語り手の領域 3
まだまだ暑い日は続く。
セミの声は少し
俺はエントランスをくぐり、エレベーターへと乗る。7階まで上がり、
待つ間、緊張が高まる。すでに退院はしてたんだけど、しばらくは激しい動きは出来ずにずっと自宅にいたから、ここに来るのも久々だった。
少ししてドアの向こうで気配がし――三人がいっぺんに出てくる。
「退院おめでとう!」
それからパン、パン、パンという音とともに、色とりどりの世界が目の前に広がった。
「うわっ」
驚いて立ち止まる俺は、飛び出したテープと一緒に部屋の中へと回収される。
「ちょ、ちょっと待って――」
そして
「え……なんか
「うん、だからたかやくんの退院のお祝い」
「――にかこつけて、みんなでパーティーしようってことになったの!」
それから三人ともそれぞれ席についた。
「あ、ありがとう」
「パーティー費用はワリカンだからな」
こうやってみんなが祝ってくれることもだけど、ここに四人また揃ってるのが何より嬉しかった。
「それじゃ、乾杯しよう」
「じゃあ
「えーと……お、面白いって!?」
「かんぱーい!」
唐突に言われて悩んでる俺を差し置き、
わたわたとする俺を見てみんな笑いながらも、グラスを合わせる。
「……そうだ」
和葉さんは一口ジュースを飲んでから事務机のほうへと向かい、そこに置いてあった紙袋を持ってくると、中から何かを取り出した。
「これ、
渡されたのはCDだった。ジャケットにはサインが入っている。
「アルガンノアの新譜だ」
「ええ、退院したらお祝いにあげてって」
「”Glass Coffin”に行ったの?」
「ううん、駅のカフェで。近くまで来たついでだって言ってた」
「へぇ……」
ちょうど買おうかどうか迷ってたところだからありがたかった。ジャケットのデザインも洗練されていて、メジャーになったんだなっていう喜びと、遠くに行ってしまったような寂しさがないまぜになる。
「いいなー、佐倉だけ」
ぼやく立木の前にも、同じCDが差し出される。きちんとサインも入っていた。
「えっ、これあたしの?」
「うん、四人分くれたの」
「俺は別に欲しくはないが」
喜ぶ俺たちの隣で、渡部がむすっとしながら言う。
「じゃあめっけちゃんの分も、佐倉にあげちゃおうよ、退院祝いで!」
紙袋に手を突っ込み、立木が俺の手の中にもう一枚CDを置いた。それはすぐに別の手によって奪われる。
「こいつにやるくらいなら、俺がもらってやった方がマシだ」
相変わらずめんどくせーなと思いつつ、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「ところで、活動は?」
「実はあれ以来、あまり『
すると和葉さんが、紙袋を元の場所にもどしながら答える。
「そーそー、だから結局お茶したり遊んでることのほうが多かったよね」
「へぇ、今まで地道に続けてきたのが実を結んだってことなのかな」
「そもそも、そんなに事件があってたまるかよ」
確かに渡部の言う通りかもしれない。とにかく、平和なのが一番だよな。
俺がサンドイッチに手を伸ばし、もぐもぐとやっていると、立木が俺の持ってきたリュックを目ざとく見つけ、指差した。
「それよりさ、あんたあの荷物、宿題じゃないの?」
図星です。パンが喉にひっかかり、咳き込む俺。あっ、まだ肋骨が若干痛い。
「やっぱりー。みんなに手伝ってもらおうって
「――そ、そういう立木は終わったのかよ!」
ジュースで急いで流し込み、涙目でにらむと、ヤツは自信たっぷりに胸を張る。
「当然でしょ! あと夏休み終了まで十日もないんだよ!?」
「う――嘘だ!」
「ほんとですー、佐倉くんとは違うんですー」
「……私たちも手伝ったけどね」
「ヒマだったからな」
和葉さんと渡部がスナック菓子をぽりぽりやりながら言うと、立木は途端に静かになる。
「ほら、やっぱな!」
「で、でも、教えてはもらったけど、自分で頑張ってやったのは事実だもん!」
うーん……でも和葉さんと渡部のダブルスパルタを乗り切ったのは、頑張ったといえば頑張ったかもしれない。
「だけど今回は怪我もして入院もあって、色々大変だったわけだし、宿題くらい頼ってもらってもいいんじゃないかな?」
和葉さんの素晴らしいフォローに、立木は急にトーンダウンした。
「まあ……そうだね。あたしのせいでもあるから。ごめん」
「そういうのは言いっこなしだろ。ま、佐倉がMVPなのは間違いないから、多少は優しく教えてやるよ」
珍しく立木や渡部まで優しい言葉をかけてくれて、何だかかえって居心地が悪い。
「で? どこをやってないんだ?」
