第7話
俺のハンドルネームというか同人誌を描いていた時の作者名はネプだ。
なんでそんなことを説明するのかというと、今日はその名前を呼ぶ人が11時にハンバーガー屋の前で現れるからだ。
これが世に言うオフ会というのだろうか?
いや、オフ会はもっと人数がいるし、2人だけではたぶん来ないだろう。
時間は10時58分、そんなことを思いながら俺はハンバーガー屋の前まで歩いてきた。
看板の前にスマートフォンをいじっている女の子がいる。
髪はロングヘアーで腰まで伸びている。
胸も大き目ではあるが、年齢は自分と同じくらいに見える。
その女の子が俺を見ると驚いて話しかけてきた。
「すいません、もしかして人違いかもしれませんが」
俺は間違いなくこの人なんだろうなと思いつつ、答えた。
「はい、なんでしょうか?」
「今日ここで11時に待ち合わせ頼まれた人でしょうか?」
やっぱりと思いつつ聞いてみた。
「あっ、林原さんですか?」
名前を言われて、女の子は驚いたが、笑顔で答えた。
「はい、ネプさんですね。初めまして、昨日メールしてくれてありがとうございます」
こうしてみると可愛らしい女の子で落ち着いていた。
身長は俺より1,2cmほど低いが、おそらく年は同い年だろう。
たぶん、彼女も冬休み中だったと思える。
美少女っていうのは彼女みたいな女性の事を言うのだと思える外見だった。
メールが早いのもそれで納得が出来た。
「とりあえず、この近くに喫茶店があるんで、まずはそこで話しましょう」
俺はそういうと近くの喫茶店まで案内することにした。
喫茶店に着くと一番奥の窓のない静かな席に座った。
ここの喫茶店は高校の大西たちとたまにはいる店で、ここの店のケーキとドーナツがおいしいのでたまに大西たちとくる程度の店だ。
今時珍しく全国チェーン店でなく、個人で経営している店で昭和50年頃からあったと母が昔言っていた。
今はリニューアルされて新しめのデザインになっており、落ち着いた雰囲気はそのままで客もそれなりにいる。
「ここの紅茶はどれもおいしいから気に入ると思うよ」
俺はとりあえず話しやすいように話題を出した。
林原さんは少し照れてこう言った。
「あ、あの…ここの喫茶店たまに友達寄っていくんです。ドーナツとケーキがおいしいんですよね」
「あっ、そうなんだ。良く知ってるんだね。ははっ、なんか説明した自分がちょっと笑えるや」
林原さんはいえ、そんなことはないですっと言って話を続けた。
「ネプさんはやっぱり私と同じでここの地元の人だったんですね。あとがきにこのあたりのお店の事も書いてあったので、もしかしてと思ってメールしたんです」
その林原さんの話を聞いて、つくづくあとがきは余計な事は書かない方がいいと実感させられた。
俺はとりあえず大西たちと来るときは必ず頼んでいるアイスミルクティーとチョコドーナツを頼む。
林原さんはストレートティーとハム卵サンドを注文した。
俺はまだ本題に入らずに話を続けることにした。
なんだか今言うのは、どうにも気まずい気がしたからだ。
「あの時はその場にいなかったけど、本買ってくれてありがとう」
俺は最初に買ってくれたことへのお礼から言うことにした。
「いえいえ、綺麗な絵柄で私にはない絵を描く人だと思って買いましたし、そんなお礼を言われるほどの事じゃありませんよ」
林原さんは照れ気味にそう言ってくれた。
やっぱり絵で買ってくれただけで、漫画としては見られていなかったんだな、と俺はその言葉をそう捉えた。
確かにあの時の午前の会場では手に取って読んでくれる人は多くいたが、そのまま買ってくれる人は1人もいなかった。
そう考えると内容はともかく、絵は手に取るだけの魅力はあったのかと俺は思った。
やはり俺には絵の世界に行くべきなんだろうか?
