第9話

 大西達は今頃駅前のゲームセンターにいるだろうし、彰美は家で勉強しているだろう。

 会う事もないと思い、本屋について階段を登る。

 ちょうどドアの前に美琴がいたので、話しかけた。

「美琴今日も兄ちゃんの部屋に入ろうとしてたな?ノックはするんだぞ」

「あっ、お兄ちゃん!おかえり!あのね日野ねーちゃんからクッキー届けるように言われたの」

「クッキー?そうか、ありがとうな」

「コタツの上に置いておいたの、それとお客さん来てるから、お兄ちゃんの部屋で上がってるようにお母さんが言ってたから、上がらせたの」

「そうか、知り合いかな?」

「髪の長い綺麗なおねいちゃんだよ。理奈って名前のおねいちゃん」

 理奈さんが俺の部屋に来るんなて、何か用事があるんだろうか?

「そっか、美琴わざわざありがとうな。日野さんにもクッキーありがとうって言っておいてくれ」

「うん、わかったーじゃあねー」

 美琴はそう言って、階段を下りて行った。

 俺はドアを開けて、理奈さんの名前を呼んだ。

「理奈さん、すいません。待たせたみたいで」

 部屋から理奈さんが顔を出した。

「あ、いえ。連絡もなしに来ちゃったから」

 そういえばそうだが、たまたま寄ったとかで来たのだろうか?

 にしては隣の駅まで電車で行くには少し遠い距離だ。

 やはり理奈さんは何か用があってきたのだろう、原稿の進行状況ならスカイプで定期的に報告はしているし、完成したペン入れ原稿はデータで転送している。

 ということは原稿以外の用事で来たのだろう。

 パソコンがある自分の部屋に入り、そこでコタツから出て立ち上がっている理奈さんを見ると、女子高の制服を着ていた。

「学校帰りだったんだね。お茶出すから座っていていいよ」

 そう言って俺は冷蔵庫から緑茶を取り出し、紙コップに注いで理奈さんの座っているコタツのテーブルに置いた。

「ありがとうございます。最近弘樹さんが元気がないような気がして、心配で来ました」

 スカイプの通話で話すことも今まであったが、まさかそういう心配をしているとは俺は夢にも思わなかった。

「あ、そんなことはないよ。原稿も進んでるし、大丈夫だよ」

「今日何かあったんですか?」

 スカイプでよく通話したりするときに、彼女にこういうことは隠せない。

 短い期間だが、俺は総思えた。

 しかし、言っていいのかわからなかった。

「弘樹さん、もしかして進路のことで先生になにか言われたんですか?」

 彼女のこういう勘の鋭さは侮れなかったようだ。

 観念して今日のことを話した。

「…というわけなんだ。そして公務員の道とかも考えなきゃいけないなって思った」

 彼女はそんなことないと言った。

「公務員なんかなる人じゃないですよ。漫画家として成功するに決まってますよ」

「でも、必ずしもそうなるわけじゃないでしょ?」

 お互い少し熱が入っているようにも見えた。

「そんな弱気にならなくても大丈夫ですよ」

「でも、そういうことは大学に入ってから考えないといけないし、サークル解散をした佐野先輩達みたいにいつかは…」

「やめてください!聞きたくないです!」

 理奈さんが少し怒鳴り、俺は黙った。

「とりあえず、原稿は仕上げるから2月で最後かもしれないけどさ」

「………」

 理奈さんは俯いている。俺は帰れとも言えず、居心地が悪くなった。

 しばらくして嗚咽が聞こえた。

「理奈さん、泣いているの?」

「な、泣いてません。意気地無しの弘樹さんに呆れているんです」

 意気地無しと言われて、少しムッときたが我慢して家に返すようにした。

「とりあえず今日はもう遅いから帰りなよ。原稿は納期までには間に合わせてデータで送るから」

「女の子を泣かせて、都合が悪くなったら家に返すんですか?情けないですね」

「なんとでも言ってくれ。とにかく集中できないんだ、帰ってよ」

 俺は彼女の肩を握って反対側に押してドアまで移動させようとした。

 パンッ!

