第4話

 時間は10時半を回り、そろそろ作業を中断して、明日の登校日のために寝る準備をした。

 その時、1通の新着メールがパソコンから届いていた。

「大平先輩かな?」

 そう思って、メールを開いてみると中身は別人だった。

「誰だろう?迷惑メールって訳でもなさそうだな」

 届いたメールに書かれていた内容はこうだった。

「はじめまして、千堂みゆきさん。あなたの新刊を読ませていただきました。絵がとても魅力的で個性があり、惜しむらくは話と構成が出来ていませんでしたが、読んでいてとても楽しい気持ちになれました。次回作も楽しみにしていますので、イベントが決まり次第ホームページを更新してください。今度もし迷惑でなければスケッチブックを持っていきますので、何かイラストを描いてくれるととても嬉しいです。それでは次のイベントの新刊を楽しみにしています!」

 どうやら1冊だけ買ってくれたお客さんの感想のメールだった。

 話が弱いのは前々からの弱点な気もしたので、素直に受け取った。

 俺の漫画は前々から大平先輩に話を任せていることが多く、ほとんど作画だけに集中していた。

 そのため話を今まで重要視していなかったところがある。

 いままではこういう話が描きたいことを大平先輩に言って、大平先輩がそのテーマを主軸にコマ割りやら演出などの話つくりのサポートをすることが良くあった。

 今回は自分の力でオリジナルの本をやってみたいとの俺の強い願望もあり、一人で本を仕上げる形となったのだ。

 それが今回の新刊だったが、やはり話の弱さが挙げられてしまった。

 漫画の資料として佐野先輩にも色々と借りて読んだのだが、一朝一夕で良い話が作れるわけでもなく、結果は見ての通りのあの売り上げだった。

 そう言った事から俺の漫画は話が弱かった。

 今後の課題として挙げられたわけだが、その課題も次が無ければ意味がない。

 そうこのメールには次のイベントと書かれていたので、俺はふたたび気持ちがへこんでしまった。

 がっくりと肩を落として俺はせっかく出来たファン1号さんにサークル解散のメールを送ることになった。

 あまり長く書いても辛いだけなので、出来るだけ短く、解散理由はメンバーの就職活動によるものと記載して送信した。

 そのままパソコンを再起動して、スリープモードにして黒い布をスクリーンセイバーと本体に被せて光を隠して、部屋の電気を消して布団に潜った。

 いつまでもいじけても仕方がないと思いつつ、今描いている漫画は値段を付けずに漫画を投稿している総合サイトに載せてしまおうと思った。

 以前に佐野先輩から紹介してもらったサイトで、無償でウェブ漫画を投稿できる大型の漫画投稿サイトがあると教えられた。

 そこは登録さえすれば多くの人に見てもらえるサイトで、漫画雑誌会社の編集者が運営している誰でも投稿できるサイトだ。

 そういうサイトでも発表の場があるし、いろんな意見も聞けると佐野先輩は言っていたのが前から気になっていた。

 イベントで手に取ってもらえなかった場合に、このサイトで今後の自分の漫画を載せていこうとも考えたが、こんなに早く使う機会があるとは思わなかった。

 ここは佐野先輩の話では人気があるサイトで、ウェブ配信だけのデジタル媒体から書籍化された漫画もあるそうだ。

 もちろんそう言った漫画は閲覧数が高くて、人気があるごく一部の作品だ。

 近年はネット配信の漫画が人気により、漫画雑誌社から作画の人などを依頼して、配信されている原作漫画をリメイクしたものが書籍化されるケースも珍しくはない。

 アニメ化される作品もあり、もはやウェブ漫画も週刊漫画雑誌などと同じように大きな注目を浴びているといっても過言ではない。

 そういうサイトでもあるためか、同人の即売会以外でオリジナルの漫画を連載したり、読み切り漫画で力試しをする投稿ユーザーも増えており、また漫画を無料で読めるためスマートフォンを使って、朝の通勤などに読まれることもあり、一般のユーザーにも広く浸透している。

 今俺が描いている漫画も読み切りではあるが、ウェブ漫画サイトに投稿する1作目として投稿を考えている。

 お世辞にも書籍化される人気があるとは思えないが、自分の漫画がどういう風に見られているのか客観的にも見れるし、作品を読んでくれたユーザーのコメントでやる気にもつながるかもしれない。