「あの…ネプさん?」
俺が黙り込んでいたのが、気になったのか林原さんは心配して声をかけていた。
「あ、ごめん。考え事してて」
「やっぱりサークル解散のことで考えていたんですか?」
林原さんは本題に入ろうとしていた。この言葉でそれが嫌というほど解る。
「それもあるよ。ああ、そうだ。話変えるけど、同い年くらいだし、俺の事はネプじゃなくて青井でいいよ。本名は青井弘樹っていうんだ。そっちだけフルネームもあれだから答えるよ。見たところ同じ高校生だし、受験とかもあるだろうけど、そっちは大丈夫なのかな?」
俺はとにかく本題を変えていこうと思った。
悪い予感しかしないし、それなら少しでも良い話にした方が痛みだって和らぐだろうと思ったからだ。
「え?は、はい。大学はもう指定校推薦で決まりました。椎応大学の法学部なんです」
林原さんは俺の合格した同じ大学の名前を言った。
「そうなんだ。俺もそこ合格してね。なんだ来年同じ大学なんだ」
「それって凄い事ですよね。来年から知り合いが増えて私嬉しいです」
まずます言いにくくなった。
付け加えて林原さんはこう言った。
「私の事は林原でなく理奈でいいですよ、ネプさん、じゃなくて青井さん。私の通っているところ女子高なんで、クラスの仲のいいみんな本は名で呼び合ってますから」
ここのあたりで女子高だと1つしかないので、割と近くに通っていることも解った。
「そうなんだ、俺も青井でなく弘樹でいいよ。もうサークルも解散し…あっ」
思わず言葉が漏れてしまった。
なんてことだろう、話題を避けたつもりが自分から本題に入ってしまった。
これでは彼女の気持ちだって落ち込むだろう。
余計なことをいったが、林原さんもとい理奈さんは気にしてはいなかった。
「そういえば解散した理由って何だったんですか?すごく聞きたいです」
どこから理由を説明するべきか悩んでいる時に、ウェイトレスが注文していたるアイスミルクティーとチョコドーナツ、そして理奈さんの頼んだストレートティーとハム卵サンドを机に並べた。
「あっ、とりあえず食べてから説明するね」
俺はその間に今日言うべきことを言おうと思っていた。
アイスミルクティーを飲んでもあまり味わえなかった。
というのもこれからいう事が彼女にとっては残念なことだと思うと、素直にアイスミルクティーの甘い味を楽しめなかったからだ。
黙ってばかりでは良くないので先に言うことにした。
「解散した理由はメンバーの先輩2人の就職活動が原因なんだ。2人とも今年で就職を考える学年だし、それをあのコミケが終わった時に言われてね。俺も突然のことで戸惑っていたよ」
理奈さんは静かにそれを聞いて、答えた。
「そんな理由があったんですか」
「ごめんね、サークルが解散した以上は今後本も作れないんだ。せっかく買ってくれたのに新刊も今後出せなくて悪いね」
このままタブレットを返してお代も返そうと思った時に、理奈さんは口を開いた。
「でも弘樹さんはまだ就職って訳でもないし、私これで新刊出ないと思ってませんよ」
言葉の意味が解らなかった。
どういうことだろう?サークルは解散して、本も出せないと言ったのに、何故新刊がでると言えるのだろうかと俺は考えた。
「それは、えっと、どういう意味かな?」
理奈さんは自信満々でこう言った。
「簡単ですよ。弘樹さんが新規で個人サークルを作って、イベントに参加すれば、また新刊を出せますよ」
予想もしていない答えだった。
「た、確かにそれなら俺も新刊は出せるかもしれないけど」
「失礼な言い方で気に触ったらすいません。弘樹さんの漫画は読ませていただきましたし、弱点みたいなところも私は解ります」
続けて理奈さんは俺の出した本の感想も言った。
話が理奈さんのペースになっている気もしたが、俺は彼女の言う弱点を大人しく聞くことにした。
「別にそんなことで怒りもしないし、弱点は言ってくれてもいいよ。買ってくれた人の言う事だから、その本の感想は言う権利はあると思うよ。ぜひ言ってくれないかな?」
理奈さんはそれを聞いて、わかりましたと言った後で本の感想を言った。
「簡単にいうとストーリーや話の見せ方がとても弱いんです。そのせいで漫画自体の絵が上手いのにつまらないものに見えてしまって損をしている部分が多いと思います」
言われてみるとその通りかもしれなかった。
では、あの時は客が手に取っても売れなかったのは、話が下手だったから売れなかったのだろうか?