 その時自分が何をされたのか、わからなかった。

 頬が痛かった。

「私、弘樹さんのことすごい人だと思ってました。かっこいい人だって、でも違った!本当はちょっとしたことで弱音を吐く弱虫な人だったんだ!」

 泣き声で怒鳴られて、手で顔を覆ってしまった。

 怒る気持ちもなかった、怒ってもどうしようもない気もしたし、どこかで冷めていた。

「泣きやんだら帰りなよ。ドア開けてるから、俺創作してるからさ」

 そう言って彼女をドアの方まで移動させ、俺は後ろを向いて作業をした。

 背中から泣き声が聞こえた時に、胸が痛かった。

「1つだけ聞いてもいいかな?」

 背中を向けたまま、嗚咽が聞こえる理奈さんに質問した。

「なんですか、保険で公務員選ぶ弱虫さん」

 態度が変わっているのがあらかさまだったが、腹を立てずにやんわりと聞いた。

「なんでそこまで俺の作品を気に入っているの?」

 理奈さんはしばらく黙っていたが、嗚咽が止んで泣き止んだ時に、鼻水をズズッとする

音を立てて、俺の質問に答えた。

「はじめて本を買った時はすごい人だと思いました。会ってみて優しい理想の人だと思いました。ちょっと抜けてそうだけど可愛い人だなって思ったんです」

「理想の人?」

「恋をするならこういう人が横にいたらいいなって弱虫になる前までは思ってました」

 理奈さんは俺のことが…

「俺のこと、好きだったの?」

「………」

 黙りっぱなしだ。俺もこのもやもやを言おうと思った。

「俺も君と話して、時々考えるんだ君のこと、でもそれが好きだという気持ちに気がつかなった。自分でも子供だと思う。俺を好きになってくれてありがとう」

 そう言って振り向くと彼女はいなかった。

「…帰ったか」

 空いたままのドアを見て、そう思った。

「あれ?弘樹君帰ったの?」

 ドアの向こうから日野さんの声が聞こえた。

 ドアから日野さんが現れて、何かを持っていた。

「琴美ちゃんのためにクッキー焼いてきたんだけど、余っちゃって持ってきたんだけど、何かあったの?」

 俺は立ち上がって、ドアまで移動して日野さんと話した。

「なんでもないですよ」

「でも女の子泣かせるのは酷いと思うわよ」

 日野さんは笑顔でそういった。見ていたのだろうか?

「話は途中からだけど聞こえてたわ」

「日野さんには関係のない話でしたね、忙しい中クッキーありがとうございます」

 そういってクッキーをもらおうとした。

「まだあげないよー」

 そう言ってクッキーを上にあげた、こんな意地悪な人だっただろうか?