 コミケで習った感動の共有はここでもあることが解っているので、距離感の問題も生のコミケとネット空間の漫画サイトでは大きく広がりがあるが、漫画を好きなユーザーが集まる場所ならば多少の感動の共有もあるはずだ。

 そう思い、俺は今新作の読み切り漫画を描いているのだ。

 明日は学校の登校日なので、それが終わったら家に帰って続きを描こう。

 どうせすぐに終わるだろうし、周りは一般入試に向けてピリピリしているか、俺のように推薦が決まって異様な空気に順応しているようで耐え切れずに家に帰る奴らで溢れかえっているだろう。

 俺のクラスの友人たちも進路が決まって、余裕のある奴と無い奴でギスギスしている時期だし、なんとも話しにくい雰囲気が続いている。

 とにかく特別な事情でもない限り、避けては通れない日だ。

 遅刻するだけで嫌な空気になるだろうし、余計なとばっちりを受けるのも面倒だ。

 だったら今のうちに寝ておこう。

 構想を練りながら、スマートフォンの目覚まし機能を7時にセットし、俺は布団の中で深い眠りについた。


 ※


 昼寝の事もあってか、眠りは浅く起きたのは朝の6時頃だった。

 外はまだ寒いのでしばらく布団の中に入り、目覚ましが7時を指すとアラーム機能を解除して布団からゆっくり出た。

 冷蔵庫からヨーグルトと卵にサバの缶詰にカロリーメイトのチョコレート味を取り出し、電子レンジでご飯を炊いて、味噌汁を作る。

 スマートフォンを充電しながら、今度は目覚まし機能の指定時間を外に出る時間の7時40分にセットし、用意した朝食を食べた。

 昼は学食で食べようかと思いつつ、最近の受験の空気ではなんだか食べにくそうだと諦めた。

 しかたないので購買のパンで済ませて、夕食はいつものスーパーで3日分ほど買いためして家に帰ろうと計画したころには朝食が食べ終わった。

 予定より10分早いが俺は早めに登校することにした。

 財布の中身2万5千円を確認して、コンビニのATМでお金を引き落とす必要もないと感じ、まだ冬かきが中途半端に住んでいない外の通りに出た。

 俺の行く高校は歩いて30分ほどの所にある。電車だと10分くらいで着くのだが、中間や期末テストなどで遅くなるとき以外は電車は使わないようにしている。

 日ごろから家で執筆していることが多いので、歩いて少しでも運動しようと言う理由で電車はよほどのことが無い限り使わないことにしている。

 どのみち朝の満員電車は好きではないので、選べるのなら運動不足も含めて歩いた方がいいと俺は判断している。

 どのみちこの雪では運行が遅れることもあるし、それなら歩いたほうがマシに思えるのもある。

 歩いて10分後に駐車場が雪でところどころ白くなっている大きなスーパーを通り過ぎる。

 そこから高い建物もない、いつも寂し気な住宅地だらけの街並みを歩いて学校についた。

 グラウンドは一面雪で覆われていて、白銀の世界という言葉がふさわしいくらい積もっていた。

 体育館の赤い屋根は白い雪に覆われて、ホワイトハウスと呼んでも違和感が無いくらい積もっていた。

 体育館の隣のプールも同じように雪が積もっていると思うと、室内プールで泳いでいる学校に差を付けられるんだろうなっと無駄なことを考えた。

 吐く息が白い中で、俺は下駄箱のある入り口にさっさと入って行く。

 階段をあがる前に職員室の近くにある購買部で買い物を済ませ、3年の教室に入る。

 クラスの友人と言っても、それほど仲が良い訳でもない、ノートの貸し借りをしたり、週に1回は4,5人で必ず遊びに行く男友達と挨拶をして窓際の席について、購買部で買ってきたメンチカツパンとレタスとトマトの入ったツナハムサンドイッチを食べながら、同じく購買部で買った120%濃厚ピーチジュースを飲む。。

