第17話
外は雨が降り始め、雨音をかき消すように俺達はライブの音楽をかき鳴らす。
ドラムを考える前に叩いていく。
客の事など気にもせずに叩いていく。
梨佳と瑤子の歌声が聞こえ、ギター音とベース音にキーボードの音が混ざり合う。
それに合わせてドラムも叩いていく、大勢の客が騒ぐ中で演奏が終わるまで叩いていく。
客と演奏しているメンバーが近くにいるのに、俺は演奏を間違えないようにドラムを叩くことに集中するために他を切り離す。
人の声が自分達に向けられているのに、まるで街中を歩いている多く人の思念の混ざった様々な声のように思え、自分に向けられているようにも感じられない。
雑踏の中の孤独。
ドラムを叩き終わって演奏が終わった時にそう思った。
その孤独が見渡せば、多くの歓声と拍手を熱気の視線と共に浴びせられた。
俺はバンドが成功に終わったことを僅か数分で実感した。
何とも言えない感情だった。
学校の成績で教師に褒められた喜びでも味わえない。
別の分野で存在を歓迎されたような、不思議な高揚感と喜びが混じった感情が俺の中で芽生えていた。
俺は無言で余韻に浸っていた。
アンコールの声が響いている。
梨佳と茉理先輩に瑶子がそれぞれ視線を合わせ、無言の肯定を示していく。
3人は俺を見る。
熱の入ったどこか子供が夢中になった遊びを続けることを求めるように、親に頼むような視線で俺を3人が見る。
俺は戸惑っていた。
この時間がこれで終わるのは勿体ないと言う気持ちと、もう一度この不思議な慣れない高ぶる感情を味わいたいと言う誘惑に流されたい。
だが、戻れない気がした。
普通のいつもの俺にこの後戻れないような気がした。
その戸惑いと迷いと流されたい気持ちが混じり合い、抗えなくなる自分がいる。
ギャラリーの槇村は輝くような目で俺達を見る。
峰屋は俺を熱っぽい目で見る。
彩島と横田は他の客と同じようにアンコールの声を続ける。
佐伯先生は静かにノンアルコールの酒を飲む。先生のそのいつもと変わらない仕草が俺を冷静な自分に戻してくれるように感じた。
智哉は学校で見せるいつもと変わらない笑顔で俺達を見る。
多くの人がこんなに注目して、歓喜の声をあげるのは初めての体験だった。
できればもう一度味わいたい。
これから先味わえないかもしれないから、俺は3人のメンバーに首を縦に降って答えた。
演奏はアンコールの2回目に突入した。
外は雨音が響く、ライブハウスは俺達の高ぶる気持ちが音になり、部屋に多くの歓声とともに響いていく。
忘れられない時間になった。
※
演奏が終わった後は楽屋に戻り、みんなで無言の満足感を味わった。
楽屋にアパートの住人と智哉に佐伯先生が入ってくる。
みんなと楽しく言葉のやり取りをして、瑤子と茉理先輩はアパートの住人の人達に自己紹介をする。
アパートの人たちはライブの感想も交えて話題が盛り上がっていた。
瑤子が俺の手を握り、反対側の手でドラムを指さした。
俺は冷めない熱を少し下げて、演奏が終わった後の事を思い出した。
そして俺は佐伯先生と瑤子と一緒に車で学校に戻ることになった。
今日のバンドメンバーは楽屋で解散になり、日を改めて打ち上げとなった。
佐伯先生に車で送られ、学校に着くころには夜中の5時になっていた。
「先生それじゃあ兄の車で後は家まで帰りますね。今日はありがとうございました」
瑤子が部室に着き、ドラムを俺と一緒に置いた後に時に佐伯先生にお礼を言う。
先生は俺達が出た後に鍵をかけて、下の階に向かって歩きながら言葉を告げた。
「顧問だから気にするな。それにもう車は来ているみたいだな。松本、お前は今日のライブは楽しかったか?」
「ただすごく熱くて不思議な時間でしたけど、充実感みたいなものはあったと思います。出来ればまたやってみたいなって思いました」
佐伯先生はそんな俺の言葉を聞いて、静かに笑った。
「普段俺の授業を受けているお前の顔とは違って、とても楽しそうだったな」
「えっ?そ、そうですか?それはすいません」
「何故謝る?むしろ良いものを見せてもらって上手い酒を飲みたくなるほどだったぞ」
なんかいつもより楽しそうな佐伯先生の横顔が珍しかった。
「司、また今年中に学園祭でやるからまたみんなで楽しめるわよ」
瑤子がそんな事を言って、笑顔を見せる。
俺は今頃になって梨佳や茉理先輩、そして隣の瑤子に感謝した。
こんな素敵な時間と経験をありがとうっと心の中で感謝した。
俺は少しだけ泣きそうになったが、我慢して下の駐車場まで歩いていった。
※
佐伯先生は先に車に乗って帰っていった。
俺は瑤子の兄の乗っている車に乗り、瑤子の家に行くことになった。
「君が瑤子のクラスメイトの松本司君だね。よく食卓で君の話が出るんだよ。話していた通りの男の子みたいだね。よろしく、僕は瑤子の兄の枢(かなめ)さ」
スーツを着たスムースマッシュの髪型の容姿の整った上品そうな顔立ちの男の人が挨拶をする。
「あ、初めまして、今日は家にお邪魔することになってすいません」