「それは……」
リュックを
そして持っていた問題集をいきなり俺に投げつけてきた。
「ひとっつも、やってねーじゃねーか!」
「いてっ! ――い、いやだから、怪我の療養中だったわけで」
「家でダラダラしてんだから、少しくらいは出来るだろうが、このボンクラ!」
「ちょっと、落ち着こうぜ! まずは落ち着こう!」
その
恐る恐るそちらを見れば、テーブルの上に落ちた英語の教科書がグラスをひっくり返していた。
――その先には、白いシャツに地図のようなシミを作った立木。
「おいコラ」
「い、今のは俺のせいじゃないって! 渡部が、渡部が物を投げるから!」
「俺のせいにすんじゃねーよ、お前が悪いんだろ!」
「よーしわかった。じゃあ二人揃って手鏡の刑な!」
「ちょっとまなちゃん落ち着いて! ピザが! ピザが落ちるの!」
「……日が落ちるのが早くなったみたい」
和葉さんは言って、空を見上げた。俺は「そうだね」とだけ言って同じ方角を見る。
今日は結局みんなで大騒ぎして、後片付けしてたら時間が来てしまった。宿題のことを考えると気が重いけど、そもそも自分でやらなきゃいけないわけだし、せっかくのパーティーだったし、楽しかったからいいか。――いいよな、多分。
「宿題は、またわからなければグループで聞いてくれれば、誰かが答えられると思うから」
そんな心の声が聞こえたかのように言われ、俺は頬を掻く。
「立木のことは当てにしてないけどね」
「そう? まなちゃんに聞くのが一番手っ取り早いんじゃない?」
「あ、そういえばそうだ」
俺たちは顔を見合わせて笑った。『仲間』としての印象が強すぎて、学校で同じクラスだということをつい忘れてしまいそうになる。
笑いがおさまると、次の話題が見つけられずに、俺たちは無言で歩いた。
俺は今日は自転車で来てたし、一人で帰ろうとしたら、和葉さんが同じ方向に用事があるというので、途中まで一緒に行くことになっている。
「ところで、どこに――」
「あっ、ねぇ、ここ覚えてる?」
俺が口を開くのと同時に、和葉さんが指を差す。そこには、ごく普通の電信柱。一瞬何のことかと首を傾げたが、薄暗い中、周囲の景色を見ているうちに思い出した。
『まなちゃん、もうやめよう? 可哀想だよ』
そういえば立木は最初から演技派だったな。本気で困ってるように見えたから、変な汗だらだらかいちゃってさ。
「あの時、和葉さんが出てきてくれなかったらと思うと今でもゾッとする」
「だって、本当に可哀想だったから」
和葉さんもその光景を思い出したのか、くすくすと笑った。
「あれから――図書館のところで会ってから、まだ三ヶ月も経ってないんだね」
「ほんと、色んなことがありすぎて、ずっと前のことみたいな気分だよ」
思いがけない出会いがあって、思いもしなかった世界があって、人生初の入院や事情聴取を受けたりして。
本当に沢山のことがあって忘れられそうもない夏は、
「うん、私も、そういう気分」
思わず和葉さんの方を見ると、彼女はまだ電柱のあたりをじっと見ていた。
「……『ラプンツェル』との戦いの時、覚えてないかもしれないけど、たかやくんと一瞬だけ目が合ったのね」
「覚えてるよ」
和葉さんは少し驚いたようにこっちを見て、「そう」と微笑む。俺にとってはむしろ、和葉さんが覚えてることのほうが驚きだった。
「その時、人に見られたって思った。たかやくんは『
意外な告白に、俺は上手く言葉を返せない。
「私はそれまで他の『紡ぎ手』に会ったことはなかったから、まなちゃんに見つけてもらった時も嬉しかったし、りょうくんと知り合えたことも嬉しい。でもね、それとはまた違った嬉しさだったの。上手くいえないんだけど……ひとりの人として、認められた気分とでもいうのかな。だから、たかやくんと出会えて、本当によかった。これからも、宜しく」
和葉さんは
「それじゃ、またね!」
そしてくるりと
「あ、あの――」
用事はいいのかな、と言いかけて、もしかしたらこれが用事だったのかもしれないと思い至る。すると妙にドキドキしてしまって、顔が
小さくなっていく和葉さんの背中を眺めながら、ふと、仁科さんの言っていたことを思い出す。言葉は違うけど、もしかしたら同じことを言っているのかもしれない。
「……またね」
後ろ姿が完全に見えなくなってから、ようやく俺は小さく言う。
そう口に出来る幸せを、
物語領域 -ものがたりのりょういき- 森山たすく @simplyblank
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