「でも言い換えれば、そこだけ直していけば漫画として良いものが出来ると思うんです」
理奈さんはそういって、話を続けた。
「話は絵と違って原作の人が付けば改善できると思います。もしよければ私のサークルに入って作画を担当してくれませんか?それならきっと弘樹さんは注目されて本もより多くの人に手に取ってもらえると思いますよ」
その言葉で1つの疑問が生まれた。
俺は話の途中で悪いが、質問することにした。
「ちょっとまって、理奈さんも同人活動をしているの?」
理奈さんはそれを聞いて、鞄から数冊の本を机に出した。
「はい、私も弘樹さんと同じ時期くらいに友達と4人で同人サークルをしています」
それは全年齢の同人誌だった。
2次創作や1次創作もあり、絵も好きな人は手に取る個性の出ている良い絵だった。
「1冊読んでもいいかな?」
「どうぞ、遠慮なく読んで下さい。できれば感想とかも言ってくれるとありがたいです」
試しにオリジナルの同人誌を読んでみると、面白い話で物語を楽しめた。
話の構成がしっかりしていて、言いたいテーマも伝わって、絵さえもっとよければ商業誌に出しても通じるくらいの面白さがあった。
大げさかもしれないが、彼女の描いた本は漫画として完成度がとても高かった。
逆になんでこれほどの人が俺なんかの本を買ったのだろうとさえ思えた。
「どうでしょうか?これは私一人で作ったので、拙い所もあるかもしれませんが、感想とか言ってくれると、直すところは今後の課題として直しますので」
「いや、直すところななんてないくらい良い作品だと思うよ。特に話がとても良かったし、キャラクターも個性が出ていた」
俺は素直に思ったことを述べた。
理奈さんは嬉しさを顔にこそ出さないが、しぐさに見え隠れしていた。
「でも残念だけど、創作は俺はもうできないかもしれない」
「なんでですか?教えてください。私に出来ることなら協力します」
はたしてこの前の美大の事を言っていいのか、俺は悩んだ。
が、言わない事には始まらないのも事実なので言うだけ言ってみることにした。
「実は一昨日…」
俺は出来るだけ短く簡略に説明するように努めた。
彼女は最後まで聞いて、その内容に驚いていた。
「凄いです。やっぱり弘樹さんの絵の才能は本物ですよ」
しかし、素直には喜べなかったし、その理由を俺は言った。
「だけど、美大に入れば俺は今後漫画を描かなくなるし、絵だけに専念するようになる。正直迷っているんだ」
理奈さんもそのことでかける言葉が見つからないのか、しばらく黙っていた。
今のうちにタブレットの事を言うことにした。
「だから昨日届いたタブレットも君に返したくて今日は来たんだ」
「えっ?」
俺は鞄からタブレットの入った小箱を取り出し、机に置いた。
「金額は払えと言うなら払うよ。俺にはもしかしたら美大に行った方が良いのかもしれないし、どうすればいいか解らない今の気持ちのまま、これを受け取るのは辛いんだ」
悲しむだろうな、と思った。
自分の好きな作家に渡したプレゼントを突き返して要りません、なんてひどい話だと自分でも思う。
理奈さんはタブレットを受け取らずにこう言った。
「いいえ、それは持っていて下さい」
「でも、俺はもう描かないかも知れないんだよ?描ける時間だってわずかしか残されていないしさ」
「描けるのは3月までは、ですよね?」
言葉の意味が解らなかったが、確かに3月までは時間はあった。
「確かに3月までは描けるけど、それが何になるの?俺はもうこれから先書かないかも知れないし美大に行くかもしれないんだよ?」
「それならもし弘樹さんの漫画が売れたら美大はどうしますか?」
「そ、それは…」
考えもしない事だった。もう自分は売れないかもしれないと自信も失っていたし、今更創作の活動を続ける気も起きずにいた。
美大にいくかどうか将来の事で悩んで、漫画で売れてその道に行く可能性なんて考えてもいなかったからだ。
「でも、どうやって?俺は話が弱いし、そのせいで漫画としての完成度が台無しになっているんでしょ?無理だよ」
「いいえ、出来ます」
理奈さんは答えた。
「何故なら私が原作で弘樹さんが作画をやれば、周囲も納得の出来る上に、あなたの漫画を描き続ける自信がきっとつく作品が生まれるからです」
「それって…」
つまり彼女が言いたいことは、俺が考える前に理奈さんは言った。
「今度の2月に私のサークルが参加するオリジナルオンリーイベントに、私とあなたの2人で本を出してみましょう」
意外にもそれは合同合作の話になった。
いまいち事態が呑み込めないが、彼女は俺と同人誌を作りたいらしい。
そんなことで自信がついて、これから漫画でやっていけるのだろうか?
