら、姿を現すはずだ。


 そして読み通り、いくつかの店舗が入っているビルの中から、何食わぬ顔で女は出てきた。もちろん周囲の人は、ヤツが最初からその中にいたと思うだろう。

 俺たちは、その後ろを静かに追う。

 さっきより少なくなったとはいえ、人の通りは普通にある場所だ。ここで戦いは仕掛けられない。

 立木は俺たちと別れ、先に集合場所となる空き地へと向かっていた。


『……聞こえる?』

『ええ、大丈夫』


 受話口から二人の声が聞こえる。そんなに音質は良くないが、支障があるほどじゃない。


「俺も問題なし」


 作戦会議の時、スマホで同時通話をして連携を図ったらどうかと提案してみたんだが、思ったより上手くいきそうでちょっと誇らしい気分だ。

 でもまだ作戦は始まったばかり。気を抜くわけには行かない。再び前を見ると、女が角を曲がろうとしているところだった。俺と和葉かずはさんは目配せをし、一気に距離を縮める。

 もちろん、いきなり曲がることはしない。まずはそっと顔だけをのぞかせて確認。

 しかし――女の姿は跡形あとかたもなくなっていた。

 どうやら気づかれたらしい。どうしようかと隣を見た時、立木の声が耳に届く。


『もしかして今、消えた?』

「ああ」

『そのまま真っ直ぐ。追って』

「了解。――行きましょう」


 次第に足を動かす速度は上がり、やがて俺たちは走り出す。

 多少の苦労は想定内。ここから立木の待つ空き地まで、ターゲットを追い込んでいく作戦になっていた。

 ――なってはいたんだが。

 なんせ、俺たちには姿が全く見えない相手なのだ。

 心もとない思いをしながら、立木の指示だけを頼りに追いはするものの、どうしてもタイムラグや意図の『ずれ』がしょうじてしまう。


「ここまでだっ!」

『どこまでだ!』


 急いで道を先回りし、気合きあいを入れて追い込もうとしたら、全然違う方を見てたりとか。

 ――恥ずかしい。


佐倉さくらの目の前。手を伸ばせば届く』


 とにかく手を伸ばし、上手く見えない体をつかんだと思えば――。


「あっ」


 しっかり力を込めたはずの場所から、急に骨や筋肉がなくなってしまったかのように、感触がぬめっと抜け落ちていく。

 すれ違った人から時折変な目で見られつつ、俺たちは『アメフラシ』との追いかけっこを続けた。

 そして、それは唐突にスピードダウンする。

 理由はいたってシンプル。疲れたからだ。主に『アメフラシ』が。

 ただ走っている俺たちと、姿を隠すために集中しながらのヤツとでは、そもそも消耗の度合いが全く違うんだろう。

 いさぎよく姿を現して逃げ続けるか、姿を消したままでこの場を切り抜けるか。

 選択されたのは、後者だった。


「くそっ、またか!」

『今度は和葉さんの左斜め前!』

「私に任せて。――あっ」

『あっ、佐倉のほうに逃げたよ!』


 体力を温存しつつ俺たちの裏をかき、わずかな動きでけ続ける。

 これじゃ、らちがあかない。


「タイミング合わせて一緒に掴んだら、上手くいきますかね?」

「どうかな。とにかく、やってみましょう」


 小声で言った俺に、和葉さんも小声で返してくる。

 せっかく捕まえたと思っても、ぬめっと逃げられるのはどうにかしないといけない。

 二人でがっしり抑えることが出来れば、何とかなるんじゃないだろうか。


「いい?」


 スマホを耳に当てながらというのも非効率。うーん、せめてイヤホンマイクでもあればな……とか今さら後悔してもどうしようもない。

 俺は緊張しながらも、小さく頷く。


「1、2の――3!」


 さん、のところで、同時に大きく地面を蹴って跳んだ。

 伸ばした手が――宙を掴む。俺は勢い余って、そのまま転がってしまった。

 いてぇ。

 やっぱり、見えない相手を捕まえようとするのは無理があるのか。

 そう思いながらも、急いで起き上がったその時――。


「あんたたち、何か探してるの? あたしも探してあげようか?」


 俺たちの奇行きこう見兼みかねたらしき通行人のおばちゃんが、声をかけてくる。


「い、いや、別に……」

「すみません。どうぞ、お構いなく」


 親切はありがたいんだけど、今、それどころじゃないし。

 ――っていうかギャラリーが出来てるし。TVの撮影でもないから!