 男友達の大西が俺に話しかける。

「青井ー。お前今日暇ならガイダンス終わったあとで隣町のゲーセンいかね?秋元達も久しぶりに格ゲーやりたいし、今日は夕方に木曜のゲーセンの格ゲー大会あるしさ」

 続けて同じく男友達の唐沢も話す。

「俺らが集まるのってなんだかんだで冬休み始まる前以来だしさ。久しぶりにお前の格ゲーセンスを見たいわけよ。終わったらレースゲーもやろうぜ。負けた奴は4人に焼き鳥おごりってことでどうだ?」

 俺は受験ムードのなかで能天気な事を言う大西と唐沢に飲み終わったピーチジュースを袋に入れて答える。

「悪いけどまた今度でいいか?今月あまり他の事にお金出せなくてさ」

 それまで黙っていた唐沢と大西以外の2人の友人、林田と神山も会話に参加した。

「なんだよー青井。お前も俺らと同じで推薦で受験終わっただろ?いいじゃないか」

「林田君、青井君も事情があるんだし、今回は僕たち4人で行こう」

 大西が神山に対してこう言った。

「神山ー。青井がいて初めてなりたつ5人なわけよー。こいついないと大会も盛り上がらないしさ。推薦が決まったとはいえ、俺らも一般入試の前の息抜きに5人でパッと行きたいわけですよー、わかるっしょ?」

 唐沢がもしかしてと気が付いたように俺に言った。

「もしかしてあのアーケードから移植した新作ゲーム予約したのか?今日発売だから参加できないとかか?」

 唐沢の言う新作ゲームとはゲームセンターもといゲーセンで稼働している格闘ゲームのことだ。大西の言う今日の大会で開催される格闘ゲームとは別で、人気のある3D格闘ゲームでプレイ人口が1番多いと言われているスーパーウルトラファイター5のことだ。

 もちろん俺は買っていないのでそう答えた。

 唐沢はちょっとがっかりしていた。

「そうだよなー。あれ実は俺も欲しいんだけど、この時期だと短期バイトも少ないから困ってんだ」

 林田がそんな唐沢に答えた。

「俺予約したぜ。青井が大会行かないなら今日帰りに買いに行くけど、俺んちでみんなでやるか?」

 俺以外の男4人がその言葉で喜んでいた。

 周りは受験ムードなので少し静かにしないと怒られる心配があったが、4人ともゲームの事となるとそんな事はお構いなしに盛り上がるのだった。

 中でもいつもテンションの低いが神山がなんだが一番嬉しそうだった。

「林田君!大会はともかく今日は林田君の家でウルファイ5をやろう!今日はそれでいいよね?大西君」

「おう、そういうことなら今日は大会は不参加で林田の家で格ゲーだな。帰りにポテチとコーラでも買いに行って遅くまでやろうぜ」

 大西も嬉しそうな中で、唐沢が俺に聞く。

「青井はどうする?お金も必要ないなら行かないか?久しぶりにお前と対戦したい」

 林田も唐沢の言葉に便乗する。

「おお、青井と唐沢は対戦するの何か久しぶりじゃね?俺も見てみたいなー」

 神山も大西も同じように見たい見たいとはやし立てる中で、先生が来たのでそれぞれの机に戻ることになった。

 こういうときは素早いのでなんだか不思議な笑いが生まれそうだった。

 20代後半の女教師の桃香先生が出席をとり、ガイダンスを始めた。

「はい、みんな。2週間ぶりだね。進路が決まってきた人やこれから大学受験の一般入試の準備をする人もいる時だね。今日は一般入試を受ける生徒のために模試の案内と学校が始まったあとの予定表の確認と変更を言って冬休みの宿題を事前に提出して各自下校してもらいます。それでは最初に…」

