語り手の領域 3

 まだまだ暑い日は続く。

 セミの声は少し物悲ものがなしげな響きへと変わっていた。


 俺はエントランスをくぐり、エレベーターへと乗る。7階まで上がり、なめらかな質感の扉の前に立ってインターフォンを鳴らした。

 待つ間、緊張が高まる。すでに退院はしてたんだけど、しばらくは激しい動きは出来ずにずっと自宅にいたから、ここに来るのも久々だった。


 少ししてドアの向こうで気配がし――三人がいっぺんに出てくる。


「退院おめでとう!」


 それからパン、パン、パンという音とともに、色とりどりの世界が目の前に広がった。


「うわっ」


 驚いて立ち止まる俺は、飛び出したテープと一緒に部屋の中へと回収される。


「ちょ、ちょっと待って――」


 そして有無うむを言わさず『事務所』へと通され、いつもの席へと座らされた。

 殺風景さっぷうけいだった部屋は色鮮やかに飾り付けられ、テーブルの上にはジュースやサンドイッチ、ピザ、お菓子などがずらっと並んでいる。


「え……なんか豪勢ごうせいだけど」

「うん、だからたかやくんの退院のお祝い」

「――にかこつけて、みんなでパーティーしようってことになったの!」


 それから三人ともそれぞれ席についた。


「あ、ありがとう」

「パーティー費用はワリカンだからな」


 渡部わたべの余計な一言も、今日は何だか微笑ほほえましい。

 こうやってみんなが祝ってくれることもだけど、ここに四人また揃ってるのが何より嬉しかった。


「それじゃ、乾杯しよう」


 和葉かずはさんの一言で、グラスにジュースが注がれる。


「じゃあ佐倉さくらくんから何か面白い一言」

「えーと……お、面白いって!?」

「かんぱーい!」


 唐突に言われて悩んでる俺を差し置き、立木たちきはさっさと乾杯の音頭を取ってしまった。

 わたわたとする俺を見てみんな笑いながらも、グラスを合わせる。


「……そうだ」


 和葉さんは一口ジュースを飲んでから事務机のほうへと向かい、そこに置いてあった紙袋を持ってくると、中から何かを取り出した。


「これ、仁科にしなさんから預かってきたの。はい」


 渡されたのはCDだった。ジャケットにはサインが入っている。


「アルガンノアの新譜だ」

「ええ、退院したらお祝いにあげてって」

「”Glass Coffin”に行ったの?」

「ううん、駅のカフェで。近くまで来たついでだって言ってた」

「へぇ……」


 ちょうど買おうかどうか迷ってたところだからありがたかった。ジャケットのデザインも洗練されていて、メジャーになったんだなっていう喜びと、遠くに行ってしまったような寂しさがないまぜになる。