ただの絵空事にも思えたが、彼女の描いた作品の話ならもしかしたら、と思う自分もいた。
理奈さんが話を続ける。
「原作はもう出来てます。もし参加してくれるなら家で読んでくれませんか?」
そう言って彼女は鞄からUSBを取り出した。
「この中に今度の新刊の話やキャラクターの設定などが入っています。イベントには申し込んでいるので、あなたさえよければ作画として参加してくれませんか?」
話が進んで行くので、俺は考えた。
そうだ、どうせ最後になるならここで彼女の言うとおりに本を出して、それから決めればいい。
2月ならまだ時間はある。
そこで自分の全てを出し切ろう、もし売れないなら売れないできっぱりとあきらめればいいじゃないか。
俺はこの理奈さんを信じてみる、というか賭けに近いかもしれないが話に乗ることにした。
「わかった、これが最後として頑張ってみよう」
心のどこかで熱くなっている自分が見えた。
生涯で漫画を最後にかけると思った残り火かもしれない。
これで決別できる結果になるなら、俺は喜んで絵の世界に行こうとさえも思った。
他に選べる漠然とした将来の自分の姿が見えなかったのもあったのだ。
理奈さんは嬉しそうに手を握った。
「弘樹さんならそう言ってくれると思いました。受け取ってください、きっとあなたが納得できる結果が生まれます」
手を握られて、思わず胸がチクッと痛んだ。
この気持ちは何なのだろう?
それが解らないまま、俺は彼女の手からUSBを貰った。
「今度から打ち合わせとかあるのかな?」
「ええ、できれば完成状況を見たいのでスカイプとかあればIDをメールで送って貰えますか?」
スカイプとはインターネットで出来るチャット機能が付いた電話ツールのことだ。
通話料がスマホに比べて無料だったりするので、遠出の人には重宝しているし、データの転送なども出来るので利用者は結構多い。
俺もスカイプのIDを大平先輩たちの薦めで取得しているので、理奈さんに教えることにした。
「わかった、緊急時のために俺の家まで案内するよ」
理奈さんは顔が赤くなった。
「えっ?あの、いいんですか?」
彼女は照れているのか俯いている。
どうしたと言うのだろう?
家を案内することで、万が一の緊急の対応も出来る上に信用が上がると思ったのだが、何か変なことを言ったのだろうか?
とりあえず解らないので聞いてみることにした。
「何か問題でもあるのかい?」
「私もこれでも一応女子高生で、しかも女子高に3年近くいて男の人の部屋に入るのは初めてなので、ちょっと」
ああ、そういうことかと納得した。
時々来る彰美や、妹の美琴や本屋で働く大学生の日野さんが部屋に来ることも多いので、悪気もなくそんなことを言ってしまった。
「それなら部屋に入らずに家の前まで案内するよ、それなら別にいいでしょ?」
「それは絶対嫌です!」
声が少し大きかったので、周りの客も何事かと騒いだ。
「ええと…それなら、どうすれば?」
「あ、すいません。大きな声出してしまって、初めてですけど、でも、部屋まで入りますから」
結局入るのかと思いつつ、まぁ俺も同性の部屋には入ることは多いが、女性の部屋は日野さん以外入ったこともないし、やっぱりそういう抵抗みたいなものが生まれるのだろうか?
女というのはよくわからないが、異性の部屋はやっぱり緊張するのだろう。
「あ、悪いね。それじゃあ、今から案内するよ」
そう言って、喫茶店の周囲の視線を気にしながら会計を済ませて俺たちは店を出た。
しばらくあの店は寄れないなと残念に思った。
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