語り手 3

 店から出ると、渡部わたべはさっきと同じ場所で待っていた。

 こちらの姿を確認し、ヤツはまた歩き出す。俺もその後についていった。

 さっきみたいに何となく歩いているんだろうか。それとも、どこかへ向かっているんだろうか。

 そんなことを考えていると、こんもりとした緑のかたまりが見えてくる。

 近づいてみるとそれは生け垣で、その奥には小さな公園があった。

 古びた遊具ゆうぐがいくつかあるが、どんよりした雰囲気のせいか、誰も居ない。

 渡部は生け垣の切れ間にある車止めをけて公園へと入ると、屋根のついたまるいベンチにどっかりと腰を下ろした。

 ここで話をしようってことなんだろうか。


「何だ?」


 俺が差し出したものを、渡部は不思議そうに見る。


「いや、突然押しかけたし、時間作ってもらって悪かったからさ」


 手に持ったプリンのガラス容器は、ひんやりと冷たい。

 しばらく眺めた後、渡部は偉そうな態度で言った。


「ふん、貰ってやるか」

「あっ」


 そして差し出した方ではなく、俺が自分で食おうと思っていたチョコプリンを奪うようにして取る。

 俺は仕方なく、スタンダードなカスタードプリンを手に、近くにあった馬だかカバだかわからない遊具に腰を掛けた。


「うまっ」


 駄洒落だじゃれじゃないです。

 スプーンですくってプリンを一口、そのとろけるようななめらかな口当たりと、程よい甘みに混じるほろ苦いカラメルソースが――。


「で、お前は何しに来たんだ。プリン食いに来たのか?」


 自分もプリンを食いながら、やっぱり偉そうに言う渡部。

 やばい、危うくプリンの感想で頭が一杯になるところだった。


「ああ、そうそう。『かた』のことについて聞きたくて」

「緊迫感のない奴だな」


 そもそもプリン食ってて緊迫感も何もないとは思う。

 そんな思いが顔に出ていたのか、渡部は呆れたように溜息をつくと、早々に空になったプリンの容器をベンチの上に置き、腕を組む。


「……俺もそれほど詳しく知っているわけではない。色々と調べていたら、『つむ』以外の能力者の情報に行き当たったというだけだ」

「それが、『語り手』?」

「そうだ。『語り手』は『紡ぎ手』の能力を増幅することが出来る。――らしい」

「らしい?」


 俺が繰り返すと、渡部は憮然ぶぜんとした表情を浮かべる。


「だから俺も詳しくないと言っただろう。断片的な情報を寄せ集めて得られたものだ。お前がもしそうなら、実際にこの目で見たのは初めてのケースとなる」


 なら、あんな思わせぶりな言い方をするなよ。

 この感じだと、和葉さんと立木の推測以上のことはわからないかもしれない。

 俺は馬にまたがり、ゆらゆらと揺れながら小さくうなった。


「……そもそも、『つむ』についてもよくわかんないんだけどさ」

「あいつらが教えてくれないのか?」

「きっかけがあれば、少しずつは。後は一緒にいればわかることもあるし。まだ、中々じっくり聞く機会もないからさ」

「ふん、仲良しごっこをしている割に、中身は伴わないんだな」


 渡部は言って、にやりと笑う。何でそんなに嬉しそうなんだ。

 まぁ、まだまだ馴染なじんでないっていうのも事実ではあるんだろうけど。


「『語り手』のことも知らなかったようだし、俺の方が知識としては上だろう。ずっと調べているからな」

「よく和葉さんたちの周りをウロウロしてるっつーのも、そのためなのか?」

「……無論むろんだ」


 今のはなんなんだ。

 俺がそう思いながら見ていると、渡部が次第に落ち着かない様子になってきた。


「別にお前らのことが気になるとかではないからな。あくまで調査の一環いっかんだ」


 それは気になっていると言っているようなものでは。

 俺が尚も無言で見続けると、渡部は眼鏡をはずし、額の汗をハンカチで拭う。


うらやましいとか、決して思ってなどいないから、勘違いはするなよ」


 こいつ、聞いてもないのにべらべら喋るドラマの犯人みたいで面白いな。

 そのまま黙っていたらどうなるか興味はあったが、それはちょっと可哀想な気もしたし、聞きたいのはそこではないので、話を元に戻す。


「ああ、うん、わかった。……んで、『紡ぎ手』っていうのはそもそも何なんだ?」

「『物語』の力を操る能力者だ」


 答えはすぐに返って来た。

 そして、それは俺も知っていることではある。


「物語の力っていってもさ、物語そのまんまじゃないじゃん? それは何でなんだろ?」


 人を眠らせる『いばら姫』に、魔法の鏡を操る『白雪姫』。

 有名なシーンを切り取ったんだとしても、どうしてその部分だったのかという謎は残る。


「そのまま、というのがそもそも難しいとは思うが」


 渡部は言って、少し遠くを見た。

 俺もつられてそっちを見るが、誰も乗っていないブランコがあるだけだ。


「鍵となるのは、個人的な体験や思いだ。それが物語と強く結びつき、能力としての『物語』となる」

「……はぁ」


 何だかさっぱり飲み込めずに、溜息みたいな声が出る。

 すると渡部の鋭い目が、こっちへと向けられた。

 いや、真面目に聞いてはいるんだけど。もうプリンも食べ終わったし。


「飲み込みの悪いお前にもわかりやすい様に例を出すと、『いばら姫』だな」


 それを最初からやってくれよ。

 俺の思いをよそに、渡部先生の解説は続く。


「能力へと覚醒するきっかけが訪れた時――最もその確率が高くなるのは、他の『紡ぎ手』の能力を目撃することなんだが」

「あっ、でも気持ち悪い――じゃなかった、気持ち悪くなるって、立木たちきが」