 約1時間ほどで話は終わり、冬休みの宿題を提出して、配られた各塾の模試の案内プリントを鞄にしまって俺は帰ることになったが、大西たちの誘いをどう断ろうか考えていた。

 ところが帰りに桃香先生に職員室に呼ばれ、残ってほしいと言われたので大西たちは仕方なしに納得して帰って行った。

 職員室に呼ばれた俺には、桃香先生に来客室で待っている人がいると言われて先生と2人で来客室に行くことになった。

 俺に用がある人は誰なのか気にはなったが、桃香先生が後で説明すると言ったきりで変な緊張を持ったまま俺は来客室に入っていった。

 大きめの机に椅子が左右に4つある以外は、ドアとは対照的な位置に窓がある以外はガラス張りの本棚に資料らしいものが入っている来客室には一人の女性が座っていた。

 桃香先生がその女性に話しかけた。

「お待たせしました、岸先生。こちらが私が担任しているクラスの生徒で青井弘樹君です」

 岸と呼ばれた女性は一礼した。そのまま桃香先生は俺に彼女の紹介をした。

「青井、こちらは東京の美術大学で絵画を専門にしている岸みゆき先生。今回あんたに話があって、わざわざ東京から来てくれたの」

「俺に話、ですか?」

 桃香先生はとりあえず椅子に座れと言って、そのまま座って岸さんの話を聞くことにした。

「初めまして青井君、私は東京芸術大学の教授の岸と申します。今回はあなたの絵画の才能についてぜひうちの大学に来てほしいと思い、ここまで来ました」

「俺の絵画の才能ですか?話が見えないんですが」

 桃香先生は東京芸術大学の願書を出して、岸さんの代りに俺に説明した。

「実はあんたが今まで美術室で描いていた絵をね、内緒でコンクールに出していたのよ」

 初めて聞かされる事実だった。

「なんで勝手にそんなことを?」

「あんたの絵は間違いなく才能がある、賞こそ取れなかったけど、多くの絵の先生に今後を期待されていてね。今まで言い出せなかったけど芸術大学の先生達もぜひあなたをうちの大学で絵の才能を開花させてほしいと言っているのよ」

 まさか自分がそんなに絵の才があるとは夢にも思わなかった。

 岸さんはそこで、と話を始めた。

「青井君にはぜひ一度うちの大学の入試を受けて欲しいんです。今の青井君なら入試も問題なく通りますし、当面の学費もこちらで用意させていただきます。代わりにこちらの用意した寮で絵を描き続けることになりますが、親御さんにも話が通っています。青井君さえ、よければ入試の前に大学を一緒に見て回ることも出来ます」

「待ってください、いきなりそんな話をされても困ります」

 俺のいないところで、勝手に話が進められていた気もしたが、俺はすぐには答えを出せずにいた。

「返事は今すぐというわけではありませんが、大学の見学でしたら出来れば今週中にこちらに連絡していただければ車でお迎えします。きっと気持ちが変わって受験をしてくれる

と思いますよ」

 そういって岸さんは連絡先の名刺を渡した。

 桃香先生は黙っている俺に向かって落ち着いた声でこう言った。

「これはあんたにとって、人生の転機みたいな出来事だから一度広い世界を見て、自分でしっかりと考えなさい。美大を受けて、推薦で合格した一般大学を蹴って芸術の世界に行くかどうかの大事な時期なんだから、これを逃がすともう次はないのよ」

 その言葉が重く胸にのしかかった。

「それでは今週の金曜日に連絡を入れますので行くかどうかの返事をその時に決めてください。まだ見学の段階なので、願書の提出はその次の日にでも郵送してください。私たちは貴方の才能を無駄にしたくはありません。お待ちしております、それでは」

 そういって、岸さんは来客室を後にした。

 桃香先生は俺にお茶を出して、飲んだらもう帰りなさいっと言って部屋を出て行った。

 あまりに突然の話だった。

 頭の中がまだ若干混乱している。

 人生の転機と言われて、俺はお茶を飲むことも忘れてそのまま来客室を出て逃げるように学校から離れて行った。


 ※


 帰り道をゆっくり歩きながら、スーパーの買い物も忘れて俺は雪かきの済んでいない白の道を歩いていた。

 自分に絵の才能があるとは思っていたが、それは中学までの話だと思っていた。

 ただ県のコンクールで入選して、絵の先生に褒められたことだけが思い出として残っている。

 だが、それはあくまで人口の少ない地域だからだと思っていた。

 それが今回の出来事で大きく間違っていたことに気付かされ、俺は内心動揺が隠せずにいた。

 もし自分がこのまま絵画の世界に足を踏み込むことになったとしたら、どうなっていくのだろうか?

 今まで描いていた漫画は絵画の世界で不要の物として、今後描く機会がなくなっていくのだろうか?

