ヘンゼルとグレーテル 3

「……くら、佐倉さくら


 体に揺れを感じて目を開けると、そこには立木たちきの顔があった。

 その後ろには、白っぽい天井が見える。病院のロビーで待っているうちに眠ってしまったらしい。


和葉かずはさん、何ともないって。少し休んだら帰っていいって」


 ほっとしたその表情を見て、ぼんやりとした頭にも血が戻ってくる。

 言葉の意味が浸透しんとうしてくるにつれ、安堵あんどに胸が温かくなった。


「ごめん、俺……」

「慣れない能力を立て続けに使ったんだもん。仕方ないよ。あんたは良くやったって!」


 この緊急事態に、と自分を情けなく思っていると、意外にも立木が優しい声をかけてくれる。

 隣を見たら、缶コーヒーやジュースやらを何本も持っている渡部わたべと目が合った。ヤツはむっつりとした顔で壁の方へと視線をそらす。


「和葉さんは?」

「今、点滴を受けて眠ってる。……ずっとお菓子の家の中で頑張ってたからね」


 付け加えられた言葉は、独り言のように頼りなかった。

 しばらく沈黙が流れる。俺は何気なく入り口の方を見た。

 たった今自動ドアを通って来た女の人が、カッカッとヒールで床を叩きながら、足早にこっちへと向かってくる。

 彼女はそのまま俺たちの前を通り過ぎた。空気には、香水のにおいがはっきりと混じる。

 スタイルもいいし、デカいサングラスや、アニマル柄のTシャツとミニスカートも似合ってはいるが、この場所の中では妙に浮いている気がした。

 その背中は、処置室の中へと消えて行く。

 ――と思ったらすぐに出て来た。今度は俺たちのところを目指して歩いて来る。


「あなたたち、和葉の友達?」

「はぁ」


 何と答えていいものかと迷っていたら、気の抜けた声が出てしまった。

 まだ頭が上手く回ってないみたいだ。


「あの――」

「和葉が起きたらこれ、渡しといてくれる?」


 立木が何かを尋ねる前に、彼女はバッグから取り出した分厚い封筒を、俺に押し付けるように渡す。

 そしてにっこりと笑うと「じゃね」と言って、さっさと歩いて行ってしまった。


「……だ、誰?」

「さぁ……?」


 立木も知らないようで、首をひねっている。

 渡部の方も一応見てみたが、知ってるはずもないだろう。

 それからしばらくして、今度は高そうなスーツをびしっと着こなした男の人が、こちらへとやって来た。

 急いだためか、ハンカチで顔の汗を何度も拭っている。


「ああ、立木さん。……和葉は?」

「こんばんは。今、よく眠ってます」

「大丈夫、なんだろうか」

「はい。疲れが溜まっただけだろうって。最近、暑くもなってきましたし」

「……良かった」


 彼はほうっと長い息を吐き、またハンカチを顔に当てる。

 再び上げた視線が、俺と渡部の方へと向いたことに気づいた立木が、紹介を始めた。


「あっ、クラスメイトの佐倉くんと、その友達のめ――渡部くんです。和葉さんが倒れた時、二人が偶然通りがかったおかげで、すっごく助かりました。……こちらは、和葉さんのお父さん」


 さらっとかれるうそに一瞬ひやりとしたが、とりあえず俺と渡部は頭を下げる。

 でもその嘘のおかげか、怪訝けげんそうだったお父さんの表情が、少し柔らかくなった。


「それはありがとう。助けてもらった上、遅くまで付き添ってもらって申し訳ない」


 ロビーの時計は、もう21時過ぎを示している。


「いえ、やっぱり心配ですし」


 俺がそう答えると、お父さんは少し困ったような顔をし、それから微笑んだ。


「皆さん、今日は本当にありがとう。後は私がついているから」

「でも――」


 もう大丈夫だとはわかっていても、事情が事情だけに心配が募る。


「はい、どうぞお大事に。おやすみなさい」


 だが立木はぴょこんと頭を下げると、俺の腕をぐいぐいと引っ張った。仕方なく俺も頭を下げ、歩き出す。

 渡部も大量のドリンクの缶を抱えたままでついてきた。

 振り返ると、もうお父さんの姿は消えていた。もちろん和葉さんの姿もない。


 自動ドアをくぐって外に出れば、少しだけ風はひんやりしている。

 立木から和葉さんの様子は聞けたし、起こしたら可哀想だと思って遠慮してしまったけど、俺もこの目で少しでも様子を確かめて、安心したかったな。

 疲れはまだ全然抜けなくて、頭もぼんやりしたままだけど、今夜もまた、中々寝付けそうに無かった。

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