 言われたことを思い出し、俺は思い切り話の腰を折る。


「……それは、物語の領域と、人の領域が重なったことによって起こる現象だな。『紡ぎ手』の方にもダメージが来るが、人の方にもそれ相応のダメージが行く」


 先生は一瞬こっちをすげーにらんだが、気を取り直して答えてくださった。


「人も? 声を上げるくらいに気持ち悪くなる?」

「驚くだろう、普通」

「いや、それはまあ、そうだろうけど」

「ただの見間違い程度で済ませられるレベルならいいんだが、直視してしまえば、どうにかして処理せざるを得ない。抱えきれずに誰かに話せば、いい所で都市伝説、悪ければ鼻で笑われたり、病院に行けと言われる。それを現実と認めないならば、疲れのせいだと必死に自分を納得させたりとかな。――そのうちに、自分の中にも今までとは異なった力が湧いて来るのを感じるようになる。そいつの奥底に染み付いていた『物語』が浮かび上がってくるんだ」


 話し続ける渡部の言葉に、段々力がこもってきた。

 自分の体験を思い出したりしてるんだろうか。


「例えば『いばら姫』だ。能力が目覚めつつあるのを感じた時、『能力をなくしたい』という願望と、いばら姫の物語が結びつき――あいつ独自の『物語』となる」


 それから、少し前のめりになっていた体を、ベンチの背もたれの方へと戻す。


「無論、これは俺の推測に過ぎない。あいつが何を望んだかはあいつにしか解らんし、本人すら気づいていない願望という場合もあるだろう。だが、実際に能力をその様に使っている以上、それほど間違ってはいないはずだ」


 確かに、それは合っているんじゃないかという気がした。

 そして、そういう強い思いとか体験があるからこそ、二人が俺の話を聞いて首をひねったということも理解できた。

 改めて思い起こしても、俺自身、そんなことを体験した覚えは一切ない。


「……ちなみに渡部は」

「お前には、関係ないことだ」


 ふと気になって聞いてみたが、あっさりと突っぱねられてしまった。


「もう一つ、気になることがあるんだけど」


 あんまり個人的なことを詮索せんさくするのもあれだし、俺は話題を変えることにする。

 矛先が自分から外れた渡部は、少しほっとしているようにも見えた。


「和葉さんが戦ってる時、周りの景色が急に変わることが何度かあったんだ。あれも何かの力の作用なのかな?」


 森のような景色が多かったと思うけど、雪が降ったり、城みたいなのが見えたこともあった。


「それは、異なる『物語領域ものがたりのりょういき』が衝突した時に起きる現象だな」

「へぇ……」


 やっぱりよくわかっていない俺を見て、渡部は言葉を変える。


「金属同士がぶつかり合うと、火花が出るようなものと言えるかもしれん。そのおかげか、人が近づきにくくなるというメリットはあるようだ」

「……危ない感じがするってこと?」

「そんなとこだろう。同じ道でも、薄気味悪い道よりは、安心できそうな道を選ぶ」


 まだまだわからないことは多いけど、気持ちがずいぶんとスッキリした感じがする。

 やっぱりここへ来て良かったと思った。

 渡部も、案外話しやすいヤツだったし。


「お前、危険は覚悟の上であいつらと一緒に居るのか?」


 気分がよくなり、馬をぐいんぐいん揺すっていたら、今度は向こうから質問が飛んできた。

 今までの『紡ぎ手』との戦いが、脳裏のうりをよぎる。


「そりゃ、多少危険なのはわかってるけど……」

「多少?」


 その言葉を強く繰り返され、俺は思わず渡部を見た。

 すると、呆れたような溜息が返って来る。


「お前、本気でおめでたいやつだな」

「そんな言い方――」

「他の『紡ぎ手』の能力を眠らせて、それでめでたしめでたしだと思ってたのか? 『いばら姫』の能力は『紡ぎ手』、特に能力を使って犯罪を犯しても平気な連中にとっては、この上なく目障めざわりなんだぞ?」


 何度もバカにされ、流石に言い返そうとした俺を、渡部の声が打ちのめす。


「そ、それは……」


 考えてみれば当然のことなのに、言われるまでそのことに思い当たりもしなかった。

 不思議な能力を使う人たちに出会って、自分もその仲間だと言われて、浮かれすぎていたのかもしれない。

 渡部はベンチから立ち上がり、そのまま俺の脇をすり抜けた。


「覚悟がないのなら、今のうちに仲良しごっこをやめることだな」


 そして背中越しに言って、足早に公園を出て行く

 俺は初めて出会った時のように、その背中をただ見送っていた。




 それから俺は、しばらく公園でぼんやりしていた。

 あたりが段々暗くなってきて、そういえば約束を果たさなきゃと『事務所』へと向かうことにする。

 歩いて、電車に乗って、また歩いているうちに、色んな思いや考えがどんどん浮かんできて、スッキリしたはずの頭の中は、またごちゃごちゃになってしまった。

 気がついたら和葉さんのマンションの前まで来ていて、俺はもらったカードキーを使い、エントランスをくぐり抜ける。

 このキーを渡された時も、また距離が縮まった気がして嬉しかったけど、結局のところ、俺は和葉さんのことをまだ何も知らないに等しい。


 7階のなめらかな質感の扉の前に立つ。

 インターフォンへと伸ばした手は、そのまま動かなくなってしまった。

 俺はプリンの入った袋をそっとドアの横に置くと、背中を向け、来た道を戻る。

 マンションから出て、家へと向かいながら、立木にメールを送った。

 自分でも情けないと思ったけれど、少し、時間が欲しかった。

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