 俺自身で決める人生の転機という言葉に1日、2日で決めることが出来ないでいた。

 このまま普通の大学生として生きていった方が、自分にとっては幸せなのだろうか?

 普通ってそれでいいのだろうか?何が普通で何が特別なのか?

 考えれば考えるほど悩みに変っていき、解らないまま家の前についてしまった。

 本屋の前で日野さんと会った。

「あ、弘樹君。彰美ちゃんが実家の方に来てるんだけど、呼んできてもいいかしら?」

「えっ?彰美がですか?」

「それと大学の話聞いたよ。色々考えても、どんな結果になっても弘樹君ならどこでもやっていけると思うよ」

 どうやら日野さんにも話は伝わっていたらしい。

「そうですか、とりあえず彰美は裏口の2階に?」

「うん、ちょうど私の…あっ、弘樹君のいた部屋で美琴ちゃんと遊んでるよ」

 俺はそれを聞いて、どうもと言ってすぐに裏口に行き鍵を開けて入っていった。

 日野さんも未だに俺の部屋の事を気にしているようだが、別に俺は気にしてはいない。

 そう言おうと思ったが、今日野さんは本屋の仕事で忙しいので、また今度機会があればいう事にした。

 言わないままでいるとずっと気にしていそうだし、それは俺としても困る。

 俺は2階にあがり、日野さんの部屋のドアをノックした。

「彰美?俺だけど、後で3階の俺の家にこいよ。鍵開けてるからな」

「あっ、お兄ちゃんの声だ!」

「弘樹?ごめん今手が離せないから後から行くね」

 ドア越しに声が聞こえ、俺はいったん家を出ることにした。

 階段を降りる所でドアが開き、振り向くと彰美と美琴がいた。

「お兄ちゃん、美琴そろそろ部屋で勉強するからまたね」

「ああ、気にするな。彰美、妹と遊んでくれてありがとうな」

「いいよ、弘樹。そんなこと気にしないで、ちょうど赤本買って、日野さんと話してたら部屋にそのままあがってお邪魔してたし…わざわざあんたの部屋に来る用事でもなかったからさ」

 彰美は遠慮気味だったが、もちろん俺はそんな事は気にしなかった。

「いつもは美琴は日野さんと遊んでいることが多いから、暇だったらまた相手してくれると助かる」

「そう?わかった、受験終わったら今度はお菓子でも持ってくるわ」

 相変わらず彰美は悩みも無く、いつも元気そうで俺は今の自分の立場を考えて少しだけ羨ましく思えた。

「どうかしたの?何か悩みでもあるの?」

 顔に出ていたのか、彰美に心配された。

「ああ、まあ…な」

「よければ聞くよ。やっぱりあんたの家に上がることになるわね」

 そういいながら彰美は笑った。

「茶ぐらいは出すよ」

 そういって俺は実家を彰美と共に出て、3階に上がり自分の部屋にいれた。

 彰美に昨日のドーナツを冷蔵庫から出して、ウーロン茶をコップに入れる。

「あんたあたしの残した食べかけのドーナツ結局食べなかったの?」

「食べた部分だけ切り取ってごみ箱に捨てた」

「………」

「なんだよ?あまり食欲がなかったんだ。なんか文句でもあるのか?」

 彰美は別に、といって顔を背けた。

 相変わらずよくわからない一面もあるので、気にしないことにした。

「それで何を悩んでるのよ?」

「ああ、実は今日な…」

 俺はさっきまでのことを包み隠さずに話すことにした。

 話を一通り聞いて、彰美は少し、いやかなり嬉しそうだった。

「行った方が良いわよ!あんたに才能はあるとは思ってたけど、やっぱスケールが違うわね!将来は画家かー、いいなー進路が決まってさー。今週の金曜日に見学なんでしょ?」

「ああ、その日に電話でかかって車で行くことになってる。でも俺…」

 そういって、本当は漫画が描きたいんじゃないかと思い始めてきた。

 その悩みを彰美に打ち明けることにした。

「俺さ、実はまだ漫画を描いていたくて、大学に行っても同人活動が出来るのならそうしたいし、でも美大に行くとそう言ったことにかける時間が全部絵画に行くような気がして迷っているんだ。」