「あのね弘樹君。絵や漫画を描く人ってね。単に才能が有るだけじゃないと私は思うんだ」

「何が言いたいんですか?」

「弘樹くんの悩み解決の手助けと可愛い彼女の仲直りの仕方を言いたいの」

 笑顔で日野さんはそういうことを言った。

「それじゃあ他に何があると言うんですか?」

 日野さんは俺の手にクッキーを載せてこう言った。

「才能はもちろんだけど、ささやかなセンスと溢れるような好奇心、それに向かって考えていく努力とほんの少しの勇気だと思うよ」

 勇気という言葉に少しだけ自分に足りない気もした。

「それとね、弘樹君にはそれをわかってくれる可愛い女の子がいるんだよ。その子こと好きなんでしょ?だったらその子の言いたいことも考えてあげなきゃいけないよ?」

「それはそうかもしれませんが」

「好きな人が弱気になったら、その横に居る可愛い女の子だって不安になっちゃうんだから、しっかりしないとね」

 言われて、確かに最近は色々なことがあって弱っていたのかもしれない。

 コミケの時から不安がずっと続いていて、それが彼女に弱音を吐いて、ぶつかるようなことになったのかもしれない。

「そうでしたね、俺としたことが弱気になってました。彼女に謝らなきゃいけない」

 日野さんは俺の頭を撫でていた。

「な、何するんですか?俺子供じゃないですよ!」

「かわいい弟分が素直になって嬉しいから撫でているだけだよ。ようやく素直になってくれて嬉しいよ。今までどこか壁があって心を開いてくれなかったからね」

 日野さんはそんなことを気にしていたんだ。撫でられながら俺はそう思った。

「そういうことだから私のかわいい弟のしたこと許してあげて、ね?」

 そういって日野さんは階段の方を見た。

 最初どういうことか解らなかったが、階段の降りる音でハッとした。

「理奈!」

 追いかけようとしたが、日野さんが止めた。

「ダメだよ、今のまま会ってもしょうがないよ。言いたいことは言えたんだから、今はそっとしてあげなさい」

 そう言って日野さんは左手を俺の左頬に乗せた。

「今日はクッキー食べて、彼女のために原稿描きなさい。大切なのは弘樹君のやりたいことだと思うよ。じゃあ店番そろそろだから、またねー」

 日野さんはそう言って、ドアを閉めて帰っていった。

 俺にできること、そして勇気を持つこと、それを聞いてもう一度漫画と向き合うことにした。

 作業机に戻り、パソコンのスリープを解除してクリスタを起動した。

 今はベストな作画が出来るようにただ描こうと思った。

 彼女の、理奈の言葉はその時に改めて聞けばいいと思い、スカイプは完成するまでログインしなかった。


 ※


 いつものように学校の授業を受けて、家にまっすぐ帰り原稿を描いていると大平先輩からスマホで電話があった。

 ここのところ原稿ばかりで、週に1度だけ大西達と1時間ほどゲーセンで付き合いをして、そのまま近くの家に帰ることもあるが、そういう時は原稿を1時間多めに書いて、徹夜をしていた。

 そういうこともあってか、大西達も次の日には眠そうな俺を見て何を思ったのか、誘うことも少なくなっていた。

 学校の昼休みでは話すが、外で遊びに行くほどの関係ではなくなっていた。

 卒業すればそれぞれが別の道に行くのだろう。 

 大西と神山は静岡の同じ大学に合格したので、そこに引越しをして楽しくやると言っていた。大学を卒業したら、多分しけたサラリーマンになるだろうから、それは嫌なので、できれば自分にあったものをそこで見つけたい、といつになく真面目な顔で2人して話していたが、どうなるのかは誰にもわからないだろう。

 唐沢は今住んでいる家から電車1本で12駅ほど離れた大学に通うことになり、地元に残りながら実家に住無事にしているらしい。ゲームを極めたいから、大学に入ったら空いている時間を使って、各地で遠征して強い格ゲーマーとして有名になると言っていた。それはプロゲーマーになるわけでなく、あくまで趣味の範囲で言っていることなので、今と変わらない。これから会うことは少ないだろう。

 林田は俺のこれから通う大学の2駅先にある私立の大学に通うことになる。大学に入ったら車の免許を手に入れて、ドライブとレースを楽しむ男になると訳のわからない事を言っていた。

 4人はそんなことを1月の終わり頃に言っていた。

 そんなことを思い出しつつ、俺は電話に出て、大平先輩とコミケ以来久しぶりに話をした。

「おお、元気そうだな、弘樹よ。今時間あるかい?」

「ええ、まあ、原稿がひと段落ついて、あとは数ページ仕上げるだけなんで時間はありますよ。どうしたんですか?」

「え?原稿やってるって、何かイベント参加してたっけ?」

 大平先輩には説明していなかったことを今頃になって思い出した。

「ちょっと佐野とお前んちまで行くから、あとで説明してくれ」

「わかりました」

 そういってスマホの電話を切って、俺は原稿の作業に戻った。

 そういえば、2人とも就活はどうなっているのだろう?

 まだ2年生の1月下旬だが、本格的に忙しくなるのは3年生になってからだろうか?