「そんな気にしなくていいんだよ。瑤子といつも仲良くしてくれているんだし、むしろ家に入れるのが遅かったくらいさ。君みたいな真面目な子なら妹思いの兄としては安心かな。ははは」
「もう、兄さん!運転に集中してよ。司とはそういう関係じゃないって」
瑤子はなんか笑いながらちょっと照れている。
可愛い一面もあるんだなっと俺は思った。
話を聞くうちに瑶子の兄の枢さんは年が7つ離れた大手企業の新入社員だそうだ。
スポーツ万能で有名な大学出身で勤めている企業は製薬会社で、瑤子が言うには実家でも楽しい兄だと話していた。
恋人もいるらしく役職に付いたら結婚するらしい。
かなり期待されているらしく親も鼻が高いらしい。
なんか流石瑤子の兄だなっと思える良い人だった。
話していて楽しい人だった。
なんというか交渉とか上手そうなトークで、俺はただただ感心して驚いていた。
佐伯先生が夜の大人の男というイメージなら、枢さんは昼の大人の男というイメージがピッタリと合うくらい女性ウケが良さそうだった。
瑤子の家に着くとまず俺はその大きさに驚いた。
大きめの庭も付いていて三階建ての一軒家で、しかもガレージは2つもあり、上流階級の人の家というイメージがそのまま出ていた。
ガレージに車を停めると枢さんが奥のボタンを押して、シャッターが自動で閉まる。
瑤子の家って金持ちだったんだな。
いつもはそんな話もしないので、俺は瑤子の生活風景をイメージしながら車を降りた。
そのまま奥の階段を上がって部屋に上がった。
廊下も広くて綺麗に清掃されていた。
今のドアを開けるとテレビとソファーにシステムキッチンのある居間に着いた。
テーブルには美味しそうな料理が並べられ、瑤子の両親が温かく迎えてくれた。
「待っていたよ、今日はバンドで大変だっただろう?君が司君か、初めまして瑤子がいつもお世話になっているね。実家と思ってくつろいでくれ、今日の事も色々と聞きたいしね」
体格の良い体育会系のごっつい瑤子のお父さんが俺にそういって笑顔で対応してくれた。
瑤子の母も美人で優しそうな人だった。
ラベンダーアッシュカラーの髪型で肌は雪のように白かった。
瑤子が大人になったら母のように似てくるのだろうか?
どちらにせよ美人には違いなかった。
「あらあら、やっぱり瑤子の言っていた通りの良い男じゃないの。司君、一応家の方に電話しておいた方が良いわよ、それと奥の洗面所で手を洗ってきなさいな。ふふ、なんなら泊まるのもいいわよ。けど瑤子とは健全でお願いしますね」
「もうお母さん!司とはそういう関係じゃないって、た、ただのクラスメイトだよぅ!」
「どうもありがとうございます。それじゃあ遠慮なく使わせてもらいます」
2人の会話を聞いて、ちょっと気恥ずかしくなった俺はそう言って洗面所に行った。
ソファーには猫が1匹いた。
それは昔雑誌で見た事があるラグドールというぬいぐるみの様な愛らしいモフモフとした毛並みの猫だった。
瑤子の家は裕福で温かい家庭なんだなっと俺はなんとなくそう感じた。
洗面所に行くと大理石の大きめの浴室があった。
そこで手を洗いながら、手で水をすくい口に含めてうがいをした。
その後に俺は居間に戻り、瑤子の家族と食事を取った。
おいしい料理に囲まれながら、楽しい会話の中で俺は温もりというものを感じた。
ただただ温かかった、俺の家族にはなかった理想がそこにはあった。
瑤子の家族は俺を弟のように扱って、親しくなった。
こんな家で生まれたかった。
あんな家には生まれなければ良いと思った。
あんな家には。
そう思うと胸が少しだけ寂しかった。
食事が終わると瑤子の母は猫を膝に置いて、テレビを見ていた。
兄は部屋に戻って会社の調べ物をするらしい。
父は2階の和室で兄と同じように会社の調べ物と趣味の読書をするらしい。
俺は瑤子と一緒に部屋に上がった。
ベースが置かれている以外は女の子らしい部屋だった。
クマのぬいぐるみにピンクと白の配色が多い家具と大きなベッドが目立っていた。
部屋には香水かなにかを付けているのか、甘そうないい匂いがした。
「あ、そこのベッドに座ってていいよ」
「ありがとう。あんなに豪華な食事もご馳走してもらって、とても楽しい時間だったよ。それに瑤子の部屋って綺麗で良いね」
ベッドは座ると柔らかい感触で少し眠くなりそうな心地の良さだった。
「そう言ってもらえると嬉しいな。一応私の部屋に入れた男子って司が初めてだからね」
瑤子は俺の隣に座る。
同じベッドに並んで座ると、まるで恋人のようだ。
実際は恋人でもないのだが・
「あのね、司ってさ。付き合ってる人とかいるの?」
「え、急にどうしたんだよ?前に言っただろ、俺ってそういうのは無縁だし、付き合ってる人なんていないよ」
「本当?」
「ああ、だけど告白された人ならいる。まだ付き合うかどうかわからなくて、返答はまだなんだ」
「そうなんだ。それじゃあ、その子には悪いかもね」
「えっ?どうして?」
そう言い終わる前に俺は口は瑤子の唇によって塞がれた、それは初めてのキスだった。
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