 彰美は紙コップに注がれたウーロン茶を飲んで、しばらく黙っていた。

 俺が漫画を3年ほど描いていたことをクラスで知っているのは、彰美だけだった。

 というか家に来た時に創作がバレたのは知ることになった原因であり、理由をそれから話し、このことを誰にも喋らないで欲しい事もいった。

 彰美は特に何の条件も付けることなく、誰にだって隠し事の1つや2つはあるから別に話すこともない、と言ってくれた。

 あのことで俺は悩み事は彰美にだけ打ち明けるようにした。

 昔から一緒にいる彰美なら、きっと良い答えを出してくれる気もするし、絵を描きながら漫画を描ける方法も一緒に考えてくれるような気さえもしたからだ。

 だが、それは俺の思い違いだった。そう、勝手な思い込みでしかなかったのだ。

 今回の悩みを打ち明けた時に、彰美は口を開いて、こういった。

「漫画はこれを機会に辞めて、絵を描くことに集中した方が良いと思う。せっかく才能があるのなら、それに費やした方が自分のためになると思うわ。明日大学見学に行って、絵の先生たちと今後の事に話して、あんたは絵を描き続けて将来プロとしてやっていくのが1番にあってると思うよ」

 あまりにすっきりとした答えだったので、俺はしばらく黙り込んでしまった。

 彰美は話を続けた。

「はっきり言えば、あんたに漫画は似合わないと言うか、それまで見てきて痛々しいものがあったわ」

「痛々しいもの?」

 3年ほど描いていた俺に対して、これまで彰美は何も言わなかったが、今まで漫画を描いている俺を見ていてそういう風に思っていたことを俺はようやく知った気がした。

「俺が漫画描くことのどこが痛々しいと思ってたんだ?俺は絵画も漫画も同じくらい大切な物だと思ってるんだぜ」

「そこなのよ」

 彰美は俺の言葉を聞いて、そう言った後ですぐに話しを続けた。

「なんで漫画を絵画と同じ位置に置くの?漫画なんてあんなのオタク臭いだけで、あんたがやってきた趣味の延長じゃない。本来は絵画を描いていたでしょ?今だって、美術室に残って描くことだってあったし、これからは大学で描けるのよ、それでいいじゃない」

「オタク臭いって、そんなにいう事ないじゃないか?同人活動だって絵画と同じくらい立派なことだよ。あそこには客と作り手の感動の共有があるんだ。あそこで学んだことは沢山あるし…」

 彰美が途中で俺の言葉を遮った。

「あんたに漫画なんて似合わないし、絵の道に進んだ方が良いと思うの。漫画はただの趣味の延長だよ、それにあんまり売れなかったんだし、賞だってないんでしょ?」

「それは確かにそうかもしれないけど…」

 それを言われると何も言い返せなかった。

 彰美は言葉を続けた。

「せっかく自分の描いた絵が多くの大学の先生たちに認められてもらっているんだから、漫画はきっぱりと辞めて絵に集中するべきよ。それがあんたにとって幸せな道じゃないの?私の言う事間違ってるかしら?」

 俺は何も言い返せず、黙っていたままだった。

「答え出てるんじゃない?それじゃあ、私そろそろ帰るから、明日美大に行ってきて自分の本当の将来を見てきた方が良いと思う」

 彰美はそう言い終えると、振り向かずにそのままドアを閉めて帰っていった。

 俺は一人で考え込む羽目になった。

 解決したようで結局何も解決していない。

 相談なんてしても意味がないと思い、俺はこの日は漫画を描く気にもなれずに布団に潜って寝ることにした。

 この日は色々思いながら、考えた。

 時間はもう夕方で寝るには早い気もしたが、起きていても疲れが溜まるばかりだったので、寝たほうがマシに思えた。

 俺にとっての本当の将来ってなんなんだ?

 絵を描く方がよっぽど俺らしいし、それが本来の俺?

 なんだそれ?いくら小中高と一緒で俺を見てきたからって、漫画の事をあんなに言わなくてもいいじゃないか?

 明日行ってみてそこで気が付けなんて言われても俺には解らない。

 それが俺らしいのか?本当にそれでいいのか?

 そんなことを考えながら、考え疲れた俺はそのまま深い眠りに落ちた。

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