「いいなー、佐倉だけ」


 ぼやく立木の前にも、同じCDが差し出される。きちんとサインも入っていた。


「えっ、これあたしの?」

「うん、四人分くれたの」

「俺は別に欲しくはないが」


 喜ぶ俺たちの隣で、渡部がむすっとしながら言う。


「じゃあめっけちゃんの分も、佐倉にあげちゃおうよ、退院祝いで!」


 紙袋に手を突っ込み、立木が俺の手の中にもう一枚CDを置いた。それはすぐに別の手によって奪われる。


「こいつにやるくらいなら、俺がもらってやった方がマシだ」


 相変わらずめんどくせーなと思いつつ、俺は気になっていたことを聞いてみた。


「ところで、活動は?」

「実はあれ以来、あまり『つむ』関連の事件がなくて」


 すると和葉さんが、紙袋を元の場所にもどしながら答える。


「そーそー、だから結局お茶したり遊んでることのほうが多かったよね」

「へぇ、今まで地道に続けてきたのが実を結んだってことなのかな」

「そもそも、そんなに事件があってたまるかよ」


 確かに渡部の言う通りかもしれない。とにかく、平和なのが一番だよな。

 俺がサンドイッチに手を伸ばし、もぐもぐとやっていると、立木が俺の持ってきたリュックを目ざとく見つけ、指差した。


「それよりさ、あんたあの荷物、宿題じゃないの?」


 図星です。パンが喉にひっかかり、咳き込む俺。あっ、まだ肋骨が若干痛い。


「やっぱりー。みんなに手伝ってもらおうって魂胆こんたんでしょ!」

「――そ、そういう立木は終わったのかよ!」


 ジュースで急いで流し込み、涙目でにらむと、ヤツは自信たっぷりに胸を張る。


「当然でしょ! あと夏休み終了まで十日もないんだよ!?」

「う――嘘だ!」

「ほんとですー、佐倉くんとは違うんですー」

「……私たちも手伝ったけどね」

「ヒマだったからな」


 和葉さんと渡部がスナック菓子をぽりぽりやりながら言うと、立木は途端に静かになる。


「ほら、やっぱな!」

「で、でも、教えてはもらったけど、自分で頑張ってやったのは事実だもん!」


 うーん……でも和葉さんと渡部のダブルスパルタを乗り切ったのは、頑張ったといえば頑張ったかもしれない。


「だけど今回は怪我もして入院もあって、色々大変だったわけだし、宿題くらい頼ってもらってもいいんじゃないかな?」


 和葉さんの素晴らしいフォローに、立木は急にトーンダウンした。


「まあ……そうだね。あたしのせいでもあるから。ごめん」

「そういうのは言いっこなしだろ。ま、佐倉がMVPなのは間違いないから、多少は優しく教えてやるよ」


 珍しく立木や渡部まで優しい言葉をかけてくれて、何だかかえって居心地が悪い。


「で? どこをやってないんだ?」

「それは……」


 リュックをわしづかみにして中から宿題を取り出し、早速確認を始めた渡部の手が止まる。

 そして持っていた問題集をいきなり俺に投げつけてきた。


「ひとっつも、やってねーじゃねーか!」

「いてっ! ――い、いやだから、怪我の療養中だったわけで」

「家でダラダラしてんだから、少しくらいは出来るだろうが、このボンクラ!」

「ちょっと、落ち着こうぜ! まずは落ち着こう!」


 その剣幕けんまくに俺が逃げ惑っていると、隣で大きな音が。

 恐る恐るそちらを見れば、テーブルの上に落ちた英語の教科書がグラスをひっくり返していた。


 ――その先には、白いシャツに地図のようなシミを作った立木。


「おいコラ」

「い、今のは俺のせいじゃないって! 渡部が、渡部が物を投げるから!」

「俺のせいにすんじゃねーよ、お前が悪いんだろ!」

「よーしわかった。じゃあ二人揃って手鏡の刑な!」

「ちょっとまなちゃん落ち着いて! ピザが! ピザが落ちるの!」






「……日が落ちるのが早くなったみたい」


 和葉さんは言って、空を見上げた。俺は「そうだね」とだけ言って同じ方角を見る。

 今日は結局みんなで大騒ぎして、後片付けしてたら時間が来てしまった。宿題のことを考えると気が重いけど、そもそも自分でやらなきゃいけないわけだし、せっかくのパーティーだったし、楽しかったからいいか。――いいよな、多分。


「宿題は、またわからなければグループで聞いてくれれば、誰かが答えられると思うから」


 そんな心の声が聞こえたかのように言われ、俺は頬を掻く。


「立木のことは当てにしてないけどね」

「そう? まなちゃんに聞くのが一番手っ取り早いんじゃない?」

「あ、そういえばそうだ」


 俺たちは顔を見合わせて笑った。『仲間』としての印象が強すぎて、学校で同じクラスだということをつい忘れてしまいそうになる。


 笑いがおさまると、次の話題が見つけられずに、俺たちは無言で歩いた。

 俺は今日は自転車で来てたし、一人で帰ろうとしたら、和葉さんが同じ方向に用事があるというので、途中まで一緒に行くことになっている。


「ところで、どこに――」

「あっ、ねぇ、ここ覚えてる?」


 俺が口を開くのと同時に、和葉さんが指を差す。そこには、ごく普通の電信柱。一瞬何のことかと首を傾げたが、薄暗い中、周囲の景色を見ているうちに思い出した。


『まなちゃん、もうやめよう? 可哀想だよ』


 そういえば立木は最初から演技派だったな。本気で困ってるように見えたから、変な汗だらだらかいちゃってさ。


「あの時、和葉さんが出てきてくれなかったらと思うと今でもゾッとする」

「だって、本当に可哀想だったから」


 和葉さんもその光景を思い出したのか、くすくすと笑った。


「あれから――図書館のところで会ってから、まだ三ヶ月も経ってないんだね」

「ほんと、色んなことがありすぎて、ずっと前のことみたいな気分だよ」


 思いがけない出会いがあって、思いもしなかった世界があって、人生初の入院や事情聴取を受けたりして。

 本当に沢山のことがあって忘れられそうもない夏は、あわただしく過ぎようとしている。


「うん、私も、そういう気分」


 思わず和葉さんの方を見ると、彼女はまだ電柱のあたりをじっと見ていた。


「……『ラプンツェル』との戦いの時、覚えてないかもしれないけど、たかやくんと一瞬だけ目が合ったのね」

「覚えてるよ」


 和葉さんは少し驚いたようにこっちを見て、「そう」と微笑む。俺にとってはむしろ、和葉さんが覚えてることのほうが驚きだった。


「その時、人に見られたって思った。たかやくんは『つむ』には見えなかったから。でも何の衝撃も来なくて、たかやくん自身驚いてはいたけど、あの状況を受け入れて、私を助けようとさえしてくれた。それが……とっても嬉しかった」


 意外な告白に、俺は上手く言葉を返せない。


「私はそれまで他の『紡ぎ手』に会ったことはなかったから、まなちゃんに見つけてもらった時も嬉しかったし、りょうくんと知り合えたことも嬉しい。でもね、それとはまた違った嬉しさだったの。上手くいえないんだけど……ひとりの人として、認められた気分とでもいうのかな。だから、たかやくんと出会えて、本当によかった。これからも、宜しく」


 和葉さんは呆気あっけにとられる俺にぺこりとお辞儀をしてから、照れくさそうに笑う。


「それじゃ、またね!」


 そしてくるりときびすを返し、急いで来た道を帰っていった。


「あ、あの――」


 用事はいいのかな、と言いかけて、もしかしたらこれが用事だったのかもしれないと思い至る。すると妙にドキドキしてしまって、顔が火照ほてっていくのがわかった。

 小さくなっていく和葉さんの背中を眺めながら、ふと、仁科さんの言っていたことを思い出す。言葉は違うけど、もしかしたら同じことを言っているのかもしれない。


「……またね」


 後ろ姿が完全に見えなくなってから、ようやく俺は小さく言う。

 そう口に出来る幸せを、めながら。

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物語領域 -ものがたりのりょういき- 森山たすく @simplyblank

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