眠り姫 3

 そしてようやくやって来た一区切り。

 部屋にはすでに西日が差しこみ始めている。


「まだまだひどいもんだが、とりあえずは乗り切れるだろう」


 テーブルに突っ伏した頭上から、渡部わたべのイヤミったらしい声が降りかかってくる。

 俺はそれを払うことも、投げ返すことも出来ずにぐったりしていた。

 きっとまたドヤ顔してるんだろうが、それを見なくて済んだのは幸いと言ったところか。


「……の」


 そこで立木たちき何事なにごとかを言ったので、耳だけを済ませてみる。


「ノー……アイムノットアスリーピングビューティー……」


 ――大丈夫なんだろうか。

 そんなこんなありながらも、振舞ふるまわれた紅茶とスコーンをしょくしているうちに段々元気も湧いて来て、それと一緒に記憶も戻ってきた。


「そうだった」


 俺はバッグを引き寄せ、あの茶封筒を取り出す。


「あの……これ。和葉かずはさんにって、病院で渡されて」


 そう言って差し出すと、和葉さんはじっとそれを見た。

 勝手に中身を見たことが、もしかしたらバレるんじゃないかと、妙に緊張する。


「……あの人が、来たの」


 しかし、和葉さんはそれだけを言い、封筒をゆっくりとした動作で受け取った。

 少し躊躇ためらうようにしてから、中を確認する。


「あっ!」


 それを後ろからのぞき込んでいた立木が突然、大きな声を上げた。


「この人、新名楓にいなかえでじゃない!?」

「新名楓?」


 記憶を探ってみるけれど、その名前に心当たりはない。有名人なんだろうか。


「フォトグラファーだろ。新進気鋭しんしんきえいの」


 渡部がぽつりという。やっぱり有名人っぽい。知らないのって俺だけなのか。

 みんなの興味が集まると、和葉さんはまたゆっくりとした動作で、何枚かの写真をテーブルの上に置いた。

 俺は一回見ちゃったけど、初めて見たようなフリをする。

 和葉さんは、黙って手元に残った写真を眺めていた。どんなことを感じているのか、その表情からは読み取れない。


「……この人はね」


 写真への感想や、新名楓というフォトグラファーについての雑談は、ぽつりとこぼれ落ちてきた言葉により、ぴたりと止んだ。

 和葉さんはまだ、持った写真に目を向けたままで顔を上げない。


「私が生まれて初めて出会った能力者で――能力を眠らせた、初めての人なの」


 誰も何も言わなかった。

 沈黙に耐えかね、俺が何か言葉を発しようかと思った時、先に破られる。


「私の記憶にあるあの人は、いつも眠ってた」


 和葉さんは、まるで写真の中から言葉を一つ一つ探して、拾い出してきてるみたいに話していく。


「医師には睡眠障害だと言われていたけれど、私は違うってことを知ってたの。心配で様子をこっそり見に行った時に、あの人がこうやって……光る針みたいなものを自分の手に刺してたのを見たから」


 そう言って、写真を持っていない方の手で、反対の手首を軽くつついた。


「そうするとね、起こしても起こしても、起きなくなるの」

「それって……?」


 立木の問いに、和葉さんは小さく頭を下げる。


「私は病気を治してあげなきゃって思ってた。――それも本当の気持ちだったけど、やっぱり寂しかったんだと思う。それがなければ、他の家みたいに、普通になれるのにって。――でもね」


 そこで言葉を切り、息を吐いた。

 俺たちは、次の言葉を待つ。


「能力が眠りにつくと……あの人は家を出て行った」

「なんで、また?」


 俺が上げた声が、やけに大きく部屋に響いた気がした。

 それが余計に、気持ちをざわざわとさせる。


「きっと、自分の本心から逃げられなくなったからだと思う。フォトグラファーになったって聞いたのは、ずっと後になってから」


 そう言って、和葉さんは写真の表面を指ででた。


「私といた時よりも、ずっと楽しそうなのよ、あの人。……ひどいよね」


 彼女は目を伏せて、写真を見続ける。

 流れる長い髪も手伝って、その表情はよくわからなかったけど。

 俺には、微笑んでるように見えた。


 ◇


 そしてまた学校が始まり、ついに期末考査も始まる。

 いざ始まってしまえばあっという間で、その間は俺も流石に他のことまで意識は回らず、ただひたすら試験に集中した。


「あー、疲れ、た……」


 何とか乗り切った最後の日、早々に帰宅して部屋へと入り、ぐったりとベッドに倒れこむ。

 自己採点をしてみても、悪くない感触だった。これも地獄の勉強会のおかげか。あんまり認めたくはないが。

 そんなことを思いながらも、心地よいスピードで眠りの中へと引きずり込まれようとしたその時、スマホが軽やかな音を立てた。


「……何だよ」


 文句を言いながらも、俺は無意識に手を伸ばす。

 でも、今はとにかく寝たい。

 出来はどうだった? とかに答えるのも面倒だったし、やっぱり後で確認しようと一旦は手を離したが、未練のような感覚はぐずぐずと体の中に残り続ける。

 このままだとスッキリ眠れそうにないので、俺は結局横になったまま首を不自然に曲げ、画面を目の前に持ってきた。

 そこには案の定、メガネのアイコンが揺れている。

 その隣には<これを見てみろ>というセリフと一緒に、URLが表示されていた。文字の並びに見覚えがある。動画共有サイトのURLだ。

 試験のことだったなら無視して寝ようかと思っていた俺は、かえって興味を引かれてしまい、URLをすぐさまタップする。

 サイトへと転送され、少しの間を置いた後、動画の再生が始まった。

 画面には、ばたばたと動く足先が映し出され、それに合わせて押し殺したような笑い声が聞こえて来る。


 ――背筋がざわり、とした。


 慌てて体を起こし、食い入るように小さな画面を見る。

 白のテーパードパンツに、デッキシューズ。続いて映ったのは、見慣れたひょろい足。

 動画には、奇妙な踊りを踊っている二人組が映っている。

 顔にはモザイク処理がされていたが、誰なのかはすぐにわかった。


 それは、姿の見えない『アメフラシ』を必死で追い掛け回す、俺と和葉さんの姿だった。

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