 日野さんも大学生だが、今年の3月から大学3年生だ。

 みんな来年の今頃は色々と大変な時期なんだろうと、俺は思った

 俺も3年後の今頃はどうなっているのだろう?

 まだ早すぎる将来だが、そんなことを考えていた。

 その頃には様々な選択肢が削られて、残った仕事から進路を進むしかないのだろうか?

 つい弱気になり、理奈のことを思い出した。

 そう、あまり彼女の前で弱気になるのも、かえって彼女を悲しませるだけだろう。

 そんなことを思っていると、黒のカーテンのかかった窓から車の音が聞こえた。

 たぶん大平先輩たちが来たのだろう。

 先輩たちも就活とはいったが、今の時期ではすることも少ないのだろう、階段の上がる

音を聞きながら、俺は一旦作業を止めて、立ち上がってドアに近づいた。

 インターホンが鳴り、ドア穴を覗き込むと佐野先輩と大平先輩が袋を持って立っていた。

 ドアを開けて、部屋に入れることにした。

「たのもー!さっそくだが、鍋やるぞいー」

 佐野先輩がそう言って上がり、缶ビールの入った袋と、近くのスーパーで買ってきたのか肉や野菜が入った袋を持ってコタツのある部屋まで進んだ。

「もしかして夜まで騒ぐ気で来たんですか?」

「まあ、話は鍋が終わった後でしようか。原稿中だったのか?イベントに参加する予定があるとしたら、独り立ちだが事情があるみたいだな」

 大平先輩がそう言って、ドアを閉めて鍵をかけた

「まあ、その辺のことも話します」

「2人とも鍋やろうぜー!弘樹ー!鍋って冷蔵庫の隣の棚だっけか?」

 佐野先輩が鍋の場所を聞いてくるので、とりあえず俺は鍋の準備を手伝った。

 一通り準備が終わったあとで、佐野先輩からカルピスを2本渡された。

「冷蔵庫が寂しくなってきた頃だと思ってな。買ってきたぞい」

「それはどうもありがとうございます。でも、なぜ鍋を?確かにまだ雪も降って寒い時期ですけど」

 佐野先輩の代わりに大平先輩が答える。

「明日は日曜日だろ?コミケだ、なんだで忙しかったし、そろそろ去年のコミケ終了を祝う日にしようかと思ってな。それでわしは鍋にしようといったんだよ」

「今更なんですね」

 俺はちょっと遅い気もしたが、気分を変えて鍋を楽しむことにした。

「わしらのおごりと思って食べてくれ。サークルが解散した記念だ。派手にやろう」

 佐野先輩が鍋に汁を入れて、火が通ってきた頃に肉や野菜を入れた。

「乾杯しようぜい」

 そう言って佐野先輩が言った時には今日の夜中まで騒ぐ羽目になった。

 これはこれで楽しかったが、これで3年近くやったサークルが解散と思うと悲しくもあった。

 その時間は今までのコミケのことを振り返りながら、鍋を食べた。

 先輩たちはビールを、俺はカルピスとオレンジジュースを飲みながら語り合った。

 初めて原稿が完成して、印刷所に行った時のこと。

 初参加の有明でのイベントで2次創作の同人誌200部が完売して、大喜びしたこと。

 そこで知り合った同じ趣味のサークルの人たちとの話。

 3回目の有明のコミケのスペースがお誕生日席だったこと。

 ローカルのイベントで飲み会で騒いでいたら、終電を逃して始発まで近くの漫画喫茶で時間を潰したこと。

 ほかのサークルさんとコラボして、そのメンバーと親しくなれたこと。

 俺の原稿が上がらないから、スカイプで線画が出来た原稿のデータを大平先輩と佐野先輩が協力して仕上げてくれたこと。

 その時のあとがきがたった1行だった事や、コスプレイヤーと仲良くなれたことなど思えば色んな事がコミケを通してあった。

 そんな俺たち3人のコミケが今日の打ち上げで終わるのは悲しかった。

 だが、こうして話すことで思い出として残っていくのだろうか?

 それはなんだか、自分の歩くべき理想とは違う気がした。

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