『どさくさにまぎれて逃げちゃったよ!』

「くそっ!」

「とにかく、落ち着きましょう」


 和葉さんの言葉に頷き、俺たちはギャラリーの皆さんに愛想笑あいそわらいを振りまきながら、何事なにごともなかったかのような素振そぶりで歩き出した。

 しばらく続けていると、大体の人はつまらなそうに散っていったが、数人はまだ何かあるとでも思っているのか、後ろをついてくる。

 走り出したくなるのを必死でこらえながら、俺は意識的にゆっくりと足を進めた。


『もう少し進むと、大きな通りに出るの。まずいかも!』


 人通りが多い場所に出られると、不利になるのはこっちだ。

 車とかで移動されれば、追うのも難しくなる。


『その先の右手に細い道があるから、追い込んで! あたしもそっちに行くから!』

「……了解」


 少し迷ったあと、和葉さんはそう答えた。

 ちらと後ろを見ると、しつこくついて来ていた数人も、どこかへ行こうとしている。

 俺たちは遅れた分を取り戻そうと、足を少しずつ速めていった。


『その、左の方の……植木……の、あたりに『アメフラシ』が』


 そしてあちらも現在移動中の立木の指示がぶちぶちと途切れ、聞こえづらくなってくる。

 うわ、すっげー不安。


「俺、回り込んでみます」


 示されたターゲットの居場所から道路を挟んだ向かい側。確かに建物に囲まれた細い道が見える。何とかしてそっちへ誘導できないものか。

 でも回り込むって言ってはみたものの、どうすりゃいいんだろう。今いる道だって大して大きくはないし、普通に近づけば、真っ直ぐ大通りへと向かわれてしまう。


 ――迷ってる時間はない。


 俺は植木から距離を取りつつ、じりじりと道を進んだ。

 もう少し近づいたら走ろう。そうすれば和葉さんと挟み撃ちに出来る。そのまま休んでろよ『アメフラシ』――。


『右! ……右のほうに逃げた!』


 だが俺の願いもむなしく、立木の上ずった声が聞こえて来た。


「右? 右ってどこの――?」


 聞き返したその時、背後で何か鈍い音がし、俺は慌てて振り返る。

 誰も居なかったはずのその場所には、フチなし眼鏡をかけた、目つきの悪い男が立っていた。

 その前には、『アメフラシ』が尻餅しりもちをついている。


「おっと、失礼」


 不敵な笑みを浮かべつつ、男は言う。その顔には見覚えがあった。さっき魔法の鏡に映っていたヤツだ。

 我に返った女は体を起こし、俺たちが動くよりも速く、くだんの路地へと逃げる。


 これは大きなチャンス!


 男のことは気になるけど、今はそれを考えてるひまはない。確か立木も悪いヤツじゃないって言ってたし。

 白く細い道を、女はもう姿を隠すことなく走り、俺たちはそれを追いかける。


 ちょっ――速い。


 元々走りには自信があるんだろうが、ここで捕まるわけには行かないという思いが、それに一層拍車をかけるんだろう。

 運がいいのか悪いのか、人通りが全くない道を走りぬけ、やがて見えてきた曲がり角を、女は速度をゆるめずに曲がった。

 だが、その姿が見えなくなってすぐに、小さく悲鳴が上がる。


 ――立木の声だ。派手にぶつかったと見た。


「いい加減、観念したらどうなの!? 隠れたって無駄なんだから!」


 そんな一言で観念するわけはないんだが、言いたくなる気持ちもわかる。

 かくれんぼは、もう腹いっぱいです。そんなことを思いながら、とにかく走る。


「今、あの電柱の後ろ辺り!」


 つーか、突破されてるし!

 和葉さんは荒い息を整え、辺りに誰も居ないのを確認すると、いばらを張り巡らせ始めた。これなら、あのぬめっと攻撃も、防げる――と信じたい。

 周囲の建物は、いつの間にか沢山の窓を持つ城壁へと変貌へんぼうし、別の場所へと迷い込んだような錯覚を起こさせる。


 頑張れ和葉さん絶対捕まれもうこれで終わりにしたい疲れた。


 祈りなんだか愚痴ぐちなんだかわからない思いが心の中で強く主張をし始め、それが目から出て来るくらいの勢いで、俺は近くにいるであろう『アメフラシ』をにらみつけた。

 その間にも茨はするすると動いていく。波打つようだったそれは、和葉さんの指の動きに合わせ、一旦大きな円のように広がった。それからその範囲は、徐々に徐々に狭まっていく。

 うまい! これならきっと逃げられない。

 やがて手を取り合うかのようにお互い絡まり合い、出来上がった大きなかごの中には、それを壊そうともがく『アメフラシ』の姿。ヤツが声をあげようとするよりも早く、和葉さんが周囲にいくつものを突き立てた。


「おやすみ。――『アメフラシ』」


 ささやくような声と共に糸はふくれ上がり、かごを白いまゆへと変えていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る